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いま、その翼を広げて


Alive02-6

 放課後。エントランスホールの入り口を出てすぐの場所に、俺は立っていた。惺と悠、セイラもいる。
 寒気を覚えるほど、空気が張り詰めている。照りつけてくる容赦のない陽射しも、これでは意味がない。
 無言で見つめ合うふたりは真城兄妹。惺は驚きと困惑を足したような表情。対する悠は、あまり見たことがない仏頂面だ。
 一触即発――そんな言葉が浮かんだ。
 セイラは、そんなふたりと、その様子に胃がきりきりと痛む俺なんてお構いなしに、グラウンドのほうに視線を向け、運動部の活動を興味深そうに眺めている。
「凜、これはなんの冗談だ?」
 沈黙を破った惺の矛先は、まず俺に向いた。
「すべての黒幕は彼女です!」
 その矛先をすかさず受け流す。
「……セイラ」
「む。呼んだか?」
「どうして悠がいる?」
「サプライズだ」
「なにがサプライズだ」
「おや、日本人はサプライズが好きをいう話をどこかで聞いたことがあったが、違ったか」
「そんな一般論はどうでもいい。こんなサプライズ、誰が得するんだ……悠、ほんとについてくるのか?」
「そ、そうだけど、なにか問題ある?」
「惺、悠はどうしてもご一緒したいと嘆願してきてな」
「嘆願なんてしてないっ! あと気安く呼び捨てにしないで!」
「まあ些末なことは気にするな」
 これ以上、セイラになにを言っても無駄だと思ったのか、悠はぷいっとそっぽを向く。眉間にしわを寄せたままで。
「凜は知っていたのか?」
「うん……あのね、俺はちゃんと惺に悠のこと知らせようと思ったんだよ。でもセイラが『惺には直前まで黙っていよう。そちらのほうがおもしろそうだ。はっはっは』などとおっしゃいまして」
 俺の言いわけを聞いた惺は、すべてをあきらめたようにため息を吐く。昨日今日で、惺は年齢のわりにはため息の似合う男だと知った。それが褒め言葉がどうかは微妙なところだけど。
「さて、そろそろ行こうか」
 何事もなかったかのようにそう言って、セイラは歩き出す。校舎を背にして、右の方角。正門から俺たちのいる場所までが創樹院通りなら、セイラが歩いているのは、大講堂へ続く「講堂通り」と呼ばれている。左手側にはグラウンドが広がり、右手側にはA校舎が延びていて。それが終わると、テニスコートが見えてくる。
「どうしたみんな。置いていくぞ」
 返事をする者はいなかった。
 仕方ないといった足取りで、惺がセイラの隣へ。すると必然的に、俺は悠と一緒ということになる。
「これからどこへ向かうの?」
「特に場所は決めてないかな。とりあえず講堂通りを歩いてみる予定だよ」
「そう」
 そこで会話が途切れた。
 普段の俺と悠なら、そんなことにはならないはずだ。悠の視線と意識は、前を歩くふたりへ向いているらしい。やっぱりふたりの関係性は、悠の心をかき乱している様子。
「なあ、悠」
「うん?」
「せっかくなんだし、惺と話してみたらどうだ?」
「…………」
「ついでにセイラとも仲よくしてくれたら、俺としてはすごく助かる」
「………………無理」
「うわー、悠の口から無理なんて言葉、はじめて聞いたぞ」
「だって……わたしは」
 悠の切なげな色をした瞳が、前を歩く惺の背中を映し出す。彼女がなにを思っているのか、そして惺がどう感じているのか、計り知れないところがあった。
 もちろん、俺としては無理にとは言わない。けどいままでの調子と同じなら、悠がこの場にいる必要性がなくなってしまう。
 せっかく一緒にいる機会に恵まれたんだ。なにか一歩でも踏み出せれば。
「……凜くん、惺はわたしのこと……どう思ってるのかな?」
「自分で聞いてみれば?」
「……凜くん」
 目を細めて、抗議の視線を送ってきた。
「ごめんごめん。そんなの決まってるだろ」
「え?」
「愛してる、って答えるに違いない」
「ええっ!?」
「あ、いや、そう答えたって言ったほうが正しいか」
「ど、どういうこと?」
「前に聞いたことがあるんだよ。惺は悠のこと嫌いなのかって。そしたら首を横に振って、『俺は悠を愛してる』って言ってた」
「……ぁ……あぃ……愛して……はぅ」
 当然、家族や兄妹としてだろうけど。
