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いま、その翼を広げて


Brave05-3

 それから数日後。
 真城邸の地下で、連日のように稽古に明け暮れていた。
「真奈海は元気があっていいが、全部そのテンションだから感情の起伏がない。相手の言葉をよく聞くんだ」
「はーい」
「光太も元気があって声が大きいのもいいが、台詞が演説みたいで、誰に言っているのかわからない」
「は、はい!」
「それから、ふたりはそろそろ台詞を覚えよう」
 しゅん、とうなだれる真奈海と光太。台本を外してないのは、もうこのふたりだけだった。
 椿姫が持っていた戯曲をコピーして使っている。紗夜華の台本ができあがるまでは、既存の戯曲のシーンを抜粋して、練習に使っていた。
「凜はいろいろ小器用にできているのだが……落ち着きすぎているな。ある意味おもしろみがない」
「……了解」
「悠は人前に出るのが慣れているから、堂々としているのはいい。だが上品すぎる。きみの役は粗暴で下品な女子という設定だろう? 深窓のお嬢様みたいな雰囲気を出してどうするんだ」
「う……」
 演技に慣れるため、あえてイメージとかけ離れた役をやってもらっていた。特に悠は下品な言葉で平気で人を罵倒する女の子の役。苦労しているのは明白だった。
 しかし、これは全員に言えることだが、真剣にがんばっている姿は美しい。もちろん容姿の美醜ではない。
「雫は自分の台詞がないとき以外は棒立ちすぎて、かなり不自然だ。もうちょっと周囲の会話に気を配ろう」
 雫こと、「The World End」のドラマー遠坂雫は、「わかりましたぁ!」と元気よく返事した。
「さて椿姫。わたしの演出はどうだ?」
「う、うん……完璧」
 隣に座っていた椿姫が、感心したように言う。とりあえずいまは、わたしと凜が交代で演出を担当することに決まっていた。
 先日、何度か凜と一緒に演劇部へ見学に行った。演劇に重要なのはもちろん台本だが、演出も馬鹿にできない。どんなに素晴らしい台本でも、演出がだめだとすべて台無しになることもあるそうだ。だから勉強のため、わたしと凜は見学以外にも演劇論などの本を読んでいる。
「では交代」
 わたしのかけ声で待機していた面々が立ち上がり、逆に立っていた面々が下がる。わたしも演出を凜と交代して、前に出た。
 真城邸の地下――稽古場と呼ばれるようになったその空間にはいま、紗夜華以外のメンバー全員が集まっている。
 美緒や奈々、遠坂雫のほかに、佐久間愛衣や木崎英里子――「The World End」のメンバーが勢揃いしていた。
 紗夜華はプロットの最終仕上げ中らしく、まだ学園にいる。このあとここで合流する予定なのだが――
 と、誰かの携帯から音が鳴る。
「柊さん到着したって。バス停まで迎えに行ってくる。悪いけど、俺の代わりに誰か代役やって続けて」
 そう言って、惺が部屋を出て行った。
「あー……それじゃあ、同じ役だから光太、また出て」
 と、凜。
 しかし立ち上がろうとした光太を、わたしが遮った。
「すまない光太。――椿姫、やってみないか?」
「……え?」
 凜の隣に座っていた椿姫がきょとんとする。
「いままでほとんどアドバイス役に徹してもらっていたが、そろそろいいだろう。本格的に演者をやってみては?」
「…………うん」
 本格的に演技の稽古を始めてから一週間。椿姫には、演出補佐というかたちで、経験者としてのアドバイスをしてもらっていた。演技に関すること、または演出に関すること。稽古の進め方など。正直椿姫がいなければ、なにをどうしていいのか最初からわからなかっただろう。
 なにも持たず、椿姫がわたしの横に立つ。
「台詞は覚えているのか?」
「うん」
 頼もしい。
 いま、板の上(演劇ではこう表現するらしい)には、わたし、椿姫、美緒、奈々、愛衣、英里子が立っている。
「じゃあ行くよ――はじめ!」
 同時に凜は手を叩く。ぱんっ、と軽やかな音が響いた。
 それを合図に、空気が締まる。ほどよい緊張感に包まれながら、最初の台詞を美緒が言った。彼女の役は脳天気でお気楽な女の子。最初は抵抗があったようだが、いまはもうだいぶ役になりきっている。その証拠に、今日はじめて美緒の演技を見る愛衣たちが演技そっちのけで、目を丸くして驚いている。
 奈々の役は冷静で頭の切れるキャリアウーマン。がんばって切れ者を演じようとしている姿は可愛らしい。少しばかり舌足らずなところに、光太が悶えながら悦んでいた。
