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いま、その翼を広げて


Alive & Brave 5 - 凜

 夕食が終わった後片づけ。俺と悠がキッチンで黙々と作業していた。
 俺が洗った食器を悠が拭く。もう何十、何百と繰り返してきた一連の作業に、無駄はなかった。
「ねえ、悠」
 思い切って訊いてみることにした。
「うん?」
「台本の話なんだけど……よかったの?」
「え? あ、キ、キスのこと?」
 悠の耳がほんのり染まる。
「それもあるんだけど、ほら、ピアノ弾くシーンがあったじゃない」
 柊さんが執筆した台本。悠はヒロインのお姫様役だ。それはもうほかにいないってくらい適役なんだけど、問題がある。
 お姫様がピアノを弾くシーン。それも、わりと重要なシーンで。
 悠の演奏を生で見た柊さんが、悠とピアノを強く結びつけてイメージしてしまうのは仕方がない。あの演奏会にはそれくらいの力があった。
 しかし悠は例の病気がある。俺だけに語ってくれた事実。夜の空気と星空と悠の涙が、脳裏に強くよみがえった。
「いいの。あれは別に……わたしは大丈夫だから」
「でも……」
「凜くん、心配してくれるのはありがたいけど、必要以上はだめ。凜くんの悪い癖、だよ」
「……まあ、そこまで言うのなら」
 悠は無理してるんじゃないだろうか。しばらくピアノから離れていたのは、ピアノを弾けなくなるという事実に耐えられないからじゃないかと、俺はどこかで思ってる。
「わたしね、やっぱりピアノが大好き」
「……え?」
「思い出したの……惺との演奏で。わたしは結局、ピアノを弾いているときがいちばん幸せだった。なのにそれから自分で逃げ出すなんて、おかしいよね」
 切なさの混じった微笑みを向けてくる悠。
 俺にはまぶしすぎたのか、無意識に目をそらしていた。
「紗夜華には感謝してるの。ああいうかたちで機会をくれて。だからわたしは、本番のとき全力でピアノを弾く」
 迷いも不安も感じさせない言葉が、俺の心を揺さぶってきた。
「な――なんでそこまで――?」
「みんなが感動してくれるのが、いちばんだから」
 がしゃん、と。
 思わず皿を落として割ってしまう。
「凜くんっ!?」
「あ――――わ、悪い」
「ど、どうしたの? 顔色悪いよ?」
 のぞき込んでくる悠の顔はきれいで、まぶしくて――
 俺には一生持てない、なにかを持っていた。
「ご、ごめん――」
 いたたまれず、その場から立ち去った。
 ……ああ、またか。
 また逃げるのか。
 俺は人間失格だ。
 ……いや、そもそも。
 俺はきっと、「人間」ですらないのかもしれない。


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