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いま、その翼を広げて


Brave04-4

 潮騒が聞こえるほど海に近い場所に、真奈海の家はあった。
 築三十年ほどの木造家屋。一階部分が広く、二階には狭いベランダが申しわけ程度に備え付けてあって、溢れるほど大量の洗濯物が干してあった。
「ただいまー!」
 引き戸を開けながら、真奈海が大声で言った。
 すると、奥から複数の足音。どたとだと騒がしいが、元気のある足音だった。三人の子どもたちが出迎えてくれた。小学生くらいの男の子がふたりと、五歳くらいの女の子がひとり。女の子が真っ先に、「おねーちゃん!」と嬉しそうに真奈海に抱きついた。
「翠、おねーちゃんのお友達だよ。ほら、こんにちは」
 女の子――翠ちゃんがこちらに向き、
「こ!」
 と言った口のまま、固まる。
 笑顔で。
「こんにちは!」
 ……か、可愛い。
 わたしだけでなく、凜や椿姫、光太も相好を崩した。
 男の子ふたりも挨拶し、真奈海が紹介してくれた。小学六年の幹也に、三年の由貴彦。どちらも姉に似て快活そうだった。
「おねーちゃん、おともだちいっぱい?」
 真奈海の腕の中で、翠ちゃんが訊いた。
「そうだよ」
「あそぶの?」
「うーんとね、お勉強するの。翠もする?」
「んーっ! いやぁ!」
 真奈海から離れ、笑いながら走って行ってしまった。
 か、可愛い。
 入れ替わり、赤ちゃんを抱いた中学生くらいの女の子がやってきて、ぺこりと頭を下げた。
「姉がいつもお世話になってます。妹の結衣です。こっちは末っ子の紗綾。上がってください」
「よくできた妹だな」
 わたしが言うと、真奈海が誇らしげに胸を張り、結衣は照れてもじもじしている。
 一同は居間に通された。畳敷きで、中央に大きな座卓テーブルが置いてある。その下に翠ちゃんが隠れていた。真奈海が「おしり見えてるよー」と教えると、「いやぁん!」と奥に引っ込んだ。 
 か、可愛いっ。
 と、真奈海の眉間にしわが寄った。 
「ああっ! 朝ちょっと片づけたのに、また散らかってる!」
 叫びながら、幹也と由貴彦を睨んだ。たしかに座卓テーブルのまわりに男の子向けのおもちゃが散らばっている。「片づけなさい!」とふたりは怒鳴られ、しぶしぶ片づけ始める。光太が、「俺もばあちゃんに同じこと言われるんだよ」としみじみつぶやいた。
「ごめんね、汚い上に狭くて。好きなところ座って」
 わたしたちは座卓テーブルを囲むように座った。
 結衣が紗綾ちゃんを真奈海に預け、台所のほうへ向かった。コップに麦茶を注いでいるのが見える。言われてないのに自分から率先して動く。本当によくできた妹だ。
 と、テーブルの下から翠ちゃんがぴょこっと頭を出した。
「翠、きれいなお姉さんだからって、おいたしちゃだめよ」
 姉にそう言われている最中も、翠ちゃんはわたしをじぃーっと見つめている。好奇心で満たされたくりくりの瞳。姉と同じ黄緑色の髪。
 だ、だめだ……か、可愛いっ!
