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いま、その翼を広げて


Alive02-13

 夕食を食べて風呂も入り、宿題も済ませた。
 時刻は午後九時過ぎ。これからひとりの夜の時間が始まる。夜の行動はだいたい決まっている。
 読書だ。
 光太から借りていたラノベはだいたい読んだから(意外に楽しめた)、今日はもっと重厚なやつを読もう。
「あ」
 そうだ、光太。
 放課後、織田先生に連行されて以降、さっぱりとその存在を忘れていた。いまごろあいつはどうしているだろう。
 ついに夜空のお星さまにでもなっただろうか。
「ま、どうでもいいか」
 光太のことをきっぱりと忘れ、本棚からトルストイの「アンナ・カレーニナ」を取り出す。前々から読もうと思ってたやつだ。
 と、そのとき。狙い澄ませたかのようなタイミングで携帯が鳴る。
 昨日の夜のように、光太からの愚痴だったら無視しようと、なんの躊躇もなく決心した。
 しかし。
「……真奈海?」
 ディスプレイには豊崎真奈海と表示されている。ベッドに横になり、通話ボタンを押した。
「よお」
『あ、凜……いま大丈夫?』
「うん」
『えっと、今日はごめんね』
「気にするなって……で、母さんの容態は?」
『ん……大丈夫。大事にはいたらなかったよ。あたしが病院に着いたときは意識ちゃんとあったし。貧血だってさ』
 でも、またしばらく入院することになったと、真奈海の沈んだ声が伝えてくれた。
「そっか。大変だな」
『はぁ、バイト先にも迷惑かけちゃったし』
 スーパーのバイトは結局休んだらしい。
「状況が状況なんだから、仕方ないだろ?」
『そうだけどさ……なんでいろいろうまくいかないかなぁ』
「別に真奈海のせいじゃないだろ。もちろんお母さんのせいでもない」
『……それは』
「らしくないな」
『え……?』
「いや、真奈海が愚痴を言ってくるなんてめずらしいと思ってさ」
『そうかな』
「そうだよ。おまえさ、自分が思っているより憔悴してるんじゃないか? 体力的にも精神的にも」
 だから、普段では見られない弱気な真奈海が電話の向こうにいる。
『ごめん。しょうすい、ってなんだっけ?』
「要するに、疲れているってこと」
『でも、中間テストの期間中はバイト休んでたし』
「テストはテストで神経使うだろう? 言いにくいんだけど……ほら、真奈海は頭がアレだし」
『いま、めっちゃいらっとしたんだども!』
 また方言が出てる。
「では、我がクラス一の成績不良児、今日も懲りずに惰眠をむさぼり、先生に泣きながら連行された彼と比較すると――」
『やーめーてーっ! そっちのほうが滅入るからっ!?』
 声に泣きが入っていたので、これ以上はやめてあげた。
「とにかくな。俺が偉そうなこと言えた義理じゃないけど、自分のことをもっと大事にしろってこと。お母さんや、家族のこともあるだろうけどさ」
『はは……お母さんにも似たようなこと言われたよ「あなたの最近の顔見てると心配になる」って……あたし、そんなにいっぱいいっぱいかな?』
「たまーに、無防備になることがあるかな。ふとした瞬間に見ると、なんかこう、迷子になって不安になった子どもみたいな表情をしているときがある」
 たまに無防備になる。それはつい最近、俺も言われたことだ。夜のベランダ。やわらかい月明かり。風にそよぐ長い金髪。そんな光景が脳裏をかすめた。
『あー……迷子かぁ……迷子ねぇ』
「なんか心当たりある?」
『うん……今日ね、病院でお母さんとも相談したんだけど……あたしって、いまなにをしたいのかなって』
「お母さんはなんて?」
『えーと……「あなたが家族のことを考えて行動してくれるのは助かるし、実際頼りにしてるけど、もっと自分のことを見つめてみなさい。いまのあなた、行き先のわからないバスにとりあえず乗って、どこにたどり着くかわからない不安さで押しつぶされそうになってるみたいだよ」って』
「へえ……けっこう文学的な表現するんだね。真奈海のお母さんは」
 ほぼ毎日のように明け暮れているバイトは家族のため。当然、学生だから勉強だってしないといけない。そうなると必然的に、真奈海自身の時間は、自分を省みる時間は限りなく少なくなってしまう。 考える暇もなく、やらないといけないこと、やるべきことが次々と目の前に現れてくるからだ。
 それが真奈海の不安につながっているんだと思う。
 ……俺の時間を半分でも分けてあげられたらいいんだけど、それは無理な話だ。
『ねえ、あたし馬鹿だからわかんないんだけど』
「うんうん」
『なんでそこ、全力で肯定するの? ……まあいいか。それで、お母さんの言葉の意味だけどさ』
「そのまんまじゃないか。別に悩むようなことでもないだろ」
『え、だって……』
「ほんと馬鹿だな」
『むかっ』
「いまさっき、自分で認めたじゃないか」