 それから愛衣や英里子が会話に混ざり、やがてわたしと椿姫が混ざる。
 派手なアクションなどはない会話劇。ミュージカルとはほど遠い。それでも椿姫がこの題材を選んだのは、台詞が秀逸ではじめて演技を勉強するならいちばん、と判断したためだ。
 わたしの台詞があり、次に、それを受けた椿姫の台詞。
 しかし――
 椿姫のよく通る声が稽古場に響くことは、いつまで経っても訪れなかった。さすがに不自然な間だと誰もが気づいた頃、椿姫の膝が折れた。
「ちょっ! いったんストップ!」
 凜の慌てた声。
「小日向さん!」
 悠が真っ先に駆け寄る。
 椿姫は自分を抱きしめるようにして、激しく肩を震わせていた。
「ご――ごめんなさ――ごめんなさい――っ」
 嗚咽を交えながら椿姫がつぶやいている。
「えっと、みんないったん休憩! 悠、小日向さんをよろしく」
「う、うん」
「セイラ、ちょっと」
 凜と一緒に、稽古場の外に出た。
「小日向さんのあれって……」
「ああ。例のあれ、だろうな」
 一度は復活した演劇部を、再度休部せざるを得ないまでに追い込んだショック。演劇部でいじめられたことに起因するフラッシュバック。
「……まだ治ってなかったんだね」
「あれから時間も経過していたし、本人もなにも言わなかったから大丈夫だと踏んでいたが」
 つらい精神的ショックが、そう簡単に払拭できるわけがなかった。
「これは見抜けなかったわたしの落ち度だな」
「いや、別にセイラのせいってわけじゃ――」
 そこに、階段を降りてくる足音。
 惺だった。
「どうした? まだ稽古中じゃ」
 凜が状況を説明すると、紅茶色のレンズの向こうで惺の瞳が細められた。
「そうか……実は、こっちも問題が」
「問題? そういえば、紗夜華はどうしたんだ?」 
「柊さんはいまリビングにいてもらっている……ちょうどいいかな。ふたりも来てくれ」
 わたしと凜は顔を見合わせる。
 稽古場のほうは悠に任せて、わたしたちは一階へ上がった。
「プロットができなかった?」
 説明を聞いた凜の第一声。
 真城邸の広すぎるリビング。二十人は囲めそうな大きなテーブルを挟んだ向かいに、紗夜華が座っている。いままで見たこともないほど意気消沈しているようで、表情も曇っていた。
「いや、正確にはできなかったわけじゃない」
 と言って、惺はコピー用紙の束をいくつかテーブルの上に広げた。
 ちらっと中身を読むと、台本のプロットだとわかる。
「できなかったっていうのは要するに、クオリティの話だ」
「想像するクオリティに達しなかった、ということか?」
 紗夜華を見ると、力なくうなずいた。
「……ごめんなさい……」
 先ほどの椿姫の姿を連想させた。
 凜は食い入るようにプロットを吟味している。
「どうだ?」 
 わたしの問いかけに、凜は困ったような表情をした。
「まあその……決して悪くはないんだけど」
 言葉を濁している。
「その言い方だと、よくもない、とも受け取れる」
「ああ……まあ、書いた本人の目の前で言うのもあれだけど、そのとおりです」
 わたしもプロットを読む。
 全部で四本。内容はそれぞれだいぶ違うが、どれも結末までのあらすじがわりと細かく書かれていた。最初のほうに話し合って決まったコンセプトなどは、どのプロットもひと通り網羅されている。
 しかし、ピンとくるものがない。
 たとえて言うなら、ひとつひとつの素材は良質なのに、調理方法をどこかで間違えた料理。決して不味くはないのだが、美味しくもない。まとまりのない――そんな品が思い浮かんだ。 
「なるほどな。凜の言いたいことはわかった」
 紗夜華を見る。
「台本に限らず、今回のような作り方ははじめてだったか」
 あらかじめコンセプトを決め、重要なテーマも話し合って決めていた。つまり、建築でたとえるなら土台と骨組みを造るまではみんなでやり、あとの作業をすべて紗夜華に任せていた、ということになる。
 そして、それが失敗した。
「ごめんなさい……テーマやコンセプトが……その、どうしても自分の中で咀嚼しきれなくて」
 いまにも泣き出しそうな紗夜華を、これまだ見たことはない。
「わたしもいけなかったな。紗夜華なら大丈夫だと、勝手に思い込んでいた。よく考えてみれば、紗夜華に丸投げしたのも同然だ」
「待って。セイラに責任は……わたしの力不足が問題で」
「仮にそれが事実だとしても、見抜けなかったわたしにもやはり責任がある。今回の件、言い出したのはわたしだから」
