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いま、その翼を広げて


Brave03-7

 月曜日の放課後。
 凜と一緒に、学園北側に位置する図書館へ向かっていた。B校舎の一階まで降りて、廊下を北に向かって歩く。
「別に無理して着いてこなくてもいんだぞ。さっきも言ったが、今日は散策ではなく私用だから」
「いやぁ、どうせ暇だし。それに惺が……あ、なんでもない」
「惺がなんだ?」
 今日、惺はいない。用事があるらしく、ホームルーム終了後すぐ帰った。そういえば、帰り際に惺が凜になにやら耳打ちしていた。
 凜はばつが悪そうに黙っている。
 歩きながらしばらく見つめていると、やがて凜は白旗を揚げた。参った、とでも言うように、ため息を吐いた。
「えっとね、『セイラを頼む』って言われちゃって」
「どういうことだ?」
「んーと……セイラは知らないほうがいいと思うよ」
「ふん。どうせわたしが暴走しないように見張ってくれとでも言われたんだろ」
「…………」
「沈黙は肯定と受け取った」
「はは、敵わないなぁ」
 わたしと凜のふたりっきり。この組み合わせははじめてだ。
 真奈海はスーパーのバイト。光太は体育祭実行委員の集まりに強制連行されていた。次の週末が体育祭本番だから、今週いっぱい、準備や集会などで特に忙しいそうだ。ちなみに「誰か代わってくれよぉ~」と、凜と真奈海に涙ながらに懇願していたが、軽く流されていた。
 というわけで、消去法で凜だけが同行することになった。今日は凜の実家、トラットリアHOSHIMINEも定休日で、手伝いなどの予定もないそうだ。
「前から気になっていたが、凜は恋人を作る気はないのか?」
「…………え?」
 一瞬だけ、わたしに向いた凜の黒い瞳が虚空を見つめた。それがなにを意味するのか、さすがにわからない。
「放課後に恋人とデートするのは、学生の楽しみのひとつだろう? 光太も憧れているらしいな。凜はまわりに気遣いもできるし、会話の運び方もうまい。距離感のはかり方も絶妙だ。当然もてると思うのだが」
 容姿も全体的に整っているといっても過言ではない。さらさらの黒髪に、ぱっちりとした二重まぶた。どちらかといえば中性的な顔立ちと声。身長はわたしより低いが、細身で手足の長さもバランスが取れている。
「……そんなことないよ。俺は――」
 思いのほか暗い声色だ。
 ……これ以上この話題は避けたほうがいいか。性的な話もそうだが、凜には深い事情がありそうだ。
「ねえ、そんなことよりもさ、図書館でなに調べるの?」
「この学園の、過去の卒業アルバムを閲覧したくてな」
「卒業アルバム? なんでまた」
「少し気になることがあって」
「へえ……」
 海外の転校生が、まったくゆかりのないはずの卒業アルバムを気にかけるのはおかしな話だ。凜は腑に落ちないようだが、詳しくは聞いてこない。
 そうこうしているうちに、図書館に到着。入り口の自動ドアをくぐると、書籍のにおいが鼻腔をくすぐった。デジタル全盛期の現代でも、やはり紙媒体の重要性と必要性は普遍的だ。
「――あ」
 と、声を上げたのは凜。視線を追うと、遠くテーブルに見覚えのある後ろ姿。席に着き、文庫本を開いている。
「あれは奈々か」
「そっか、いつもここで時間潰してるんだ」
 先日、奈々が所属するバンドの件については聞いた。もちろんなんとか手助けしたかったが、わたしは例の事件でいろいろと忙しかった。先週、E校舎の屋上で話を聞いたきり、奈々はもちろん、美緒とも顔を合わせていない。
「あれから、なにか話は進んだのか?」
「いや、膠着状態って言うのかな。みんな気まずいみたいで。ぜんぜん話せてないみたい」
「なるほど。それで、奈々がここで時間を潰しているというのは?」
「あいつ、最近帰ってくるのが遅いんだよ。夕飯までには帰ってくるんだけど、部活はいま休部しているようなものだから、放課後どこでなにしているんだろうって。まあ、今日はたまたまここにいるだけかもしれないけどさ」