 こらえきれず、翠ちゃんを抱き寄せた。
「おっきい!」
「……?」
「おっぱい、おっきい!」
 目を輝かせている。
「……触ってみるか?」
「さわる!」
 と言って、さらに「おおっ!」と感心しながら、容赦なく揉んでくる。
「ちょ、翠!」
「まあ真奈海。気にするな」
「ごめんねセイラ……って、あんたたちなに見てんの!」
「ち、違えもん!」
 と、幹也。
「ね、ねーちゃんより大きい……!」
 と、由貴彦。
「お、俺も触りたい……!」
 と、光太。次の瞬間、光太だけは隣の凜に頭を叩かれていた。
「たっくもう。……いい? お姉ちゃんたち勉強するんだから、邪魔しちゃだめだからね」
「真奈海姉ちゃん、馬鹿だから勉強しても無駄じゃない?」
「幹也。もういっぺん言ってみなさい」
「ご……ごめんなさい」
「なあ、せっかくだから、この子たちの勉強も見てあげれば? 宿題とかあるでしょ?」
 と、凜。
「お。ありがとう、助かる。結衣ももうすぐテストでしょ? 勉強道具持ってきて。一緒に見てもらおう」
 麦茶とお菓子を用意してくれた結衣に、真奈海が言った。
「あ、うん。わかった」
「幹也と由貴彦も、取りに行ってらっしゃい」
「俺はいいよぉ」
 と、幹也。
「ふーん。前に算数のテストで何点取ったのか、ここで発表してあげましょうか」
「わわっ!? やめろ!」
「十二点!」
 と、由貴彦。
「由貴彦ぉ! なんで言っちゃうんだよぉ!?」
「十二点! 十二点!」と由貴彦は楽しそうに繰り返し、翠も「じゅーにてん!」とわたしの膝の上で舌っ足らずに真似をする始末。幹也は真っ赤になって弟の口をふさいだ。
「あんたたち! いいから早く子ども部屋行ってきなさい! ほら、翠もいつまでもおっぱい揉んでないの!」
 はーい、と元気よく言って、翠ちゃんは離れていった。ちょっと寂しいが、顔には出さないよう努力した。
 子ども部屋は二階にあるのか、三人が階段を上っていく。誰かの笑い声がこだましていた。
「はあ。ごめんね、騒がしくて。小日向さん、うるさいけど大丈夫?」
「うん……みんな、可愛い」
 そういう椿姫も充分可愛らしい。
 やがて子どもたちが戻ってきて、座卓テーブルの上はノートや教科書で埋まった。騒がしくも微笑ましい空気の中、勉強会が始まった。 

「ここはbe動詞だから……そう、そうやって変化するの。うん。結衣ちゃんは理解が早い」
 凜は結衣に英語を教えている。わたしも真奈海と光太に英語を教えていた。椿姫は休憩中で、翠とお絵かきしながら遊んでいた。幹也と由貴彦も必死に算数や漢字のドリルに取り組んでいる。
「なあなあ真奈海。おまえの妹は、姉よりずっと賢いみたいだぞ。俺、感動して涙が出そう」
 にやりとしながら凜が言う。
「余計なお世話だ! てゆーか邪魔しないで。英単語覚えられない!」
「ふっ。豊崎よ。英単語は覚えるだけじゃだめなんだぜ。きちんと活用できなければ」
 そう言っている光太のノートには、次元が歪んだような不可思議な英文ができあがっていた。
「光太、そこは違う。先行詞が人と人以外の場合、関係代名詞は『that』だと何度言えば」
 光太が「あがあぁっ!?」とうめきながら、畳の上にひっくり返った。その姿を真奈海が白い目で見つめ、次に弟たちに向いた。
「よく見ておきなさい。これが勉強せずに遊んでいるだけの馬鹿のなれの果て。あんたたち、こうはなりたくないでしょ?」
 真奈海の悪口に、光太はむくりと起き上がった。
「豊崎も馬鹿じゃんか! あんぽんたん。脳みそ筋肉ー。つるぺたー」
「そこまで言ってないだろぉっ! てめえやんのかこらぁ!」
「おう! 望むところだ! 表出ろ!」
 真奈海と光太がけんかを始め、弟妹たちが寒々しい視線を送った。
「セイラも大変だね。馬鹿ふたりの相手しないといけないなんて」
「凜、思っていてもそういうことは口に出してはだめだぞ。人間関係に亀裂が入る。馬鹿も個性と考えれば、可愛いものだ」
「ははっ。馬鹿ってとうとう言っちゃった。セイラももうフォローするつもりもないんだねー」
「ほらふたりとも、いい加減にするんだ。テストは明後日からだ。もう四十五時間もないぞ」
 リアルな数字を口にしたからか、真奈海と光太がとたんにしゅんとする。
「大地震とか起こってさ、しばらく休校にならないかなー」
 不謹慎なことを言い出す真奈海。
「いや、ここは台風でしょ。ほら、なんかでかいのが発生したってニュースでやってたぞ」 
「台風四号のことか? まだ発生したばかりだから、影響があるとしてもテストが終わったあとだろうな」
 わたしがさらに現実を突きつけると、光太はがくっと脱力し、再びひっくり返った。真奈海も同じような様子。集中力が切れる時間もだいたい同じだったから、ある意味似たもの同士かもしれない。指摘すると怒られるだろうから言わないが。
「ふたりとも血を分けた『きょうだい』みたいだな。なはははっ」
 わたしの気遣いを、凜は見事にスルーした。真奈海と光太が突っかかってきたのは言うまでもない。
 真奈海も光太も、うかうかしてるとそのうち結衣ちゃんに学力抜かされるぞ、と凜に脅され、ふたりとも勉強を再開した。
「――むかしむかしあるところに、おじいさんがいました。おじいさんは、甘くて大きなかぶを育てようと、畑に種をまいて、大事に大事に育てました――」
 しばらく勉強していると、椿姫の声が聞こえてくる。膝に翠ちゃんを乗せ、絵本を開いて朗読していた。「おおきなかぶ」という有名な童話だ。
 椿姫の語りに魅入ったのは、翠ちゃんだけではなかった。抑揚や間の取り方。緩急のバランス。自信を感じさせる語り口。なにより、心地よいソプラノの声音。この語りを聞いて夢中にならない子どもはいないだろう。わたしたちもつい勉強の手を止めて、聞き入った。
 椿姫が次に読んだのは「白雪姫」だった。  
「おおきなかぶ」よりも長く、登場人物もさらに多彩ながら、椿姫は見事に語りきった。特に、七人の小人たちをそれぞれ完璧に演じ分けていたのは、誰もが驚愕していた。
 ――――?
