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光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~


後奏曲 ― Postlude ― 01

 幕の下がった体育館の舞台上。
 照明はついているけど、少し薄暗い空間。
 その場所に、わたしと秀一はいた。
 秀一――と、下の名前で呼ぶようになった理由は推して知るべし。
 まあ、そういう関係になったということなんだけど……あらためて認識すると、ちょっと恥ずかしい。
「由衣、準備は?」
 秀一もわたしのことを下の名前で呼ぶようになった。
 最初の頃は下の名前で呼び合うのが気恥ずかしかったけど、いまはもうお互い慣れたみたい。
「うん。ばっちりだよ」
 舞台上にはわたしと秀一のほかには誰もいない。
 目立つものといえば、グランドピアノが一台、中央よりやや下手(しもて)側にあるだけだ。
「いよいよか」
「そうだね……」
 これから間もなく幕が上がる。そうすれば待ちに待った演奏会が始まる。
 わたしのヴァイオリンと、秀一のピアノによる二重奏。
 再びヴァイオリンを弾こうと決心したわたし。
 同じく、ピアノを弾くことを決意した秀一。
 ふたりにとって久々な、公な場での演奏会が開かれることになったのは、天宮くんのひとことがあったからだった。彼はわたしたちの決心と決意を心から喜んでくれた。
『また音楽を始めるならさ、手始めに演奏会でも開いたらどうかな』
 人に自分たちの音楽を聴いてもらうためには、それが最良の手段なのは間違いない。わたしと秀一は快諾した。
 すぐに企画にとりかかった。天宮くんも交えて、どんな演奏会にするかの話し合いが行われた。
 まずは会場。そんな大きな会場じゃなくてもよかったから、近所の公民館などいくつかの場所が候補にあがった。
 ここでも天宮くんのひとことに助けられた。
『学園の体育館とかどうかな。あそこならお金がかからないし、ピアノだってもともとあるし、広いから人もたくさん呼べると思うんだけど……もしそこに決定すれば、生徒会も全面協力できると思うよ』
 またとない助け船だった。特に問題がなければ、体育館を借りることに決めた。天宮くんへの信頼度がまた一段と上昇したのは言うまでもない。
 それから日程を調べて、演奏会を問題なく決行できる日、つまり部活などで体育館が使われない日をピックアップしていった。
 そして今日――日曜日の今日に白羽の矢が立った。日曜日なら観客の皆さんの予定も調整しやすいだろうというのも一因だった。
 時期はちょうど六月の半ばで、中間テストが終わった直後。
 うちの学園は、テスト一週間前とテスト後四日間は、すべての部活動が休止になる。
 テスト前はもちろん生徒たちが勉強に集中するため。テスト後の四日間は、採点などの理由で先生たちが多忙になるためだった。
 その四日間のうちの最終日が、演奏会が行われる日、つまり今日だった。
 ――と、これらのことを企画書にまとめて学園長へ提出したら、あっさりとOKサインが出た。
 あらかじめ天宮くんが音楽の中村先生を味方につけていて、彼女の署名を貰えたことも大きかった。秀一が元ピアニストであるという噂を信じていた中村先生をちゃっかりと味方につけた天宮くんは、やはり抜け目がない。
 学園長はわたしのことはもちろん、秀一がピアニストだったことも知っている。
 ここだけの話、学園長はわたしたちふたりの音楽的な才能をその目にしたくて仕方がなかったらしい。
 中間テストに悪影響を及ぼさないように配慮すること、演奏会の準備、宣伝、後片づけなど、すべての運営を生徒たちで行うこと。そんなもろもろの条件がついて、演奏会は開かれることになった。
 そして、今日。
 演奏会の当日になった。
 準備の期間は約一ヶ月間だった。
 演奏会での選曲を、秀一の家で連日話し合った。秀一の家には立派なグランドピアノがあるから、練習するにもちょうどよかった。
 最初は名のある作曲家たちの名曲を演奏するつもりだった。けど準備が始まった最初の頃、秀一が驚くべきことを切り出した。
『実はさ――』
 そういう切り出し方で、秀一はいくつか楽譜の束をわたしに見せてきた。
 わたしは頭の中で楽譜に描かれた旋律を奏でてみた。
 いままでまったく聴いたこともない曲の数々。
 でも、脳内で心地よく響いたそれらの旋律は、どれもかなり洗練された名曲たちだった。
『……これ、誰の曲?』 
 好奇心を隠すことができず、わたしは訊いた。
『作曲者の名前はね……月城秀一って言うんだ。要するに俺』
 わたしはその言葉がうまく飲み込めず、それから二回も尋ねてしまった。
 意味をやっと理解できたときのわたしの驚きようは、自分でもすごかったと思う。
 プロを引退してから二年。
 秀一は、完全にピアノを捨てたわけわけじゃなかった。
 人前で弾くことはやめた。けど、自宅にひとりでいるときはよくピアノを弾いていたという。
『桃子を失って日本へ帰国して、自宅にあるピアノや音楽関連の書物なんかも全部処分しようと思ったことが何度もあった……でも、結局はできなかった。やっぱり俺はピアノが好きだったみたいだ』
 しみじみと秀一は言った。
 そして、いつからか自分で作曲するようになったらしい。
 二年間で創り出された曲たちが、わたしが見せてもらった楽譜の束だった。
 音楽における天性の才能――天宮くんが評したように、秀一は天才だった。秀一の生み出した旋律の完成度が、それを物語っている。
 秀一が作曲した楽曲を演奏することに決めたのは、もはや言うまでもない。
