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いま、その翼を広げて


Finale

「なんでおまえは生きているんだ?」
「いやー、ひどい目にあったが致命傷はさけてたみたいでな。おまえもたいしたものだが、俺の悪運も捨てたもんじゃないぜ。はっはっは……あだだだっ!?」
 笑いが傷に障ったのだろう。雨龍・バルフォア・レイジは、顔を歪めて腹を押さえた。
 とある病院の個室。薄いブルーの入院着をまとったレイジが、ベッドの上に座っている。傍らに置かれた点滴が、レイジにつながれていた。
 性格を矯正させる薬でも混ぜてやろうかと、セイラは半ば本気で検討した。
「海堂霞は死んだよ」
「ああ、聞いているぜ」
「彼女とともに戦ったのか?」
 レイジは鼻で笑った。
「最初のうちだけだ。すぐにあの女、SFGの大軍を俺に押しつけて、さっさと逃亡しやがった。さすがの俺もな、気味の悪い仮面たちに囲まれて、『あ、死んだ』って思ったぜ」
「……そんな状況で、ほんとよく生き残ったな」
「もうだめだと思ったとき、SFGのやつらが急に粉微塵になって吹っ飛んでよ」
「粉微塵?」
「空から手榴弾が落ちてきた。ま、俺も結局吹っ飛ばされて頭ぶつけて、そのまま気を失ったんだが。……けど、その前にちらっと見えたんだ。夜空を飛ぶヴォルテックのような機影を。んで、その上に立っていた人間もな。顔まではわからなかったが」
「ヴォルテックの上に……人間」
 どこかで見たような光景を思い浮かべるセイラ。だがいま考えても仕方ないと思い、話題を変えた。
「しかし、おまえほどその格好が似合わない人間もいないな」
「あん? そっちだって同じようなもんだろ」   
 セイラも入院着をまとってパイプ椅子に座っていた。たしかに、自分ほどこの格好が似合わない女はいない、とも感じている。
 潜水艦で本土に帰還後、セイラたちはただちにICISに保護されていた。そして病院へ直行。四人とも命に別状はなかったが、極度の疲労が見られるために全員入院という運びになった。
「目的は達成できたようだな」
「ああ。おかげさまで」
「感謝してるのなら、体でお礼をしてくれてもいいんだぜ?」
「……使い物になるのか?」
 セイラは細めた目で、レイジの股間のあたりを凝視した。
「なんてこと言うんだ! むしろ強烈な生命の危機を感じて、子孫を残そうとビンビンだぜ!」
 そのとき、脱力した様子の詩桜里が病室に入ってきた。
「なんて会話してるのよ。外まで聞こえているんですけど!」
「ちょうどよかった。詩桜里、この男の主治医を呼んでくれ」
「どうするの?」
「ここはICISの息のかかった総合病院だろ」
「ええ」
「去勢手術を頼めば、やってくれそうではないか?」
「それは名案ね。いいわ。呼んでくる」
 退室しようとする詩桜里を、レイジが全力で止めた。
「ふざけんじゃねえ! 俺は盛りのついた猫か!?」
「猫に失礼だ。謝れ」
「同感」
「おまえら……ぐぁっ、また傷が!?」
「……ま、ここまで元気なら問題なさそうね」 
「そうだな。で、詩桜里はなんの用だ? お見舞いという雰囲気ではないみたいだが」
「いくつか報告があるの」
 詩桜里は真面目な雰囲気をまとった。仕事モードだ。
「ひとつ。本部からの情報なんだけど、Z・Eの本社から、星蹟島に向けて複数の機体が飛び立ったって通報があったの。あなたと惺くんが、黒月夜のアジトから凜くんを奪還して逃げたのとだいたい一致している」
「SFGの増援か……? しかしだとしたら、どうしてわたしたちはそれと接触してないんだ? Z・E本社からだと時間的に、〈アクエリアス〉から潜水艦で脱出したあたりでかち合うはずだが」
 もしかち合っていたとしたら、無事ではすまなかっただろう。
 そもそも、現時点で自分たちが無事なのもおかしな話だ。ゾディアーク・エネルギーが、星核炉に立ち入った部外者を放っておくはずがない。
「これはまだ未確定の情報なんだけど……墜とされたみたい」
「なんだと? SFGの機体が? いったいどうして」
 詩桜里は首を横に振った。
「わからないの。複数の機影がある時間を境に、上空で完全に消滅したらしいんだけど、詳しくは。その後の追撃も、なぜかないみたいで」
「……まあいい。それについては調べても無駄だろう。ほかには?」
「これを見て」
 タブレットをセイラに渡した。画面には、膨大な数値や記号の羅列。それをしばらく眺めていた彼女は、やがて声をあげた。
「これは遺伝子情報? しかしなんだこの無茶苦茶な配列は。地球上の生物じゃあり得ないぞ」
「それ、〈神の遺伝子〉らしいわよ」
「……それのあらゆる情報は、ゾディアーク・エネルギーに没収されたと聞いているが」