「でも――」
「待って。ふたりとも」
 止めに入ったのは惺だ。
「ここで責任問題を話し合ってもしょうがない。解決方法を一緒に探ったほうが建設的だ――なあ凜、どうしたらいいと思う?」
 しかし凜は黙っていた。難しい顔をしながら。そういえば、さっきからずっとそうしている。
「凜?」
「……あ、ごめん。なんだっけ……解決方法……? うん、そうだね。そうなんだけど」
 凜が立ち上がった。
「セイラと惺に話がある。柊さんは悪いけど、ちょっと待ってもらっていい?」
 か細く「……ええ」と答えた紗夜華を残し、わたしたち三人は廊下に出た。
 廊下といっても、ここもかなり広いし天井が高い。ゴールがあればバスケットボールの練習もできそうなほど。
 リビングからそれなりに離れたところで立ち止まり、凜が口を開いた。表情はずっと硬いままだ。
「ごめん。たぶん俺、柊さんの力にはなれない」
「どういうことだ?」
「柊さんだけじゃない。いま、下で泣いているであろう小日向さんにも、俺はなにもできないと思う」
 わたしと惺は顔を見合わせた。
「そう思った理由を聞かせてもらえるか?」
 惺が訊いた。
「かなり極端なこと言うけど怒らないでね。――小日向さんも柊さんも、嫌だったりつらかったり、できないようなら……あそこまで本気で泣くくらいなら、やめればいいと思う」
「なに――?」
 思わずいきり立ったわたしを、惺の長い腕が止めた。
「待つんだセイラ。最後まで聞こう。凜――」
「ありがとう……えっとさ……いまはできないかもしれない。けど来週になったらできるようになるかもしれない。いや、もしかしたら、来月になっても、来年になっても……学園を卒業するまで、ずっと足踏み状態が続くかもしれない。続かないかもしれない。結局、どうなるかはそのときになるまで誰もわからない」
 わたしと惺は無言を返した。
「学園を卒業してから、なんかの拍子でできるようになるかもしれない。『あれ、こんなに簡単なことだったの?』って。どちらかといえば、そういうふうになる可能性のほうが高いと思うんだよね」
「……つまり、いまは無理をせず逃げてもいいと? 立ち向かわなくてもいいと?」
「そう。『いま』、無理に立ち向かう必要ある? もっと大人になってからでも遅くないんじゃないかな……だってさ、学園を卒業してからの時間のほうが、圧倒的に長いんだよ。生き急ぐ必要ってあるかな」
「椿姫も紗夜華もやりたいことがある。いま立ちふさがっている壁は、そのやりたいことをやるために必要な、乗り越えるべきものじゃないのか?」
「それを壁だと認識するのも、乗り越えようと決意するのも、本人たちの意志だよ。まわりがどうこう言っていいものじゃない……と、俺は思うんだけど。だってさ、『一緒にがんばろう』なんて言ったら、どう考えても……まだ十代だしさ、同調しちゃうでしょ。本心ではやりたくなくても、『まあ、まわりがそう言ってるんだし、やってみてもいいか』って」
「それが人間じゃないのか?」
「そうかもしれない。でも、それで失敗して、傷つくのは本人だけだよ。まわりの人間は、『あー、残念だったね』なんて言うだろうけど、それって、心のいちばん深い部分では傷ついてないから出てくる言葉だ」
 凜の瞳は暗い輝きが満ちている。たまに見せる凜の暗黒は深く、底が知れない。
「――だから俺は、あのふたりの悩みを一緒に分かち合うことはできない、と思った。ああもちろん、彼女たちが俺個人に直接相談してくるなら、話は別だよ。そのときはさすがに無碍にはしない。でも、俺にできることは限られると思う」
「凜、ちょっといいか」
 黙っていた惺が、おもむろに口を開いた。
「そういう想いがあるのなら、どうして家に帰れなくなっていた綾瀬さんを家に招いたんだ?」
「……それは」
「豊崎についてもそうだ。バイトや家のことでがんじがらめになっていて、ついに疲れ果てて倒れた彼女を叱っただろう」
「……そうだね」
「ふたりに対するアドバイスや行動は、決して間違ってなかった。なのにいまの凜の考え方がずっと根底にあったのなら、どちらも放っておくはずだ」
 それは大変だね。でも俺には関係ないかな――そんな言葉が凜の声で脳裏をかすめた。
「もう一度訊くぞ、凜。――なんで救いの手を差し伸べたんだ?」
 凜はすう、っと大きく深呼吸しながら数秒の沈黙の中に潜んだ。