 準備の一ヶ月間、わたしはほとんど秀一の家に泊まり込み、それらの楽曲をピアノとヴァイオリンの二重奏の形式へ編曲した。
 もちろん編曲や練習だけではなく、わたしはテストの勉強をしなければならなかった。
 秀一は予習や復習が必要ないほどの羨ましい頭脳を持っているけど、わたしはそうじゃない。
 音楽のことを忘れて、ある程度は集中して勉強しないと、不器用なわたしはままならない。 秀一に家庭教師をしてもらいながら、編曲と勉強を続けた。
 忙しかったけど、その作業はあまりにもしあわせで楽しい充実した時間だった。思い出すだけでも頬が緩み、にやけてしまう。
 それにしても。
 男子の家に泊まりがけ。
 若い男女がふたりっきり。
 ……うわぁ。
 そのときのことを思い出し、わたしは顔から火が出そうになった。比喩ではなく本当に、顔が熱い。
 ……天国のお母さん。わたしはいけない子です。高校生で早くも大人の階段をのぼってしまいました。 
 それがどういう意味なのか、推して知るべし……い、いや、やっぱりいまのはなしっ。これは推して知らなくていいっ!
「……どうかした?」
「え?」
「なんか顔が赤いぞ」 
「う、ううん、なんでもないよ」
「そう? ならいいんだけど」
 付き合ってみてわかったことがある。
 秀一はやっぱり、誰よりもやさしい。
 変な気遣いとかではなく、あくまでも自然体でわたしと接してくれる。空気のようにそばにいて、温かく見守ってくれる。これでわたしがメロメロにならないはずはなかった。
 ……って、ま、また恥ずかしいことをわたしはっ。
 再び頭に血がのぼる。
 またなんか言われるかなと思ったけど、今度は気にしないでくれた。
「それにしても、思ったよりもお客さん多かったな」
「うん。そうだね」
 さっきちらっと客席を覗いてみた。体育館いっぱいに敷き詰められた椅子に座る生徒たち。 いちばん前の席には、石川さんや木崎さん、坂井くんの姿も見えた。
 そういえば、みんなにわたしがヴァイオリニストであることを話したとき、それはもう絵に描いたようなものすごい驚き方をされた。
 黙っていてごめんなさいと謝ったけど、みんな笑って許してくれて、わたしは精神的にすごく助かったのを覚えている。
 また、観客の中には父兄の方たちの姿も見えた。思った以上に規模の大きい演奏会になった。
「天宮くんが生徒会の総力を結集して宣伝してくれたからね……あと、秀一が有名人なのも原因だと思うよ」
「……俺ってそんなに有名だったのか」
「え、知らなかったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……なんで父兄の人たちまで俺のことを知っていたんだ? 演奏会が終わったらサインをもらってきてくれって、そう親から頼まれたって何人もの生徒に言われたぞ」
「だって、元プロのピアニストが生徒の中にいるなんて、すごいじゃない」
 そうだけどさ、と言いつつ、秀一は腑に落ちない様子だった。
「……哲郎だ。あいつがすべての元凶だ」
 それがいちばんの原因であることは、否定しない。
 でもそれは、天宮くんの秀一に対する気遣いがあったからだ。
 この前、秀一がいないときに天宮くんがわたしに話してくれたことがある。 
『秀一のやつは入学当初から、集団から孤立するかしないかの瀬戸際にいたからね。だからよくこっちからちょっかい出してたんだ』
 顔の広い天宮くんがちょっかいを出せば、自然と秀一にも注目が集まる。
 そうすれば交流の輪も自然と広がって、秀一が孤立することはなくなる。
 秀一は根がやさしいから、芽生えた友情を無下にすることはない――と、天宮くんが言いたかったことはこういうことだと思う。
 まあ、頭のいい秀一はそのあたりの事情には気づいているはず……でも、生徒の父兄にまで秀一の噂が広がっていることはすごいと思うけど。
 天宮くんは秀一のことを末恐ろしいと評していたけど、天宮くんもなかなかだ。
「じゃあ、そろそろ」
「うん」
 そろそろ開演時間だ。
 舞台の上手(かみて)の舞台袖にわたしが、下手(しもて)の舞台袖に秀一が待機して、幕が上がったタイミングでふたり一緒に登場、という段取りになっている。
 ほんのわずかな時間離ればなれになることに、わたしは少し寂しくなってしまった。 
「……秀一、ちょっと待って」
 はけようとする秀一を呼び止めた。
「ん?」
 わたしは秀一に近寄り、彼の胸に手を当てて体を預けた。
 秀一もすぐに意をくんでくれて、わたしの体を包み込んでくれる。彼にこうされるのは、もう何度目だろう。
「少しだけなら大丈夫だよね」
「ん……まあな」
「充電中」
 秀一の胸に頬を寄せる。
「はは。充電なんか、もう充分だろ?」
「そうだけど……念のため」
 温かい。
 こんな温かいものがこの世にあるなんて、わたしは知らなかった。
 わたしは秀一のおかげで立ち直ることができた。
 秀一も一緒。俺がもう一度ピアノを始めようと決意したのは、由衣のおかげだ――そんな嬉しいことを彼は恥ずかしがりながらも言ってくれた。
「秀一」
「ん」
 彼の瞳をじっと見つめる。
 秀一の瞳は、まぶしいほどの輝きに満ちている。彼の瞳に映るわたしもそうだったらいいなと思う。
 澄み渡った輝き――やさしさ――そんな人を惹きつけてはやまない魅力が、秀一の瞳には宿っていた。この輝きは未来永劫、絶対に変わらないと思っている。
 わたしはそれを覗き込み、しっかりと自分の瞳に焼きつけた。
 そして――


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