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いま、その翼を広げて


Prolog - プロローグ

 蒼穹を彩るのは、雲だけではなかった。
 幾筋もの線が空の全体にわたって奔っている。透明なガラスの管か枝のように見えるそれは、「星の枝」と呼ばれる星命活動の象徴だった。星の中心で無尽蔵に生まれる生命エネルギー。それを全体に行き渡らせる血管のような役目があると言われている。
 太陽の光を反射し、七色に光る枝は芸術作品のように美しい。空の抜けるような蒼と、まばらな雲の白、そして星の枝の七色の輝きが織りなすコントラストは、悠久の昔から、芸術家たちの創作意欲をかき立てていた。
 この世界は雄大なファンタジーだ――巨大な船舶のデッキ上で、そんな彩り豊かな空を見上げながら、セイラ・ファム・アルテイシアは感慨深げな表情を浮かべていた。
 腰まで届きそうな、豊かな銀髪をかき上げる。鮮やかな髪が潮風になびき、近くを通りかかった夫婦は、優雅な銀の滝が流れるようなさまについ見とれてしまった。
 人目を惹く容姿だ。十代後半とまだ若く、女性にしては長身で手足が長い。ワールドクラスのモデルでもここまで完成されたプロポーションの持ち主はいないだろう。伸縮性のある黒いズボンとジャケットは体の輪郭をよりいっそう強調し、胸もとが大きく開いた灰色のシャツを着込んでいる。バストも豊満。通り過ぎかけた夫婦のうちの夫がまず立ち止まり、鼻の下を伸ばして眺めてしまうほどの引力。隣を歩く妻は、不満げな顔で夫の腕をつねることを忘れなかった。
 胸ポケットから着信音が響いた。セイラは無駄のない動作でスマートフォンを取る。今度は妻が、「あんなかっこよく電話取る人、見たことない!」と、内心かなり感動していた。
「なんだ?」
『はぁい、セイラ。おはよう――ああんっ、あっ、いいっ……あー、極楽』
 若い女性の艶めかしい声。セイラの顔が引きつった。
「……おい、詩桜里。まさか自慰行為をしながら電話してきているわけではあるまいな?」
 公共の場にふさわしくない言葉が突然出たのにびっくりしたのか、すでに通り過ぎて数メートルの距離にいた夫婦が何事かと振り返る。ふたりとも目を丸くしていた。セイラの男性のような口調も驚く要因のひとつだろう。
『そんなわけないでしょ! ジャグジーよ、ジャグジー』
「なに? まさかジャグジーの噴流と気泡で自慰行為を――」
 たしかに、詩桜里の声はスマートフォンの向こうで反響していた。バスルームにいることは間違いなさそうだ。
『違います! そんな中学生みたいなことするものですか。いい加減下ネタから離れなさい!』
 日本の中学生はするのか? とセイラはふと思ったが、口にはしなかった。
『あなた、いまどこにいるの?』
「朝の散歩中だ。中央デッキをぶらぶらしている。いい天気だな」
『そうね。星の枝がよく見える』
 セイラと詩桜里が宿泊しているのはスイートルームだ。ベランダに併設された豪勢なジャグジーバスがあり、そこにいる詩桜里も窓から大パノラマの海と空が望むことができた。ちなみに星の枝は雲より高度に位置しているため、曇りや雨だと見ることができない。
「で、なんの用だ?」
『……なんだったかしら』
「切るぞ」
『冗談よ! ほら、朝食をルームサービスか食堂のビュッフェ、どちらにするか決めてなかったでしょう』
 少し考えたあと、セイラが答える。
「ルームサービスがいいな。初日に食べた寿司は素晴らしかった。また食べたい」
『朝っぱらから寿司? 贅沢ね』
「せっかくの休暇なんだ。別にいいだろう」
『まー、それもそうね。今日の昼過ぎには日本に着くから、それまではのんびり贅沢に過ごしましょ』
 通話を終えたセイラはスマートフォンをしまう。相変わらず優雅な動きだったが、例の夫婦はもう近くにいなかった。
 船内放送を知らせるチャイムが響く。
『乗客の皆様、おはようございます。朝の七時となりました――』
 朝の訪れを知らせる放送だった。滑舌のよい女性の声が、日付や天気、現在の航行地点などを爽やかに伝えた。
 あらためてセイラは、久々の休暇は上々だ、と考えた。
 高速海上航空船――通称、海空船。固有船名はセレスティアル号。双胴船と呼ばれる、ふたつの船体が中央デッキによって連結された形状。海上十数メートルの位置に浮かび、そのまま高速巡航が可能な船だ。「小型星核炉」から発生したエネルギーを海面との斥力に変換し、浮くことができる。飛行機よりは遅いが、通常の船舶の倍以上のスピードで進むことが可能だ。
 船内は一流ホテルと肩を並べるほどに質の高いサービスに満ちている。船員たちの教育は行き届いており、接客は申し分ない。日々の料理もレベルは高く、一回でも同じメニューはなかった。それも今日で終わりかと考えると、少し寂しい気がする。一ヶ月ほどかかった太平洋一周旅行は今日で終わるからか、周囲の人々はどことなく物憂げな雰囲気がある。
 季節は春だった。日本ではちょうど春休みに当たる時期で、家族連れなど日本からの旅行者が多い。三月の頭に横須賀港を出発し、ハワイを経由して太平洋に浮かぶ大陸「フォンエルディア大陸」を一周。そして今日の昼過ぎ、再び横須賀港に入港する予定だ。
 セイラと詩桜里は途中から合流していた。フォンエルディア北部の港町から乗船し、十日ほどを船上で過ごした。仕事の虫であるふたりがここまでまとまった休暇を取れることはまれで、詩桜里は「きっとこれから先、十年は休暇がないんだわー」と半ば覚悟していた。
 セイラのすぐ近くで、帽子をかぶった小さな女の子が通り過ぎる。その後ろを、兄らしき少年が笑いながら追いかけていた。
 女の子の帽子が、突風に飛ばされた。高く舞い上がり、帽子はどんどん離れていく。女の子は涙声で帽子を取ってと兄に訴えている。しかしもう手に届く距離にないため、兄は困っていた。
 セイラは精神を集中させた。
 脳が上位の次元を認識したような感覚。
 全身を電気のように駆けめぐるのは、「星力」だ。星力は空に大地に海に生物に――世界のあまねく存在に満ちているとされているエネルギーの総称。星の枝によって循環している生命エネルギーとほぼ同義。
 星力を操り、様々な現象を呼び起こす術を「星術」という。
 星術が新たな風を生み出した。その風は強い向かい風となり、飛んでいった帽子をとらえ、女の子の手に引き戻した。