「それとはたぶん別のもの。ICISのデータベースが外部からのハッキングを受けて、直接そのデータが送りつけられてきたの。メールが添えてあって、宛名にあなたの名前があったわ」
「わたしの?」
「それと、もうひとつ別の遺伝子情報があって」
 詩桜里はセイラの手にあるタブレットを操作し、別のデータを表示させた。
「……これは」
「解析班の話では、悠さんの遺伝子情報」
 一瞬、セイラの動きが止まった。
「……〈神の遺伝子〉と悠の遺伝子情報。ふたつを手に入れられて、なおかつICISのデータベースにハッキングできる人物……ひとりしか心当たりがないのだが」
「ええ。聞いたわ。斑鳩聖――いえ、煌武聖陽だったかしら。凜くんの兄。彼で間違いないでしょうね」
「そいつの消息は? そういえば、黒月夜のアジトにはいなかったように思える」
「不明。全力で捜査に当たっているけど、完全に手がかりなし」
 あの男は結局、なにがしたかったのだろう――セイラは考える。動機や目的が完全にわからない。凜にも訊いてみたが、彼女も詳しくは聞かされてないらしい。
 そもそも黒月夜が悠を誘拐した理由も、海堂霞が死んだいま、知り得ないことになっている。
「それから、ある意味これが本題なんだけど」
「なんだ?」
「惺くんと悠さんの処遇」
 セイラは身を乗り出した。ふたりとも事情はどうであれ、政府に追われていたことにほかならない。特に惺は逃亡する際、結果的に数々の違法行為をしてしまっていた。
「日本政府は今後いっさい、惺くんと悠さんには手出しできない。ふたりが生涯を終えるそのときまで、その身の安全を保証する。ついでに、彼やあなたの数々の違法行為も不問に付されることになったわ」
 セイラは笑った。
「そうか、取り引きか」
 斑鳩から送られてきたデータは、政府がのどから手が出るほど欲しがっていたものだ。それは現在、ICISの手中にある。そして建前上では中立を保っているICISも、実質的にはセイラたちの味方だった。
 詩桜里は「はぁぁ」と、大きくため息をついた。
「苦労したんだからね。フォスター捜査官やわたしが裏の裏とかそのまた裏とかに手をまわして、やっと上を説得して……さらに政府まで納得させたのだから」
「いったい何人の政府関係者と寝たんだ?」
「どうしてそういうこと言うの!?」
「冗談だ。……感謝しているよ、詩桜里」
「ど……どういたしまして」
 真正面からセイラに感謝されることが慣れてないのか、詩桜里は照れた。
「もちろんレイジにも感謝している…………レイジ?」
 レイジは豪快に寝ていた。
「やれやれ。やけに静かだと思っていたらこのざまか」
「学生時代の態度が手に取るようにわかるわよね。要するにあれでしょ。興味のない授業は寝て過ごすタイプ」
「しかし、それでもテストは高得点を取れるタイプだな」
 忌々しい、と口にする詩桜里。
「……ふむ。寝ているあいだに去勢手術を」
「手配するわ。費用は経費で落とす」
 不穏な会話を感じとったのか、レイジは目を覚ました。
「あん? ……なんだ、難しい話は終わったか?」
 おもむろに椅子から立ち上がったセイラが、レイジを抱き寄せた。
「おおぉぅっ!?」
 口を半開きにして驚くレイジ。詩桜里も同じような様子だった。
「おまえには本当に感謝している。あのときレイジがSFGを引きつけてくれてなかったら、きっと追いつかれていただろう。……おまえが無事で本当によかった」
 レイジを離したセイラが、今度は詩桜里を抱き寄せた。
「あらためて言う。詩桜里、ありがとう。いろいろあったが、最後はわたしの味方をしてくれたな。おまえは上司としても同居人としても、最高だ」
 涙を浮かべる詩桜里。
「ああ、言葉というものはもどかしいな……気持ちの半分も伝えられない」
 恍惚の表情で詩桜里を見つめるセイラ。
 そしてセイラは、詩桜里の唇を奪った。
「んんっ!?」
 舌を入れられ、詩桜里は口の中を蹂躙される。
「んんっ~~~~!? あむぅっ、んぁ、んんっ、あんっ――――ぷはぁっ!?」
 数十秒後、やっと解放された彼女の顔は、髪と同種の色で染められていた。
「それじゃあ、わたしはこれで」
 セイラは颯爽と退室していった。生気に満ちた肌をつやつやさせながら。 
 呆然としながら立ち尽くしていた詩桜里の視線が、病室の住人と交わった。なぜかとてつもない羞恥心に見舞われ、詩桜里はすぐに視線を外す。
「すげーもん見させてもらった。……照れてる詩桜里ちゃんも可愛いなぁ」
「う、うるさい!」
「なあ、頼みがあるんだが」
 どうせろくでもないことだと思いながら、詩桜里は胡乱げな眼差しを向ける。
「セイラのおっぱいの感触が気持ちよくて、ついでにいまのキスシーンがあまりにも強烈に色っぽくて、つい勃っちまった。慰めてくれないか? 口でいいぜ」
 想像以上にろくでもない頼みだった。
「詩桜里ちゃん? …………………………パイプ椅子なんか持ち上げてどうしたの?」