「奈々にも思うところがあるのだろう。ところで、さっきからまったくページがめくられてないな」
「え……?」
 凜が奈々を見つめる。どんなに読むのが遅くとも、さすがにページをめくるだろう時間が経っても、奈々は動かなかった。
「セイラ、相変わらずすごい観察力だね」
「そうでもないさ。さて、せっかくだから話を聞くか」
 奈々がいる席に向かって踏み出す。
「え……え? ちょっ――」
 慌ててあとを追ってくる凜。
「待ってセイラ、しばらくそっとしておいたほうがいいんじゃ」
「どうだろうな。わたしの推察では、このまま放っておいたらいつまでも膠着状態が続くと思うぞ。本人たちが身動きできないのなら、外部からの働きかけが必要だと考える」
「そ、そうかな」
「凜も彼女たちの問題を解決させたいと願っているんだろう? そのために行動するつもりだと、惺から聞いたが」
「……それはそうなんだけど」
「とりあえず、この場はわたしに任せろ」
 と、わたしたちの会話が聞こえるくらい近づいても、奈々はこちらに気づかない。本を両手で開いたまま、文字どおり凍りついている。
「奈々」
「………………え…………あ、セイラ先輩……と、お兄ちゃん?」
「よ、よう」
「凜、態度がよそよそしいぞ」
「だ、だってさ」
「ふたりとも、どうしてここに?」
「ちょっとした野暮用だ。それで、奈々はなにを読んでいるんだ?」
「…………えっと……」
 奈々が表紙を見て、小説のタイトルを口にする。いまはじめて読んでいる本を認識した感じだ。それがなにを意味するのか、考えるまでもなかった。
「奈々、単刀直入に聞くぞ。バンドのメンバーたちと話せているか?」
 その問いに、奈々の体がびくっと反応する。瞳が潤み、手が震え出す。もうそれだけで答えを聞いたようなものだった。
 凜が非難がましい視線を向けてきた。
「セイラってほんと直球だよね」
「ここで変化球は必要ないだろう? ……奈々、不躾で悪かった。気を悪くしないでくれ。しかし――」
「もう……んです」
「む?」
「もういいんです!」
 広い室内に奈々の声が響く。周囲にいた生徒たちが、何事かとこちらを見てきた。
「……な、奈々?」
 凜が動揺した様子で、かすれた声を出す。
「お兄ちゃん、もう無理だよ。あのバンド……みんな……っ……ぐすっ」
 頬を伝う涙。嗚咽には哀しみと失望がにじみ出ている。  
「――こんにちは」
 突然、背後からの声。振り向くとそこには――
 緋色の髪。ワインレッドの瞳。その持ち主は涼しげかつやわらかな表情で、わたしたちを見つめていた。
「紗夜華?」
 彼女は優雅な仕草で、豊かな量の髪かき上げる。
「お久しぶり……ってわけでもないわね。ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったのだけど、たまたま通りかかって。えっと、そちらの子は……?」
 紗夜華が奈々を見る。
「俺の妹だよ。名前は奈々」
「あら、星峰くんにこんな可愛い妹さんがいたのね。――はじめまして。二年の柊紗夜華よ。このふたりのお友達なの」
「お友……達……?」
 友達という言葉に、奈々の心が反応したようだ。
「なにか深刻な話をしてたようだけど」
「あー、それは」
 困った表情で、凜は奈々視線を移す。奈々は状況がうまく飲み込めないようで、こちらも困惑気味だ。
「これから話の続きをする? ……どうかしら、ここで立ち話もなんだから、みんなでわたしの根城に行かない? もちろん妹さんもご招待するわ」
「ふむ。たしかに、あそこなら落ち着いて話ができるな」
 きょとんとしている奈々に、凜が紗夜華の根城について簡単に説明した。
「奈々、どうする? 柊さんもなかなか頼りになる人なんだ」
「今日が初対面だし、もちろん無理強いはしないわ」
「……わたしは……」
 紗夜華が一歩奈々に近づく。
