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いま、その翼を広げて


Disappear-11

「凜に頼みがある」
 なにもすることがなく、する気力もないままベッドに横たわっていた凜は、顔だけ斑鳩に向けた。
 別の顔が貼りつけられた実兄の顔には、底が見えない笑みが浮かんでいる。
「……悠に関してなら、断る」
「え、それは困るんだけど」
「自分でなんとかしろよ。あんた、悪知恵だけは働くんだから」
「これは凜じゃないとできない。ほかに適任者はいないんだ。……んー、どうしても無理と言うなら霞さんにでも頼むけど、保証はできないよ?」
「……保証?」
「悠ちゃんの心の保証」
 いつの間にか悠ちゃん呼ばわりしている斑鳩の態度を忌々しく思いつつも、凜は上体を起こした。
「なに……それ?」
「霞さんは容赦がないからね。たとえ同性であっても遠慮はしない。その点、凜なら問題ないでしょ。顔見知りだし、なにより――」
「余計なことはいい!」
 斑鳩は笑った。
「悠ちゃんに頼んでほしいんだ。世界のために犠牲になってくれ、と」
「――――――。――――は、はぁ?」
 なにを言っているんだこの男はと、凜はあらためて斑鳩を見た。血を分けた兄貴とはいえ、相変わらず得体の知れない不気味さがそこにある。
「いま、異種化が本土で爆発的に広がっている。もう感染者が三〇〇〇人を超えたそうだよ」
「なっ――!?」
「異種化は感染力が異常に強い。インフルエンザが児戯に思えるほどにね。そして感染者数イコール死者数。異種化した人間がどうなるかは、前に凜にも話したとおりだ」
「――っ。そ、それがどうして、悠の犠牲なんて話に?」
「悠ちゃんは異種化が発生しなかった。それも話したね」
「…………」
「悠ちゃんの遺伝子情報を調べてみた。するとびっくり。彼女には異種化に対する完璧な抗体があったんだ。おそらくは先天的にね」
「だ、だから! それがどうして犠牲なんて話になるんだ!」
「簡単だよ。彼女の肉体を媒介に、ワクチンを作るためだ」
「――な――んて?」
「たしかに僕は彼女の遺伝子情報『のみ』から、ワクチンを製造できるだけの知識も技術も持ち合わせている」
「…………」
「けど、それを実行するには時間が圧倒的に足りない。時間ばかりはさすがにどうすることできない。極端な話、ワクチンを作り上げた段階で、すでに世界は滅んでいるかもしれないね」
「――――っ!?」
「だからこそ、彼女の体そのものが必要なんだよ。詳しい説明は省くけど、肉体そのものがあれば、時間はずっと短縮できる……そうそう。時間短縮にはもうひとつ理由があってね――」
 斑鳩は一本の指を立てた。
「聞いてないかい? 彼女が神経を患っていることを」
「そ……それは……ピアノが徐々に弾けなくなるって……」
 いつかの夜。ベランダで聞いた悠の秘密。
「ピアノ? ああ、それはたしかに症状のひとつとして現れるだろうね」
「症状の……ひとつ?」
「医療の知識がなくてもこれくらいは知っているだろう? 神経っていうのは、全身にくまなく張りめぐらされているんだ」
 なんでもないことのように、斑鳩は続きを語った。

 あまりの無慈悲な現実に、凜は耳をふさいだ。

 すべて語り終えたあと、「ま、考えておいてね」と軽い言葉を残し、斑鳩は立ち去っていった。
 ひとり残された凜には、唖然とするほかなかった。
 次々と記憶がよみがえってくる。夜のベランダで悠と会話したこと。一年近く前の話なのに、昨日のことのように鮮烈に思い出す。
 あのとき悠は、空を見上げていた。