「……それは俺自身も、おかしいと思ってるよ……なんだろうね。俺の中にいる、お人好し……おせっかいな部分が、出てきたのかな……? たまにあるんだ、そういうの。突発的な病気みたいな……?」
 自信のない言いまわしだった。
 そんな曖昧な気持ちで、いったいなにを――思わず振り上げた手を止めたのは、やはり惺だった。
 凜はぴくりとも動かず、すべてを受け入れるような絶望的な表情で佇んでいた。
「……止めなくてよかったのに、惺」
「――凜」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
「そう? ……俺は稽古場に戻るよ。ふたりがいないフォローはしておくから、大丈夫。いま言った話は、ここだけにするから」
 そう微笑んで、凜は去って行った。
 凜の姿が消えて数十秒後――
「なぜ止めた? あれは引っぱたかなくてはいけない場面だ」
「セイラ……前から薄々感じてたけど、ずいぶん熱血になったな」
「なんだと?」
「感情が一気に沸騰したのがわかった。あれは俺でなくてもそう感じるぞ」
 そう言われて、とたんに冷静になる。
「セイラの気持ちはよくわかるんだ。……けどな、凜の気持ちがわからないままひっぱたくのは、少し不公平だ」
「惺なら、人の気持ちなど手を取るようにわかるんじゃないか?」
「……たまにいるんだよ。心の壁が分厚い人間が。理由はよくわからない。そういう相手は、うまく感情の波が読み切れないんだ」
「悠も?」
「そうだな。悠も……まあ、あいつは閉ざしてるっていう表現が正しいか。……凜はちょっとニュアンスが違う。俺が出会った中でもダントツで心が読めない」
「本心を隠すのがうまい?」
「……それも少し違う。凜が学園や家などで、みんなに見せている顔。朗らかで気さくで、話しやすい凜。それも凜の本性だと、俺は思う」
 以前、この家の玄関で凜と話した内容を思い出す。
「たしかに、嘘ではないとは思うが」
「万華鏡に決まった形がないのと一緒だよ。どれも凜の一面に過ぎない。ただ、あいつの場合は振り子の幅が大きいだけさ」
「なるほどな。いままで明るい部分だけを見てきたから、影の強い部分を急に見せられて戸惑ったことはわたしも認めよう」
 それなら、どうして――
「どうして凜はああなった? 過去になにがあった?」
 凜の暗闇は、いわゆるふつうの日常生活で育まれたものではない。あそこまで心の深淵を抱えるのは、ふつうじゃない。
「凜を変えたいと思うのは、わたしの傲慢か?」
 惺の返事はない。ただ、彼の双眸はいまだかつてないほど真剣みを帯びている。
 わたしも黙った。
「……柊さんを待たせすぎたな。戻ろう」
 リビングに戻ると、紗夜華が頭を抱えて泣いていた。テーブルの上でくしゃくしゃになったプロットが、紗夜華の心情を表している。
「悔しい……自分の未熟さが……悔しい……っ」
 わたしがかける言葉を見つける前に、惺が動いた。紗夜華の隣に座る。
「柊さん。一度全部忘れてみよう」
「…………え?」
「話し合って決めたことは、いったん全部忘れるんだ」
「そんなの……」
「いや、それでいい」
 すべてを払拭するような笑みを浮かべる惺。
 優しく紗夜華の手を握った。
「――そして、柊さん自身が心躍る物語を創ろう」
 はっ、と息を飲んだのは、紗夜華だっただろうか、それともわたしだっただろうか。
「それからもう、柊さんをひとりにはさせない。俺たちみんなで創り上げるんだ」
 惺の声は、心に染み入るように響いてくる。
 ……なぜこんな根本的なことを忘れていたんだ。
 他人が作った枠組みの上で、完全に自由な創作などできるはずもない。翼を広げられるのも、鳥かごの中では限界がある。
 わたしは紗夜華に、その限界を突破してほしかったんだ。
 いちばん未熟だったのは、わたしだ。
 そう思うと、自然と笑いがこみ上げてきた。
「……セイラ?」
 不思議そうな紗夜華に問われる。
「紗夜華、申しわけなかった。惺の言うとおりだ。紗夜華ひとりに任せるのではない。みんなで創り上げるんだ。……嫌か?」
「…………いえ」
 かすかに微笑む紗夜華。
 惺がさりげなくハンカチを渡した。「あ、ありがとう」と小さく言って、紗夜華はそれを受け取った。
「セイラ、悪いけど下のみんなを呼んできてくれないか」
「どうするんだ?」
「いいこと考えた」
 惺にしてはめずらしくいたずらっぽい表情を浮かべる。
 期待しないほうがおかしい。


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