「奈々ちゃん、って呼んでいいかしら? ――ありがとう。それでね奈々ちゃん、ちょうど上質なカモミールとセントジョンズワートの茶葉が手に入ったの。それをブレンドすると、とても美味しい紅茶になるのだけど、どうかしら」
 カモミールとセントジョンズワートには、どちらも気分を落ち着かせ、感情をやわらげる効果がある。カモミールはそれなりに有名だが、セントジョンズワートは一般的にはあまり知られてないだろう。さすがは姉と一緒で紅茶好き。品種の選び方が玄人じみている。
「……はい……わかりました。えっと……お願いします」
「ふふ。決まりね」
「あ、セイラの用事はどうするの?」
「ああ、それもあったな。紗夜華、ここの資料室に過去の卒業アルバムが保管されていると聞いたんだが」
「卒業アルバム? たしかに資料室にあったと思うけど、あそこの資料とか書籍って、基本的には持ち出し禁止なのよね。……まあでも、わたしが頼めば大丈夫かしら。資料室の管理人さんとは顔なじみなの」
「では、悪いが案内を頼めるか?」
「ええ、もちろん。――じゃあ星峰くん、これを」
 一枚のカードキーを、凜に手渡した。
「これは?」
「談話室の鍵。ドア横の端末に通せば開くから、奈々ちゃんと先に行っててもらえる?」
「え……あ、わかった」
「凜」
 凜の耳もとでささやく。
「兄としての頼りがいを見せるいい機会だ。ふたりっきりのあいだ、ちゃんと妹の本心を聞き出すんだ」
「……プレッシャーかけないでよぉ」
「では、またあとでな」
 凜と奈々が談話室へ向かっていく。奈々の足取りは、現在の心情がそのまま具現化したように重い。いままで会って話してきた快活な奈々とは別人のようだった。
 ふたりを見送ったあと、わたしたちも歩き出す。資料室は地下にある。
「それで、セイラはどうして過去の卒業アルバムなんか見たいと思ってるの?」
「やはり気になるか?」
「ええ。海外からの転校生が興味を示すには、それなりの理由が必要だろうと思うわ」
 作家志望の性がそうさせるのか、好奇心の宿った瞳で見つめてくる。
「そうだな、自分の知らなかった人間関係が明らかになるかもしれない、といったところか」
「明らかにする鍵が、卒業アルバムなわけね。へえ、おもしろい」
 あごに手を添えて微笑む紗夜華。
「……似てるな、やはり」
「え?」
「いや、なんでもない。こちらの話だ」
 微笑む紗夜華の横顔が、姉の詩桜里と重なった。
 階段を降り、自動ドアをくぐる。
「ありゃ、これはめずらしい」
 カウンターの奥から、陽気な男性の声が迎えてきた。
「こんにちわ」
「紗夜華ちゃんがここに来るとはねぇ。久しぶりじゃないか」
 笑顔が柔和な、感じのいい初老の男性。胸もとの名札には塩屋という名前。紗夜華がわたしを紹介し、ここに来た理由を説明する。
「……んー? 海外の転校生ってあれかい。男子生徒にいきなりキスしたっていう」
 わたしと紗夜華は顔を見合わせ、つい笑ってしまった。
「塩屋さん、どうしてそれを?」
「そりゃあ紗夜華ちゃん、有名な話じゃないか。うちの若い子たちがきゃあきゃあ騒いでたぞ。……しかし、えらい美人さんだな。その男子生徒が羨ましいよ」
 世間は本当に狭いらしい。
「ふふ。何度この話題で話しかけられたことか」
「わたしもそのひとりね」
「そうだったな」
「――えーと、昔の卒業アルバムだったかな。本来は持ち出し禁止だが、まあ紗夜華ちゃんの友達ならいいだろう。ただし、今日中に返してね」
 引き出しから鍵の束を取り出し、立ち上がって歩き出した塩屋さんに続く。
「ところで紗夜華ちゃん、しばらく見ないあいだに大人っぽくなったな」
「そうですか?」
「ここに来たとき、姉の詩桜里ちゃんかと思ったぞ」
 予想外の名前に、危うく反応しそうになる。
 紗夜華がわたしを見た。
「わたしに姉がいるって話はしたかしら?」
「ああ。最初のお茶会のときにちらっとな」
「姉もここの生徒だったの」