『自分で認めるのと他人に馬鹿って言われるのは違うの! それくらいわかるでしょ!』
「悪かったよ」
『ねえ、教えてよ。凜は頭いいからわかるんでしょ? お母さんの言葉』
「行き先のわからないバスに乗って不安になってるなら、行き先のわかるバスに乗り換えればいい。それだけの話」
『は……え?』
「わからないか? 自分自身のことだから、俺はこれ以上なにも言えないよ」
『う……自分で考えろってこと? 凜って、たまに厳しいよね』
「おう。褒め言葉として受け取っておこう。ところでさ、進路のことはご両親ちゃんと相談した?」
『あ……えーと』
 将来、ファッションデザイナーになりたいという真奈海。その夢を叶えるためには、大学か専門学校への進学を考えないといけない。けど、経済的な理由で真奈海は相談することを足踏みしていた。そして、最近調子がいいと言っていた母親の突然の入院。今後かかるであろう母親の医療費や家族の生活費を考えると、お金の問題は真奈海にとってはもはや看過できないはず。
「その様子だと、話してないな?」
『……うん。ほんとは近いうちに相談しようと思ってたんだけど、こういうことになっちゃって。タイミングが』
「気持ちはわかるけど、いつまでも黙ったままだとよくないよ。とりあえずお母さんが退院したら話してみ」
『うん……』
「なんか、乗り気じゃなさそうだな?」
『だってさ、お金のことで両親に迷惑かけたくないし、父さんだって去年から働き詰めで大変そうだから、長女のあたしが身勝手言っていいのかなって』
「あのな、頼りにしてる長女が進路のことを相談するだけで、なんで身勝手になるんだよ」
『だって――』
「だってじゃありません。ちゃんと相談するように」
『先生かっ』
「先生? そっか、織田先生に相談するって手もあるな。両親に相談しにくいなら、まず先生っていうのもありだと思うぞ」
『…………おぉ? ……な、なるほど』
「そういや、真奈海は一年のときの鳴海先生と仲よかったっけ。同性だし、そっちのほうが相談しやすいかもな」
『ふむふむ……はるかちゃんか。たしかに』
「そこ、教師をちゃん付けしないように!」
 真奈海は教師のことをニックネームで呼びたがる。昔からの癖だ。
 真奈海は俺の軽口を爽やかに笑い飛ばした。
『凜、その……ありがとね』
 あまり聞かない、恥ずかしそうな、はにかむような真奈海の声。
「ど、どどどどうした?」
『え、え? なんでそんなに慌てるのさ?』
「なんか、真奈海らしくない可愛らしい声が聞こえてきて。びっくりした」
『なんだとう? ひと言余計だ! ……まあいいや。はぁー、なんか話して少しすっきりした』
「それはなにより」
『もう一度言うね。ありがと、凜。話せてよかった』
「まあ、幼なじみだからな。いつでも相談に乗るさ」
 返事が来るまでに、少し間があった。
『……うん、そうだね』
 また間があった。
『あのさ! 凜も相談事があったら、あたしに――』
 と、電話の向こうから、「おねーちゃん」と呼ぶ小さな女の子の、舌っ足らずな声が聞こえてきた。
『あ、ごめん。……え、なに、おしっこ? そのままちょっと待ってて! もしもし、凜――』
「わかってるよ。また明日な」
『うん! ありがと。それじゃおやすみ!』
 通話が切れる間際、真奈海の「わわっ、こんなところでパンツ脱いじゃだめっ!」という叫び声が聞こえてくる。向こう側の微笑ましい光景を想像して、つい笑いが漏れる。
「…………」
 真奈海が言いかけた言葉。俺は今後、真奈海に相談することがあるだろうか。いや、そもそもほかの誰でも、これまで本気で相談したことが、あっただろうか。
 亡霊のようによみがえる過去の記憶。楽しさや幸せな記憶は、その中にはなかった。
 だって、俺には――
 家族でも友達でも、しょせんは。
「…………まあいいや」
 思考が負のスパイラルに突入しそうだったので、考えを無理やり止める。
 さて、と。
 もっと楽しいことを考えよう。そういえば俺は、真奈海から電話がかかってくる前になにをしていた?
 枕もとに置いた文庫本を手に取る。電子書籍隆盛の時代だけど、俺は昔から紙の本が好きだった。まだそういう人も多いのか、紙の書籍が消えるなんてことはありえない。現代っ子の光太でさえも、おばあさんの影響なのか、電子書籍にはそれほど興味がないみたいだ。
 本を開いた。
 ここからは誰にも邪魔されない、自分だけの時間。
「おわっ!?」
 いきなり着信音が鳴り響いて、思わず声を上げてしまった。また真奈海か? と思いつつディスプレイに目をやると、川嶋光太という表示。
「――――っ」
 なぜだかわからないけど、無性に腹が立った。
 そして、
「空気読め、この馬鹿ちんがっ!」
 とだけ言って、通話を切った。


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