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いま、その翼を広げて


Alive05-3

 八月になってすぐの頃。夏休みに入ってからずっと真夏日が続いていて、この日は猛暑日に気温が届きそうだった。
 その日、トラットリアHOSHIMINEの一角は、大きな予約席で埋まっていた。
 午後六時。この時期のこの時間の空はまだ明るく、太陽が依然、存在感を誇示するように輝いている。
 そろそろ来るかな、なんて考えていると、お客さんの来店を知らせるチャイム。俺が出迎えると、まず小さな天使が満面の笑みを浮かべてくれた。
「あーーーっ! りんちゃんだぁ!」
 と天真爛漫に叫びつつ、小さな天使は俺に抱きついてくる。
「いらっしゃい。待ってたよ、翠ちゃん」
 頭をなでると、翠ちゃんは「えへへ」とはにかむ。
 翠ちゃんに続いて、見知った顔が次々入ってくる。
「やっほー、凜。今日はありがとう」
 と、真奈海。髪の色と同色のワンピース。夏らしい爽やかな印象だ。
「こちらこそ。みなさんも、わざわざご足労いただきまして、まことにありがとうございます」
 翠ちゃんを抱きながら、真奈海の後ろの人たちに頭を下げる。
 結衣ちゃんに、幹也くんと由貴彦くん。そしてご両親。お母さんの腕には末っ子の紗綾ちゃんが抱かれている。豊崎家が勢揃いしていた。
「あ、真奈海先輩! いらっしゃい!」
 奈々も出迎える。遠くでテーブルの片付けをしていた悠も気づいて、軽く手を振ってきた。
「綾瀬さん、みなさんをテーブルに案内してもらえる? 俺、母さん呼んでくる」
 こくんとうなずく綾瀬さん。
 彼女はもううちに居候してない。でもうちに恩返ししたいらしく、いまでも週二くらいでバイトを続けてくれている。ここでの仕事を気に入ってくれたみたいだ。 
 みんながテーブルについたところでうちの母さんがやってきて、真奈海たちのご両親とあいさつした。
 子どもたちがメニューを見ながら、すごく楽しそうにはしゃいでいる。 
「ごめんね、騒がしくて」
 真奈海が頬をかきながら言った。
「気にすんなって」
「りんちゃん!」
 と、真奈海の隣に座っている翠ちゃん。
「おこさまランチ!」
「はーい。翠ちゃんはお子様ランチ、と」
 それからみんなの注文を聞いてからバックヤードへ向かう。
 ふう、と自然にため息が出た。
 ちらっと、あのテーブルに視線をやる。
 あの家族に後ろ暗い闇なんてまったく存在してない。本当の意味での「家族」だ。
 まぶしくて、温かかった。
 これはきっと、俺が触れていいものではないと、どこかで感じていた。 

 六時半も過ぎて、そろそろピークの時間帯に差しかかる。悠や奈々はもちろん、仕事に慣れて強力な戦力となった綾瀬さんも、せわしなく働いている。 
 そんなとき、新たな来客があった。
「お。セイラだ」
「やあ、凜」
 後ろには、小日向さんと柊さんがいた。
「めずらしい組み合わせだね」
 聞くと、三人で出かけた帰りだったそうだ。
「あー……席空いてたかな?」
 ざっと見わたすと、三人が一緒に座れる席は、真奈海たちのいるテーブルの隣しかない。
「あれは真奈海か? 家族もいるようだが」
 目ざとく気づいたセイラ。
「ご両親の結婚記念日」
「ああ、なるほど」
 セイラには簡単に事情を話してある。
「しかし、わたしが来ると決まって知り合いがいるな、この店は」
「そうかもね。こちらへどうぞ」
 席に案内すると、まず翠ちゃんがセイラに気づいた。真奈海や結衣ちゃんたちも驚いていた。ついでにあっちで仕事していた悠と奈々と綾瀬さんもセイラたちに気づいて、「あっ」と口を開いた。
 いま、店内の美少女(美女)率がとんでもないことになっている。母さんが見たら、きっと鼻血を出す勢いで興奮するだろう。
 そして、真奈海が「せっかくだから席くっつけちゃえ!」と言い出し、もちんろん反対なんてなかったからそうした。 
「つばきちゃん!」
 相変わらず屈託のない笑みを浮かべている翠ちゃん。
「こんばんわ。翠ちゃん」
 翠ちゃんはソファを伝って、小日向さんの膝の上に移動する。
「つーばーきちゃん! またごほんよんでぇっ!」
「う、うん」
「こら翠。お行儀悪いでしょ」
