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光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


第一章 03

 洒落た喫茶店かレストランみたい――というのが、この学食をはじめて訪れたわたしの感想だった。
 広い面積に高い天井。随所に置かれた観葉植物。南に面した一面はほとんどが窓ガラスになっていて、五月のやわらかな陽光を室内に取り入れている。
 外はテラスになっていて、晴れた日はそこでも食事を楽しむことができるみたい。今日のような快晴ならうってつけだ。
 学食内はほかの生徒たちで混み合っていた。
 わたしを含めた二年F組の五人は、大きな長方形のテーブルを囲んだ。ちょうど六人がけのテーブルが空いていたのは幸いだった。
 わたしの前には、「本日のおすすめ定食」が載ったトレイがある。今日は和食中心のメニューだった。ほかにも目移りしそうなほど豊富なメニューがあったけど、なんとなくこれにした。
「いただきます」
 そう言ってから、割り箸を割る。みんなもおもむろに食べ始めた。
 まず、大根と鶏肉の煮物を口にした。
 ……うん。おいしい。
 しっかりと利いた鰹のだしは、懐かしい日本の味つけだった。和食を口にするなんて久しぶりだから、余計にそう感じるのかもしれない。
 それにしても、これだけのボリュームがあって、なおかつこの味で四〇〇円なんて、どう考えても安すぎる気がした。元はちゃんと取れているのかと、ちょっとだけ心配になった。
「ねえ、ひとつ訊いてもいいかな」
 舌鼓を打つわたしに話しかけてきたのは天宮くんだった。
「うん?」 
 その絶妙なタイミングから、食べ始めても会話が途切れないようにする気遣いを感じた。
「綾瀬さんは、どうしてイタリアに?」
 ……やっぱり気になるよね。それは。
「……えっとね……お父さんの仕事の都合上、かな」
 お父さん――この言葉に、胸を急に圧迫されたような不快感を抱く。そして同時に、わたしの中に罪悪感が芽生える。
 この答えはたしかに嘘ではないし、辻褄は合う。でも、それなら真実かと問われると、自分でも首をかしげてしまう。
 わたしがイタリアにいた本当の理由。
 それは知られたくない。理由を尋ねられたら些細な嘘をつくことになると、転校前にはすでに覚悟していた。けれど、やっぱり申し訳ない気持ちになる。
 ……ごめんね。天宮くん……ほかのみんなも。
 心の中で謝った。
 でも仕方がない。この場はがんばって乗り切らないと。
「お父さんはどんな仕事してるの?」
 と、石川さん。
「えっと……フリーのジャーナリストって言えばわかるかな」
「ジャーナリスト……報道関係ってことだよね」
 と、これは木崎さん。
「うん。カメラマンも兼ねてて、大きな事件や事故とか追いながら、世界中を飛びまわってるよ」
 飛びまわっている……?
 それは昔の話でしょうに。
 ……いま、わたしの顔はこわばってないかな。無理に笑ってるって思われてないかな。お父さんの話は、あまりしたくないから……
「へぇー。すげーじゃん」
 と、坂井くん。
 それから彼はなにか思い出したように言った。
「ありゃ? ……そういえば天宮の兄貴もジャーナリストじゃなかったっけ?」
「そうだよ」
「天宮くんは、お兄さんがいるの?」
「うん。僕は三人兄弟の末っ子なんだ。ジャーナリストの兄貴はいちばん上」
「へえ……」
「あ、そういえば今朝の情報番組にコメンテーターとして出てたよね?」
 木崎さんが言った。
「それ、あたしも見たよ。お兄さんもかっこいいよねぇ!」
 と、石川さんは少し興奮気味だった。
「ふふっ、どうもありがとう。兄さんに伝えておくよ」
「テレビに出るくらい有名な人なんだ?」
 それはすごいと思う。
「まあ、そこそこかな。ところで綾瀬さん……もしかしてさ」
 そう言う天宮くんは、なにか思いついた表情だった。
「綾瀬さんのお父さんって、もしかして綾瀬孝明(あやせたかあき)って名前じゃない?」
「えっ」
 驚いた。
 お父さんのフルネーム。
 まさか、天宮くんが知ってるとは思わなかった。
「……そうだけど……よく知ってるね?」
「ああ、やっぱりそうなんだね。綾瀬って名字で、世界中で活躍しているジャーナリストといったら、綾瀬孝明さんしかいないと思ったからさ」
「おい天宮。どういうことだ?」
 坂井くんの疑問はもっともだと思う。
 お父さんはたしかにジャーナリストとしてある程度は有名だけど、まさか同年代で、ピンポイントに知っている人がいるとは思わなかった。
 ……あ、でも、お兄さんが著名なジャーナリストなら、その関係で知っていてもおかしくはない……かな?