 兄妹は最初、不思議な現象にぽかんとしていたが、やがて再び笑顔で走り去る。兄妹を見ていた周囲の人々も特に取り留めはしない。偶然の出来事と考えたようだ。
 午前七時というやや早い時間にも関わらず、デッキ上は人の気配に満ちている。先ほどの夫婦のように散策しているカップルもいれば、手すりに寄りかかって海を眺めている家族連れもいる。
 幸福色に包まれている空間の中で、セイラは自分の過去にこびりついた「暗黒」が浮き彫りになっていると感じた。
 このような幸福感が満ちる空間に、自分のような人間が――何度死刑になっても許されないような、凶悪犯罪者がいてもいいのか、と。
 セイラの自問自答は、部屋に戻るまで続いた。

 部屋のリビングルームで荷物の整理をしているところに、アナウンスが流れた。男性の声だ。
『お客さま全員にお知らせいたします。わたしは船長の岸田です。乗客の皆さまは、まことに申しわけありませんが、大至急、三十分以内に、荷物をお部屋に置いたままで中央ロビーにお越しください。なお、これは船長命令であり、背いた場合は船員法により罰せられます。繰り返します――』
 不思議な内容のアナウンスに、セイラは顔をしかめた。そこに、化粧室からひょっこり出てきた詩桜里がやってくる。化粧途中なのか、ファンデーションとパフを持っていた。
 柊詩桜里。二十代後半。ウェーブのかかった緋色の長髪とワインレッドの瞳が印象的な美女。セイラと同じで女性にしては背が高く、手足も長くて抜群のモデル体型を誇る。Gカップの巨乳も破壊力抜群だ。オフである今日は、ベージュのブラウスにダークグリーンのロングスカートという服装。地味すぎず、派手すぎず。可愛らしさときれいさを同居させていて、彼女のセンスのよさを証明していた。ちなみにすっぴんの状態でも実年齢より三歳は若く見られるのが自慢らしいが、それは単なる誤差ではないかとセイラは考えている。
「なにかしら。船長命令ですって?」
「いや、そもそも日本の船員法に、乗客を罰する項目などあったか?」
「どうだったかしら。でもさすがにこんな冗談はありえないでしょ。それに船長さんの声、なんか震えてない?」
 内容を繰り返す船長の声は、たしかに震えて硬質なものをはらんでいた。
「……非常事態、か」
「もうすぐ港に着くっていう段階で、どんな非常事態? まさか、ここまで来て沈没はないでしょね」
 船は正常だった。少なくともなにかにぶつかったり、火事で航行不能、などといった事態ではなさそうだ。
「それはわからんが、とりあえず中央ロビーに行くしか選択肢はないな」
 貴重品以外は手ぶらのまま、セイラと詩桜里は部屋を出る。
 廊下は不安げな空気に包まれていた。部屋から恐る恐る出てくる乗客たちの表情が、なおいっそう張り詰めた空気に拍車をかけている。船員たちが廊下を慌ただしく駆けまわり、客室ひとつひとつに声をかけていた。
 船員のひとりに詩桜里がなにがあったのか尋ねるが、「ロビーで船長がお話しになります」と、困惑げに答えられただけだった。
「知らされてないのかしらね?」
 船員の様子から、そのように判断する詩桜里。
「そのようだな」
 もしくは、ここでは話すことができない内容かもしれない、とセイラは考えた。
 階段を降り、廊下をまっすぐ進むと中央ロビーにたどり着いた。中央ロビーは中央デッキの下の階層にある、この船最大の空間だ。六百人を超える乗員乗客が全員集まっても、まだ余りある広さを誇っている。
 アナウンスが流れてから約二十分後、乗客全員が集まった。心配が先立っているのか、パニックにはなってない。そのあいだに、船は横須賀港に入港。停泊するために着水した。
 やがて、奥からマイクを持った船長が現れ、真一文字に結ばれていた口が開いた。
「みなさん、落ち着いて聞いてください」
 スピーカーから響いてくる船長の声音は硬く、緊張感をはらんでいる。乗客の多くがぐっと息をのむ。
「――この船は、テロリストにより占拠されました」

 テレビのどのチャンネルも通常の番組を中止し、緊急放送を流していた。
 上空から俯瞰する形で、セレスティアル号が映っている。埠頭や船のまわりは物々しい空気に包まれていた。
『あそこに停泊している海空船セレスティアル号が、二時間ほど前に銃器で武装したテロリストにジャックされたと情報が入ってきました。ごらんのとおり、セレスティアル号は海上保安庁の巡視船により完全に包囲されています。地上側でも機動隊が配備され、周囲は騒然としているようです。警察発表によりますと、乗客五百二十八名、船長を含む乗員は九十三名。合わせて六百二十一名全員が人質になっているとのことです。……現在までに犯行グループからの声明はなく、動機も不明……はい? あ、いま新しい情報が入ってきました! えー、セレスティアル号を占拠したテロリストが、インターネットの動画サイトで犯行声明を発表するようです!』
 ヘリコプターによる実況中継から、動画サイトの画面に切り替わった。
 ひとりの人物が映っている。その人物の異様さに、視聴者は度肝抜かれた。
 サブマシンガンを持っており、頭のてっぺんから足の先まで、全身を白い装束で覆っている。ブーツまでも白い。顔は白い目出し帽の上にガスマスク、上半身は迷彩色の防弾チョッキを身につけている。肌を露出している部分はない。
 人物の背景には、中央ロビーに座らされた人質たちが映し出されている。
『我々は「革命戦線アナ・シュテイラ」である! 日本政府に要求する。人質の早期解放を望むのなら、身代金十八億円を分割し、指定する複数の口座へ順に振り込め。最初の期限は三日後の正午とする』
 声は男性で日本語をよどみなくしゃべっているが、発音がやや怪しい。それから彼は、海外銀行の口座を読み上げた。スイス銀行をはじめ、世界各地の匿名性が非常に高い口座を指定してきた。
『最初の期限までに入金が確認されない場合、三十分ごとに人質をひとり殺害する……ふふ』
 急に笑い出し、テロリストがカメラに近寄る。
『日本政府のお偉さん方、もしもまた「テロには屈しない」などとつまらないことをほざくのなら、盛大な花火が上がる。覚悟しておけ』
 画面が暗転した。

『日本政府はテロには屈しない。テロリストは無条件で人質を解放するべきだ!』