 真奈海に一喝されて、翠ちゃんは「むぅー」と可愛くうなりながら席に戻っていった。
 小日向さんの向かいには柊さんが座っている。その煌びやかな深紅の髪に見とれているのは、幹也くんと由貴彦くんだった。
 視線に気づいた柊さんが、ふたりに向かって破壊力抜群(褒め言葉)の微笑みを投げかける。それを受けた年頃の少年ふたりは、顔を真っ赤にして慌てて、それを見ていた真奈海と結衣ちゃんにからかわれる。
 真奈海のお父さんはセイラのプロポーションに思わず見とれていて、隣のお母さんが肘で小突いていた。
 とめどなく沸いてくる笑い。
 喜びの感情。
 俺はそれにこんなに間近で触れているのに、恐ろしく遠くから眺めているだけのような、不思議な感覚に見舞われる。
「……凜?」
 ふと、セイラの声で現実に戻る。
「あ、ごめん。注文決まった?」
「……ああ。それより、一瞬暗い顔したようにも見えたが」
「なんでもないよ。気にしないで」
 注文を聞いてからバックヤードに下がり、すぐに切り替えた。 
 それから少し経った頃、バックヤードで悠に呼び止められた。 
「あのさ凜くん、今日、もう上がっていいよ」
「え?」
「この前セイラたちが来たとき、奈々ちゃんと綾瀬さんにゆずってくれたでしょ」
 セイラが女子会と称していた、あの食事会。
「それでね、真奈海やセイラたちに訊いてみたら、凜くんもぜひ一緒に食事しましょう、って」
 母さんや奈々、綾瀬さんの許可ももう取っていて、そちらも是非に、と言ってくれたらしい。 
「はは。そこまでしてもらってるなら断れないな。お言葉に甘えるよ」
 注文する料理を五秒で決めてから悠に伝え、着替えに向かう。
 やがて、相変わらず賑やかな例のテーブルに合流した。
「お疲れ、凜」
 と、真奈海。
「ん。……あ、そうだ、例のあれ、そろそろいいか?」
「うん。そうだね」
 母さんを呼び、その旨を伝えた。
「例のあれ、ってなにかしら。気になる言いまわしね」
 と、柊さん。
「すぐにわかるよ。それよりさ、今日は三人でどこ行ってたの?」
「観劇だ。ああ、感動したほうの感激ではないぞ。……いや、感激したからそれでも間違ってないか」
「ごめんセイラ。わかるんだけどわからない」
「舞台観劇……です」
 小日向さんが控えめに付け加えてくれた。
「椿姫のご両親が主宰されている劇団だ」
 小日向さんのお母さんは女優の小日向有希子さん。お父さんは演出家の小日向玄齋さん。どちらも世界レベルのビッグネームだ。ふたりの劇団も、日本ではトップクラスの規模と集客力を誇っているらしい。演劇にうとい俺でも、名前だけは聞いたことがあった。
 セイラと柊さんは舞台観劇ははじめてで、とても感動したそうだ。笑いあり、涙あり、手に汗握るアクションも、はっとするほど華麗なダンスシーンもある、極上のエンターテインメントだったらしい。主演はもちろん有希子さん。セイラいわく、演技を超越した、言葉にできない「なにか」がそこに存在していたそうな。共演の役者さんたちもみんな主役級で、つまらないシーンが一秒もなかったと豪語した。
 作家志望の柊さんも、あれだけ内容を詰め込んでいるのに、シナリオにまったく破綻がないのはどういうことだろうと感心しきりだった。脚本は玄齋さんで、日本トップレベルの戯曲の凄みを垣間見たと評した。
 とどめなのは、公演終了後に主宰ふたりと直接会えたこと。これは羨ましい。娘である小日向さんだけが持つ特権だ。
 かつて演劇部を休部し、一度は復帰した小日向さん。けど、復帰した初日にいろいろな負の気持ちが重なって、それが叶わなくなった。でも、演劇そのものへの情熱は忘れてないみたいだ。
「……ねえ小日向さん。演劇をやりたいのなら、その劇団でできるんじゃ?」
 プロの劇団なら、いろいろな要素が学園の演劇部と桁違いなはず。両親が主宰ならやりやすいだろうし、小日向さんの本気度はよく知ってるから、まさに理想の環境だと思うんだけど。
 しかし、小日向さんは首を横に振った。
「わ、わたしは……学園のみんなとやりたいの……」
「どうして?」
「いま、同じ時間を共有しているみんなと……いまの自分たちじゃなくちゃできない……えっと……唯一無二のお芝居を作り上げたい……ずっとそう考えていて」
