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光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


第五章 01

 わたしは暗闇の中を走っていた。
 ここがどこなのか、なんで走っているのか、どこに向かっているのか、すべてがわからなかった。
 一心不乱に走り続けているわたしの姿が、暗闇の中で唯一の存在だった。
 ……あれ?
 暗闇なのに、光源がまったくないのに、どうして自分の姿が確認できるんだろう――走りながら、ふと思った。
「あ――」
 目の前に人影が見えた。暗闇の中なのに、なぜか見えた。わたしは立ち止まり、ゆっくりとその人影に近づいていった。
 背の高い男性の背。この後ろ姿は……
「月城……くん?」
 彼――月城くんが振り返る。
「――――」
 無言。そして無表情。表情から感情を読みとることはできなかった。
 そして、
「さようなら」
 抑揚のない無感情な言葉を残し、月城くんは消えた。
「あっ!?」
 跡形もなく消えた。
 なんで?
 どうして消えるの?
 わたしを置いて……
「月城くんっ!?」
 必死に叫んだ。
 こんなふうに大声で叫んでも、声は反響することなく、周囲の暗闇に吸収されていった。
 周囲の暗闇が、自分の心までも覆い隠そうとしていた。
 ひとり。
 わたしはいま……ひとりぼっちなの?
「いやぁ……」
 涙が出てきた。
 どうして行っちゃうの?
 謝りたいのに。
 月城くんに。
『本当にそうなの?』
「……え?」
 どこかから聞こえてきた声。
 振り返っても誰もいない。上下左右、どこを見渡しても誰もいなかった。いるのはわたしだけ。
『本当は逃げたいんじゃないの』
 また、どこかからの声。
 わたしは振り返らなかった。そして唇を噛んだ。
 だって、この声の主がどこにいるのか、そして誰なのか、気づいてしまったから。
 目をつむった。
 目をつむっても、つむらないときとそんなに光景は変わらない。底なしの暗黒が広がっているだけだった。
 そして次にまぶたを上げたとき、目の前に人がいた。
 それは、紛れもなくわたし――綾瀬由衣だった。
 一糸まとわぬ姿で、鏡を見ているような錯覚を覚える。
『あなたはね、逃げたいの。あらゆることから』
 と、目の前の「わたし」は言う。
 見下すような冷たい視線――睥睨(へいげい)。
「――っ」
『あら、そんな顔しないでよ。本音でしょ?』
「ち……違う」
『違わない。あなたはね、目を背けたのよ。目の前の現実からね』
「ちが――」
『違わないって。そして、これから先も逃げようとしているのよ』
 辛辣な言葉が無数の刃物になって、わたしの胸に次々と刺さった。
 痛い。
 ううん、痛くない。
 だってこれは……夢、でしょ?
 夢なら痛くない。
『ええ、夢よ』
 目の前の「わたし」が、わたしの心を見透かすように言ってきた。
 にやりと笑みを浮かべながら、目の前のわたしは言葉を続けた。
『だからいま、「わたし」が「わたし」に言うの。いつもはあなた、「わたし」の言うことを聞こえないふりをしてるでしょ』
「……それは」
 無意識からの声。
 わたしの内面の奥深くから聞こえてくるような声。わたしが逃げるような状況のときに、どこからともなく響いてくる声。その声はいつも辛辣だった。
 その声の主が、目の前にいるわたしなのだとしたら。
 ……ああ、そうなんだ。
 わたしは、心の底では気づいているんだ。
 現実を。
 逃げているという真実を。
『ま、いまのところはこれくらいにしてあげるわ』
「え?」
『ばいばい。もうひとりのわたし』
 そう言って、目の前のわたしは不気味な微笑みを残し、消えた。
「あ……」
 消えた。
 ということは。
 また、ひとり。
 ひとりぼっち。
「う……うぅ」
 泣きながら、その場にくず折れた。 
 誰でもいいから、そばにいてほしいかった。
 抱きしめてほしい。
 ぬくもりがほしい。
 誰か、助けて……!
「――ゆ――」
 つぶやくような声が聞こえた。耳を通じて聞こえてきたんじゃない。頭に直接語りかけてくるような、そんな朦朧(もうろう)とした声。
 顔を上げる。
「由衣――」
 声がだんだんとはっきりしてくる。聞いたことのある声。聞いていて、どこか落ち着く声。「誰……どこ……?」
 わたしの声は、やはり漆黒の闇に紛れて霧散していった。相変わらずなんの反応もない。返事がないことがこんなにも怖いことだと、はじめて知った。
「ねえ、誰なのっ!?」
 叫んだけれど、無情なまでの沈黙が返ってきた。
「誰か、返事……してよ」
 ここはどこ?
 ひとりは……いやだよ。
 帰りたいよ。
 ……帰る?
 どこに。
「由衣……ごめんね……」
「――っ!」
 ……ああっ。
 わかった。わかってしまった。
 この声……このやさしい声はっ!
「お母さんっ!?」
「由衣――なたは――ヴァイオリ――」
 声が途切れ途切れになっていく。
 でも、かろうじて聞き取ることができた単語。
 ヴァイオリン?
「お母さん……? お母さんっ!」
 やがてなにも聞こえなくなった。 
「いやあっ! お母さん!」
 暗闇の中の意識は、ここで途切れた。   


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