 内閣総理大臣が記者会見で声高に叫んでいる映像が、中央ロビーに設置された大型モニターに映し出されていた。
 それを見ていたテロリストが、大仰な仕草で頭を抱えた。
「やれやれ。禁止ワードをあそこまではっきりと口にしたのだが。日本政府はみな無能で救いようのない馬鹿なのか――人質諸君!」
 怯えた子犬のように、びくっと反応する人質たち。
「花火を見たくないか? まだ陽は落ちてないが、盛大なものを打ち上げると約束しよう!」
 彼が合図を送ると、モニター画面が切り替わる。いくつかに分割された外の映像。埠頭や、反対側の海面を映したリアルタイムの映像だった。船の外部にいくつかのカメラが設置されていて、それを流用したものだ。船内にいても船外の景色を楽しめるように設置されていたものだが、人質にとって、現在では外の状況を知る唯一の手段になっていた。個人が持つ携帯電話やノートパソコンのたぐいは没取され、外部とは連絡できないことも理由のひとつだ。
 埠頭には無数の警察車両や報道関係の車が立ち並び、人も多い。空には報道各局や警察のヘリコプターが飛びまわっていた。
「やれ」
 テロリストが合図した十数秒後、船からなにか小さな物体が飛んでいくのがモニター越しに見えた。
 遠巻きにモニターを凝視していたセイラが、忌々しそうに舌打ちをした。
 数秒後、巨大な爆発音が響く。一度や二度ではなく複数回。モニターでは、火柱と黒煙を巻き上げながら爆散する、複数の特殊車両を遠目に映していた。さらに別のコマでは、爆発したヘリの機体が墜落していく途中で別のヘリに衝突し、二機ともきりもみしながら海面に叩きつけられるという衝撃的な場面を映している。海中で爆発したのか、海面が盛り上がった。
 人質の大部分が悲鳴を上げ、絶望感が形をなし、水の波紋のように広がっていく。
 テロリストはカメラに向かって言った。
「愚かな日本政府よ。我々が本気だと言うことはこれでわかったと思う。即座に身代金を振り込めば、これ以上の犠牲は出ないと保証しよう。しかし! 我々の要求を無視するのなら、相当残念な結果になる、とここに断言する!」
 仲間がカメラのスイッチを切る。
 周囲は騒然とした。テロリストが本気だと知り、声を出して泣き叫ぶ人質が出始める。絶望が連鎖し広まっていくまで、そう長い時間はかからなかった。
「……セイラ」
 隣に座っていた詩桜里が、セイラに小声で話しかけた。声を上げて泣きわめく人々に囲まれ、テロリストに会話を聞かれる心配はほとんどなかった。
「まさかグレネードランチャーまで持ち込んでいるとはな」
 モニターに映った飛翔体がロケット弾であることを、セイラはすぐに見抜いていた。
「あれ……死人出たわよね?」
「爆発炎上した車両やヘリの中で生き残っている人間がいるのなら、見てみたいものだ。ちなみに、悪運が強いとよく言われるわたしでも、あれはさすがに無理だな」
 詩桜里はくちびるを噛みしめつつ、「……なんてこと」とつぶやいた。ヘリは二機ともテレビ局所有のもので、乗っていた人物はもちろん一般人だった。
「ねえ、こういうのはあなたの得意分野でしょ」
 なんとかして、と言外に含まれていた。
 セイラは首を横に振った。
「現状では難しいな。人質が多すぎるし、なによりやつらに隙がない。この状況では動きようがない」
 もう少し慎重にして、ここに集まる前に身を隠せばよかったかと、ふと思う。沈没以外で考えられる船舶の非常事態は、ジャックや爆弾騒ぎなど限られてくる。しかし、船長がジャックされたと告げる前に船員たちが乗客の人数を数え、乗客リストと重ねて全員がいること確認していた。身を隠したら隠したで、テロリストに別の意味で注目されそうだったのは明白だった。
「……革命戦線アナ・シュテイラだったかしら。わたしの記憶だと、フォンエルディアを拠点とするテロリストグループだったわよね。たしか、最近は包囲網が強化されて、目立った活動はなかったはずだけど」
 フォンエルディアとは、フォンエルディア大陸全土に広がる国家の名称だ。比較的治安がよいとされるフォンエルディア大陸にも、テロリストや犯罪組織は少なからず存在していた。革命戦線アナ・シュテイラは二十数年前に結成され、要人誘拐や人質事件などで資金を獲得し、公共施設の爆破などの手段に訴える過激派だった。しかしあまりに度が過ぎた活動を続けていたからか、資金繰りが悪化しているところに拠点襲撃を畳みかけ、中心メンバーの殺害や逮捕が相次いだ。そのため、ここ六、七年は表立った活動は報道されていなかった。
 彼らが遠く離れた日本で事件を起こした理由はわからない。
「……もう少し、様子を見るしかないな」

 夜を迎える前に、外部から食料と水の補充があった。今日で航海を終了する予定だった船に積まれている食料では、圧倒的に足りない。
 船員が船室から毛布を持ってきて、人質たちに配る。全員を一カ所で監視するほうが都合がいいのか、部屋に戻ることは許されなかった。
 トイレは定期的に、まとめて連れて行かれた。当然、テロリストの監視付き。女性でも男のテロリストに監視させられるのは、仕方のないことだった。テロリスト全員が白装束にガスマスクをつけていて、体格はともかく全体的な格好は均一化されているから性別は定かではない。しかしガスマスクの下から女性の声がしたという話はなかった。
 配られた夕食のパンをかじりながら、セイラは思考を休めない。
 ――少なく見積もっても、ざっと二十人。
 テロリストの総数だ。この中央ロビーには十人ほどのテロリストがいた。ここにいる人数と、外でグレネードランチャーを発射したであろう人数を足して導き出した。もちろんそれ以外にも、まだ見ぬテロリストが潜んでいる可能性は高い。
 ――そんな人数がどこから侵入した?
 乗客は全員、この場で人質となっている。最初から紛れ込んでいたとは考えにくかった。
 ――武器はいったいどうやって持ち込んだ?
 海空船は飛行機の次くらいにセキュリティが厳しい。ましてやグレネードランチャーなんて大きくてかさばる代物は、どうカムフラージュしても持ち込めそうにはなかった。
 ――裏技はある。しかし……?
 セイラは船内に銃器を持ち込む裏技をひとつだけ知っている。だが、それを単にテロリストに過ぎない彼らが実行できるだろうか、という疑問はどうしても拭えない。
 ――目的は本当に金か?
