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いま、その翼を広げて


Alive03-7

 なんの躊躇なく踏み出そうとしたセイラを、惺が制止した。
「なんだ? まさか、放っておこうというわけではあるまいな」
「違う。でもセイラはだめだ。俺が行ってくるから、ここで待っててくれ」
「む……」
 数秒ほど惺を見つめたあと、セイラはあきらめたように大きく息を吐いた。
「わかった。任せる」
 惺が小日向さんのところへ向かうのを、俺たちは無言で見つめた。 惺が近づいて話しかけると、小日向さんはかなりびっくりした様子だった。何度か短いやりとりがあったと、さりげなく惺がハンカチを差し出したのはさすがだと思った。
「凜、どうしてわたしではだめなのか、わかるか?」
「ん……それはほら、初対面の小日向さんに対するセイラの行動や言動がさ」
 初対面の外国人に、あそこまで容赦なく質問攻めにされたら小日向さんじゃなくても臆する。しかも彼女はあがり症で人見知りらしいから、ついに耐えきれなくなって逃げ出してしまったのは無理もないし、責めることはできない。そのあたりのことを、真奈海にも説明しつつ話した。
「うわー、なんかその光景が目に浮かぶよ」
 苦笑気味の真奈海。
「ふむ。やはり凜は聡いな」
「ということは、自覚はあるんだ」
「当然だ。あのときは悠にもたしなめられたからな。さすがに反省している」 
 真剣さの宿る眼差しで、セイラは小日向さんのほうを見つめる。 静かに語りかける惺に対して、小日向さんは戸惑いながらもちゃんと答えてくれているようだ。短い言葉の応酬が続いている。
「凜だったら、この状況で彼女に話しかけたか?」
「俺? ……んー、どうだろうな……小日向さんとは軽い挨拶を交わした程度だし、そもそも事情を知らないからな……俺だったら、たぶんそっとしておくと思う」
「ふむ。真奈海は……っと、初対面だったか……そうだな、わたしや凜と同じように、お互いの顔と名前を知っていて、軽く言葉を交わしたことがあるという前提ならどうだ?」
「えーと、そうだね……きっと話しかけると思うよ。事情は知らなくても、放っておけないもん」
「なるほどな……凜も真奈海の意見も、この場合ではどちらかが間違っているというわけではない。ある意味どちらも正しい――そうだ」
「なんか思いついた?」
「ああ。いわゆるひとつの思考実験だ。あのふたりはまだ話し込んでいるようだからな」
「ほほう」
「なんか、よくわからないけどおもしろそう!」
「……元気だな、真奈海? しばらく心は立ち上がれないんじゃなかったか?」
「なんで蒸し返すの凜っ! ふんだっ!」
「ごめんって。んで、どういう思考実験?」
「身近な人が、いまわたしたちが置かれた状況に対して、どのように行動するか推察する」
「なるほどね……最初は誰?」
「では手始めに、光太」
「いやいや。あいつは、泣いている女の子に話しかけて慰めるような勇気も話術も持ち合わせてない」
 考えるまでもなく即答。ちなみに相手が男子だったら、まず間違いなく放っておくはず。
「同感。川嶋にもうちょっと女の子に対する思いやりと気遣いがあれば、彼女できる確率少しは上がるんじゃない? 五億分の一が三億分の一くらいにはなるかも」
 その理論でいくと、光太はもう日本国内で彼女を見つけるのは難しくなる。
「もっとも、あたしから見たら、その程度上がったくらいじゃ話にならないけどね! あはははっ」
「辛辣だな。まあ光太に関してはおおむねそのとおりだろう。がんばってほしいところだが――では次、悠」
「いやいや、そんなの答えるまでもないって」
「そうだよー。悠だったら、たとえ初対面でも、絶対に気になって話しかけるって。で、絶対に相手を安心させるんだ」
「まあ、そうだろうな。悠には他者を安心させる不思議な魅力がある」
「あ、ちなみに奈々も悠と同じだと思う。最初は戸惑うかもしれないけど、最終的には話を聞こうとするはず」
「奈々もやさしいからねー。そういうところは悠と似てるよね」
「ま、あのふたりも幼なじみで、姉妹同然で育ったらしいからな」
 一瞬、セイラに見つめられた気がした。
「…………。ではちょっと難易度を上げようか。美緒だったらどうすると思う?」
「綾瀬さんか……真奈海はどう思う?」
 あの子の性格を考えると、だいたい想像できるけど。
「んー……あたしの予想だと、たぶん気づかないんじゃないかな」
「気づかない?」
「興味深いな。真奈海、続けてくれ」