 その姉がわたしの現在の上司で、同居しているとはさすがに言えない。知らないということにしておこう。
 塩屋さんの話では、詩桜里はよくこの図書館で勉強していたらしい。そういう経緯もあって、当時からここで司書として働いていた塩屋さんと仲よくなったそうだ。学生時代の詩桜里の様子を詳しく聞きたいところだが、ここは我慢。
「詩桜里ちゃんは元気かい?」
「はい。最近はあまり会ってないですけど、今年のお正月に会ったときは、酔っ払ってわたし男運がないのよねー、とか愚痴を延々と聞かされました」
 その光景がありありと目に浮かぶ。わたしと同居しているときと大差ない。
「ははっ、そりゃもったいないな。詩桜里ちゃんもべっぴんさんなのに。――っと、このあたりの棚だな。転校生さん、何年度の卒業アルバムだい?」
 わたしが年度を口にすると、紗夜華が驚いたような眼差しで見つめてきた。
「どうした?」
「その年は……」
「もしかして、お姉さんが卒業した年か?」
「ええ。たしか、そう」
「それは偶然だな」
 と言いつつ、もちろん最初から知っていた。詩桜里の学生時代の写真が見られるのは楽しみだが、目的は別にある。
 塩屋さんが棚から該当する卒業アルバムを取り出した。
「この年はアルバムが……全部で四冊だな」
 当時から生徒数は多かったようで、一冊にまとめきるのは無理だったようだ。念のため、全部借りていくことにした。
「結構重いよ。大丈夫かい?」
「はい」
 塩屋さんから卒業アルバムを受け取る。A4サイズで一冊の厚みは四センチほど。それが四冊にもなると、かなりの重量だ。もっとも、わたしなら片手で充分運べる。それを実行すると驚かれるのは明白だから控えたが。
「ここ七、八年くらいの卒業アルバムは電子書籍化されたのもあるんだが、その年はまだ紙媒体しかないんだよ。悪いね」
「いえ、ありがとうございます」
「それじゃ、閉館時間までには返しに来てね。わたしはずっとここにいるだろうから」
 再びお礼を言って、紗夜華と資料室を出た。
 階段を上がり、一階へ。そこから紗夜華の根城――談話室がある三階へ向かう。
「半分持ちましょうか?」
「いや、構わない」
「そう……? 意外に力持ちなのね。――ところで」
 一歩先を歩いていた紗夜華が、隣に並んだ。
「星峰くんの妹さん。奈々ちゃんはどうしたのかしら? かなり深刻な様子だったみたいだったけれど」
「ああ、その話か」
 紗夜華になら話しても構わないだろうと判断し、簡単に概要を伝えた。バンドメンバーとの喧嘩、そしてすれ違い。現在の状況。
「へえ……」
「その思わせぶりな視線はなんだ?」
「セイラ、あなたが転校してきてから、まだ二週間くらいよね。それなのに、もうクラスメイトの妹さんの、かなり深刻な悩みを聞くポジションにいる」
「それがなんだ?」
「よくここまでの短期間で、それだけ深い人間関係を構築できたわねって、感心したのよ」
「不思議か? いまの紗夜華も似たようなものだと思うが。例のキスの噂がなければ、紗夜華とは出会ってなかったかもしれなかったんだ。紗夜華の能動的な働きで、わたしと紗夜華、ほかにも惺や凜との良好な関係が構築できた。もしも紗夜華が信用に足らない人物だったとしたら、奈々の悩みをこれから談話室で聞くこともなかっただろうな」
「あなたにそこまで言ってもらえると、なんだか光栄ね」
「本心だぞ。わたしは建前を言うような性格をしてない」
「ふふ、それはもうわかってる」
 そんな会話をしているうちに、三階に到着。廊下の曲がり角を曲がると、談話室の自動ドアが見えてきた。
 ふと、ドアの近くで紗夜華が立ち止まる。
「……なんか、言い争っているような声が」
「凜と奈々が?」
 まさか、と思いつつ耳を澄ますと、たしかに紗夜華の言ったとおりの話し声が聞こえてきた。ただし、ドア越しだと声がこもっていて内容まではわからない。
「入っていいのかしら……?」
「そうしないと始まらないだろう。自動ドアだからノックもできない」