「綾瀬孝明さんは、三年くらい前にピューリッツァー賞を受賞した人だよ。受賞当時はかなりニュースになったからいまでも覚えてるけど……綾瀬さん、間違いないよね?」
「……うん。そうだよ」
 三年も前のことをここまで詳しく覚えているなんて、天宮くんは顔だけじゃなくて記憶力もいいらしい。
「で、そのピュー……なんとか賞ってなに?」
 と、石川さん。木崎さんも坂井くんもよく知らないようで、ふたりとも首をかしげている。
 ピューリッツァー賞――アメリカでもっとも権威のある文化賞で、毎年すぐれた印刷報道や文学、作曲などの分野に与えられる。
 その中でも報道写真の分野からは毎年、かなり衝撃的な内容の写真が公開されているのは有名だ。
 わたしのお父さんも三年前、その分野で受賞した――と、天宮くんはこれくらい詳細な説明をみんなにしてくれた。とてもわかりやすい説明で訂正のしようがない。
 日本人では史上四人目、三十数年ぶりの快挙だったらしいから、日本でもそれなりに大きく報道されたと、イタリアにいたときに噂で聞いている。
 でも。
 お父さんが撮った写真……ピューリッツァー賞を受賞した写真は、わたしにとって大きな傷だった。あまり思い出したくないから、この話題はこれくらいで終わってほしい――切実にそう願った。
「も、物知りだね……天宮くんって」
 実際、すごいと思う。高校生とは思えないほどの知識の豊富さ。気遣いの仕方からその知識量まで、天宮くんはただ者じゃないみたい。
「たまたま知ってただけだよ」
 少し謙遜している様子の天宮くん。
「……あーとにかく、綾瀬さんの親父さんはそれはすげー人だと、要するにそういうわけだよな」
 坂井くんが、この上なく単純明快にまとめてくれた。
「ちょっと坂井、すげー頭の悪そうなまとめ方しないでよね。綾瀬さんのお父さんに失礼でしょ」
 と、眉をひそめて文句を言う石川さん。
「あ? いいじゃんかよ。別に間違ってないだろ」
「そうだけどさ。もっとこう、賢いまとめ方ってものがあるでしょうに」
 この言葉に、坂井くんが憤然とした。
「……おい、誰が馬鹿だって?」
「ちょっ、そんなこと言ってないじゃない!」
「いいや。俺にはそう聞こえた」
「あんたねえっ!」
「なんだよっ!」
 そして、なぜか喧嘩が始まった。
 でも、このおかげで話が変な方向へ流れた。
「ちょ、ちょっとふたりとも……」
 木崎さんが控えめになだめる。けど、坂井くんと石川さんはお互いヒートアップするだけだった。もちろん木崎さんの言葉は届いてない。
「なんでいつも突っかかってくんだよ、おまえはっ!」
「それはあんただって一緒でしょっ!」
 とどまることなく加速していくふたり。もう止められそうもない。
 わたしにとっては、話題が変わって、ある意味助かったかもしれない。
「あはは……ごめんね綾瀬さん。変なことになっちゃって」
 天宮くんは苦笑交じりに言った。そこに、ふたりの喧嘩を心配している様子は見られない。
「えっ……あ、その……」
 喧嘩するふたりを見る。しばらくじーっと観察した。
 ……なんとなくだけど、ふたりとも心なしか楽しそうに見えるのは気のせい? 木崎さんもそこまで真剣に心配しているようには見えないし。
「ふたりって、実は仲がいいのかな」
「ふふ、よく気がついたね。ふたりの喧嘩はね、いまや二年F組の名物になってるんだよ。夫婦喧嘩ふうコントって僕らは呼んでる」
