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光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


第六章 03

 暗闇の中で俺は、ひとりソファに座っていた。
 自宅のリビング。広さは二十畳ほどあり、ひとりでいるにはかなり広い。部屋の明かりはわざと消しているため、暗闇が室内を覆っている。
 唯一の光源といえば、窓から差し込んでくる月の光ぐらいだろうか。
 月の明かりが、離れたところに置いてあるグランドピアノを照らしていた。光沢のある漆黒が、蒼い光に照らされて浮き彫りになっている。
 ……しばらく弾いてないな。
 指が勝手に動く。あの子の好きだった曲を、頭の中で演奏していた。
「……いまはそれどころじゃないだろ」
 壁にかけられた時計を見ると、時刻は午前一時を過ぎていた。繁華街に繰り出せばまだ騒がしいんだろうが、住宅街であるこのあたりはもう完全に寝静まっている。
「そろそろか」
 俺はおもむろに立ち上がり、サイドボードの上にある固定電話に手を伸ばした。携帯電話よりもさらに使用頻度が低い代物だ。
 こんな時間に誰に電話を、と思うかもしれない。たしかに相手が日本にいるなら、時間帯からして失礼に当たるだろう。
 俺がかけようとしている相手はドイツにいる。早い話が国際電話だ。
 日本とドイツの時差は八時間。ドイツはいま、夕方のはずだ。
 あらかじめ用意していた名刺を取り出し、そこに書かれている電話番号を確認する。
 二年も前にもらった名刺だから、いまも目的の相手がこの番号でつながるかどうかはわからない。まあ、もしつながらなくてもほかに手はある。
 国際電話をかける際の、ちょっと面倒な手順をこなしたあと、コールした。
 しばらくのコール音のあと、最初に出たのはオペレーターらしき女性だった。声からしてかなり若い。
 こちらハンブルク・ルートヴィヒ音楽出版社です――と、むろんドイツ語で話している。 とりあえず自分の名前と素性を名乗った。
 ……シュウイチ……ツキシロ……? と、少し戸惑ったような様子が伝わってくる。
 それはそうだ。まさか日本からわざわざドイツの出版社にかけてくるとは、ふつう思わないだろう。
「そちらにミレーネ・シュミットという記者さんがいらっしゃったと思うんですが、もしいま、いらしたらつないでもらえませんか」
 ……失礼ですが、シュミットとの関係は? と、少しばかり怪しんでいる声色。まあ、それは仕方ない。
「以前、彼女から名刺を頂いたことがあるんです。わたしのことは元ピアニストの月城秀一と言えばわかるはずです」
 少々お待ちを、と言われたあと、保留中の音楽が流れる。ドイツの民謡だった。
 思ったよりも楽につないでくれた。本当はもう少しややこしい説明がいると思っていたが、やはり音楽の出版社だけに、ピアニストという単語が効いたのだろうか。
 しばらくすると、受話器から別の女性の声がした。
『もしもしっ!?』
 かなり驚いた様子の声。だが、彼女が目的の女性であることは間違いない。
「グーテンターク。ミス・シュミット」
『あ、あなた、本当にミスター・シュウイチ・ツキシロ?』
「そうです。お久しぶりですね」
『……驚いたわ。まさかあなたから連絡があるなんて……』
 かなり感動している様子が伝わってきた。
「まだ同じ連絡先にいらっしゃってよかった。相変わらず記者としてヨーロッパ中を駆けまわっているんですか?」
『ええ。ただ、いまはクラシック関連の記事をまとめる主席編集長に昇進したから、ドイツ国外へ出かけるのは減ったわね』
「それはおめでとうございます」
『あら、それはあなたのおかげよ』
 シュミットさんは上機嫌だ。
『マスコミの取材を完全にシャットアウトしていた天才ピアニスト、シュウイチ・ツキシロが、最後の最後でわたしのインタビューに答えてくれたんだから。あのときわたしが書いた記事はクラシック業界の一大スクープとして話題を独占したわ』
 その業績が認められて主席編集長に抜擢されたのかもしれない。もともと彼女は記者としてはかなり有能だったらしいから、それはうなずける。
 それから俺とシュミットさんはしばらく世間話を交わした。俺の近況報告が主な内容だった。
『元気にやってるみたいでなによりだわ。――で、わざわざあなたから連絡してきたのだから、それなりの理由はあるんでしょう?』
「はい。実は――」
 俺は用件を伝えた。
『――ええと、つまりその子のことを調べればいいのね?』
「はい。もちろんよろしければ、ですが」
『その子の名前は聞いたことがあるわね……えーと、イタリア方面に詳しかったのは……まあいいわ。それで、期間は?』
「それはいつでも構いません。シュミットさんの仕事に差し支えない程度で」
 編集者は忙しい仕事であると、門外漢の俺でも知っている。それは全世界の編集者共通だろう。
『ふふ。あなた直々の頼みだから、すぐに取りかかるわ。ちょうどいま、手が空いたところなのよ』
 それはまた間がよかった。
「すいません。よろしくお願いします」
『任せなさい。また折り返し連絡するけど、いまの番号で構わないわね?』
「はい」
『それじゃあね』
 通話が終わり、受話器を置いた。
 ソファに戻り、身を沈める。
 ドイツ語で会話したのなんて久しぶりだったから、かなり疲れた。
「シュミットさんは、相変わらずだな……」
 薄暗い天井を見上げてつぶやく。
 仕事ができるパワフルな女性。それがシュミットさんに抱いた第一印象だ。
 彼女が勤めるハンブルク・ルートヴィヒ音楽出版社は、ドイツのハンブルクに本拠地を置く、その名のとおり音楽に関連する書籍や楽譜などを出版している会社だ。
 ヨーロッパで活動していた頃、俺はマスコミの取材などはすべて断っていた。もともと公の場でしゃべるのが得意でなかったこともあるし、ピアノについていろいろと訊かれるのも億劫だったからだ。
 そんな俺でも、一回だけ取材を受けたことがあった。
 あれは二年前、俺がピアノの引退を発表してからすぐのことだ。
 そのとき取材を受けたのが、かつては一記者であったミレーネ・シュミットさんだった。 それよりもだいぶ前から、シュミットさんから取材の申し込みはたびたびあった。それはずっと断り続けてきたけど、最後くらいはいいだろうと思って許可した。
 引退発表後に最初に申し込んできたから、という気まぐれな理由もある。また、彼女は俺のファンでもあったらしい。
 その取材のときにもらった名刺が、今回役に立った。まさか必要になるとは思ってなかったけど、捨てずに取っておいてよかったと思う。
 人脈というものは、時間が経っても廃れないみたいだ。
 さて、問題は。
 もし俺の推測が正しければ、シュミットさんは彼女についてなんらかの情報を調べ上げてくれるだろう。それがどんなものであれ、彼女――綾瀬由衣の秘密を知る手がかりになると、俺は思う。
「どうなることやら……」
 俺の独り言は、冷えた空気と混ざり合った。
 ――それから約四時間後。空が白み始めてきた頃。
 シュミットさんからの連絡で、俺は綾瀬由衣の秘密の片鱗を垣間見ることになった。
 もしそれが事実なら、綾瀬由衣は。
 俺と一緒じゃないのか――?
「さて……どうしたものかな」


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