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いま、その翼を広げて


Interlude01

 どこの街にも、夜に大人たちが集う隠れ家的なバーがある。
 駅にほど近いビルの一室にあるバー「Salotto」もそのひとつだろう。照明は控えめで薄暗く、落ち着いた雰囲気を醸している。絶妙な音量で店内に流れているのは、古いピアノ・ジャズだ。
 店内奥にある大きめのテーブルに、一組の男女が向かい合わせで座っていた。ふたりともフォーマルな格好をしている。女性はベージュのタイトスカートに同色のジャケット。その下には薄いピンクのワイシャツが見えていた。いつもはジャケットのボタンは留められているが、いまは外されていた。男性のほうは上質なグレーのスーツだが、上着は脱いで椅子の背もたれにかけられている。
「秀明、刑事の顔してる」
 女性――沢木法子がやや憮然とした表情で言う。
「……刑事だが?」
 男性――立花秀明は、持っていた黒革の手帳から視線を上げ、眉をひそめた。
「久しぶりの同窓会なのに、そんな眉間にしわ寄せながら事件の手帳見なくてもいいでしょう?」
「そうは言ってもな……癖なんだよ」
「ほんと読書の虫ならぬ仕事の虫ね」
「悪かったな」
「でも、いまどき手書きの手帳なんて使ってるの、あなたか九条警視くらいしかいないわよね」
「手書きは大事だ。真城先生もそう言っていただろう?」
「そうだけど」
「おまえはもうメモだろうがなんだろうが、全部デジタルだったな。先生が見たら嘆くんじゃないか」
「真城先生はそんな心狭くないわよ。ふんだ」
「すねるなよ。子どもか」
 と、そこへボーイに案内された女性が現れた。
「はぁい、お待たせ、ふたりとも」
 そう言って彼女――柊詩桜里は沢木の隣に座った。
「久しぶりだな、柊」
「そうね。立花くんも元気そうでなにより」
「詩桜里、相変わらず派手な格好ね」
「そう?」
 詩桜里は意匠の凝ったベージュとブラックのバイカラーのパーティードレスに、ブラウンの洒落たストールを羽織っている。彼女はそこまで派手な服装を選んだつもりはないが、もともと背が高く、顔立ちもが派手だから、他人からはそう見えるのだろう。
「おまえが地味なだけじゃないか?」
「なに? 誰が地味でつまんない女ですって?」
 目を細めて、沢木が立花を睨んだ。
「そこまで言ってない……」
 ふたりのやりとりに、詩桜里の頬がつい緩む。
「懐かしいわね、この感じ。昔と変わらない。はるかと織田くんはまだ?」
「ええ。ふたりとも少し遅れるって」
「そう。ごめんなさいね。地元組が遅くなって」
「そういえば柊は、最近この市の分室へ異動になったんだったか」
「詩桜里にはもう頭が上がらないわね。ICISの上級捜査官って言ったら、日本の警察では警視待遇だから」
 警視は警部のひとつ上の階級だ。
「あら、あなたたちだってキャリア組じゃない。特に立花くんは、次世代の警視総監候補って言われている、捜査一課きってのエースでしょ。ICISでも名は知られているわよ」
「それは恐れ多いな」
「法子だって、そろそろ昇進できるんじゃない?」
「わたしなんてまだまだよ……誰かさんが片っ端から手柄を取っちゃうから」
「人聞きの悪いこと言うな」
「だってそうでしょ? 人が足を棒にして捜査した情報を、聞いただけで整理して、真相にたどりつくんだから」
 立花の捜査能力は警察幹部にも高く買われている。ときには捜査方針で上と対立することもあるが、そのような壁を乗り切るだけの頭脳と行動力を兼ね備えていた。
「法子に感謝している。いつも」
「……ふん」
 ぷいっとそっぽを向くが、その表情には一抹の照れが存在していた。
「あら、いい雰囲気ね。結婚まで秒読み?」
「ちょっと、やめてよ」
「立花くん、まだプロポーズしないの?」
 立花は困ったような表情で黙り、グラスの水を飲んだ。彼にしてはめずらしく気まずそうだった。
 立花と沢木のふたりは、現在東京のマンションで同棲中だ。ふたりは学生時代からずっと付き合っているから、年齢的にもそろそろ結婚が視野に入るのは、当然の成り行きだった。
「ねえ秀明、なんで黙るの?」
「いや、その……勘弁してくれ」
