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いま、その翼を広げて


Brave05-4

 真城邸のリビングルームは広い。フットサルも充分にできるレベルだ。だから十人以上が集まっても、まるで狭さを感じさせない。
 わたしはキッチンに立ち、ジャガイモを洗っている。
 隣でタマネギを切っているのは真奈海だった。いつも大家族の料理を作っていて、包丁使いは手慣れていた。それにしても、と言いながら、真奈海はキッチンを見わたした。
「ほんっとにキッチン広いなぁ……ここだけでうちのリビングの倍以上あるんですけど。どうなってるの?」
 やっぱり、本気で家の交換を提案しようかしら、などとつぶやいている真奈海。
 キッチンの設備はほぼプロ仕様な完璧なものだった。トラットリアHOSHIMINEのキッチンと比べても遜色ないほどだと、かつて凜が言っていた。 
 今日の夕食は、この家でごちそうになることが最初から決まっていた。今日はメンバー全員が集まる最初の機会。それを記念した食事会だ。
 料理長は惺。わたしと真奈海はその手伝いだ。
 ブルーのクールなエプロンを身につけた惺は、キッチン真ん中のテーブルで魚をさばいていた。おどろくほど見事な手さばきに、真奈海がひゅう、と唇を鳴らした。
「……真城っち。わりとマジでうちにお婿に来ない?」
 家の交換では物足りなくなったらしい。
「誰と結婚すればいい? 豊崎か?」
 笑みを浮かべつつちらりと見やりながら、爽やかに答える惺。この男はいちいちかっこいい。
 真奈海が本気で照れていた。
「話を振ったのに照れるなよ」
 ははっ、と澄ましたように笑う。
「待て惺。わたしの許可を得ずにお婿にいくのは許さない。というより、まずわたしを嫁にもらってくれ」
 惺は返事をする代わりに口笛を吹いた。きれいなメロディーだった。
「ねえ、真城っち。さりげにプロポーズされてるよ。いいの、返事しないで?」
「気にしないでいい。いつもの妄想だ」
 後ろ足で蹴り上げようとしたが、惺は軽やかにかわした。
 そんなことをしながら、調理を進めていった。
「……楽しいなぁ」
「真奈海?」
「あ、ごめん。口に出ちゃった」
 にへへ、とはにかむ真奈海。
「楽しいというのは、この状況か?」
「うん。大勢でさ、特に意味のない会話で盛り上がったり、はしゃいだりするのって楽しいよね!」
 カウンター越しに、リビングのほうへ目を向ける。
 ピアノのなめらかな音色が流れてきた。
 リビングの一角にグランドピアノが置いてあり、「The World End」のキーボード担当、木崎英里子の指が鍵盤の上で踊っていた。学園以外でグランドピアノに触れる機会がないらしく、かなり興奮しているようだ。そしてかつてバンドの演奏を聴いたときよりも、明らかに演奏技術が向上している。英里子の隣には悠が立っていて、演奏面でのアドバイスをしていた。
 リビングのほぼ中央、豪華な革張りのソファでは、紗夜華と美緒、奈々が雑談に花を咲かせている。
 キッチン前の大テーブルには凜、椿姫、光太がいて、なにやら話している。光太が緊張しながら椿姫に話しかけていて、その様子を凜がにやにやしながら眺めていた。会話の内容はわからないが椿姫は笑っている。暗い話ではなさそうだ。
 リビングの隅には巨大なオーディオシステムが組んであり(アンプからスピーカーから、どれもこれも古い機種だが、あとで調べたら総額一千万円を超えていた!)、それを見ながら、オーディオマニアの父を持つ愛衣と、音響機器に目のないという雫がきゃあきゃあ騒いでいる。
 どこを切り取っても、素敵な時間が流れていた。
 ……ああ、たしかに。
 真奈海の言うとおり、楽しい。いや、それ以上の、言葉で表現できない極上の震えを感じていた。
 数年前のわたしが、この状況を想像できただろうか。
「――――」
 世界でも指折りの暗殺者として捕まり、投獄され、一生そこから出られないものだと思っていた。
 それなのにここで、日常を謳歌することを許されているのは――
 いつだったか、ランニングをしていた惺と偶然出会ったときも、同じようなことを考えた。
 今回は、それ以上の気持ちの高鳴りが――
「んん? ……えっ!? ちょっ、セイラ!?」
「……なんだ?」
「ど、どどどどうして泣いてるの!?」
「なに?」
 頬をなでると、たしかに濡れていた。野菜を洗っていて、手が濡れていたわけではない。
「……なんでもない。タマネギが目にしみただけだ」
「タマネギを切ってたのはあたし! それもだいぶ前に終わってるし! ……ちょっとこっち来て!」
 真奈海に引っ張られ、リビングからは見られない物陰に。惺はなにも聞かなかったし見なかったというふうに装っていた。
 真奈海のハンカチで涙を拭かれた。
「もうっ……セイラが泣くって、いったいどうしたの? びっくりだよ」
「思い出し笑いならぬ、思い出し泣き?」
「そんな言葉聞いたことないよ……まあ、詳しくは訊かないけどさ」
「真奈海は優しいな」
 真奈海を抱き寄せた。
「えっ――ちょっ!」
「すまない真奈海。もう少しこのままで」
「うわ……その台詞、現実ではじめて聞いた」
 人のぬくもりは、なにごとにも代えがたい。
 それを知ることができたわたしは、人間になれたのだろうか――?
 しばらく真奈海のぬくもりを全身で感じていた。
「……いちゃついているところ悪いんだけど、ちょっといいか」
 後ろから声をかけられた。
「惺。おまえも混ざるか? 真奈海の体は、思いのほかやわらかいぞ」
 真奈海が「い、いやん、セイラのえっち」と体をくねらせる。
「いや。遠慮しておく。……悪いな、豊崎。セイラの突発性寂しがり症候群に付き合ってもらって」
「あ、そういう病気なんだ。んで、真城っちの用事はなーに?」
「ちょっと外す。豊崎は申しわけないけど下準備を頼む。メモを書いたから、そのとおりやってもらえれば大丈夫」
「わかったー」
「惺、どこに行くんだ?」
「悠に話がある」
 わたしと真奈海は顔を見合わせた。
 じゃあ、よろしく、と言いながらエプロンを外して、惺はキッチンから出て行った。
「……まさか、修羅場にはならないよね?」
「惺のことだ。大丈夫だろう」
「そっか。んじゃあ、あたしたちは下準備を――」
 テーブルの上に置いてあったメモを読む真奈海。やがて小さく笑った。
「真城っちから指令。『セイラは豊崎の言うことをよく聞いて、余計なことはしないように』だって」
「……わたしは子どもか?」
 抗議しようと惺を探す。惺はいま、悠と連れだって廊下に出るところだった。悠の表情は不満と、わずかな期待で満たされている。