 この言葉に反応した坂井くんと石川さんが、まったく同じタイミングで振り返った。
「誰が夫婦だ!」
「誰が夫婦よ!」
 台詞もほとんど一緒。……たしかにもう、コントと呼べる領域だった。これが演技じゃなくて自然なら、これはこれですごい。
「そんなふうに呼吸がぴったりなところが夫婦みたいだって、自分たちで気づかないのかな。……ねえ?」
 天宮くんは木崎さんとわたしに話を振った。
「うん」
 木崎さんは自信満々で答える。
「……う、うん」
 わたしもとりあえずそう答えた。
「天宮っ、元はといえばてめえが夫婦なんて言い出すから広まったんじゃないか」
「そうよ。坂井と夫婦だなんて言われたら、それこそ本当にお嫁の貰い手がいなくなるわ。あーやだやだ」
「……おい由美子。それはどういう意味だ。からかってるのか?」
「からかってるんじゃないわ。おちょくってるのよ」
「同じだろっ」
「なによっ!」
 また始まった。
 天宮くんはやれやれといった感じで肩をすくめる。
 木崎さんはもうふたりをそっちのけで、マイペースに天ぷらうどんを食べ始めた。
 ふたりはこの光景に慣れているのかなと、それぞれの姿を見ながら思った。
 ……なんかいいな。こういうの。
 みんながそれぞれを信頼しているのがわかる。喧嘩をしているふたりにしたって、絆の強さがにじみ出ていた。基盤となる信頼関係がしっかりとしてないと、ここまで打ち解けるのは無理だ。
 ……わたしも早く溶け込みたいな。みんなの中に。
 そう思ったけど、すぐに不安になってしまった。
 わたしはみんなに嘘をついてしまった。嘘をつくっていうと大げさかもしれないけど、本当のことを話してないのは事実なんだから罪悪感は拭えない。
 こんな状態でみんなと仲良くなろうだなんて、傲慢もいいところだ。
 わたしがイタリアへ渡った本当の理由。
 そして今回、日本へ帰国することになった本当の理由。
 それはまだ話せそうもなかった。本当のことを話せないのは、みんなとそこまで仲良くなったわけじゃないから、という理由じゃない。
 心が弱いから、だ。
 そう。わたしは弱い。
 弱いから……逃げた。
 逃げるように日本へ帰国した。そんな重い事実を、出会って間もないみんなに話すのはやっぱりためらってしまう。
「綾瀬さん?」
 天宮くんの声で自分の世界から戻った。
「……え?」
「どうかした? なんか難しそうな顔してたけど」      
「あ、ううん……大丈夫だよ。気にしないで」
「そう? ならいいんだけど。でも、なんか悩み事があるなら言ってね」
「うん。ありがと」
 天宮くんはやさしい。たぶんみんなに対してそうなんだろうけど、並の女の子だったらこれでいちころだ。でも、わたしはこのやさしさに頼ってはいけない。
 ……それにしても危なかった。みんなの中でも天宮くんは特に鋭いみたい。彼の前では隙を見せないように気をつけよう。
 ……悩み事、か。
 悩み事というよりは、漠然とした不安。こう表現したほうが的確かもしれない。
 そんなものがいまのわたしを覆い尽くしている。なにがそんなに不安なのか自分でもわかってない。そんなだから、どうすれば不安を払拭できるのかもわからなかった。
 ……わたしは、これからどうすればいいんだろう。
 抱いた不安をよそに、転校初日は刻々と過ぎていった。


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