「この意気地なし」
「おい、法子」
「なによ」
「そこまで言うことないだろ? 俺だって考えているさ」
「じゃあ、いまここで言って」
「い、いや、それはその……」
 立花は詩桜里に救いの眼差しを向けた。それを受けた彼女は軽く笑ったあと、話題を変える。
「相変わらず仲良さそうで微笑ましいわ。……はるかと織田くんはまだ来なようだから、それなら――」
 詩桜里が立花と沢木の顔を交互に見る。詩桜里の雰囲気がほんの少し真面目になったことに、ふたりは気づいた。
「先日、うちの部下がお世話になったようね。この場を借りて上司としてお礼を言うわ」
 立花と沢木が顔を見合わせた。
「まさか……アルテイシア捜査官のことか?」
「そうよ」
「え、彼女、あなたの部下だったの?」
「ええ。うちの分室に所属している捜査官よ」
「そうだったか。彼女の手帳に星蹟第二分室所属と書かれていたから、柊と面識がありそうだとは踏んでいたが、直接の部下だったとはな」
「アルテイシアのこと、ふたりに訊きたいんだけど、あなたたちから見てどうだったかしら?」
 ICIS関係者以外の口から、セイラの客観的な印象を聞く機会はほとんどないに等しい。しかも聞く相手は優秀な現役の警察官であり、短時間ではあるがセイラと行動をともにしていた。なにより詩桜里にとってふたりは大親友。傾聴するには充分すぎる理由があった。
「どうもこうも、驚くほど優秀だった。ずいぶん大人びて見えたが、俺たちよりだいぶ年下だろう? あの若さであのレベルだと、末恐ろしいものがあるな」
「そうね。秀明やうちの上司しか気づかなかったようなことにも、現場に来る前から気づいていたようだし。秀明も彼女はただ者じゃないって言ってたわよね」
「ああ。九条警視……いま法子が言った俺たちの上司だが、彼にもアルテイシア捜査官とのやりとりを話した。彼も似たような印象を抱いた様子だったな」
「九条警視……」
 詩桜里はしばらく思案し、先を続けた。
「九条銀次警視のことね。ノンキャリアでありながら、前例のない若さで警視に昇進したっていう」
 彼のことも、立花と同じくICIS内部では浸透している。たたき上げの切れ者。立花が入庁するまで、警視庁捜査一課のエースだった男だ。
「さすが柊。なんでもご存じで。……ところで、アルテイシア捜査官との付き合いは長いのか?」
「そうね……一年半、といったところかしら」
「あら、いままで詩桜里が付き合ってきたどの男よりも長いのね」
「うるさいわよっ。――とにかく、アルテイシアとは今後またあなたたちと顔を会わせる機会があるかもしれないわね。そのときはよろしく」
 そのとき、沢木の携帯が鳴った。
「あ、はるかと織田くん到着したって」
「そう? なら、仕事の話はこれくらいにしておきましょうか」
 しばらくすると、ボーイに案内された一組の男女が近づいてくる。 織田光一郎と鳴海はるかのふたりは、詩桜里たちを認めると笑みを浮かべた。
「悪い、待たせた」
 織田はいつもと同じ濃紺のスーツ姿。席に着く前に上着を脱ぎ、ネクタイを外した。
「みんな、ごめんね」
 柔和な笑顔を添えて、鳴海が言う。ウェーブのかかったロングの茶髪。グリーンのブラウスにホワイトのフレアスカート。清楚で母性あふれる雰囲気を、全身から醸し出していた。
 織田は立花の隣に、鳴海は詩桜里の隣に座る。
「この五人が集まるの、どれくらいぶりかしらね……?」
 料理や飲み物の注文をしたあと、おもむろに詩桜里が言った。
「二年半……くらいかな。法子とはたまに会ってたけど」
 鳴海が答えた。
「秀明と柊が忙しすぎるんだよ。冗談みたいに早く出世しやがって。このキャリア組め」
 織田が茶化すように言う。生徒の前で見せる落ち着いた雰囲気とは少し違う、ややくだけた感じだ。
「立花くん、いまさらだけど警部昇進おめでとう。詩桜里も上級捜査官だったかしら、昇進おめでとう」
 二年半前、最後に五人で集まったときはまだ、詩桜里も立花も現在の階級ではなかった。本当はふたりが昇進したタイミングで祝う席を設けたかったのだが、それぞれのスケジュールがなかなか合わず、いままで保留していたのだ。
 やがて飲み物が運ばれてきた。生ビールが三つにハイボールがひとつ。それからカクテルのソルティドッグがひとつ。料理も続けて運ばれてくる。