 テーブルの上に並べられた料理の数々に、誰かがごくりとのどを鳴らした。
 どれからもいいにおいが立ち上っている。見事な色彩感覚で盛り付けられ、視覚的にも楽しめるものだ。   
 たとえば西洋風にアレンジされた肉じゃがなど、工夫と手間を凝らした一品料理。サラダに和えられている赤いソースは、ニンジンを使ったオリジナルのものらしい。
 ワイングラスに満たされたジュースで乾杯をしてから、みんなが料理を口にする。
 そしてこの場にいる九割の人間が、あまりの衝撃的な味わいに目を見開いた。もちろんわたしもそのひとりだ。
 最初に口にしたのは例の西洋風肉じゃがだった。たとえるなら味の多重奏。さまざまな味わいが舌の上で広がる。素材や調味料の味がけんかしないよう、完璧に計算されているのにも瞠目する。
 みんながそれぞれ顔を見合わせて、興奮しながら感想を言い合っていた。
 トラットリアHOSHIMINEの料理の完成度にも驚かせられたが、ある意味、惺の料理はそれ以上かもしれない。
「真城っちに質問! いつもひとりで自炊してんだよね?」
「ああ」
「いつもこんな美味しい料理を食べてるの? ひとりで!?」
 豊崎の質問に、惺は苦笑いしながら答えた。
「いや、さすがにいつもはもうちょっと手を抜くよ。今日はみんながいるから、張り切った」  
「結婚してください!」
 とうとうプロポーズ。
 奈々や美緒の表情が驚きに満ちる。さすがに冗談だとわかっているんだろうが、それでも無視できなかったみたいだ。
 悠は我関せず、淡々と料理を食べている――ように見えたが、フォークを持つ手が震えていた。 
「奈々」
 わたしの隣にいた凜が、さらに隣にいた奈々に小声で話しかけた。
「おまえ、ここまで美味しい料理、ひとりでできるか?」
「む、無理だよぅ」
「馬鹿者! それでも料理店の娘か! だいたいな、好きな男より女子力低くてどうすんじゃい!」
「ちょっ!? 聞こえる、聞こえるから!?」
「奈々はうちの店のホールスタッフじゃなくて、キッチンを手伝ったほうがいいな。花嫁修業のために」
「は……花嫁……」
 自分の花嫁姿を想像しているのか、ぼーっとする奈々。隣にいるであろう男は誰だろうか。
 それを見て凜は笑っている。先ほどわたしと惺の前で見せた心の深淵は、微塵も感じさせない。見慣れたいつもの凜だった。
「ん? セイラ、なにか用?」
「……いや。なんでもない」
「そう?」
 わたしに対する態度も、なにも変わらない。わたしは凜に手を上げようとした。ふつうはもっと気にするはずだが。
「ああ、もしかして、昼間の話気にしてる?」
「む……気にしていたのは、わたしか」
「あれは誰が見ても俺が悪いんだから、セイラが気にすることじゃないよ」
 どんなに気にしても俺は変わらないよ、という言外の意志を感じた。「なんの話?」と奈々が問い、凜は軽快に笑いながら「なんでもないよ」と答える。
 たしかに気にしすぎはよくない。わたしにはわたしの考え方があって、凜には凜の考え方がある。そこは認めるしかないのだから。
 それから思い思いの会話に花を咲かせながら、食事は進んでいった。
 やがて、みんなが食べ終わろうとする頃。
 席を立った惺が悠に話しかける。悠も立ち上がり、グランドピアノに向かっていく。惺は一度リビングから出て、数分で戻ってきた。
 惺の手にはヴァイオリンが握られている。 
 一堂が注目する中、ピアノに悠がスタンバイ。その横に惺が立ち、ヴァイオリンと弓を構える。
「今日、ここに集まってくれたみんなに対するささやかなお礼だ。少しの時間、耳を傾けてもらえると嬉しい」 
 悠の手が鍵盤にかかる。
 ――ピアノとヴァイオリンが織りなす――おそらく、人類史上でも類を見ないレベルの「奇跡」が始まった。
 


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