 不意にデジャブが脳裏をよぎる。
 絵本を読む女性と、抱えられた子ども。
 次に思い出したのは、血のにおい。
 これは……まさか……?
 頭を振り、既視感を振り払った。
 意識を現実に戻す。
「ふぇぇっ!? な、なんですかみなさん!?」
 語り終えた椿姫が、自分に集まる視線に気づいた。
「小日向さん! すごい!」
 真奈海の歓声とともに、拍手が巻き起こる。
「俺、絵本でこんなに感動したのはじめてかも……」
 光太は瞳に涙を浮かべている。凜もうなずいていた。結衣や幹也、由貴彦も驚きに満ちた表情で拍手を送っている。
「あ、あの……その」
 もじもじとし始める椿姫は、まるではじめて会ったときを彷彿とさせる自信のなさだった。数秒前までの面影はまったくない。
「見事だ、椿姫。プロの役者や声優でも、ここまでうまくはないのではないか?」
「そ、それは言い過ぎだよぉ……」
「いやいや。セイラさんの言うとおりだよ。ベテランさんはともかくね、若手の声優さんで朗読うまい人、ほんとに少ないらしいよ? 小日向さんはすごい! 世界がほっとかないレベルだ! 俺が保証する!」
 饒舌になる光太に、椿姫は戸惑っている。
「……あ……ありがとう……」
「演劇部のみんなが嫉妬するの、なんかわかった気がする。こりゃあ敵わないって」
 と、凜。
 椿姫の瞳が、一瞬で哀しみに彩られた。
「わっ、ご、ごめん小日向さん! 軽率だった!」
 平謝りする凜に、小日向さんは笑いかけた。
「ううん……大丈夫だから……気にしないで」
「しかし、本当にもったいないと思うが」
「え?」
「椿姫のような才能が日の目を見ないのは、実にもったいない。語っているとき椿姫は、瞳が爛々と輝いていた。好きなことを真剣に、そして楽しんでいる姿というのは、ここまで美しいものだったのだな」
「…………」
「それだけに、実に惜しい。椿姫が活躍できる場が、どこかにないだろうか?」
「わたしは……」
「あの、小日向さん。あたしも演劇部の件は聞いたから、強くは言えないんだけど、小日向さんが舞台で演技してる姿、見てみたいなーって。だってほら、凜やセイラが自慢するように言うんだもん。はじめて会ったときの椿姫はすごかったって」
 碧乃樹池のほとりでパックを演じていた椿姫のことだろう。たしかに、真奈海にはそのときの光景や感想を何度か語っている。
「いや、あれはほんとすごかったから。鳥肌ものだよ」
 と、凜。
「んー……小日向さんは別に、演劇が嫌いになったわけじゃないんだよね?」
 真奈海の問いに、椿姫は神妙にうなずいた。
「わ、わたしは……また板の上に立ちたいって……思ってる……けど……」
「つばきちゃん! ないちゃだーめ!」
 膝の上に座っていた翠ちゃんが、椿姫と向かい合って必死に言った。
「ご、ごめんね、翠ちゃん」
「こんどは……これ! ピノキオ!」
 畳の上に積み重なっている絵本から、翠ちゃんが新しい本を取り出す。椿姫も心を切り替えて、また語り始める。
 椿姫の語りをバックグランドに、わたしは凜や真奈海と顔を見合わせた。結衣たちには自習してもらうことにした。
「なんとかしてあげたいね」
 と、真奈海。
「本人もやる気は失ってないみたいだし、あとはきっかけかな」
 これは凛。 「演劇部の活動以外で演劇をやるわけにはいかなないのか?」
「そんなことはないと思うよ。ただ、演劇やりたいのなら、演劇部入ればいいんじゃない? ってどうしてもなっちゃう」
 凛がそう言ったとき、光太が「あのー」と手を上げた。
「サマフェスは?」