「いちおうインターホンもついているのだけど」
「そんなことでいちいち茶々を入れられないな。――入るぞ」
 紗夜華の横を抜けて一歩踏み出すと、ドアが開いた。
「――だから、お兄ちゃんはわかってないの! もう無理なんだよ」
「奈々、とりあえず落ち着けって」
「だってっ」
「だってもなにも、みんなと直接話をしたわけじゃ――あ」
 凜がこちらに気づき、口を閉ざした。振り返った奈々の瞳は潤んでいて、失望が色濃くにじみ出ていた。
「待たせたな。紗夜華、悪いが紅茶を淹れてもらえるか」
「ええ、任せて」
 紗夜華が給湯室に立ち、ティーセットを準備する。わたしは凜と奈々が囲んでいるテーブルの隅の席に座った。卒業アルバムはとりあえず後まわしにしよう。
「ずいぶんと白熱していたみたいだな」
「白熱というかなんというか……とにかく、来てくれて助かったよ」
「奈々、紗夜華には簡単に事情を説明しておいたが、問題ないな?……ありがとう。それで、どこまで話をしたんだ?」
「先週の話だけど、奈々がメンバーみんなに携帯で連絡取ったんだ。だけどね――」
「反応が芳しくなかったか」
 神妙な表情で凜がうなずく。奈々を見ると、こちらも元気なくうなずいた。
「奈々、どういった返信があったのか、差し支えなければ見せてくれないか?」
「え…………あ、はい」
 奈々から携帯を手わたされる。通信アプリの画面が表示されている。
 奈々は、それぞれ個別に「もう一度みんなで話し合おう」という内容の文言を送っている。
 それに対して、
《わたしとしては、もう少し落ち着く時間が欲しい。あの子もクールダウンする時間が必要なんじゃない? ……本音を言わせてもらうと、今回ばかりは修復難しいんじゃないのかな。奈々はそう思わない?》
 この冷静な文面は、サックスの佐久間愛衣。
《いや、いまはまだちょっと無理かなー。美緒のやつ、怒るとマジでめんどくさいんだもん。話し合ったとしても、またあーなるって考えるとちょっとねぇ》
 これはドラムの遠坂雫。
《とりあえず美緒抜きで話し合おうよー? んー、美緒も一緒ならちょっと無理かなー……またどうなるかわからないしぃ》
 最後はキーボードの木崎英里子。
「美緒の返事はないのか?」
「……はい」
「そうか。しかし、奈々と美緒は同じクラスだろう? 直接話す機会はいくらでもあると思うのだが」
「それが美緒ちゃん、わたしと目が合うとそっぽ向いちゃって……なんか避けられているみたいで」
「気まずいか?」
「はい……かなり。いままで、こんなことなかったのに……っ」
 沈黙が降りた。
 十数秒続いた沈黙を破ったのは、紗夜華だった。トレイに乗せたティーセットを持って、テーブルへとやってきた。
「お待たせ」
 前回と同じく、慣れた手つきでティーカップへ紅茶を注ぐ。それぞれにティーカップを配ったあと、紗夜華も席についた。
「さあ召し上がれ」
 おのおのが紅茶を口にする。ダージリンとセントジョンズワートのブレンド。お互いの持ち味を殺すことのない絶妙な分量のバランス。そして相変わらず完璧な温度による抽出。
「奈々ちゃん、どうかしら?」
「すごく……美味しいです」
「ふふ、よかったわ」
 紅茶の効用か紗夜華の優しい微笑みにほだされたのか、奈々は先ほどよりは落ち着きを取り戻していた。
「――さて、紗夜華にも意見を聞こうか」
「わたしでよければ。奈々ちゃん、ここに来るまでにセイラからだいたいの事情は聞いたんだけど、メンバーのことをもっとよく知りたいのよね。みんなの性格とか説明できる?」
 以前、わたしの話を聞いたときみたいに、紗夜華はノートと万年筆を準備した。
「あ、はい……えっと……」
 奈々がバンドメンバーについて語り出した。
 まずは佐久間愛衣。彼女と奈々は中学時代からの親友で、父親の影響からサックスは小学生の頃から嗜んでいた。歳のわりには落ち着いていて常に冷静沈着。そのため、バンド内はもちろん軽音部の一年生の中ではもっとも頼りにされている。
