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いま、その翼を広げて


Extrication-32

 空がわずかに白み始めている。長い夜が、あと少しで明けそうだった。
 自室に隣接されたテラスで、惺は空を眺めていた。
 ガラス戸が開き、セイラが顔を出す。
「凜は?」
 惺が訊いた。
「海堂霞に寄り添っているよ」
 セイラは室内に目を向けた。ベッドには海堂霞の遺体が横たわっており、傍らに凜がしゃがみ込んでいる。
「海堂霞は、最初からこうなることがわかっていたのか?」
 凜を見つめながら、セイラが言った。
「どうだろうな。けど少なくとも、あの人が凜を愛していたのはたしかだと思う」
「……歪んだ愛情だな」
 凜を自分たちにけしかけておいて、最後は凜を救うような言葉を放った霞の気持ちを、きっと一生理解できないだろうとセイラは思った。
 セイラが気配に気づいて振り返ると、凜が立っていた。
「もういいのか?」
 惺が声をかける。表情に世間話でもするような親しみやすさが込められていて、凜は激しく動揺した。
「お……俺……いや、わたしは……」
「ゆっくりでいい。海堂霞さんが言っていたように、いつか自分を信じられるようになれば――」
「な、なんでそんなに優しいんだよ!?」
「凜……?」
「わたしは女だ! ずっとみんなを騙していた!」
「最初から知ってたよ」
「――っ! ……わ、わたしが悠に言ったことは、霞さんが言ってたことは全部真実だ!わたしは悠に死んでくれと言った!」
「だからなんだ。それを許すか許さないか決めるのは、悠本人だ。俺は悠を救い出す!」
「無理だよ……どこにいるかもわからないのに!?」
「悠の居場所ならわかっている」
「惺、どういうことだ?」
 セイラが訊いた。
「そんな遠くにいるわけじゃない。あいつはまだ生きてる。だから――」
「無理だ!」
「凜……?」
「たとえ救い出せたとしても……悠は……悠は!」
 凜の言葉が、惺とセイラを凍らせた。


「悠の寿命は、あと三年もないんだよ!」


 惺とセイラが驚愕の表情を作ったまま、凜をまっすぐ見据えた。
「そんな悠に、わたしは死んでくれって言ったんだ!」
「待て。寿命とはなんの話だ!?」
 と、セイラ。
「兄さんが――斑鳩さんが言っていたんだ。悠の神経の異常――そのうち手足が動かなくなって、ピアノが弾けなくなって――いずれ、最後は――三年以内に、自発的に心臓も動かせなくなって死に至るだろう、って――」
「そんなことは初耳だぞ!? 惺!」
 大きく息を吐きながら、惺は天を仰いだ。
「そういう……ことか」
「おい、惺!」
「悠が俺に……周囲に、なにか大事なことを隠していたのは気づいていたんだ。くそっ、そういうことか!」
 惺はテラスの壁を大きく叩いた。その後、惺は凜の目の前まで歩み寄る。
 そして、平手でその頬を叩いた。
 凜の瞳から、大粒の涙がこぼれ出す。
「泣きたいのは悠だ。いままで家族のように接していた人間に死ねなんて言われたら、どんな気持ちになるのか考えたくもない!」
「――っ!?」
 目をつむって拒絶する凜を、惺は抱きしめた。
「あ――」
「でも……それでも、悠は凜を恨んだり、嫌ったりしないだろう。俺もそうだ。俺は凜をこれ以上責めたりはしない」
「あ――ぁ――っ」
 凜の顔を見つめる惺。
「つらかったな、凜」
 あまりにも深く、あまりにも優しい翠碧色の瞳が、凜の目の前にあった。
 いまだかつてないほどの感情が、凜の内部で爆発する。
 いままでずっと手に入れたくて、手を伸ばして触れようとしていたもの。
 でも手に入らなかったもの。
 ――希望。
 人のぬくもり。
 光に変換された奔流が、凜の冷えた体だけではなく、心までも包んだ。
「絶望に打ち震えている表情なんか、悠には似合わない。悠の微笑んでいる姿を、また見たくはないか?」
 凜の瞳から、感情の発露が止まることなくこぼれ落ちる。
 悠の姿が思い浮かぶ。
 一度は絶望色に染めてしまった彼女の表情を、再び笑顔に戻したい。思えば凜が黒月夜のアジトで、危険を冒してまで惺に連絡をとったのは、少しでもそのような気持ちがあったからではないのか。
 悠を救うことが、本当に可能だろうか。
 自分にそんなことを願う権利があるのだろうか――凜の後悔に、底が尽きることはなかった。
「迷いなんてあるものか! 寿命? そんなもの、いまはどうだっていい。悠を救い出す。今度こそ、絶対に!」
 惺が言い放ったときだった。
 空がにわかに騒がしくなる。
〈星の枝〉が、激しく光り輝いた。
 あの大地震が発生する直前に見せた、〈星の枝〉の鼓動。東の空にわずかに顔を出してきた太陽にも、負けず劣らない幻想的な光が、地上をまばゆく照らし出した。
〈星の枝〉が収斂していくように見える先。
 はるか海の上にそびえる現代文明の象徴。
 地震以来沈黙を保っていた星核炉〈アクエリアス〉が、再び動き出そうとしていた。  


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