「……ねえ、なんかいま悲鳴が聞こえなかった?」
「気のせいじゃないか」
 別の個室。凜がベッドにいて、傍らではパイプ椅子に座った惺が、手際よくリンゴの皮を剥いていた。お見舞いの品だというリンゴ。惺も入院していて、立場としては凜と同じだが、細かいことは気にしないらしい。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
 リンゴはきれいなウサギを形作っていた。
「わわっ!?」
 と、入院着がはだけていることに気づいた凜が、慌ててそれを直す。
「いまさらなにを恥ずかしがっているんだ?」
「だ、だって、いままでずっと男として接してたから……」
「言っただろう。俺は最初から知っていたって。男と女では、根本的に気配の質が違うんだよ」
「それ……〈ワールド・リアライズ〉ってやつ?」  
「そういうこと。ちなみに、セイラは転校してきてから一週間くらいして気づいたみたいだ。『このわたしを一週間も欺くとは、凜もなかなかにやりおる』とか言ってたっけな」
「うぅ……」
「みんなにも説明しないとな。もっとも、豊崎は当然最初から知っていたし、ほかのみんなも、途中から気づいていたみたいだけど」
「そ、そうなの? ……でも光太のやつは知らないまま……っ」
 入院してからあらためて光太の死を伝えられた凜は、ひと晩泣き明かしていた。
「川嶋も知ってたよ」
「ええっ!?」
「去年の秋くらいだったかな、『俺、最近凜のことが女の子に見えてしょうがないんだけどっ』って打ち明けられた。凜には悪いと思ったけど、説明したよ。さすがにびっくりしてたけど、最後は受け入れてたな」
「そんな……あいつ、そんな素振りなんかっ……うぁっ……ひっく……光太ぁっ……」
「川嶋は最後まで優しかった。退院したら、みんなで弔おう」
「うん……っ……ぐずっ」
「はは。凜は思っていたよりずっと泣き虫だったな」
 そこにセイラが現れた。
「どうした凜。惺に泣かされたのか?」
「違う……ぐすっ……セイラぁ……」
 セイラは凜を抱きしめた。ふくよかな胸を借りて、凜は少女のように泣いた。
 それからセイラは、先ほど詩桜里に聞かされた事実を語った。惺と悠はもう自由だと言うと、凜はさらに嗚咽した。
「――凜。今回の件で、おまえは罪に問われることはないだろう。一瞬でも犯罪組織に身を置いていた事実はあるが、明確な犯罪行為に荷担したとするには、物証が乏しい」
「…………」
「しかし、数年前の出来事は別だ。黒月夜に在籍していて、暗殺に手を染めていたという話はわたしも聞いた。こちらもすでに物証はないだろうし、年齢的な観点から処罰されることはないと思うが、事が事だ。ICISから徹底的に事情聴取されるのは仕方がない」
「うん……わかってるよ」
 凜の覚悟は、もう決まっていた。自分が暗殺者だった事実も、すでに受け入れている。
 凜の瞳に覚悟が宿っているのを見て、セイラは微笑んだ。
「この際だ。わたしの秘密も凜に暴露しよう」
「……秘密? セイラがICISの捜査官っていうのはもう聞いたけど……その、過去に暗殺者だったことも」
「実はそれだけではないんだ。いまさら言うのは少々恥ずかしいんだがな。わたしの年齢の話だ」
「年齢?」
「実はわたしは、今年で二十一歳になる」
 ここまできょとんとする凜を、セイラと惺ははじめて見た。
「――――。……え…………でえええええええっ!?」
「驚きすぎだ」
「だ、だだだだってっ……え、ほんと!?」
 凜は惺を見た。
「ほんとだよ。去年、二十歳になるはずのセイラが制服姿で編入してきたのは、なんの冗談かと思ったくらいだ」
「おい惺。その含みのある言い方はなんだ」
「別に。任務という大義名分のもとに、いい歳して女子高生のコスプレができるなんていいご身分だ、とか思ってないから」
「さすがのわたしでも怒るぞ。病院送りにしてやろうか!」
「もうすでに病院の中だ、って突っ込んでほしいのか? 寒いぞ」
 言い争いを始めるふたり。
 懐かしいやりとりに、凜の心がきゅうっと締めつけられる。
 日常がこんなに尊いものだと、凜はこの瞬間まで知らなかった。
 どうして人は、痛い目を見ないと大事なことに気づけないのだろう。
「凜……?」
 不意にセイラの眼差しを正面から受けて、凜の心臓は鼓動を速めた。
「な、なに?」
「いや、急に色っぽくなった気がして……胸もそこまで大きかったか?」
 凜の胸は、もうコルセットでは隠しきれないほど膨らんでいる。
「そ、それが、ここに来てから急に成長したような……ど、どうしよう」
「どうもこうも、それが自然なんだ。このままずっと男だと言い張るのも悪いことではないと思う。しかし凜は、もう自分が女だと認めたんだろう?」
「う……うん」
「だから体も正直になったんだろう。……最初は戸惑うかもしれない。だが、おまえのまわりはお人好しばかりだからな。きっと見守ってくれるさ」
「セイラぁ……っ」
 セイラにすがりついて泣き続ける凜。
「やれやれ。凜は思った以上に泣き虫だったんだな」
「それ、もう俺が言ったから」
 惺とセイラが苦笑しているところで、ぱたぱたという足音が聞こえてくる。
「お兄ちゃん、あのね――って、あれ、惺さんとセイラ先輩? え……お兄ちゃん泣いてるの? ど、どうしたの!?」
 私服姿の奈々だった。
「奈々、またお兄ちゃんって呼んでるぞ」
「はぅあ!? そうだった! えっと……凜ちゃん」
 頬を染めながら言う奈々を見て、凜はさらに泣いた。体中の水分がすべて涙になっているのではないかと思えるほど激しく。
 病院に運び込まれてからしばらく、凜は眠り続けた。極度の精神的・肉体的疲労が一気に押し寄せた結果だ。
 そして凜が目を覚ますと、病室には星峰の家族がいた。奈々、小夜子、智美と遼太郎。
 智美は凜の頬を引っぱたいた。
 だが次の瞬間には、智美は泣きながら凜を抱きしめた。「もうあなたは、大事な家族なんだから!」と言いながら。
 このときも凜は大きく泣いた。
 そして凜はそのとき、もう男として生活するのをやめると明言。すると「それなら、もうお兄ちゃんって呼ぶのはおかしいよね」と、奈々が気づく。立場的に凜は奈々の姉になるが、「お姉ちゃん」と呼ぶと、同じように呼んでいる小夜子と区別がつかない。だから奈々は、「凜ちゃん」と呼ぶことに決めた。
 凜は家族に受け入れられた。 
 このとき凜は、はじめて本当の「家族」と出会った感覚に包まれた。
「奈々ぁ……っ……いままでごめんっ……気を……変な気を遣わせちゃって……うぁっ、ひっく」
「もういいってば……人のこと散々泣き虫だって言ってたけど、本当は凜ちゃんのほうが泣き虫だよね」
 短時間に同じような台詞を三度も聞いた惺が苦笑する。セイラと奈々も笑った。
「奈々ちゃん、凜になにか話があるんじゃ?」
「あ、そうだった! あのね、悠ちゃんが目覚めたって!」