『人生が八十年だとすると、一年三六五日かける八十で二万九二〇〇日。それが寿命を全うした人の一生』

『もちろん、生まれたその日から空を見上げて感傷に浸るなんてできないし、そもそも毎日空を見上げるとも限らない。だから実際の数字は、もっと少なくなるよね』

『――そして、誰もが寿命を全うするわけでもない』

『だからね、そんな不確かな人生という檻の中で、わたしはあと何回、空を見上げることができるんだろうって』

「う――ぁ――っ!?」
 あのときにはもう、悠は自分の「未来」を知っていたのだろうか。
 それでも彼女は笑顔を絶やしたことはない。生きることすべてが奇跡だとでも言うように、あらゆる日常を、心の底から全力で愛してやまなかった。
 悠は「人間」を愛していた。
 誰に対しても愛を忘れず、どこまでも献身的だった。
 自分とは大違いだ。
 あまりに凄絶な幼少期を過ごしたせいで、凛は「人間」を憎んでいた。どうして自分は人間として生まれたのか、神にすら憎悪を抱いていた。
 でも星峰の家は優しかった。それまでいた煌武の家とは、天国と地獄以上の差があった。 星峰の家に来て、「星峰凜」という仮面をかぶり、なんとか「人間もどき」を演じられるくらいには回復した。そんな善良な「家族」を失いたくない、と思えるほどには愛せるようになった。
 愛――?
 自分が愛を語るのか?
 自分はしょせん、「善良な表情が描かれた仮面をつけている詐欺師」にほかならない。
 愛は呪いだ
 そしていま――これから先も。
 自分はどこにいて、どこに向かおうとしている?
 なぜこんなところで、自分はのうのうと生きている?
 さらなる自己矛盾を抱えて、このまま人間もどきとして――詐欺師として生をまっとうするつもりなのか?
 こんな自分に、未来があっていいのか。
「――ひどい顔をしているな、凜」
 開いたドアの前に佇んでいたのは霞だった。あふれてくる歓喜を、隠すつもりのない表情で。
「しかしいい顔だ。わたしはおまえのそういうところが好きでたまらないんだ」
 霞が歩み寄ってくる。
「か、霞――さん――お、俺は――」
「少しでも人の役に立ちたいと考えるのが、あの娘の人間性ではないのか? たとえ自分が犠牲になるとしても、な」
「あ、あんたに悠のなにがわかるっ!?」
「ああ、たしかにわたしにはあの娘の価値観などわかりはしない。根本的に違う人種なんだよ」
 霞は凜に顔を近づけた。
「だが凜、おまえもそうだろ? おまえはこっち側の人間だ」
「う――うあぁ――っ!?」
「理解する必要はない。ただ事実を並べれて説明すればいいだけだ。それでおまえの役目は終わる」
「でも――でもぉっ!?」
「家族が死んでもいいのか?」
「――っ!?」
「星峰の両親も妹も姉も――おまえが友達だと認識しているすべての人間も、怪物に成り果てる。その先に待つのは、あまりにもむごい死。川嶋光太の死に様が、きっと幸福だったと思えるほどのな」
 にやりとする霞。あまりに凄絶で美しい笑顔。
「や――やめろ――やめて――っ」
「もう一度訊くぞ。星峰凜――いや、煌武凜。おまえはどうしたい?」

「家族」を失いたくない。
 悠は家族じゃないのか?
 一緒に暮らしているだけで、血のつながりはない。
 しかし、星峰の人間はみんなそうだ。奈々も小夜子も智美も遼太郎も、しょせんは戸籍――紙の上でしか効力を発揮しない関係。
 じゃあ、友達は?
 真奈海は友達の中では唯一、自分の過去を知っている。知らないところもきっと推測しているだろう。
 それでも、受け入れてくれた。
 昔と同じ屈託のない笑顔を、自分に向けてくれた。
 紗夜華や椿姫や美緒――そして光太。そのほか、いままで会ってきた無数の友達の顔が、浮かんでは消える。

 惺は?
 きっと想像を絶する経験をしてきたんだろうと思う。
 だからこそ、人に優しくできる。
 悠と似ているのは、血を分けた兄妹だからか。

 セイラは?
 彼女もきっと、壮絶な過去がある。
 それを乗り越えてきたからこそ、人間を愛している。
 言葉や台詞の端々から、それは受け取れる。

 仲がいい。
 仲が悪い。
 あいつは嫌いだ。
 でもあいつは好きだ。
 嫌いなやつは死んでも構わないのか。
 好きなやつだけ助かればいい?

「違うっっっ!」
 
 友達ってなんだ。
 家族ってなんだ。
 いま自分は、どの輪の中にいる?
 全部好きだ。
 いや、全部嫌いだ。
 みんな助けたい。
 みんな死んでもいい。

「違う――違うっっっっっっ!」 
  
 ああ、そうか。
 いちばん嫌いなもの。
 それは。

 最後に、悠の笑顔が思い浮かんだ。

 自分がもっとも嫌っている対象。
 吐き気を催すほどの憎悪と嫌悪。
 もちろん悠などではない。
 それは――

「自分」だ。

「うわああああぁぁぁっ! うわわああああああああああああああああああああああっっっっっっ!?」

 凜の心は「消失」した。


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