 十八億という身代金はたしかに大金だが、治安維持能力が高い日本という国で、わざわざリスクの高い犯罪行為を起こしてまで手に入れようとするだろうか。
 そもそも、身代金が支払われたにしろ支払われなかったにしろ、犯人たちはこの場からどうやって逃げ出すのだろうか。
 いろいろな要素に違和感があった。うまく言葉にできないが、今回の事件は人質籠城事件以外のなにかが含まれているのでは――セイラの直感がそう告げている。
 しかし考え続けて答えが見つかるでも、状況が打破できるわけでもない。時間が無感情に過ぎ去っていくのを、ただひたすら待つことしかできなかった。

 三日が過ぎた。そのあいだ、政府による人質解放の説得が続けられていたが、テロリストはとりつく島を与えなかった。
 機動隊は何度も突入する機会をうかがっていたが、運には味方されなかった。車両やヘリを攻撃したグレネードランチャーは脅威で、ほかにもまだ見ぬ兵器が隠されているかもしれないという疑心暗鬼。それらを取り払わない限りどうすることもできなかった。
 人質たちの肉体的疲労と精神的疲弊は、無視できないほどまでに悪化していた。中でも精神的に不安定になった子どもたちが泣き出し、いらついたテロリストに罵声を浴びせられる事態が何度かあった。そのたびに親は死に物狂いで謝り、子どもを抱きしめていた。
 目に見えない怪物が、目に見えない圧力で人質を徐々に押しつぶしているような。それが今日、夜が明けてからはっきりとし始めたことを、セイラは感じていた。
 ――そろそろ限界か。
 隣に座っている詩桜里からも、強い疲労感が漂ってくる。化粧はすでに落ち、肌は荒れ気味で顔色は悪い。
 対するセイラは三日前となんら変わりなく、鋭い知性をその瞳に宿したまま。髪はさすがに脂でべたついているが、顔の血色もほとんど変わってない。
「……よく平気な顔していられるわよね」
 小声の詩桜里。
「さすがのわたしでも、そろそろ風呂に入りたいぞ」
 テロリストに占拠されてから、人質たちはみんな風呂に入っていない。食事やトイレという、人間として最低限の尊厳は守られているが、風呂ばっかりはどうしようもなかった。事実、テロリストも最初「しばらく風呂は我慢してくれ」と、馬鹿にするような口調で言っていた。
「期限まで……あと三十分」
 詩桜里が腕時計を見ながらつぶやく。もはや周囲の人間にしゃべる気力は残されなく、静まりかえっていて、ちょっとした小声でも目立ってしまう。だから詩桜里は、セイラに聞こえるぎりぎりの音量で話していた。
 最初の身代金を支払う期限が、まもなく訪れる。人質たちを押しつぶそうとしているプレッシャーが、期限めがけてどんどん強まり、高まっていた。身代金が払わなければ、誰かが殺される。そんな非現実的な事実が、とうとう形をともなって人質たちの目の前に姿を現した。
 恐怖に満たされた静寂の中、時間だけが刻々と過ぎていく。
 そのとき。
 ひとりの男性が立ち上がり、怯えた様子で両手を上げながらテロリストに向かっていった。
「……なんだ、貴様は」
 テロリストのひとりが応える。彼はいままでカメラの前で声明を発表していた人物。ほかの仲間たちに命令を出していたり、逆に報告を受けたりしていた。セイラの見立てでは、彼が革命戦線アナ・シュテイラのリーダー格だった。
「わ、わたしは篠木田。に、日本の……も、元防衛大臣だ」
「……ほう」
 リーダー格が隣にいた仲間に目配せする。仲間はすぐにタブレット端末を持ち出してなにやら操作し始める。やがて、タブレットがリーダー格の手に渡った。
「篠木田重臣。いまから三年前までの二年間、防衛大臣を務める。が、度重なる失言と、とどめの政治資金流用問題で辞任。逮捕は免れるが、議員辞職は免れなかった。当時の内閣や国民から完全に見限られ、『今世紀最大の失言大臣』との異名を持つ、か……くく、こりゃあおもしろい」
 篠木田は顔を真っ赤にするが、なにも言うことができなかった。
「失言大臣さんよ、あんたみたいな大物がなんの用だ」
 大物、という部分に嘲笑を含ませて言った。
「み、身代金は支払われたのか?」
 リーダ格は首を横に振った。
「わ、わたしが……身代金が支払われるよう、せ、政府と交渉してやってもいい!」
「……あ?」
 なぜ上から目線なんだ? とテロリストだけでなく人質までも思ったが、誰も口にしなかった。
 リーダー格が黙る。圧倒的な無言のプレッシャーに、篠木田の顔から脂汗が吹き出た。
「……いいだろう」
 リーダー格は仲間数人に、フォンエルディア語でなにかを命じた。それからすぐ篠木田はテロリストに両脇から抱えられ、椅子に座らされる。
「お、おい!」
 背もたれに腕を、脚に足を縛りつけられ、篠木田は顔どころか全身から汗が吹き出していた。
 テロリストのひとりがカメラを用意した。大型モニターにリーダー格と、その斜め後ろに篠木田が映り込む。篠木田の足が、まるで貧乏揺すりのように揺れている。彼がいまさっき、人生最大の勇気を発揮し、それを使い果たしたのは間違いなかった。
「日本の国民諸君! 期限が迫っているが、まだ支払いがされていない。このままでは我々は、尊い命を犠牲にせねばらならない。しかし! ここに、愚かな政府にもの申す勇気ある人間が現れた! 紹介しよう、日本が誇る最大最強の失言大臣にして、三年前に永田町を追い出された篠木田重臣だ!」
 あまりに残念な紹介に、篠木田の頭の中は、もはや恐怖なのか羞恥なのか怒りなのかまるでわからない――あるいはそれら全部を混ぜ合わせた筆舌に尽くしがたい感情が渦巻いていた。
 カメラが篠木田に寄り、脂ぎった顔を映し出す。リーダー格がなにかしゃべろ、と鋭く投げかけた。
「わ……わたしは、元防衛大臣、篠木田重臣だ……日本政府へ嘆願する。た、ただちに身代金を払ってほしい……。いちばん大切なのは、人質の命だ。こ、この船にはまだ、前途明るい子どもたちが乗っている! こ、ここ子どもたちの未来を奪うわけにはいかない!だ、だだだだから身代金の支払いを――」
「なるほど。失言大臣。あんたはまず、子どもたちを解放してほしいと?」
 一瞬だけきょとんとするが、篠木田はすぐに勢いよくうなずいた。
「そ、そうだ!」
 カメラがリーダ格へ向く。
「日本政府よ。正午までに身代金が支払われたのなら、ひとまず未成年の人質全員の解放を約束しよう」
「あ、あと年寄りも解放してくれ! せめて六十歳以上は! と、年寄りも体力の限界だ!」
 篠木田は今年六十七歳だった。
「……いいだろう。年寄りは次の期限で解放する」
 ただし、と凄みを利かせながら、リーダー格が篠木田の顔に寄った。
「あんたは最後まで解放しない」
「なっ!?」
「あんたは元政治家だろう。しかも防衛大臣だ。貴様が人質の安否を最後まで見届けなくて、誰が見届けるんだ」
 リーダー格が笑うと、ほかのテロリストも嘲笑を飛ばした。
「そ、そんなっ!?」