 窓から入り込んでくる爽やかな風を感じて、悠は大きく息を吸った。
 ベッドの上で上体を起こす。まだあまり動かないほうがいいと医師から言われていたが、全身で風を感じたかった。
 まさか、自分が再びこのような自然の風を感じられるとは思ってもなかった。
 一度は死を覚悟した。
 自分を犠牲にして、異種化の沈静化を――星核炉の暴走を止めようと決意した。
「……違うかな」
 凜に言われる前から、自分は死を覚悟していた。寿命を告げられたのは何年も前で、現実は厳しく、最後は受け入れるしかなかった。
 星核炉の件についてはさすがに予想外だったが、それでも悠は受け入れた。
 完全に納得したと思っていた。
 自分はもう、死に向かって歩いているのだと。
 涙がこぼれそうになったところで、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
 病室の扉が開き、入ってくる三人を見て悠は思わず笑ってしまった。
「な、なにその格好……みんな似合ってないよ……ふふ、あははは」
 悠の笑い声が、春の気配を感じさせる暖かい風と混じる。
 三人は驚愕と感動に震えた。
 もしかしたら、もう見られないと思っていた悠の笑顔。
 それが目の前にある事実。
 よろよろと歩く凜。
 悠はベッドの縁に座り直した。
「悠……悠……っ」
「凜くん、すごい顔してるよ。……泣いてたの?」
「悠!?」
 凜は悠の胸に飛び込んだ。
「わたし、謝らなくちゃ……ずっと謝りたかった……悠に……わたし、わたしは!」
「わ、わたし? ……あれ、凜くん……その胸」
 悠はすぐに事情を察した。
「そっか……そうなんだ。凜くん……あ、そうか。もう凜くんって呼ぶのはおかしいかな」
「ま、またわたしのこと、呼んでくれるの? だって、わたし……悠のこと……あんなひどいこと言ったのに!?」
「もういいよ。こうして無事だったんだし」
「よくない! だって、悠の尊厳とか全部、わたしは否定した!」
「そうかもしれないね……でも」
「どうやったら償えるの? わたし、どうしたらいいの? ……わたしの一生を捧げたら、悠は許して……違う! そうじゃなくて……悠……っ」
「やだ」
 悠は笑ってそう言った。彼女にしてはめずらしく、いたずら心が表面に出ている。
「――――え」
「凜くんは頭いいんだから、自分で考えなさい」
「――っ」
「それに、凜くんの一生が償いなんかで犠牲になるなんて、それこそわたしが許さないから」
「でもっ、でもぉっ!?」
「……じゃあ、ひとつだけお願いを聞いて」
「聞く! なんでも聞くから!」