 遠坂雫は、軽音部に入ってからドラムを始めたらしい。性格は明るく、誰に対しても基本的に陽気。リズム感は抜群で覚えるのは早い。ただし、何事も熱しやすく冷めやすいタイプだと自分で言ってるそうだ。
 木崎英里子は、その間延びした口調から天然に見られるが、意外と周囲に気を配れるタイプだそうだ。ピアノを幼少時から中学卒業まで習っており、腕前はかなりのレベル。ところが、日常生活でも演奏でも、マイペースになってしまうのが玉にきずだと、美緒や佐久間愛衣から指摘されているらしい。
 そして綾瀬美緒。バンドのリーダーで、軽音部の誰もが認める音楽的才能の持ち主。担当するギターの腕前は学生レベルを超越していて、ほかの楽器にしても、充分聴かせられるレベルで演奏できる。奈々がこの学園に入学してから、佐久間愛衣以外ではもっとも仲よくなった友達。しかし、前に真奈海が指摘していたように、周囲に対する視野が狭く、やや思いやりに欠けることは、奈々も気づいていた。
 友達のことを語ることに慣れてないのか、奈々の口調はたどたどしい。それでも必死に、懸命に伝えようとしているのはわかる。
 紗夜華はそれを聞きつつ、ノートにさらさらとメモしていた。また、気になったことがあると、その都度質問している。わたしや凜も知らなかったような事実も出てきて、紗夜華のコミュニケーション能力の高さをあらためて認識した。
「――こんなところかしらね」
 ノートを眺めつつ、紗夜華が言った。
「奈々ちゃん、厚かましいとは思うのだけど、わたしにも携帯見せてもらえるかしら?」
「……はい。大丈夫です」
 まだわたしの手もとにあった奈々の携帯を、紗夜華に渡す。彼女はそれをしばらく吟味するように眺めた。
「なるほどね。どうもありがとう」
 奈々に携帯を返した。
「なにかわかったか?」
「そうね。気になる点がひとつ。みんな、バンドが解散することを完全に受け入れているわけではないようね」
「そうですか……?」
「ええ。まだ話し合う余地があると思うのだけど。このまま空中分解するのはさすがに避けたい、という意志が感じ取れるわね」
「でも――」
「奈々、三人の反応を見てそれはわたしも感じたことだ。凜はどう思う?」
「たしかに誰もとりつく島がない、とは言えないな……なあ、奈々はなんでこれでもう無理だって思ったんだ?」
「……そ、それは……えっと」
 言いたいことがあるが、うまく言葉にできない。そんな様子で、奈々は口をつぐんだ。
「三人に共通しているのは、綾瀬さんについて言及している点ね」
 紗夜華が言う。
「……美緒ちゃんが……ううん、みんなの美緒ちゃんに対する……えーと……態度が」
「引っかかった?」
「そうです……問題のすべてが、美緒ちゃんにあるような言い方で……それで」
「奈々ちゃんはそう思ってないの?」
「ううん……あのときの美緒ちゃんはたしかにいけなかった……でも、それからのみんなの態度も、わたし気になって」
 奈々の頬を、ひと筋の涙が流れた。
「全部美緒ちゃんがいけない、みたいな流れになって……っ……わたしも含めて、美緒ちゃんのこと……真剣に考えていたのかなって」
 いままでの話を総合すると、美緒に大きな落ち度があることは否めない。だからといって、一〇〇パーセントすべて美緒のせいかと冷静に考えると、疑問がわき上がる。
「優しいのね。奈々ちゃんは」
 聖母のような微笑みをたたえて、紗夜華が言った。
 同感だ。
 ここまで他者のことを真剣に考えられる人は、そうはいない。
「奈々さ――」
 凜がおもむろに口を開いた。
「この前、おまえと綾瀬さんがけんかしたときの話。おまえがいなくなったあと、綾瀬さんの話を聞いたんだ」
「え……?」
「いままでタイミングがなくって話せなかったけど……バンドがああなった原因とか、綾瀬さんの正直な気持ちとか、いろいろ話してくれたよ。で、最後に綾瀬さんはこう言ってた。『世界が終わる前に、わたしたちが終わっちゃうのは絶対に嫌』って。あの子も泣いてたね」