 全身から力が抜ける篠木田。自分が助かりたいだけの発言だったのかと、人質たちのあいだに同情はまったく生まれなかった。
 リーダー格が仲間に視線をやる。仲間はタブレットを操作し、すぐに首を振った。
「まだ振り込みはない。……失言大臣さんよ、あんた本当に人望がないんだな。それでどうやって政治家になれたんだ。金か?」
 もはや余力が残されてないのか、篠木田は背もたれにもたれかかり、死んだ魚の目をしていた。
 それから十分以上経過しても、身代金の振り込みはなかった。期限の正午まで、もう猶予はない。
 カメラはまわっている。
「テロには屈さない。それも結構! ――さて、そろそろカウントダウンだ。一分前」
「――っ!? ええいっ、くそ! 早く、早く身代金を! た、頼む!早く助けてくれぇ!」
 篠木田は、最後の力を振り絞ってわめき始めた。
 やがて、リーダー格が拳銃を取り出し、銃口を篠木田の額に向けた。その意味を察した篠木田は、今度こそ全身全霊を込めて、発狂したように暴れた。
「な、なななにゃなにをするううう!? ままま待てっ! わたしはまだ死にたくない! こ、こここ殺すなら、べべべ別の誰かをおおおっ!?」
 最後の最後まで、彼は失言をやめることはできなかった。
「三十秒前――」
「やめろおおおおおおっ!? やめてくれええええええぇぇぇぇっっっ!?」
 篠木田の体が、椅子ごと床に倒れた。カメラはその情けない姿を余すところなく映す。
「二十秒前――」
「だぁあたたあああのぉむうぅぅぅっ!? みみ身代きき金! かねえええぇっ! みのっじろ! ぎん! はらははは払っで! おおおねぇがぁい!? があああああぁぁっっ――!?」
「十秒前――」
「ぎゃあああああ! わわだじはぁああああっ!? しぁ! ししに! じに! ししし死にだぐないぃぃっ! だあああぁのおおむううううぅぅぅっ――!?」
「ゼロ」
 篠木田の絶叫を、弾丸が彼の命とともに取り除いた。額の真ん中に風穴が空き、一瞬で瞳から光が消え去る。驚愕と恐怖で目を見開き、汗と鼻水と涙と血で汚れた顔には、人類が経験しうる最大級の恐怖がこびりついていた。
 一転して、静寂。
 さらに一転して――
「きゃああああああっ!?」
 誰かの悲鳴が呼び水となり、悲鳴と絶望が広がった。

 カメラはずっとまわっていた。泣き叫び、絶望に涙する人質たちの姿は、ずっと全世界に配信され続けている。
「日本政府に告げる! 十二時三十分までに振り込みがない場合は、さらにひとり殺害する」
 リーダー格が銃を向けると、人質たちがざわめいた。彼は人質たちの輪に入り、値踏みするように顔を動かしていた。
「哀れな次のターゲットは……おまえだ」
 立ち止まり、そう告げた。
「…………ぁ」
 長く、美しい金髪だった。碧い瞳が大きく見開かれている。
 十代半ばとおぼしき少女。ピンクのワンピースに空色のカーディガン。全体的に細身で、儚げな印象を与える。しかし、目を見張るほどの美少女なのは、誰が見ても認めるだろう。
「立て」
 リーダー格にそう言われ、彼女は震える足でなんとか立ち上がった。彼女の近くに座っていた黒髪の女性が必死の抗議をしようとするが、リーダー格に無理やり制止された。
「カメラに向かって名前を言え」
「…………」
「早く答えろ」
「ま……真城悠……です」
 リーダ格がカメラに向いた。
「日本政府ならびに国民諸君に告げる。次に殺害するのは彼女になった。残念なことだが、日本政府がかたくなに身代金の支払いを拒んでいる以上、彼女の命はあと三十分を切っている。麗しき乙女よ。最後に言い残すことはあるか?」
 突然の問いに慌てる悠。言いよどんでいると、再びリーダー格にせかされる。
 悠の知り合いらしき女性――二十代前半とおぼしき黒髪の女性が、泣きそうな表情で名を呼びながら、悠の体にすがりついた。
「だ……大丈夫だから、小夜子さん……」
 小夜子と呼ばれた女性を優しく抱きしめたあと、カメラに向いた。そして大きく深呼吸してから、耳心地のよいやわらかな声を発する。
「……ピアノを……最後にピアノを弾かせてください……」
「ピアノだと?」
 悠は震える指先で、離れたところにあったグランドピアノを指した。
 首を傾げてしばらく思案したリーダー格は、やがて「まあいいだろう」と言い、悠をピアノのもとまで連れてきた。
 悠を椅子に座らせ、数メートル離れたところにカメラを持った仲間を待機させる。準備がすべて済むと、リーダー格がわざとらしい口調で告げた。
「日本政府に告げる。身代金の支払いがないのなら、彼女はまもなくその若い命を散らすことになる。彼女にとって、これが人生最後のリサイタルになるだろう」
 テロリストにとって、これはあまりに有能な一手だった。
 インターネット上では、「日本政府は即刻、身代金を支払うべきだ」という意見が国民の間で爆発的に広がっていた。事件を生放送で特集しているテレビ番組でも、著名なコメンテーターたちが「もはや身代金の支払いは不可避」という論調になっていた。
 元防衛大臣が殺害される一部始終が配信されたことはもちろん、続いて殺されるのが絵になる美少女だという事実。世論を動かすには充分な理由だった。
 タブレットで世論の動向を確認したリーダー格は、ガスマスクの下でほくそ笑んだ。これで彼女の演奏がある程度、感動を呼ぶレベルなら、さらに世論は傾くだろう。もちろんそんなことは微塵も表に出さず、彼は悠に合図を送った。
 悠が鍵盤に手をかける。
 ――ゆっくりと、空気が振動し始めた。

 絶望が、祝福や希望に塗り替えられていた。
 音が生きている。一音一音すべてに、魂が宿っていた。
 人間が感じうるすべての感情が、音という現象に宿り、聴く者の魂に直接語りかける。忘れかけていた記憶を、懐かしい情感を呼び覚ます。この場にいる人間すべて――いや、テレビやインターネットを通じて見て聴いている人々ですら、ピアノという楽器の神髄を垣間見た。
 圧倒的な音の奔流が、この瞬間の時空の支配者となっていた。
 セイラは呆然としてピアノの鳴奏を聴いている。ここまで意識を持っていかれたのは、これまでの人生で何回もない。
 気がついたら、涙が流れていた。
 止めどなく流れてくる旋律と、自分の魂が混ざり合うような感覚。
 自分は救われてもいいのだろうか――こんな状況で、そんな錯覚めいたことすら思ってしまう。自分が犯してきた罪も、すべて許してくれそうな神々しい調べ。
 やがて。
 静かでもの悲しい音がいくつか跳ねたあと、静寂が訪れた。
 演奏が行われていたのは、十数分程度。しかしそのわずかな時間のあいだに、人生で感じる感情をすべて濃縮しても足りないような、圧倒的な質量が存在していた。
 ――あの少女は……?
 真城悠という名前。この世界でもっとも愛しい人物と同じ名字。なにより、はじめて会った気がしないこの既視感。 
 ――まさか……?