「あ、それがあったね。光太にしてはナイスアイデア」
「凜、サマフェスとは? そういえば、以前に美緒も同じことを言っていたが」
 わたしが転校してきた初日。軽音部の見学に行ったとき、あまり成長してなかったメンバーに対して、美緒が「サマーフェスティバルに間に合わない!」と焦り、嘆いていた。
「サマーフェスティバルのことだよ。夏休み中に行われる学園イベントで、まあ、学園祭の姉妹みたいな感じかな」
 正式名称は創樹院サマーフェスティバル。凜の話によると、文化系の部活が中心となって盛り上げる発表会らしい。演劇部はもちろん、軽音部、吹奏楽部、合唱部などがグループ単位で出場し、こぞって表現し合い、出し物としてのレベルを競うそうだ。
「基本的は部活単位だけど、たしか有志で集まって出し物やるのもありだったと思う。喫緊ではいちばん近い発表の場かな」
「お? じゃああたしたちで舞台演劇でエントリーしちゃう? あたし、手伝うよ」
「あ、俺も」
 と、光太。
「ちょっと待った。悠が前に話を聞いたらしいんだけど、小日向さんは『いろいろあった演劇部の人たちの前で演技する』っていうより、そもそも根本的に『人前で演技する』のがだめになったみたいなんだ」
「このあいだの食事会のときか?」
 たしかに、あのときはわたしと紗夜華が来るまでは、悠に相談に乗ってもらってたと聞く。凜の言うとおりなら、あがり症が再発した椿姫は、またそれを克服しないと演劇部復活どころか人前に立つことも難しい。
「ああっ!? 凜、よくもあのとき写真送ってくれたなぁ!」
 真奈海が急に憤慨する。
「なんの話?」
 と、光太。
 真奈海はあのときの写真が表示されたスマホを光太に見せる。すると、彼はすぐに鼻息を荒くした。
「こ、これはぁっ!? 美少女たちの夢の大競演展覧会やんけ!」
「バイト終わったあとにこれ見たあたしの気持ちわかる? ねえわかるっ!? 参加したくてもできなかったこの悔しさっ!?」
「地団駄踏んだ?」
 意地の悪い笑みを浮かべる凜。
「ジ、ジダンダ? なにその怪獣。あのねえ、あたし怒ってるんだからね! ふざけないで!」
「素敵な写真だろ」
「そ、それは認める……じゃなくて! そこじゃなくって!」
「凜! その写真、俺にもちょうだい!」
「一万二千円で売ろう。サービスで消費税は取らないでやる」
 リアリティのある金額だ。
「ぐっ、ちょっと高い……けど、お年玉を切り崩せば……っ」
「振り込み口座はあとで教える。キャンセルは認めない」
「り、凜の守銭奴ぉ!」
「……おい、話が脱線してるぞ」
 しばらくすると真奈海も冷静さを取り戻した。
「ねえ、悠からほかになんか聞いてないの?」
「んー、さっきも言ったけど、やっぱりきっかけかな。小日向さん、自分から踏み出す決心がつかないみたいで」
「そっか。なんか手助けできないかな……」
 椿姫を見る。
 熱心にピノキオを演じる椿姫には、いまはまったくあがり症は見られない。どこまでも楽しそうに、翠ちゃんのためだけに演じていた。
 真奈海も将来や進路のことで悩んでいると聞いた。凜や光太にだって、人知れず悩んでいることはあるだろう。
 思い返すとここ最近、わたし自身のことで悩むことはずいぶん減ってきた。ふと気づくとわたしは、自分以外の誰かの悩みを解決しようとしている。
 犯罪者のわたしが。
 誰かと同じ視線で一緒に悩み、解決方法を模索する――そんなことが、果たして許されるのだろうか。


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