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いま、その翼を広げて


Extrication-8

 自分のことより他人の幸せを――
 それだけを願って、悠は「いま」を生きてきた。
 そしていま、悠はここにいる。
 薄暗い照明。油で汚れた壁。いまにも壊れそうなベッド。埃と鉄のにおいが満ちる狭い空間。
 牢獄の中で、悠はひとりだった。
 ベッドに腰かけ、悠は泣いてた。
 ひとりは怖い。
 誰か――
 誰かと話したい。
 ドアが開いた。
 凜が入ってくる。両手には、粗末な料理が乗せられたトレイを持っていた。
「……また泣いてたの」
 凜に言われ、悠は涙を拭いた。でも、またこぼれてきた。
 凜は壁に寄せられていた小さなテーブルの上に、トレイを乗せる。
 一日二食。凜は決まった時間に食事を運んでくる。ぱさぱさのパンに、野菜のスープが基本メニュー。小食の悠でもさすがに少ないと感じるレベル。
 いつか凜が言っていた。「いまの日本はどこでも似たような感じ」らしい。異種化騒ぎのせいで外交は完全に断絶。外国から食料輸入がぱったりとなくなり、日本は全国規模で食糧不足に陥っている。
 さらに千葉と茨城の全域が警戒区域に指定され、数百万人の避難民が発生。それ以外にも、自主避難として関東圏から人が出て行っている、と。
「ね、ねえ……凜くん」
 悠が恐る恐る声をかけると、凜は無言で振り向いた。
 光の消えた瞳が向けられ、悠は息が詰まる。
「そ、外のこと……教えてほしいの」
「……俺も詳しくは聞いてない」
「で、でも」
 凜が出て行こうとする。
「ま、待って!」
 立ち上がり、いつの間にか凜の服をつかんでいた。
 振り返る凜の瞳が、間近にあった。
「――ぁ」
 闇をたたえた漆黒の瞳。悠を見ているようで、なにも見えてない。
「なに」
 言葉に温度は感じない。こんな凜、いままで見たことはなかった。凜と同じ顔と声をまとった、まったくの別人が目の前にいるような錯覚。
「あの……その」
 行かないでほしい。
 もう少し話をしていたい。
 たとえ別人のような凜でも。
 無意識のうちに悠は、凜の頬に手を伸ばしていた。
 冷たい感触が、悠の手のひらに伝わる。
「こ、この前……引っぱたいちゃって……」
 凜の過去を聞いたとき、悠は思わず手を上げてしまった。
「ご……ごめんね?」
「なんで……いまさら」
「だって、まだ謝ってなかったから」
「……っ」
 凜の表情がわずかに動く。
「凜くん、ちょっと痩せた? ちゃんと食べてる?」
 凜の体がびくんと反応する。
「うるさい……うるさいうるさい……」
「り、凜くん……?」
「うるさいんだよっ!」
 頬に添えられていた手を弾き、凜は急に感情を発露させた。
「どうしてだ? なんでこんな状況なのに、悠は人の心配ができるんだ? 世界のために死ねって言われたんだぞ。なんでそんなに優しいんだ。思えば前からそうだった。自分の心配より他人の心配。偽善なんかじゃない。本気で悠はそう思ってた。どこをどうしたら、そんな思考回路になれるんだ? 俺はっ――そんな悠が、昔から――」
「り、凜くん――?」

「大っ嫌いだった!」

 がくんと膝をつく悠。
 凜は力なく後ろに下がり、悠を見下ろした。
 ふたりの目が合った。
 凜はなにも言わず、そのまま走り去っていく。
 ひとり残された悠の瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「り……凜……くん……?」
 あまりに衝撃な言葉を真正面から受けて、凜の瞳にわずかな光が戻っていたことを、悠は気づくことができなかった。

 いったい何時間泣いていただろう。
 凜がそんなことを考えていたなんて、悠は考えてみたこともなかった。
 ――ああ、ほんとに終わりなんだ。
 全部、終局に向かっているんだ。
 思い切って、凜から渡されていたスマートフォンの電源を入れる。
 起動して、画面に表示された日付を見て、悠は背筋が凍った。あの大地震があった日から、すでに一ヶ月近くが経過していた。そのうち、悠の記憶にあるのはこの数日間だけだ。具体的な経過日数は、凜からも聞いてない。
 震える指先を動かしながら、メールアプリを立ち上げる。
 最後の言葉とか別れの挨拶を送るといい、と凜には言われた。
 チャンスは一回。
 相手はひとりだけ。
 やり直しはできない。
 だからスマートフォンを手渡されてから、ずっと考えていた。 
 誰になにを送ろう、と。
 星峰家の誰かに感謝の気持ちを?
 小夜子に、お世話になった礼を?
 友達に、別れの挨拶を?
 何度も頭の中で反芻してけど、どうもしっくりこない。
 自分がもっとも気持ちを伝えたい相手は、誰なんだろう。
「――――っ」
 もうわかっている。
 あいつしかいない。
「惺……惺ぁっ……!」
 会いたい。
 話したい。
 父さんがどうして死んだのか、もう教えてくれなくたっていい。
 最後に、抱きしめてほしい。できることなら、旅立つそのときまで、手を握っていてほしい。
 涙で視界がぼやける。
 指先は相変わらず震えている。
 頭はあらゆる感情で爆発しそうになっている。
 何度も入力を間違えながら、悠は惺への言葉を綴った。
 やがて、長い文章がディスプレイを埋め尽くした。

 ――でも。
 これが気持ち?
 こんなのが本心?
「――違う――――違うのっ」
 すべて消去。
 こんなことを伝えたいんじゃない。
 わたしは……――!


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