 人質たちは、自分が置かれている状況を完全に忘れている。テロリストですら、隙だらけだった。
 誰もが無言だった。人質もテロリストも、たったいま目の前で起こった奇跡を、実感できないでいた。
 悠はおもむろに立ち上がり、リーダー格へ歩み寄った。得体の知れない神々しさを感じたリーダー格は、無意識のうちに後ずさっていた。
「……お願いが……あります」
 リーダー格の返事はなかった。
「わたしを殺したら、それで最後にしてください……もう誰も殺さないで……」
 自分の死より、自分以外の誰かの死のほうがつらい――それは虚勢でもうわべだけの願いでもない。彼女の本心だった。
 いつの間にか、期限は過ぎていた。
 リーダー格が拳銃を構える。狙うは悠の額。この距離では外しようがない。彼はどういうわけか恐怖していた。この少女は、このまま生かしておくのはまずい――と。なぜだかわからないが、焦燥感にかられている。
 人質の誰かが「やめろ!」と叫んだ。
 別の誰かが「殺さないで!」と叫んだ。
 別の場所でも、似たような声が次々と上がる。それは瞬く間に広がりを見せた。
 ほとんどの人質たちが、気が狂ったかのように叫んでいた。気持ちはひとつ。ピアノで奇跡を起こした少女を、なんとしてでも救いたい。絶対に殺させない。打ち合わせなどしている暇はなかったにも関わらず、意志は統一されていた。
 先ほどまで恐怖に怯えていた人質たちは、文字どおり生まれ変わっていた。
「くっ……!」
 リーダー格は後悔していた。こんなことになるのなら、少女にピアノなど弾かせなかった。期限を待ち、さっさと殺せばよかった。
 少女のピアノは、想像をはるかに超える高みにあった。
 リーダー格はサブマシンガンに持ち替え、天井に向かって連射した。天井に吊されていたシャンデリアが破壊され、ガラス片が降り注ぐ。
 人質たちが黙った。
 忌々しそうに舌打ちしたあと、リーダー格が吠える。
「それ以上騒ぐな! 殺すぞ!」
 そのとき仲間のひとりがリーダー格に駆け寄り、耳打ちした。
「なんだと? ……まあいい」
 ずっとオンの状態だったカメラに向き直り、リーダー格は落ち着いた口調で語り出す。
「身代金の支払いを確認した――」
 人質たちに動揺が広がる。これは解放されるのに一歩近づいたのか。少女は殺されずにす済んだのか。まだ監禁は続くのか。しかし喜んでいいのか悪いのか、もはや冷静に判断する人間はほとんどいない。
「――ん?」
 突然のことだった。
 スピーカーからシンプルなメロディが響きわたる。館内放送だ。童謡「七つの子」。日本人ならなじみ深いメロディだが、なぜこの状況で流れてくるのか、誰もわからなかった。その場にいる全員がきょろきょろと周囲を見わたす。
「なんだこれは? おい、どうなっている!」
 リーダー格が怒鳴った。
「わ、わかりません」
「いいから止めろ!」
「そ、それが、こちらの操作を受け付けなくて」
「なんだと?」
 仲間との押し問答が続いている。
 テロリストたちにはじめて生まれた、決定的な隙だった。
 ――この隙を、セイラが見逃すはずもなかった。
 セイラは左手に意識を集中させる。
 細かく青白い光の粒子が、即座に拳銃の形に収束していく。
 <マテリアライズ>。素粒子レベルにまで分解していた物質を、もとの形に戻して出現させる極めて高度な星術だ。金属探知機に引っかかることなく、銃器を持ち込める唯一の方法。
 現れた拳銃は持ち主の髪の色を体現するかのように、銀色に輝いていた。オートマチック拳銃と、リボルバーとも呼ばれる回転式拳銃双方を合わせたような独特のデザイン。しかしながら内部構造はそのどちらのものでもなく、完全に唯一無二の仕様だった。
 その名を、「星装銃」。
 まず弾丸が必要ない。発射されるのは圧縮されたエネルギー弾であり、実弾を装填する必要がない。星力をエネルギー弾に変換しているため、使用者が戦闘不能にならない限り、ずっと使い続けることができる。エネルギー弾の出力も状況に応じて変化させることが可能で、昏倒による制圧から殺傷までをこの一丁でまかなうことができる。
 唯一の欠点は、使用者を選ぶこと。星術特性のない、あるいは星術の訓練を受けたことがない人間にとっては、ただの精巧なおもちゃに成り下がる。つまり、大多数の一般人にとっては無用の長物でしかなかった。
 だがセイラほどこの銃にふさわしい者はいないだろう。高度な星術を習得し、扱える能力は常人離れしていた。
 実際、数年前にある人からこの銃を託されて以来、ずっとセイラとともに死地をくぐり抜けてきた相棒だった。 
 ゆっくりと音もなく立ち上がったセイラを見て、詩桜里が目を丸くする。左手に握られている星装銃にも気づいた。
「セ、セイラ?」
「行ってくる」
「え、ちょ――」
 音もなくその長い足を動かし、疾走。瞬く間に距離を詰め、セイラはリーダー格の背後に肉薄した。絨毯のせいで足音は立たなかった。
 セイラが星装銃を構えたところで、館内放送が唐突に終わる。
 突然、テロリストたちの様子がおかしくなった。痙攣するかのように体を震わせ、口からはうめき声が漏れている。ひとりやふたりではなく、中央ロビーに存在するテロリスト全員に同じ症状が現れていた。
「がっ――があぁ――ぐぅ――」
 リーダー格が悶え苦しみながら、カメラのほうへ向かっていった。見えているはずのセイラにはまるで興味を示さなかった。
 ――なんだ……?
 セイラが眉をしかめつつ、星装銃を構える。
 そして、リーダー格は手にしていた拳銃を――
 自分のこめかみに拳銃を突きつけた。
「――っ! 待て!」
 セイラが制止するのと同時。リーダー格の拳銃の引き金が引かれた。
 乾いた銃声。
 こめかみの反対側から、血と脳漿の一部がぶちまけられる。リーダー格が即死したのは疑いようもなかった。倒れる彼の体がカメラに当たり、リアルタイム配信はここで中断する。
「いやあぁっ!?」
 この悲鳴は悠だった。目の前で起こった残酷な事態に、彼女は膝からくずおれて気を失った。
 小夜子と呼ばれていた女性が、叫びながら悠に駆け寄った。ほかにも、気を失ったり悲鳴を上げる人質たち。極限の肉体と精神状態が、ここにきて一気に弾けた。
 ほかのテロリストたちも、自らのこめかみに銃口を向けていた。 セイラは星装銃を構え、次々にエネルギー弾を発射。エネルギー弾が直撃したテロリストたちは、自らの拳銃の引き金が引かれるより前に吹っ飛び、床に転んだ。
 ひと呼吸のあいだに、三人のテロリストが床に倒れる。だがセイラが疾風迅雷の動きを見せても、ほかの六人のテロリストは間に合わなかった。距離が離れていたため、セイラひとりでは対処できなかったのだ。
 つい先ほどまで人質全員を震え上がらせていたテロリストの多くが、自らの血で作った真っ赤な海に沈んでいる。
 周囲を見わたしながら、セイラは気づく。
 ……ひとり足りない?