 でも、愛してるなんて歯の浮くような台詞を真剣に言ってのけたのだから、本気なんだろう。惺のことだから、茶化したわけでもないだろうし。
「それからこうも言ってたな。『悠が幸せなら、それで構わない』だとさ」
「…………」
「ドラマでもめったに聞かないようキザな台詞だったけど、惺が言うと妙に説得力があるんだよな」
「……そう……なんだ」
「あ、これ悠には秘密にしてくれって言われてたんだった!」
 悠が急に吹き出した。
「凜くん、もう全部しゃべったあとだよ」
「俺が言ったってこと、惺には秘密にしてくれな」
「ふふっ。わかった」  
 やっぱり悠に似合うのは笑顔だ。不安とか負の感情を完全に吹っ飛ばす、極上の笑み。
「なにやら楽しそうだな。ふたりとも」
 セイラが振り返る。
「まあね」
「わたしも混ぜてくれ」
「だってさ、悠」
「え、急に振られても」
「悠、わたしはきみと仲よくしたいんだ。今朝のわたしはちょっと調子に乗りすぎた。素直に謝罪しよう」
「もう気にしてないから。あと、名前……」
「名字で呼ぶと、同姓の惺も困るだろう? そうすると必然的に名前で呼んだほうがいいと思うが、さん付けするのは他人行儀過ぎるような気がしてな。というわけで悠、と呼び捨てにしてるわけだが」
「わかった。もう悠でいいから。アルテイシアさん」
「ありがとう。ところで、この流れなら、わたしのことも名前で呼び捨てにしてくれるな」
「どうしてそうなるの?」
「別にいいだろう。少し距離が縮まった証として」
「はあ。あなたって、見かけによらず強引なのね……いえ、見かけどおり……?」
「うむ。褒め言葉として受け取っておこう」
「……えっと……セイラ」
 はにかんだような悠の小声は、たしかにセイラの名を呼んだ。
 セイラの口もとが緩む。
 ……お、なんかいい感じ。
「あらためてよろしく、悠」
「……ええ。セイラ」
 ふたりが固い握手を交わした。
 その様子を黙って眺めている惺に近づいた。
「惺、なんかふたり、いい感じじゃない?」
「……そうだな」
 なにか腑に落ちないようなニュアンスだった。
「もっと喜ぼうよ」
「状況についていけないところが。セイラが言った、今朝、調子に乗りすぎたってなんのことだ?」
「あ、それね。惺は知らないほうがいいよ」
 胃が痛くなるから。
「まあとにかく、悠とセイラは大丈夫そうかな。問題は――」
 じぃ~っと。
「言わなくてもわかる。そんなに見つめるな」
「わかっているなら話は早いな。なんとかしようぜ」
「善処する、とだけ言っておこう」
 政治家みたいな言い方だ。それってたしか、なにもしないのと同義だったような。
 まあ、何度も言うことだけど、本人たちの問題だから、俺がどうこう言うことじゃないか。
 と、今度は惺が見つめてきた。
「なに?」
「いや……なんでもない」 
 セイラが歩く隣には悠。そして俺の隣には惺。
 セイラの銀髪と悠の金髪が自然と風になびく姿は、お世辞抜きできれいだ。そのへんのモデルよりもよほどルックスに恵まれたセイラと、そのへんのアイドルを凌駕する可愛さを兼ね備えた悠。まるで絵に描いたようなふたりの美しさに、すれ違うほかの生徒たちの視線を奪っていた。昨日もセイラの端麗な容姿に視線を釘付けにされた生徒は多かったけど、今日は悠もいるから相乗効果が発揮されている。
「そういえば、この学園散策っていつまでやるんだ?」
「さあ。セイラの気が済むまでかな」
「気が済む、ね。いつになることやら」
 いまのセイラは、ついさっきまでよりも楽しそうだ。思ったよりも、悠との会話が弾んでいる。セイラの何気ない質問に、ややぎこちなさを残しながらも、悠は答えている。
「凜は最後まで付き合う必要はないぞ」
「いや、まあ、これも乗りかかった船だからさ。別に悪い気はしないし」
「そうか。助かる」
「明日以降は悠も生徒会の仕事と……あと病院があるみたいだから、また俺と惺とセイラの三人になるかな」
 悠は定期的に病院に通っていた。
「……そうだな」
「あ、いまちょっと残念に思った?」
「気のせいだ」
「ふふ。そういうことにしておこう」
「勘弁してくれ。……そうだ、明日以降はほかの連中を誘ってみないか?」
「たとえば?」
「豊崎や川嶋あたりはどうだ」