 小日向さんの瞳は揺れているけど、そこに宿る意志は強い。
 俺にはできない考え方だった。たしかに学園を卒業したら、同じ舞台に立つ機会はほとんどなくなるかもしれない。同じメンバーでの公演はまず不可能だ。演劇部に限らず、ほかの部活でも、クラスについても同じことが言える。
 そんなことは当たり前だ。学園生活は一種の通過点であって、ゴールではない。寿命を信じるのなら、学園を卒業したあとの時間のほうが圧倒的に長い。それをわかっているから、むしろその事実のほうが俺にとっては重要だから、小日向さんのような考え方を立脚点にはできない。たぶん、小日向さんは悠と考え方が近いんだと思う。
 小日向さんのような考え方も大切だとは思うけど……
 そこまでの想いがあるのなら、小日向さんがいまだに演劇部に復帰できないのはなんでだろう? ――などと、とても意地の悪い疑問が思い浮かんだ。もちろん口にしないけど。
 そんなとき、サービスワゴンを押した母さんがやってくる。そのせいでひとまずこの話は打ち切りになった。
 ワゴンに乗っているのは豪華なケーキ。二段構えでクリームを塗られた生地にベリーソースがかかっている。アクセントとして、イチゴなどのベリー類がセンスよく飾り付けられていた。これはうちのメニューにはない特別製。父さんの知り合いのパティシエに頼んで作ってもらったものだ。
「これはお子さまたちからのお気持ちです」
 笑顔でそう言いながら、母さんがケーキをテーブルに移した。
 突然のサプライズに驚く真奈海のご両親。母親がケーキに添えられたメッセージカードに気づき、じっくりと読んで、やがて目頭を押さえた。あれは真奈海たちが書いた手紙だ。
 うちの母さんにうながされ、刃渡りの長いナイフをふたりで握るご両親。恥ずかしながらもケーキに入れる。
 真奈海がスマホで、連射機能をフルに使ってその瞬間を撮影していた。
「粋な計らいだな」
 と、セイラ。
 結婚式でよくある、ケーキ入刀。 
 以前、真奈海に相談されたこと。今度うちの両親の結婚記念日があるんだけど――そういう切り出し。
 真奈海のご両親は結婚式を挙げてないらしい。結婚当初はお父さんの仕事が軌道に乗り始めた頃で、忙しかったからだそうだ。それを最近になってはじめて知った真奈海や結衣ちゃんが、なにか自分たちで祝ってあげたい、と考えたのがきっかけ。幹也くんや由貴彦くんも協力して、子どもたちだけで企画したのが今回のお食事会だった。
 ケーキの演出は、結婚式を挙げられなかったふたりに対する、子どもたちの強い要望がきっかけだった。せめて、結婚式らしいなにかを――ご両親は子どもたちに恵まれて、子どもたちはご両親に恵まれている。
 理想的な家族関係がそこにあった。
 ……ああ、やっぱりまぶしいな。
 周囲の光で、自分の屈折した影が浮き彫りになるような感覚を覚える。別に羨ましいとかじゃない。そうじゃなくて――
「――っ!?」
 不意に、そんなことがどうでもよくなった。
 ウエイトレス姿の悠が視界に入る。彼女はいま、デジカメでみんなの写真を撮っていた。写真はデジタルデータにまとめて、あとで豊崎家に渡す予定だった。
 悠が泣いていた。
 そして、俺と目が合った悠は、驚きながら涙をぬぐい、バックヤードへ駆け去る。
「みんな、ちょっとごめん」
 席を立ち、悠を追う。
 従業員通路の奥、壁に向かって悠はすすり泣いていた。
「悠……?」
「っ――あ、凜……くん?」
「どうした?」
 振り返った悠が、不器用な笑顔を見せる。
「な、なんでもないよ……ちょっと感動しちゃっただけで……家族って、いいよね」
「俺がそんな嘘にだまされるとでも?」
「――――っ」
「感動して泣いた、っていうたぐいの涙じゃなかっただろ。なにがあったんだ?」
 悠の肩は震えている。手で顔を覆った。
 指の隙間から、涙があふれていた。
 やがて、悠が俺の胸に顔をうずめてきた。
「ごめんね……凜くん、ごめんね……っ……わ、わたし……っ!」
 見たこともないほど哀哭する悠を抱きしめることもできないまま、俺はただ呆然と立ち尽くした。
 悠の体温は、少し冷たかった。


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