BACKTOPNEXT

光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


第十一章 02

 神は六日間で世界を創り、七日目に休まれた。
 今日はその七日目に当たる日。だから今日は休みらしい。
 天気は相変わらずの晴れ。行楽にはもってこいの休日となった。
 天野宮市の北部に屹(きつ)立(りつ)する天野宮山。
 ここはいまや雄大な自然公園――天野宮自然公園として整備され、多くの人々が憩いの地としていた。その証拠に、親子連れやカップルなどが平日以上に賑わっている。
 俺と桃子が出会った孤児院もこの近くだ。
 けれど、俺の目的地はそこじゃない。
 天野宮自然公園の一角、公園からやや外れたところに、厳かな雰囲気に包まれた霊園がある。
 そこが今回の目的地だ。
 いくつかの分かれ道を迷うことなく進む。
 ここは、いわゆる日本古来の墓地とは一線を画している。赤い煉瓦で舗装された歩道に、道端に植えられた色とりどりの花々。墓と墓の間隔はかなり開いていて、窮屈さを感じさせない。
 どんよりとした暗い雰囲気ではなく、明るい雰囲気に包まれた外人墓地のような場所だ。
 その一角、おそらくは墓が置かれた中ではもっとも標高の高い区画に、月城家の墓があった。
 墓のすぐ後ろは胸ほどの高さの塀があり、その向こう側は切り立った崖だ。
 洋風の墓石。そこに刻まれる三人の名前。
『月城光太郎』――父さん。
『月城美由紀』――母さん。
 そして。
『月城桃子』――義理の妹にして、俺がこの世でもっとも大切にしていた少女の名前。
 しばらく墓石を眺めたあと、とりあえず墓の周囲に生えている雑草を抜き取り、清めたところで墓石に水をかけた。
 それから持ってきていた線香と花束――桜草の花をあげ、手を合わせる。墓石は洋風だけど、これらの動作はあくまで日本風だ。
「久しぶり」
 線香の香りが漂い始めた頃、墓石に向かって声をかける。
 この前ここに来たときはそう……父さんと母さんの命日だったから、実に四ヶ月ぶりだ。
 今日、この日。
 それは、桃子が天国へと旅立った命日だった。
 二年前の今日、桃子は――
「……桃子」
 鮮烈なまでの記憶が蘇る。
 その頬に触れるだけで、その細い体を抱きしめるだけで、それこそ世界中の人々が一生に感じるしあわせを全部足しても釣り合わないような、極上の幸福を抱いてくれた桃子。
 触れ合う――そんな人間としてごく当たり前な、ありふれた行為だけさえあれば、彼女は最高にしあわせだった。あそこまでしあわせのハードルの低い人間を、俺は桃子以外に知らない。
 桃子は体が弱かった。心臓に先天的な要因があったようだけど、詳しい原因は、結局最後までわからなかった。
 でも確実に、年を追うごとに彼女はだんだんと弱っていった。
 ヨーロッパへ渡ってから、桃子は何度も入退院を繰り返し、何度も手術を受けるようになった。
 それには当然、膨大な費用がかかる。俺がプロとしてピアノを弾いていたのも、その費用を稼ぐため、という理由もあった。
 ただし、いちばんの理由はそうじゃない。
 一生働かないでも暮らしていけるだけの金額を、早く稼ぎたかった。
 そうすればさっさとピアニストを引退して、日本へ帰国できた。
 そして桃子と一緒に静かに暮らすことができた。
 ほかにはなにもせず、ただ桃子のそばにいられる。たったそれだけで俺は満足だった。
 桃子もそれを望んでいたと思う。そんな生活を夢見て、俺は桃子のことだけを考えて一心不乱にピアノを弾き続けた。
 俺はピアノが好きだ。
 だけど、桃子に比べたらピアノなんてどうだっていい。たとえ指が潰れてピアノを弾くことができなくなっても、桃子さえいれば構わない。
 俺の演奏で他人が感動しようがしまいが、桃子さえいればどっちだっていい。
 俺がプロとしてピアノを弾いていた理由は、そんな利己心の塊だった。
 プロになる前のほうが、理由としては尊かったかもしれない。
 けど、いつからかそんな利己的な考えに変わっても、人々の反応は変わらなかった。むしろ、いままで以上の感動と感嘆の意を表してくれた。
 まったく、意味がわからない――観客のことなんて、俺はプロになってから一度も考えたことがないのに、なんであんたたちはそんなに感動できるんだ。