 合わせて九人のテロリストが倒れている。出入りしたりで多少増減するものの、この三日間、基本的には十人で推移していたはずだ。六百人以上の人質を相手にその人数は少ないが、完全武装したテロリストに抵抗する人間は皆無だった。
 セイラは受付に走った。中にはレジスターやコンピューターが置かれている。受付内部で防犯カメラを随時チェックしていたであろうテロリストは、自殺を阻止できなかった。椅子に座り、カウンターに突っ伏したままの死体をどかす。
 生温かい血がべっとりとついたコンピューターを操作し、防犯カメラの映像をチェックする。
「……外でも同じような状況か」
 コマ割りされた映像のいくつかに、テロリストの姿が映り込んでいる。合わせて十人に満たない。もっとも、全員が頭から血を流していることから、生きてはいないようだ。
「セイラ! ちょっとなんなのこれはっ!?」
 詩桜里が来て、声高に叫んだ。
「わたしも知りたいさ。それより、わたしが倒した三人は目が覚めないうちに縛り上げたほうがいい。誰かに手を貸してもらってくれ」
「……え、ええ。そうする」
 詩桜里は直ちに行動した。近くにいた船員数人に身分証を提示し、自分の身元を保証した。
 国際犯罪捜査組織――International Criminal Investigation System。頭文字を取り、通称ICISと呼ばれている。各国の警察機構の上位に位置し、広大な情報ネットワークを構築。世界規模で犯罪捜査を行う国際組織である。
 セイラと詩桜里はその捜査員であり、新たな赴任先である日本へ向かう途中、この事件に巻き込まれた。
 モニターを見ていたセイラがなにかを発見する。隅に見えた人影。白装束に防弾チョッキとガスマスク。これでは間違えようがない。その人物はひとりで、廊下の端にある扉に入って消えた。ただし、この人物がこの中央ロビーから消えたひとりなのかは判断できなかった。
 セイラはコンピューターを操作し、船内の見取り図を確認した。しかし、不思議なことにテロリストが入っていった扉の記述がない。よく見ると、見取り図には不自然な空白部分が見られた。
「詩桜里、船長を呼んできてくれ」
 詩桜里はその場を船員に任せ、すぐに船長を連れて戻ってきた。船長の岸田達夫はまだ五十代になったばかりだったが、この三日間で十歳は老け込んだように覇気を失っていた。
「この扉はどこにつながっている?」
 セイラがモニター上で例の扉を指さした。
「そ、その先は……『ホワイトルーム』です」
 小型星核炉を格納している領域の隠語。つまり、この船の心臓部分につながっている、ということになる。
「つい先ほど、テロリストのひとりが入っていったが」
 船長は目を見開いた。
「そんな馬鹿なっ!? その扉は船長のわたしですら開ける権限がないんですよ! いったいどうやって……!」
 星核炉――全世界にエネルギーを供給する、最先端テクノロジーの塊だ。日本にも太平洋側の離島に一基存在している。たった十二基の星核炉だけで、全世界の年間消費エネルギーの六割をまかなっている。電力に関しては七割を超え、現代社会のインフラに欠かせないものとなっていた。
 実は、星核炉の構造の大部分はわかっていない。星核炉の運営と管理を完全に牛耳っている企業「ゾディアーク・エネルギー」が、情報をまったく外部に漏らさないためだ。星核炉は現代におけるブラックボックスの代表的存在だった。
 小型星核炉は、文字どおり従来の星核炉を小型化したもので、主に大型軍用艦船の動力源に使われている。セレスティアル号は、民間船籍としては数隻しかない小型星核炉を動力とした船だ。巨大な船体を宙に浮かせながら高速で航行できるのは、小型星核炉の恩恵にほかならない。
 しかし、小型星核炉の整備や管理は、船の運航とは完全に独立している。小型星核炉にアクセスできるのはゾディアーク・エネルギーの関係者のみで、それ以外の人間はたとえ船長だろうと許されていなかった。これは軍用艦でも同じで、扉の先が見取り図に正確に描かれることはない。そのようになにも描かれない真っ白な領域から、「ホワイトルーム」と呼ばれるようになった。
「扉を開けるにはなにが必要か知っているか?」
「たしか……専用のカードキーと、指紋と網膜の認証が」
 複製することが困難な代物だ。それでも扉を開けて中に入ったのだから、テロリストはそれらをパスしたと考えるのが妥当だった。
「船長、あなたは外部へ連絡を試みてくれ。不可解な事態だが、そのまま伝えるしかあるまい」
「わ、わかりました」
「詩桜里――」
「はあ。様子を見に行くって言うんでしょ。外からの突入を待ってからのほうがいいんじゃ? ホワイトルーム内部なんて完全に治外法権で、ICISの捜査権なんてないのと同じよ?」
「そうかもしれないが、非常事態だ。それに、なぜか胸騒ぎがするんだ」
「……そう。まあいいわ。好きにしなさい」
 詩桜里はセイラの勘を信じていた。セイラはそのことに心の中で感謝し、駆け出した。

 ホワイトルームへ通じる扉は施錠されていなかった。特殊チタン合金製の頑丈な造りで、グレネードランチャー程度ではびくともしないだろう。
 一歩踏み入れると、セイラは思わず足を止めた。異世界の空気が流れ込んでいるような奇妙な違和感。質量を感じさせるほどの膨大な、謎の圧力が襲いかかってくる。
 いままで感じたことのない感覚だった。強いて似ているものをあげるなら、高度な星術とその術者と対峙したときの感覚に近い。
 止まっていたのはほとんど一瞬。再び歩き出した。
 ひんやりとした通路。ホワイトルームという名にふさわしく、白い無機質な壁に覆われている。扉と同じく特殊チタン合金製だ。窓はなく、照明も青白いLEDが等間隔に設置されているだけで、必要最低限だった。
 いくつか角を曲がり、階段を降りると、開け放たれた自動ドアが現れる。
 強い鉄のにおいを感じた。
 血だ。
 扉の陰に隠れて、セイラは中の様子をうかがう。もちろん星装銃を構えることも忘れてない。
 広い空間だ。天井は高く、奥行きも幅もある。
 黒光りする筐体と、それを囲むようにして連なる機械たち。大小様々なものが積み重なって巨大な機械群を形成し、壁の一面を覆うようにしていた。ほかには、至るところから無数のケーブルが外部に向かって伸びている。
 人が死んでいた。
 室内に散らばった死体。全部で三体。もはやおなじみとなったテロリストの装束。しかしどれも額や心臓に銃創があることから、自殺とは考えにくかった。
 そして、部屋のほぼ中央に、生きた人間が立っていた。こちらに背を向け、筐体に設置されたコンソールパネルを操作しているようだ。その人物の傍らには、大型トランクが置いてある。
「やはりねぇ……星核炉そのものよりも、エネルギーを変換する装置がね……大きすぎるよねぇ……」
 男の声だった。誰に対してでもなく、ぶつぶつとつぶやいている。まるで緊張感のないトーンに、周囲の惨状がギャップとなって浮かび上がる。
「まあ、もう関係ないけど……ふふ。――ん?」
 音もなく忍び寄ったセイラが、背後から星装銃を突きつけた。
「動くな」
「おっと、びっくり。誰だい?」
 まるでびっくりしている様子ではなかった。むしろ落ち着いている。
「ICISだ。両手を挙げろ」
 男は言われたとおりにする。セイラは男が装備していた拳銃やナイフを外し、遠くに放り投げた。
「おかしいな。まだ外部からの突入はないはず。ふむ……ということは、最初から内部にいたってことか。まだ若いねぇ……?」
「黙れ。テロリストとおしゃべりする趣味はない」
「そんなこと言わずに。たとえばほら、なんでテロリストどもが自殺したのか気にならないかい?」
 セイラが動きを止めたのは一瞬だった。たしかに気になるが、それはいま知ることではない。この男自身もその「テロリストども」に入るはずだが、まるで区別しているような言い方も気になった。
