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光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


第一章 05

 すっかり遅くなってしまった。
 携帯電話をポケットから取り出し、早歩きしながら時刻表示を見る。
 もう一限目が始まってから三分の一の時間が過ぎていた。当然、廊下には誰もいない。校内にいるすべての生徒は、いまごろは熱心に授業を受けている最中だ。
 ……あんなはずじゃなかったのに。
 自己嫌悪に陥っている。書類の記入を間違え、二回も書き直すはめになってしまった。
 足早に廊下を歩く。
 自分の足音が静かな廊下に響いていた。その足音はまるでいまの気持ちを代弁しているかのように荒く、さらに自己嫌悪に陥った。
 廊下を曲がり、その先にある階段をふたつ飛ばしで駆けのぼる。
 ふつう、女の子がこんな荒業を使ってはいけない。勢いで翻ったスカートの中は、下から見たら丸見えだと思う。でもいまはまわりに誰もいないし、そんなことはお構いなしだった。
 三つある校舎はすべて四階建てだった。A校舎の場合、いちばん上が一年生の教室、その下がわたしのクラスがある二年生の教室、その下が三年生の教室となっている。
 下駄箱や学食、そして職員室のある一階から、わたしは三階にある自分の教室へ向かっていた。
 書類を片づけたあと、わたしは月城くんのクラスを中村先生から聞き出していた。彼はB組で、F組とはかなり教室が離れている。
 月城秀一。
 わたしが恋焦がれた、あの少年の名前。
 彼がこんなに近くにいるなんて、思いもしなかった。もう出会うことなんてないと思っていた。
 特に信じてもいない神様に、チャンスをくれてありがとうと言いたくなった。
 わたしは、彼に言いたいことがふたつある。
 わたしを救ってくれてありがとう――彼自身には身に覚えがないはずだ。でも、彼のピアノがわたしを救ってくれたのは紛れもない事実。だからこれはなんとしてでも言いたい。
 そして、実はこれがいちばん知りたかった。
 それは――
 二階と三階をつなぐ階段の中間にある踊り場で、息を整えた。急いでいたから息が切れている。……そういえば、ここ最近運動不足だった気がする。
 でも、あとひと息。だから一気に階段を駆けのぼった。
 ――しかし、それがいけなかった。
 三階にたどり着いたところで、上り階段からこちらへ下りてくる人影に気がつかなかった。 この時間なら近くに誰もいないだろうという先入観から、よく見なかったわたしの不注意だ。
「きゃっ!?」
 すれ違いざまにその誰かと衝突し、わたしは尻餅をついてしまう。意外にもおしりへの衝撃は強く、すぐには立ち上がれなかった。
「ごめん。……大丈夫?」
 はっとするほど綺麗な男子の声が投げかけられた。
 高音と低音の調和が美しい。
「こちらこそごめんなさい。前をよく見てなくて――」
 彼が左手を差し出してきたので、紳士だなと思いながらわたしはそれを握って立ち上がった。 
 ……あれ、ということは、彼もわたしと一緒で左利き?
 握った手は少し冷たかったけど、この上なく綺麗な指だった。
 指の長さと細さがいままで見たこともないほどバランスよく整い、染みひとつない。
 仮に天宮くんの手が一〇〇点なら、この手は一二〇点くらいだ。
 骨ばったごつごつさがないのは天宮くんと同じだけど、声や雰囲気からしてこの手の持ち主は天宮くんではない。
 おしりをぱたぱたと払いながら、目の前の人物の顔へ視線を送った。
「――ぁ」
 その顔を確認したとき、心臓が停止したような錯覚にとらわれた。
 呼吸も止まった。
 思考も凍った――時間が止まった、という表現がもっとも正確もしれない。
 凄まじい衝撃が、時間差で大津波のように襲ってきた。 
 目の前の人物と、ピアノの旋律でわたしを救ってくれた、あの少年の顔が重なる。
「つ、月城……くん……?」
 しぼり出すような声が、わたしの口から漏れた。
「え?」
 なぜ自分の名前を? とでも言うような表情を彼は作る。
 目の前の男子生徒は、紛れもなく月城秀一その人だった。
 ――そして、次にわたしの口から飛び出た言葉が、月城くんとわたし自身を凍りつかせることになった。


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