「まあそのへんが妥当か。でも真奈海は相変わらずバイトが忙しいみたいだね。ほら、中間テストの期間中は休んでたから、その埋め合わせでさ」
「それもそうか。……そういえば、川嶋はどうしたんだ。ここ最近、帰りのホームルームが終わったらすぐ帰宅しているみたいだけど」
「光太は、ため録りしていた春アニメを見るのに夢中みたいです。ほら、先週までテストで忙しかっただろ。しかもあいつ馬鹿だから、勉強に集中しないといけなかったし。だからまったく観られなかったらしくて」
「…………」
「やっぱりあきれるよな?」
「いや、別に。そういうのは個人の自由だ。それに川嶋は凜や俺と同じ帰宅部だから、おかしいことじゃない」
「でもさ、青春の過ごし方としてそれはどうなの、って感じない?……って、俺が言えた義理じゃないんだけど」
「俺も人のこと言えないな」
「惺は帰宅後なにをしてるんだ?」
 惺の顔をのぞき込むように、セイラが問う。
「急に割り込んでくるな。びっくりするだろ」
「いいじゃないか。で?」
「……特別なことはなにも。読書したり、音楽を聴いたり……あとは近所をランニングしたり。そんなところだ」
 夕方頃に店の手伝いをしているとき、トレーニングウェアを着て外の歩道を走っている惺をよく見かける。土日の昼間などにもわりと見かける。そして奈々が惺を見つけるときゃあきゃあ騒ぐ。
 そういえば、おとといの夜中には実際に会った。
「……そうか」
 セイラはほかになにか言いたげな瞳で、惺を見ていた。けど、それ以上彼女の口から言葉は出なかった。
 北西へ延びる講堂通りの突き当たりに見えるのはF校舎。運動系の部室がある三階建ての建物だ。
 この通りはL字に曲がっていて、F校舎を正面にして右の方角に五〇〇メートルほど先には、荘厳で巨大な建造物、この学園の施設の中でもっとも大きい大講堂が見える。
 最大収容人数三〇〇〇人。全校生徒と教職員のすべてが入ってもまだあまりある大きさだ。大講堂では全校生徒が集まる催し物――全校集会や入学式、卒業式などが行われる。
 大講堂へ向かって歩くセイラが通りの右に視線を向ける。
「あれはたしか果樹園だったか?」
「そう。あと野菜を育てる畑とかもあるよ。農業部が管理してる」
 意外に本格的な活動をしていて、採れた野菜や果物は学食の材料になったりしている。一部は街の八百屋やスーパーへ無料で卸しているそうだ。
「反対側は……まるで公園だな」
「そうだね。大きな池もあるし、それをぐるって囲むように散歩コースもあるから、暇つぶしには最適」
 池の正式名称は、碧乃樹池という。そのせいか、碧乃樹池公園とか呼ばれている。散歩コースのところどころにベンチがあって、そこに座ってのんびり読書するのもいい。池の北側には、丸太を組んで造られた洒落た休憩所もあったはずだ。
「ふむ。では今日はそちらをまわってみるか」
 惺と悠も異論はないようで、黙ってついてくる。
「……む……ここはわりと茂みが多いな」
 周囲の様子を観察しながら一言。
 たしかに、池の周囲は雑木林に囲まれて、死角は多い。
「……セイラ、まさかとは思うけど、不謹慎なこと考えてないよね……?」
「凜の言う不謹慎とは、どういった意味合いだ?」
「えっ、それは……その」
「凜こそ、まさかとは思うが、わたしが常に発情していると思い込んでないか?」
「……違うの?」
「否定もしなければ、肯定もしない」
「どっちだよっ!」
「ふふっ、わたしも年頃の乙女というわけだ」
「……本当の乙女は自分のことを乙女なんて言わない」
 この小声での突っ込みは惺。惺が突っ込み役にまわるなんてめずらしい。
 それからセイラに乙女という言葉は似合わない。なんというか、口調といい度胸といい、乙女にしてはいろいろとたくましすぎる。が、もちろん言わぬが花。
「惺、なにか言ったか?」
「別に」
「凜もなにか言いたそうだな」
「別に」
「ふむ。同じ反応をされるとまるで示し合わせたかのようだ。釈然としない」
 惺はぷいっとそっぽを向いた。
「あはは。まあ他意はないから、気にしないでよ」
「まあいい……ところで、さっきからなにか声が聞こえるんだが」
「え?」
「あそこの茂みのほうだ」
「……ちょっと、セイラ」