「それじゃあ、久々の再会を祝して乾杯」
 今回の幹事である沢木が音頭を取る。五人のグラスが打ち付け合い、心地いい音が鳴った。
「あ、そうだ詩桜里。お母さまから伝言よ。たまには家に帰ってきなさいって」
 ビールを一口飲んだあと、鳴海が言った。
 あらら、とばつの悪そうな顔をする詩桜里。はあ、と息を吐いたあとソルティドックを飲む。
 詩桜里の母である柊緋芽子は、創樹院学園の学園長代理。そこで教員として働いている鳴海と織田にとっては上司に当たる。ついでに言うならふたりは、柊緋芽子が教員時代の教え子でもある。
「緋芽子先生ももう学園長代理か。あの人も出世したな」
 立花が言う。彼が二年生のとき、担任だったのが柊緋芽子だ。
「そろそろ代理から本当の学園長になるんじゃないかな? 理事会でもそんな話が出ているみたい」
 ビールを口にしながら鳴海が言った。
「光一郎、かつての担任が上にいる職場ってどういう気分だ?」
 からかうような口調の立花。挑発するように、ビールの入ったジョッキを織田に向けた。
「勘弁してほしいな。あの人の厳しさは秀明だって知っているだろうに。だいたい、俺の学生時代のこと知ってるってだけでも、やりにくくてしょうがないんだよ」
 織田の場合、一年生のときの担任が柊緋芽子だった。
「それは光一郎くんの自業自得だよ。一年生のときは特に荒れてたよね? ほら、他校の生徒とけんかして――」
「やめろ、はるか。古傷をえぐるな」
 笑い声が満ちた。
 それぞれ一杯目が終わりに近づき、二杯目の酒を頼む。
「そういえば柊、おまえこっちに戻ってきたんだろ? いまどこに住んでいるんだ?」
 と、新しいビールを片手に織田。
「東陽区の北にあるマンションよ。海外線に近いところ」
「うわあ、あのあたりって家賃高いんじゃないの? さすが高給取り」
 と、沢木。星蹟市東陽区の北方は、いわゆる高級住宅街が広がっている。詩桜里が住んでいるマンションも、市内でも指折りの高級賃貸マンションだった。
「東陽区って、あなたの実家があるところじゃない。別にわざわざマンション借りなくてもいいんじゃ?」
 鳴海が言う。二杯目の生ビールは、もう半分がなくなっていた。彼女がいちばんペースが速い。
「まあ、たしかにそうなんだけど……いろいろとね。この歳で実家暮らしに戻るっていうのもあれだし」 
 それはもちろん建前だ。本音は同居人であるセイラの存在が大きい。詩桜里はセイラの観察役としての役割があり、別々に暮らすことはまだ許されていない。母である柊緋芽子はそのあたりの事情はある程度知っているから、もしも詩桜里がひとりっ子だったら実家で暮らすことも不可能ではなかっただろう。
 しかし、詩桜里には妹の紗夜華がいて、彼女は現在実家暮らし。そして現在創樹院学園の生徒だ。セイラが「任務」で創樹院学園に通っていることを考慮すると、ふたりが同居するにはリスクが大きい。
「そんなことよりも! はるかと織田くんよ。結婚式はまだなの?」
 織田と鳴海が何気なく顔を見合わせた。すると、織田のほうがうろたえたように眼をそらした。
 織田と鳴海も、現在交際している。住居は別々だが、休みの前の日はどちらかの部屋に泊まっている。立花と沢木と違い、このふたりは創樹院学園在学中から交際してたわけではない。ただ、ふたりはお互いを妙に意識していて、学園を卒業したあとも、同じ大学に進んでいた。そして、大学に入ってすぐにやっと交際が始まったのだ。ちなみに、ふたりの交際は現在、学園の中では多くの学生、教職員ともに周知の事実だ。
「男の真価って、いざってときの決断力にあると思うんだけどね。どこかの誰かさんは、意気地なしみたいで」
「お、おい、はるか……ん?」
 詩桜里はにやにや笑い、沢木は意味ありげな視線で立花と織田を交互に見る。立花はばつが悪そうに頭をかきながら、誰もいないところを見ていた。その様子に織田が首を傾げる。
「おい、なんだこの空気は」
「さっきもね、法子と立花くんに似たような質問をしたのよ。そうしたら、反応がほとんど同じで……ふふっ」
 上機嫌に、新しいカクテルをあおる詩桜里。二杯目はジントニックだった。イメージを気にしてか、人前で大好きな日本酒は飲まない。もっとも、ここにいる連中は詩桜里が日本酒好きであることなど昔から知っているが。
