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光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


第十一章 11

 月城くんは全身びしょ濡れのまま、白い砂浜の上に寝そべっている。
 意識はない。体温も低い。
 でも、呼吸は安定していて命に別状はないようだった。
 わたしは月城くんの傍らに膝を抱えて座り、所在なさげにしていた。
 わたしも全身びしょ濡れだ。
 月城くんを助けるときに頭まで海に潜ったから、それはどうしようもない。
「月城くん……」
 彼の頬を、わたしはそっと撫でた。
 ニキビひとつない、綺麗な肌。近くで見れば見るほど、彼の秀麗で精悍な顔立ちに心が躍動してしまう。 
 月城くんの唇に、目を奪われた。いまは心なしか青ざめているけど、引き締まって整った形をしている唇。
 さっきわたしは、この唇を奪ったんだ。
 その光景が、フラッシュバックした。
 海の中で。
 不可抗力とはいえ。
 キス?
 厳密に考えれば、あれはキスとはいえない。どちらかといえば人工呼吸という名の色気のないものだ。
 ……でも。
「――っ」
 その事実に、わたしは全身の血が沸騰したような熱さを覚えた。
 びしょ濡れで本当は寒いはずなのに、どこか熱い。これなら服が吸った大量の水分も、すぐに蒸発しそうだった。
「う……」
「あっ……月城くん?」
 月城くんがうめき声をあげて、わたしは動揺した。
「も……もも……こ」
 そうつぶやいた月城くんのまぶたから、一筋の涙が流れた。
 わたしは言葉を失った。
 月城くんが海に身を投げた理由を、完全に察してしまったから。
 ……そういうことだったんだ。
 だからあのとき、クラウザー先生はあんな質問を……
 これですべての謎が氷解したように思う。
 月城くんの心には、いまでも桃子というひとりの少女がいる。
 わたしの――いや、誰も入り込む隙間がないほどに、彼の心はその名で埋め尽くされている。
 桃子ちゃんのそばに行きたいという月城くんの純粋な願い。
 ……もしかしたらわたしは、それを踏みにじったんじゃないの……? 
 罪悪感が生まれる。
 でも同時に、あのまま海中へと沈みゆく月城くんを見捨てることは、わたしにも天宮くんにも絶対にできなかったと思う。
 天宮くんに電話で言われたとおり、わたしはこの海岸に到着した。
 タクシーから降りたとき、砂浜から沖に向かってなにかを必死に叫んでいる天宮くんを発見した。
 天宮くんの視線の先、遠くの沖には、いまにも海中へ消えそうな儚い後ろ姿が見えた。
 そのときすぐ、わたしは事情を察した。
 考えるよりもまず、体が動いた。
 堤防を越え、砂浜に降り立ち、すぐに駆け出した。
 そして、追い越しざまに天宮くんに持っていたヴァイオリンケースを預け、わたしは海中へ突入した。
 月城くんの後ろ姿だけを焦点にして、脇目も振らずに進んだ。
 この海岸は遠浅みたいで、なかなか月城くんに追いつくことができなかった。
 焦り始めたわたしを置いて、月城くんはどんどん先へ進んでいく。
 やがて月城くんの後ろ姿が見えなくなった。
 それと同時くらいに、急に水深が深くなってわたしは慌てた。
 死なせるわけにはいかない。
 わたしの過ちを指摘してくれた月城くん。そのおかけで、わたしは現実を直視することができた。
 まだ恩返しもしてないのに。
 なによりも。
 初恋の彼を、こんな冷たい海で死なせるわけにはいかないじゃない――っ!
 海底に足が届かなくなり、わたしは泳ぎ始める。
 泳ぎはあまり得意じゃないけど、冷たい海が体温を奪っていくけど、そんなことは関係なかった。
 月城くんの存在だけを目指し、必死に泳いだ。
 そろそろ追いついてもいいはず――そう思い、わたしは無意識に手を伸ばした。
 わたしの手が、なにかに触れた。
 月城くんの腕だった。
 わたしはそれをつかんだ。絶対にこの手を離さない――そんな想いを力に込めた。
 月城くんは抵抗してきた。
 いいから離してくれ、俺はもう死にたいんだ――そんなことを暗に言われた気がしたけど、それでもわたしは、つかんだ腕を放すことはなかった。
 なんとかして海上へ引き上げようとした。力のあまりないわたしが、どうしてあんな腕力を発揮できたのか、考えてもよくわからない。
 でも唐突に。
 月城くんの抵抗がなくなったと同時に、彼の体が海底へと沈んでいった。息が切れて意識がなくなったのか、それとも――
 わたしは狼狽しつつ、月城くんを抱きしめた。
 生きる希望を見失った、冷たい体。それが暗い海の底に沈んでいく最悪な想像が、わたしの平常心を乱した。
 そんなことは絶対にさせない。
 わたしは無我夢中で彼の唇を奪った。そして肺の空気を送り込んだ。一瞬、月城くんは目を大きく見開いたような気がする。でも、また意識を失ったのか、彼の体は再び沈んでいこうとした。
 それからひたすらにに泳ぎ、海上へ顔を出したまでは覚えている。
 けど、それからはよく覚えてない。あのときのわたしに、月城くんを抱えながら遠く離れた砂浜まで泳ぐ力は残ってなかったと思う。
 途中から天宮くんも手伝ってくれた気がするけど、気がついたら、わたしは砂浜の上にしゃがみ込み、呆然としていた。
 月城くんに応急処置を施す天宮くんの必死な姿が、記憶に残っている。
 そして、いまに至る。
「ん……」
 小さなうめき声。
「月城くんっ、しっかり、しっかりしてっ!」
 呼びかけた声が彼に届いたのか、やがて、月城くんがゆっくりとまぶたを開いた。


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