 茂みから声って……あまりよろしくない想像が働く。耳を澄ませると、女の子の声が聞こえてきた。ただし、なにを言ってるのかまでは聞き取れなかった。
「おい凜、また顔が怖いぞ」
「だって」
「勘違いするな。けっして性的な意味合いの喘ぎ声ではない。これはシェイクスピアだな」
「…………は?」
「だから、シェイクスピアの戯曲の台詞だ」
「『夏の夜の夢』……だな」
 と、惺がつぶやく。
「なんだ、びっくりした……ふたりとも耳がいいんだね」
「誤解が解けたところでのぞいてみよう」
「あ、ちょっと!」
 止める間もなく、セイラは茂みの向こう側をのぞけるポイントへ移動する。音をまったく立てない足運びは、まるで隠密のようだった。
 俺たちは互いに顔を見合わせ、仕方ないといった様子でセイラのあとに続いた。
 ひとりの女子生徒が、目をつむって立っていた。新緑の茂る雑木林の中で、ひときわ目立つ橙色の髪。もぎたてのオレンジのようにみずみずしいミディアムボブ。ジャージ姿で、手には台本らしきものが添えられている。
 すぅ――と、彼女が息を吐く。
 そして紡がれる洗練された台詞。
 『夏の夜の夢』は読んだことがあるから、だいたいの内容は知っている。台詞の役はパック。いたずら好きの妖精だ。シーンは、パックが森で寝ていた二組のカップルに媚薬を塗るところ。このせいで、二組のカップルたちの好きな相手があべこべになってしまう。
 ため息しか出てこないほど、彼女の演技は凄まじかった。喜怒哀楽を自在に操り、空気を自由自在に変えていく。シェイクスピア独特の台詞回しにもまったくよどみがない。
 声もよく通るソプラノ。 
「……こ、小日向さん……?」
「え、悠の知り合い?」
「うん。クラスメイトだよ……でも」
「ひゃうっ!? だ、誰ですかぁっ!?」
 パックを演じていた彼女――小日向さんが、こちらのほうに不安げな瞳を向けた。
「あちゃー、気づかれたな。どうしよう」
「ここは顔見知りの悠が適任だな。よろしく頼む」
「もう……しょうがないんだから」
 悠が一歩踏み出して顔を見せる。
「小日向さん……えっと、こんにちは」
「……ま、真城さん……?」
「ごめんね、邪魔しちゃって」
「ど、どうしてここに……?」
 小日向さんの声は、先ほどの演技とは比較にならないほど小さかった。 
「みんな、出てきて」
 俺たちは順に顔を出した。転校生の案内をしているということを、悠が簡単に説明する。それから各々、軽く自己紹介をした。
 彼女の名前は、小日向椿姫というそうだ。
「て、転校生……」
 小日向さんの視線がセイラへ。
「あっ……も、もしかして……キ、キスの?」
 キスという単語に悠の眉がぴくっと反応する。セイラはなぜか満足そうに髪をかき上げた。惺はどこかどんよりした雰囲気に。三者三様の反応。
「わたしが噂の転校生だ。で、こちらがキスをされた在校生」
 と言って惺を指した。
「…………」
 小日向さんは無言。目をぱちくりさせている。
「セイラ……そういうのは勘弁してくれって、何度言ったら」
「のぞくかたちになって悪かったが、きみは演劇部か?」
 スルーされた惺は、がっくりとうなだれる。……なんか可哀想だ。
「い……いえ」
「む、違うのか?」
 首を横に振る小日向さん。
「演劇部……だけど……そのぅ……きゅ、休部」
「なるほど。……しかし、そう固くなるな。別に取って喰おうってわけじゃない」
「うぅ……ご、ごめんなさい」
「謝る必要はない。ところで、先ほどの演技をしていたきみといまのきみは、だいぶ雰囲気が違うようだが」
「わ、わたし、えっと……あ、あがり症で……その……あの」
「あがり症? ……それで、演劇部を休部しているのになぜ『夏の夜の夢』を?」
「はぅ……ご、ごめんなさいっ」
 もぞもぞと、所在なさげで落ち着かない様子だ。彼女はあがり症の上に、人見知りなのかもしれない。
「だから、謝る必要は――」
「セイラ、そうやってずけずけ畳みかけないの。初対面なんだから、もっと礼儀を守って」
 悠にたしなめられたセイラは、ちょっとだけすまなそうな顔をした。
「日本人には独特の距離感というものがあったな。すまない。失念していた。気になることがあると放っておけない性分なんだ」
「…………ぅぅ」
「正直に言うと、きみの素晴らしい演技に見とれていた。みんなもそうだろう?」