 奈々は黙って聞いている。
「さっき気まずいって言ってたけど、奈々も綾瀬さんもお互い必要以上に気を遣っちゃってるんだと思うんだ。だから、思い切って奈々から話しかけてみたらどう? 少なくとも、奈々と綾瀬さんが仲直りしないと、バンドは前にも後ろにも進まないと思う」
「…………うん」
「ほかの子と話すのは、綾瀬さんと話したあとだな。……まあ、綾瀬さんがまずみんなに謝る必要性はあるんだろうけど」
 しばらくのあいだ、奈々に考えるような沈黙が訪れる。感情を整理しているのか、時折涙を流している。
 三分ほど経過したところで、やっと奈々が口を開いた。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
 涙を拭いて、奈々はわずかな笑顔を作る。 
「お兄ちゃんがここまで深く突っ込んでくるとは思わなかったよ……ちょっとびっくり」
「惺にも同じようなこと言われたな」
「ありがと、お兄ちゃん。……あの、柊先輩とセイラ先輩も」
「どういたしまして。あ、わたしのことも名前で呼んでくれて構わないわよ」
「は、はい」
「それで奈々、美緒と話す決心はついたのか?」
「はい。もう逃げません。明日、美緒ちゃんと話してみます」
 覚悟の宿る、いい眼差しだった。もうそんなに心配する必要はないかもしれないと、わたしや凜、紗夜華に思わせるほどの説得力と決意が秘められていた。
 本当に素直で優しい性格をしている。
 ここから先は本人たちの問題か――と、凜と紗夜華も同じような結論にいたったのか、ふたりして目で合図してきた。
 紅茶のおかわり淹れるわねと、紗夜華が席を立つ。
「なあ、セイラの用事は? それが例の卒業アルバム?」
「そうだったな」
 奈々の相談も一段落ついたことだし、わたしは自分の用事に手をかけることにした。
 一冊目を手に取り、質のいいブルーのスエードで装丁された表紙をめくる。後ろのページには、全四冊分の索引が載っていた。二冊目のアルバムに目的の名前を発見し、二冊目を手に取った。
「――――っ!?」
 目的の生徒がいるクラスのページを開いた瞬間、そこで思いがけない事実が目に飛び込んできた。
「どうしたの?」
 わたしの様子に気づいたのか、凜が訊いてくる。
「いやはや……これは予想外だ」
「なにが?」
 等間隔に並んだ生徒たちの写真。知っている顔が六人。
 ひとりは柊詩桜里。当然のことだが、当時十八歳でいまよりも若い。というよりは、まだ垢抜けない幼さを残しているというのが正しい。どう間違ったら現在のようにすれてしまうのだろうか。当時の彼女に現在の自分を見せたらどう反応するのか想像すると、実に興味深い。
 ……そんなことはどうでもいい。
「凜、担任の織田光一郎先生は、この学園のOBだったのか?」
「え……あ……そういえば、そんな話聞いたことあるな。あと、悠のクラスの担任、鳴海はるか先生もたしか卒業生だったはず」
 織田光一郎と鳴海はるかの写真も、同じページに載っていた。
 織田先生はいまの落ち着いた雰囲気がなく、どちらかといえばやんちゃそうな印象だ。鳴海先生とは直接の面識はないが、教職員名簿に載っていた写真と見比べれば本人であることは間違いない。
 これで半分。
 残る三人は、いずれも面識がある人物だ。
 立花秀明。
 沢木法子。
 現在警視庁捜査一課に勤めているこのふたりも、写真に名を連ねている。立花警部は見るからに秀才で、当時から大人びた印象を与えている。沢木警部補は年相応の可愛らしい笑顔で写っていた。彼女がいちばん印象が変わってない。
 IHプレートで湯沸かし中のやかんを見守っている紗夜華も、気になるようでこちらを見つめている。奈々も不思議そうな表情でわたしを見ていた。
 ――そしてなにより、もっとも驚くに値する事実がこのページに存在していた。
「奈々、唐突で悪いが、惺と悠の父親とは面識があるか?」