「うん。昨日あの子が話してるの聞いてて思ったんだけど、綾瀬さんってまわりに対する……えっと、視野がちょっと狭いのかなって。だから顔見知りの子が泣いていても気づかないか、気づいたとしても、話しかけようって発想にはならない気がする。あ、もちろん悪く言ってるわけじゃないよ?」
「…………おぉ」
「なに、凜?」
「真奈海が的確な考察をしていることに驚いた……やればできるじゃん」
「あたしのこと馬鹿にしてる? 川嶋みたいな扱いしたら怒るからね!」
「セイラ、いまの真奈海の意見どう思う?」
「凜の言ったとおりだ。的確だと思うぞ……なるほどな、奈々との相性がいいのも、ある意味、美緒のそういう性格があってからか」
「あ、それあたしもわかる! えっとなんだっけ……昔、理科で習った……酸性だか中性だかアルカリ性? を、なんだっけ……とりあえず、なんとかすると……なんとかになるってやつ」
「それ、なんのたとえにも説明にもなってないの気づいてるか? 真奈海が言いたいのは、たぶん中和だな」
「そう、それ! あたしもそれが言いたかった」
 小学校の理科で習うレベルの言葉を、「なんとか」で片づける……ついさっき褒めたばかりなのに、真奈海の学力が急に心配になった。
「そういえば、悠も似たようなこと言ってたな」
 たしか、綾瀬さんの性格の強さを、奈々の気配り上手がうまく調和しているとか。俺にはいまいちピンとこないけど、真奈海まで言うんだから間違いではないんだろう。
「真城っちと小日向さんは……ああ、まだ話し込んでいるね」
「会話をしながら様子を見ていたが、小日向椿姫の口数がだいぶ増えているな」
 たしかに、小日向さんの表情から戸惑いが消えて、なにか熱心に、惺に対して語っているように見える。いつの間にか、惺もベンチに座っていた。
「さすが惺。相手を逃げ出させるような真似はしない」
「そうだな。さすがわたしの愛する男!」
 皮肉を愛の告白で返されたのは、はじめてだった。
「あ、真城っちが呼んでるよ」
 近づいていくと、小日向さんの表情にほんの少しだけ困惑が混じる。でも、はじめて会ったときのような、困惑一色で染められているわけではない。惺が小日向さんの心を解きほぐしていたってことか。俺たちを呼んだのも、頃合いをきちんと見計らってのことだと思う。如才ない男だ。
 小日向さんのすぐ近くには、弁当箱の入ったポーチが置かれていた。
「小日向椿姫……先週は礼を欠いて申しわけなかった」
 セイラが頭を下げながら言った。
「あ……ううん、大丈夫……き、気にして……ないよ」
「そう言ってもらえると助かる。たしか、花の椿に姫で椿姫、だったか。素敵な名前だな」
「あ……ありがとう」
「椿姫と呼んでいいか?」
「う、うん」
「あらためてよろしく、椿姫」
「よ、よろしく……お願いします」
「……ま、セイラにしては上出来だな」
「やかましいぞ惺。ところで、この短時間でずいぶんと打ち解けたみたいだな? いったいどんな手を使ったんだ」
「含みのある言い方をするな。ただ話をしていただけだよ。セイラも見ていただろ……あ、えっと――」
 初対面である真奈海を、惺が紹介する。真奈海は「よろしくー」といつもの軽やかな調子で答えた。
「――で、どういう状況だったのだ?」
「簡単に説明するなら、演劇部に戻ってきてほしいと、部長から直々に頼まれていたそうだ」
「ふむ。……たしか椿姫は、演劇部を休部してたのだったな。なぜ部長がわざわざ?」
「……それは……」
 小日向さんの表情がどんよりと曇った。うつむいて、スカートの裾を両手でぎゅっと握っている。膝の上には、惺のハンカチが乗っかっていた。
「聞かないほうがよかったか?」
「いろいろと込み入った事情があるんだよ。それはさすがに、ひと言では説明できないな」
「なんだ惺。ということは、もうそんな深い事情まで聞けたのか?おまえも隅に置けないやつだ」
 と、ここでチャイムが鳴り響く。授業開始五分前の予鈴だ。
「くっ、タイムリミットか。惜しい」
「ここまでだ。小日向さんも、一緒に戻ろう」
「あ……うん」
 惺がベンチから立ち上がり、小日向さんも続く。
 屋上同士をつなぐ連絡路を通って、B校舎の屋上へ。そこから階段を下りて、小日向さんのクラスがある四階に出た。
「あの……真城くん……ハンカチ……洗って返すから」
「いや、気にしなくていいぞ?」
「ううん……そうさせて。話を聞いてくれた……お礼に」
 さっきまで泣いていたからか、それとも別の理由か……小日向さんの頬がほんのりピンク色に染まっていた。真奈海もそれに気づいたのか、俺と視線を合わせてにやにやしてきた。セイラは不思議そうな眼差しで小日向さんを見つめている。
「じゃあ小日向さん、また連絡するから」


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