 俺を含めた全員が首肯する。
 けど、肝心の小日向さんは喜ぶでも恥ずかしがるでもなく、ただ困惑している様子だ。視線が泳いでいる。やはり落ち着かない感じで、手に持っていた台本が地面に落ちそうになった。
 やがて、ついに居たたまれなくなったのか、
「ご、ごめんなさいっ!」
 とだけ叫んで走り去ってしまった。
「あ、小日向さん!」
 悠の声も届かないほど、彼女は混乱していたらしい。陸上部員もびっくりするほどのスピードで遠ざかっていった。
「……ふむ。脱兎のごとくという言葉が日本にはあったと思うが、いまの彼女のことを表す言葉で間違いないか?」
「間違いないか? じゃない! セイラが悪い」
「なんだ惺、わたしのどこに落ち度があったと?」
「強いて言うなら全部だ」
「なに?」
「初対面の外国人に、あそこまで質問攻めにされたら、たとえあがり症じゃなくても臆するぞ」
「む。そうなのか、凜」
「……まあ、おおむね同意」
 あちらがひとりに対してこちらは四人がかり。その中で小日向さんが知っているのは悠だけ。そして彼女はあがり症らしい。そういういろんな負の要素が加わって、小日向さんは逃亡するはめに。
「今後は気をつけよう。ところで、悠」
「うん?」
「小日向椿姫とは、女優の小日向有希子の娘で間違いないか?」
「え……そうだけど、よく知ってるね……?」
「小日向有希子の娘が在学中であることは聞いていた。ほかに該当しそうな女子生徒が見当たらなくてな」
「が、該当? ……なんか、全校生徒の名前を記憶しているような言い方だね」
「そのとおりだ。…………む? たしか昨日の放課後、屋上でそう説明しなかったか? あの場には悠もいただろう」
「えっ……」
 悠が俺を見てきた。とりあえず、うなずいて「そうだよ」と伝える。あのときは悠もいろいろと切羽詰まっていたから、会話の内容をあまり覚えていないのかもしれない。
 それはともかく。
「ねえ、小日向有希子って、もしかしてけっこう有名?」
「なにを言っているんだ、凜。日本が誇る大女優じゃないか」
「……あー、芸能関係にはうとい俺でも、なんか聞いたことのある名前だなって思って」
「舞台をメインにしている女優さんだよ。たまにドラマとかCMとかにも出てるね。美人で、ものすごく演技がうまいの」
 悠が補足説明してくれた。テレビの仕事が少ないのは、ギャラが高いだけじゃなくて、演技のうまさが尋常じゃなく、ほかの役者さんを喰ってしまうからだとか。
「へえ……」
 あの演技力は母親ゆずりってことかな。……あがり症なのは置いておくとして。
「父親も有名人だな」
 と、惺。
「え、そうなの?」
「父親の名前は小日向玄齋。シェイクスピア劇において世界的に有名な演出家だ」
 今度はセイラの補足説明。
「あー、その人の名前も聞いたことがあるなあ」
 セイラのこと、そのうち歩く百科事典とか呼びそうだ。
「ねえセイラ。あなたの記憶力が怖いんだけど」
「なぜ?」
「だって、外国から転校してきたばかりの生徒が、違うクラスの子の家庭事情を記憶しているものかしら。いくら親が有名人とはいえ」
「どうなのだ、凜」
「え、俺に聞かれてもな……えーと、とりあえず、知ってるからってなんでもほいほい口に出さないほうがいいかも。悠は適応力があるからいいと思うけど、ほかの生徒は引いちゃうかもね」
 先ほどの小日向さんみたいに。
「……なるほど。難しいものだな。知識も蓄えるだけではだめってことか。使い方と使いどころを考えろという……ふむ……」
 含蓄のあることを言いつつ、あごに手を添えて考え込むセイラ。池のほとりでこうして考え込むセイラは、知的なイメージでよく似合う。
 ただし、黙っていれば。
「同感だ」
「あ、惺、なにに同感だって?」
「自分の胸に聞いてみるといい」
「怖いこと言うなよ……まったく」
 例の超能力。本当に備わっているんじゃないかと、そろそろ疑わしくなる。
「セイラ、今日はこれくらいにしておかないか? ……被害者が増える前に帰ろう」
「惺、本音が漏れてるよ……同感だけど」
 機嫌を損ねたセイラをなだめつつ、今日の散策は終了した。


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