「ねえはるか、意気地のない男ってどうやって教育したらいいと思う? 教師としての意見を聞かせて」
「あ、わたしも同じこと相談しようと思ってたの。ちょうどいいから、出世頭の詩桜里も一緒に考えてもらいましょ」
「楽しそうね。乗った!」
 女性陣がいたずらっぽい笑みを浮かべ、男性陣を見る。男性陣は恐ろしく肩身が狭くなり、縮こまった。
「……おい秀明、取調室で尋問される犯人の気持ちが、少しわかったような気がする」
「奇遇だな。俺もだ。後学のために学んでおこう」
 いつもは犯人を追い詰める側の立花が、皮肉めいた微笑みを浮かべる。
「それよりも、ここから逃げ出す算段を考えたほうがいいんじゃないのか?」
「刑事の俺が逃げるだと? それは笑えない冗談だ。………………だが、一理あるな」
「秀明ー、いま逃げたら指名手配だからね。織田くんもー」
 頬を紅潮させた沢木。アルコールがまわってきたようだ。
 ビールを一気にあおり、立花が対応策を考える。多少の酒が入っても、彼の頭脳の鋭利さは曇らない。
「ところで、柊はどうなんだ? 前に会ったときは、付き合っている男がいたと思うが」
「あれ、立花くん知らないの? とっくに別れたよ」
 答えたのは鳴海だった。
「え、ちょっと、なんではるかがそれ知ってるの?」
 今度うろたえたのは詩桜里だった。立花の放った反撃の矛は、一撃でその役割を全うしたようだ。
「覚えてない? 別れたとき、あなた酔っ払って電話してきたじゃないの」
「…………え?」
「はあ、やっぱり覚えてない。あのね、わたし夜中の二時に叩き起こされたんだよ。それから二時間くらい延々と愚痴を聞かされたの」
「う、嘘……全然覚えてない……ね、ねえ、そのときわたしなんて言ってた?」
「男に振られたーって泣き言と、その男の悪口。あと、テレビだったら絶対ピーって鳴って伏せられるようなエッチな話。ねえ、親友の性生活を赤裸々に聞かされたわたしの気分、教えてあげようか」
 白い目で詩桜里を見つめる。
「…………う、嘘」
「嘘じゃないよ。光一郎くんも覚えているでしょ?」
「ああ……あれか。次の日、はるかが信じられないほど不機嫌だったとき。あとから理由を聞かされて、柊なら仕方ないと思った」
「光一郎くんは、隣でぐーすか寝てたよね」
「俺も疲れていたんだな」
「あらあら、織田くんが疲れていた原因はなにかしら?」
 沢木が、新しいおもちゃを見つけた子どものような表情で問う。
「あの日のはるか、やけに激しくてな。いまでもよく覚えてる」
「ちょっ!? 光一郎くんっ!」
 鳴海の顔が真っ赤なのは、酒のせいではないようだ。
「……なるほど。いまの会話など比較にならないくらい卑猥な話を、鳴海は柊から聞いたわけか。それは不機嫌にもなるな。にしても、相変わらず酒癖が良くないようだな、柊」
 冷静に分析する立花。さりげなく矛先を鳴海から詩桜里に移した。
「ねえはるか、なんかおもしろそうだから、その話わたしたちにも聞かせてよ。後学のために」
「いいよ。いまとなっては笑い話だしね」
「人の過去を笑い話にしないでっ!?」
「俺も気になるな。秀明はどうだ?」
「意趣返しにはちょうどいい」 
 一同が詩桜里を見る。それぞれの視線は興味津々といったところ。詩桜里にとっては、いままで冗談半分で投げてきたものが、まるでブーメランのように戻ってきたような感覚だった。
「みんな……この話はやめましょ。ね? 誰だって失敗はあるでしょ?」
 旗色が悪くなった詩桜里は、渇いたのどをジントニックで一気に潤す。体が熱くなった。
「光一郎、取り調べの準備だ。沢木も、捜査一課エースコンビの実力を見せてくれ」
「任せろ」
「ふふ、任せて」
「しょうがないなー。じゃあ、わたしが詩桜里の弁護士やってあげる」
「……みんな……本気……?」
 それから詩桜里は、過去の男とのしょっぱい歴史を泣く泣く話すことになった。それが酒の肴としてかなり美味だったのは、詩桜里以外の四人が共通して持った認識だったのは言うまでもない。


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