「一緒に、生きよう。この世界で――」


「ゆ――悠?」
「凜くんは、自分のことを、全部ひっくるめて認められた?」
「そ、それは」
「時間はかかるかもしれない。ちゃんと、全部を受け止めて、心の底から、自分が自分だと認められるのは……もしかしたら、わたしが生きているうちには無理かもしれないけど」
「――――っ」
「でもね、それができたら、本当に美しいことだと思うの」
 優しく紡がれる言葉に、凜の心が包まれていく。
「それに凜くんはもうひとりじゃない。惺もセイラも、きっと手助けしてくれる。――ほら、みんなも」
 悠にうながされて凜が振り返った先。
 扉のところで勢揃いしていた、見知った顔たち。
 堰を切ったように泣いている星峰奈々。 
 すました顔をしているが、歓喜を隠せない様子の綾瀬美緒。
 涙を浮かべながらも、静かに微笑んでいる小日向椿姫。
 落ち着いてはいるが、あふれんばかりの激情で頬を濡らしている柊紗夜華。
 紗綾をその腕に抱きながら、優しい眼差しを凜に向けている豊崎真奈海。
 詩桜里や智美たち、星峰家の面々も顔を出していた。
「……きっと川嶋くんも、天国で見守ってくれてるよ」
 凜は慟哭を、悠の優しい眼差しが包む。
「凜、おまえはひとりでなんでも抱えすぎなんだよ。なんのために家族や友達がいると思っているんだ?」
 と、惺。
「惺がそれを言うのか、という疑問はあるし、いささか使い古された言いまわしだが――」
 セイラが続けた。
「悪くない。星峰凜。きみは許された。もう自由だ。海堂霞も似たようなことを言っていただろう。自分を信じて、友人も信じる。おまえには家族もいる。――いまこそ翼を広げるときだ」
「ねえ凜くん。……ううん、違う……凜、って呼んでいい? ――ありがとう。わたしに残された時間は残り少ないけど……でも、それでも一緒に、わたしはあなたと、この世界で生きていきたい!」
 笑顔の花が咲いた。
「これからもよろしくね、凜!」









 みんなの笑顔が、わたしを包んでくれた。
 
 こんなわたしでも、受け入れてくれた。

 誰かがそばにいるって、こんなにも素敵で幸せなものだと、はじめて気づいた。 



 これから先も、きっとつらいことが待ち受けているかもしれない。

 でも、月並みな感想だけど、みんながいれば大丈夫――そう思った。

 生きていれば、なんとかなる。



 わたしは、この世界に生きている。

 優しくない世界。

 醜い世界。

 それでも、やっぱり美しいと思う。

 そしてわたしは、これからもそんな世界で生き続ける。




 わたしは、やっと――














 わたしはやっと、「人間」になれた気がした――







 ―完―


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