 ここで話題に上る人物とは思いもよらなかったのだろう、奈々の大きな瞳が驚きと逡巡を示した。
「……え……あ、はい。蒼一おじさんのことですよね……?」
「それは、この写真の人物で間違いないか」
 奈々のほうにアルバムを広げ、ページのほぼ中央を指さした。紗夜華も近づいてきて、凜もテーブルに身を乗り出した。
 クラスの生徒たちに囲まれた、担任の写真。深い愛情と優しさをたたえて、静かに笑っている。
 淡い亜麻色の髪。高い知性と経験を感じさせる鳶色の双眸。そのほか眉や鼻や口、耳など顔を構成するあらゆるパーツのバランスが、計算されたかのように神がかって美しい。ぱっと見ただけでは、正確な年齢を計りづらい。二十代前半と言っても通用するような若々しさがありながら、四十代、五十代になってもめったにいないような貫禄と存在感を兼ね備えた人物。
 写真は十年近く前のものだが、わたしが知っている彼の容貌や印象とほとんど変わりない。
「あ! この人、蒼一おじさんです!」
「え、ええ? ちょっと待て奈々、蒼一さんって、ここで教師やってたの?」
「ふぇ? そういえば、前にお母さんかお父さんにそんなこと聞いたような……でも、いままで忘れてた」
「あのな、そんな大事なこと忘れるなよ」
「ご、ごめん」
「凜、おまえは蒼一と面識はなかったのだな」
「あ、うん……その、いろいろ事情があって」
 凜としてはその「事情」をこれ以上詳しく聞かれるのは困るといった様子だから、そこはさらりと流すことにする。
「それから紗夜華、おまえもなにか言いたそうだな?」
「……ええ。――あ、紅茶の準備をするから、ちょっと待ってて」
 迅速かつ丁寧に、紅茶のおかわりを準備してくれた。
 熱々の紅茶で、渇いていたのどを潤す。
 紗夜華が席に着き、難しい顔をしている。
「真城蒼一って人が、真城惺くんのお父さんなのね? 以前、あなたの話に出てきた」
「そうだ。まさか、紗夜華まで面識があるとは――」
「いえ、わたしは会ったことがない。けど、まったく知らない人物というわけでもないの。姉の担任だったし、それから母が――」
「母上? 柊緋芽子学園長代理がどうした?」
「その当時、母はこの学園で一教師として教鞭を執っていたの。その卒業アルバムにも載っているはずよ」
 そう言われて調べてみる。四冊目のアルバムに、柊緋芽子を担任とするクラスのページがあった。
「これか。……学園長代理もいまとあまり印象が変わらないな。ということは、彼女と蒼一は面識があるってことか」
「ええ。母は常々言ってたわ。真城蒼一先生は、教師として最高の理想像だったって。あまり人を褒めない母がそこまで言うのだから、相当な方だったのね。そういえば姉も、真城先生のことを一生忘れられない恩師だと言っていたわ」 
 蒼一はなんでもそつなくこなす――いや、どんなことでも一般人をはるかに上まわる結果を残すことができる完全な天才だ。教師としての才能があってもおかしくはない。
 わたしと蒼一の関係は、詩桜里も知っているはずだ。しかし、いままであの女から蒼一の名が出てきたことはない。
 なにか理由でもあるのか?
 まあいい。今度じっくりと聞こう。
「それにしても、世間って狭いわね。ここにいる四人は、ある意味その卒業アルバムでつながっていることがわかったのだから」
「そうだな」
「自分の知らなかった人間関係が明らかになる……セイラの言ったとおりね。世界は広いけど世間は狭い、と言ったところかしら」
「……ふふ」
「どうして笑うの?」
「いや、以前まったく同じことを言った人間がいてな」
 紗夜華の実の姉だとは言えないが、やはりここでも血のつながりを感じた。
「……あれ? お兄ちゃん、どうしたの……?」
 奈々の問いかけにも、凜は黙ったままだ。身を乗り出し、蒼一のクラスが載っているほうのアルバムを凝視していた。
「……詩桜里……さん?」


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