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いま、その翼を広げて


Brave04-5

 その少女はたしか、淡い灰色の髪をしていたと思う。元気に走りまわるおてんばな子だった。
 郊外にある庭つきの巨大な洋館に、その少女と家族は住んでいた。父は外交官で出張が多く、母も「お付き合い」と称して家を空けることが多かった。少女に兄弟姉妹はいない。必然的に、少女はひとりだった。
 家にはメイドが数人いたが、少女が心を開いていた人間はいない。
「ステラーっ!」
 少女が呼んでいる。
「…………?」
 あたりを見わたす。庭の片隅にあるベンチに、わたしは座っていた。少女は正面に立って、わたしの顔をのぞき込んでいる。
 頭がおかしくなるんじゃないかと思えるほど、空は清々しく晴れていた。
「ステラ? どうしたの?」
「いや……なんでもない」
「変なの!」
 あははっ、と大陽のようにまぶしく笑っている。少女はわたしの膝の上に座ってきた。日だまりよりずっと温かい体温が伝わってくる。
 ああ――そうか。
 ステラとはわたしのことだ。当時、わたしはこの名で、少女の家に潜入していた。
 思い出してきた。
 これは八年近く前。惺や蒼一とまだ出会う前の話。
「アンネ」
「なぁーに?」
 アンネ。この子の名だ。
「寂しくないか」
「ええ? なんで?」
「父も母もほとんど帰ってこない。友達もいない。メイドたちも遊び相手にはなってくれない。それで寂しくないか?」
 アンネは学校に通ってない。勉強は専属の家庭教師が教えていた。両親の許しを得ず、家の外に出るのはできなかった。
「寂しくないよ! だってステラがいるから!」
 まぶしくて、目を背けた。
「あのねステラ。しゃべり方がおじさんみたいだよ!」
「…………」
「あー、またそんな顔する。せっかく可愛いのに、台無し! ほら、笑って」
 ことあるごとに、同じようなことを言われた。歳のわりには口が達者だった。
 そして、ある日の夜。
 夜の闇に紛れ、カラスがやってきた。 ふつうのカラスではない。カラスは足に手紙をくくりつけていた。
 手紙を読んだ。読んだあと、星術で燃やした。
 部屋を出た。
 二階にあるアンネの両親の寝室へ向かった。その日はふたりとも帰宅し、大きなベッドで休んでいる。
 隠し持っていた拳銃で、ふたりを殺した。
 なんの感慨もわかなかった。
 廊下に出て、逡巡する。
 手紙には、家にいるすべての人間を殺害しろ、という命令が書かれていた。最優先は父親と母親。これはもう済んだ。
 ……アンネも殺すのか?
 このときわたしが逡巡したかどうかは、もう覚えてない。
 隣がアンネの部屋だった。静かにドアを開け、ベッドに近づく。
 邪を吹き飛ばしそうなほど、幸せそうな寝顔。夕食のときは両親とたくさんおしゃべりして、終始楽しそうだった。
「……ん……ステラ……?」
「おはよう、アンネ」
「おはよ……んん、もう朝?」
「いや、まだ夜だ」
「ふぇ……?」
「おやすみ、アンネ」
 引き金を引いた。
 ベッドに血の花が咲いた。
 家にいるすべての人間を殺害しろ。まだ仕事は終わってない。
 一階に降り、メイドたちが休んでいる部屋に向かい、全員殺した。
 家を出て、庭から洋館を見上げる。
「…………」
 やはり、なんの感慨もわかない。
 両手をかざし、星術を発動させた。
 炎がほとばしる。やがて、洋館全体が焔に包まれた。
「――テラ――」
 誰かの声が聞こえた。
 洋館の中から。
 住人は、全員殺したはず。
「ステラぁっ! 痛い、痛いよぉっ――!」
 叫びながら、アンネが玄関から這い出てきた。
 生きてるはずのない状態で――脳天に孔が空き、全身を血で染め上げながら。
「あああぁあっ――っ!? ステラぁっ――! ゆるさないぃ――っ!」  
 炎に巻かれた怨嗟が、わたしに這い寄ってきた。

「――――っ!?」
「セイラ、大丈夫?」
「し……詩桜里?」
 寝室のベッドの上だと気づくのに、二秒はかかってしまった。ジャージ姿の詩桜里が、心配そうな表情でのぞき込んでいた。
「どうしたのよ。うなされて――って!?」
 詩桜里を抱き寄せ、その胸に顔を埋めた。
「すまない。しばらくこのままで」
「……泣いてるの……?」
 しばらくそうさせてくれた。
 やがて、急に恥ずかしくなったわたしは、詩桜里から離れた。
「あなたでも、悪夢にうなされることがあるのね」
「……わたしも人間だぞ」
「どんな夢見たのか、教えてもらっていい?」
「……『記憶の靄』が、晴れた」
「――――っ。わかった。話して」
 思い出した記憶を話す。夢で見た出来事は、ほとんどが現実にあったことだった。八年ほど前、任務でとある外交官の家に潜入したこと。そこの家族を皆殺しにしたこと。アンネという少女を手にかけたことも、すべて真実だ。
 詩桜里はどこからかメモ帳を取り出し、被害者の名前や場所などを記録している。あとでICISのデータベースと照会すれば、迷宮入りとして処理された事件の中に、該当する案件があるはずだ。
「アンネは……たしか六歳だった。記憶に残る限り、わたしがこの手で殺めた最年少だろう」
「……そう」
「真奈海の妹が呼び水になったんだな。翠ちゃんは歳も近い。甘え方もよく似ていた」
 翠ちゃんが膝に乗ってきたとき、なにかを思い出す前兆のような感覚を覚えていた。
「……セイラ……その、なんて言っていいのかわからないけど」
「慰める必要はないぞ。すべての問題も罪もわたしにある」
 惺に出会うより前、わたしは「シルバーワン」というコードネームで、暗殺者として活動していた。しかし、その当時の記憶はいまだにずっと曖昧だ。特に暗殺者としての最初期の記憶は、ほとんどが闇の中にある。精神操作による感情と思考が欠落し、記憶が曖昧な状態――転じて、「記憶の靄」と呼ばれている。しかし、今回のように、ふとしたきっかけで思い出すことがある。
 事件の子細が判明しても、もうわたしが裁かれることはない。詳細を把握しているすべての犯罪を告白し、懲役も受けたが、それ以上は裁かれないことになっていた。わたしの心神喪失による責任能力の阻却を建前に、大人の事情が深く関わっている。たとえば、暗殺を依頼した側に政治的事情があれば忖度される。アンネの件もそれに該当し、おそらくICIS内部で内々に処理されるはずだ。 
 ベッドから抜け出して、上着を羽織った。
「どこ行くの?」
「バイクで夜風に当たってくる」
 わかったわ、と短く言っただけで、詩桜里は優しく見送ってくれた。こういうとき言葉が少ないのは、詩桜里の数少ない美点だろう。
 マンションから出たところで、スマートフォンを取り出した。
 午前零時半過ぎ。決して早くもないが、遅すぎるというわけでもない。
 ふと思い立ち、電話をかけた。
「惺。会いたい」


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