 不気味だ――こんな想いが、やがて俺の心を支配していった。
 そして二年前の今日、桃子は亡くなる。
『秀ちゃんはピアノを弾いて……わたしのことは、もういいから……』
 そして、続く言葉。
『……いままでありがとう。わたしは、もうひとりでも大丈夫だよ……だから、秀ちゃん……しあわせに……なってね……』
 そう言い残し、彼女は静かに息を引き取った。
 あんなに安らかな死に顔を、もう二度と見る機会はないだろう。
 ただし、彼女が本当にしあわせな気持ちで旅立ったのか、その真意を知る機会はもう永遠に訪れない。
 桃子はもともと頭の悪い子じゃなかった。
 だから自分が望めば、ただひとこと「わたしと一緒に死んで」と言えば、俺があとを追うことも承知していたはずだ。
 でも、桃子はそれを望まなかった。
 最後になって、彼女は俺のしあわせだけを祈り、死んでいった。
 俺はそこで、すがるものを失ってしまった。桃子は死ぬことで俺から解放されたのかもしれない。
 でも、残された俺は? 俺はどうなる。桃子がいなくなったら、それこそ生きていく理由がないのに。
 それでも俺には桃子を恨むことなんかできっこない。
 だから俺は自暴自棄になり、好きだったピアノを投げ出した。
 ピアノを捨てたんだ。
 桃子を失ったとき、あらゆることに嫌気が差した俺は、ピアノを捨てた。本当に、すべてがどうでもよくなった。
 自分の生死すら、どうでもよくなった。それでも死ねなかったのは、やっぱり桃子の最後の言葉があったからだと思う。
 桃子が旅立ったあとすぐ、俺はピアニストとしての地位や名声を完全に放り出して日本へ帰国し、それから天野宮学園へと入学する。
 進学には哲郎の勧めもあったが、本当は気乗りしなかった。
 学校なんて、本当なら行かなくてもよかったんだ。それから先の将来、進学や就職なんてものもどうでもよかった
 そんな感じで今日までの約二年間、俺は抜け殻のような生活をしていた。
 生きるべきか死ぬべきか――シェイクスピア原作の戯曲『ハムレット』の主人公の台詞の意味が、いまの俺にはよくわかる。
 そんなとき、目の前に彼女が現れた。
 綾瀬由衣――俺のピアノを聴いて救われたという、彼女だ。
 しかし彼女は、実は俺と同等、あるいはそれ以上の闇を抱えた人間だった。
 それを知った俺は、一抹の好奇心と興味からその闇を暴き出し、彼女をどん底に陥れた。
 その行動に対し、ある程度の事情を察した哲郎はこのようなことを言った。
『きみは、綾瀬さんを救ったのか?』
 その言葉に対し、俺はこう思った。
 ――彼女がこれから立ち直れるようなら、そういうことになる。
 いま思えば、あれは単なる綺麗事だったのかもしれない。
 なにかに依存して周囲が見えなくなってしまった人間。
 脆くて弱い心。
 そんな要素が、綾瀬由衣にはあった。
 それは俺も同じことだ。なにかに依存していたのは俺も一緒なんだから。だから俺は同族嫌悪のように、綾瀬由衣の本質を自分と同じ脆弱だと決めつけてしまった。
 でも、どうやらそれも違う。
 哲郎はこうも言っていた。
『綾瀬さんは、きみに感謝していたよ』
 俺のおかげで自分自身を見直すことができた、とか。
 それが本当なら、綾瀬由衣は俺なんかよりずっと強い。自分の過ちを認めて、どん底から這い上がってきたことになる。  
 もう、いまごろは彼女も立ち直っているだろう。明日になれば、けろっとして学園へ登校してくるに違いない。
 生まれ変わった彼女は、いままで以上の輝きを放っているはずだ。
 でも、俺は。
 いつまで経っても変わらないんだろう。ずっと生きるか死ぬかの葛藤を抱いたまま、そのうちに朽ちていく運命であるに違いない。
「桃子……俺は、どうしたらいい?」
 しあわせになれそうもない。そんな俺を、きみは――
 ふと。
 なにかの音が聞こえた。
 ……歌?
 いや、違う。
 人の声のような温かみを持っている。でも、明らかに歌声とは違う音。
 耳を澄ました。


BACKTOPNEXT

総合TOP  /  WORKS TOP

Copyright © 2017 One Night Works/悠城健太朗, All Rights Reserved.