「あとはあれだ。テロリストたちはどうやって侵入したのかとか。武器の持ち込み方法も気になるところだよね。それに、そこで寝そべっている連中だけは自殺じゃなくて他殺なのはどういうことか、とかさ」
 頼んでもないのにずっとしゃべっている。この場合必要なのは情報ではなく、直ちに敵を行動不能に陥らせることだ。
「答えを最初に言っちゃうとね、そこの三人を殺したのは僕。ここは船内放送が聞こえないから――がぁっ!?」
 男の体がびくんと震える。セイラが星装銃の引き金を引いていた。 至近距離からの一撃。致命傷にはならない威力だが、昏倒させるには充分だった。男は膝からくずおれる。セイラは男のガスマスクと目出し帽を取り除いた。
 日本人に見える、平凡な三十代男性の顔がそこにあった。不細工ではないが、整っているわけでもない。印象に残らないタイプの顔立ちだ。
 筐体のほうへ目を向ける。筐体のほぼ中央に当たる部分に小型の扉があり、開放されていた。
 まさかこれは――と考えた矢先、銃声とともにセイラの頬を弾丸がかすめた。
 常人離れした反射能力で飛び退き、星装銃を構えつつ体勢を立て直すと、昏倒させたはずの男が銃口を向けていた。
「実弾ではなくエネルギー弾か。変わった銃を持っているね」
 言いつつ、再び発砲。
 猫のような身体能力で跳躍しつつ弾をかわし、セイラは物陰に隠れた。
「あのねえ。きみはセオリーってものがわかってないね。映画とかではさ、いろいろ情報なり設定なりを聞き出すシーンでしょうに。せっかく僕が自分からしゃべっているのにさ。もったいないなぁ」
 こんな状況でどうして貴様に説教されないといけないのかと、セイラは危うく突っ込みそうになった。    
 星装銃の出力は死なない程度に抑えてあるが、強力なスタンガンほどの威力は備えていたはずだ。大型動物でもしばらくは目覚めない。なのに予想よりも早く目覚めてしまった。小型星核炉に気を取られ油断していたことで、男が動き出すのに気づくのが遅れた。しかしセイラがそのことで自己嫌悪に陥ったのは一瞬。
「こんな場所でなにをしている?」
「んー……宝探し、かな」
「貴様が黒幕か?」
「そうだよ。革命戦線アナなんちゃらは哀れなおとり。彼らには感謝しよう。もっとも、みんな死んじゃったけど。あはは! ――むむ」
 笑い出したと思ったら、急に押し黙った。この男、どうも態度にムラがある。
「ああ、せっかくのところ申しわけないんだけど、そろそろ僕もおいとましなくちゃ」
「待て。気が変わった。もう少しおしゃべりに付き合ってもいいぞ」
「時間稼ぎのつもりかな? きみは美人さんだし、もったいないけど、もうタイムアップだ。突入されたら厄介だし……Z・Eに動き出されたら面倒なことこの上ないし……」
 最後のほうの台詞は、ぶつぶつと独り言のようだった。Z・Eとはゾディアーク・エネルギーを指している。
 男はこちらに拳銃を向けながら、器用にトランクを抱え出入り口に向いた。セイラは星装銃を撃ち込むが、避けつつ拳銃で反撃された。
「じゃあね! もう会いたくないかも!」
 そんな台詞を言い残して、駆け出す。セイラの動きを牽制しつつ、すぐに扉の外に消えた。
 戦いに慣れている――セイラが率直に感じた感想だ。ふざけた言動に意識が向くが、男は最低限かつ最適の動線で、見事に目的を達成している。頭の回転は速い。ついでに身体能力も高く、隙がない。
「……わたしだって会いたくないが、そうはいかないんだ」
 つぶやき、男を追う。
 ホワイトルームへつながる扉からセイラが出ると、銃弾が飛んできた。難なくかわし、見ると男は遠くの曲がり角へ消える寸前だった。
 男が抱えているトランクは、それなりに大きく重量もあったはずだ。にもかかわらず、男の動きは速い。さらにこちらに攻撃してくる余裕もあった。一筋縄ではいかないことを覚悟しながら、セイラは男を追った。
 誰もいない、しんとした廊下を駆け抜ける。途中、物言わぬテロリストの死体を何度かまたいだ。
 男は船の上階へ向かって逃げているらしかった。明確な目的地があることは、その足取りからして確実だ。
 階段を上り、踊り場へ。さらに上には展望ラウンジと、外には展望デッキがある。
 ふと、窓の外に飛んでいる影を見た。思いのほか近い。鳥などではなく、明かな人工物。耳をすませば、かすかに聞こえてくるローター音。占拠初日にヘリが撃墜されてから、セレスティアル号の上空付近を飛んでいる機体はなかった。報道ヘリはもちろん、警察のヘリも近づいてない。
 となると――
「そういうことか」
 納得がいったセイラは階段を大股で上り、ラウンジを抜けて展望デッキに出る。この船でいちばん高い階層に位置していて、横須賀港を一望できた。
 ローター音が響いていた。
 ヘリではなく、小型の無人垂直離着陸機、通称ヴォルテックと呼ばれる機体だった。それがぎりぎりの高さでホバリングしていた。乗用車ほどのサイズの機体で、両翼にティルトローターが装備されている。遠隔操作が可能であり、災害現場への物資の調達、銃器を搭載すれば戦闘機にもなるなど、世界的に活躍している機体だ。
 男が例のトランクを機体下部のアームに取り付けていた。
 セイラに気づいた男がサブマシンガンで発砲してくる。物陰に身を隠し、やり過ごした。展望デッキは遮蔽物が多く、身を隠すのに困ることはない。
 人を乗せて飛行する設計ではないが、ひとり程度なら乗っても飛行は可能だろう。男がこれに乗って脱出しようとしているのは明白だった。
「きみもしつこいなぁ!」
 そう言いつつ、サブマシンガンを発砲してくる。
「気になる男はどこまでも追いかけないと、気が済まないたちなんだ」
 セイラも応戦する。
 ポイントを変えつつ、セイラはヴォルテックに迫っていった。エネルギー弾と実弾の応酬が続いた。
 ちょうどいいポイントを見つけ、セイラは男の死角となる場所からヴォルテックを狙った。電子制御で動いている機体に、星装銃のエネルギー弾は効果が高い。
 星装銃の出力を上げ、発射。充分な熱量を持つエネルギー弾は、当たれば確実にヴォルテックの電装系をショートさせ、無効化できる。
 しかし、エネルギー弾は阻まれた。
見えない障壁に当たるかのごとく、霧散した。
 まさかと思いつつセイラは星装銃を連続で発射。弾切れというものを気にしなくていいから、遠慮はしない。
「――ちっ」
 エネルギー弾はすべて弾かれた。やはり見えない障壁が邪魔している。
 そして、いつの間にかヴォルテックに跳び乗っていた男が、最後とばかりにサブマシンガンを掃射してきた。
「遊びはここまでだ。今度こそごきげんよう!」
 まるで映画の一幕のような台詞と伴いながら、男はヴォルテックとともに飛び去っていく。
 すぐに射程範囲を抜けられた。
 ヴォルテックが小さくなっていく空を見上げながら、セイラはつぶやく。
「犯人を逃がしたのは久しぶりだな……」

 事態は迅速に収束していった。
 セレスティアル号に機動隊が突入し、残っていた人質は全員が救出。船内に残っていた犯人たちは、縛り上げられた三人を除外した全員の死亡が確認された。
 ヴォルテックに乗った男は依然逃走しており、警察が全力で捜索している。事件の重大性から、ICIS日本支部も協力していた。
 埠頭に止まっている様々な車の中に、ICIS所有の大型オペレーション・カーがある。大型バスを改造し、車内に最新鋭コンピューターを配備。大型モニターや各種通信機器も備え、出先ですべて間に合うよう設計された特注の車だ。
 車内の椅子を寄せ集めて縦に並べ、ベッド代わりにしているのはセイラだった。セレスティアル号のスイートルームにあったベッドとは、寝心地が雲泥の差なのは仕方ない。ないよりはマシだと無理やり納得し、横になっていた。
 セイラのほか、車内には数人のICIS職員がいる。セイラに椅子を取られて立ったまま仕事しているが、誰も文句は言わない。
 詩桜里はいなかった。彼女は現在、警察の事情聴取を受けるため席を外していた。
 セイラは立場上、警察の事情聴取は受けず、ICIS上層部の聴取を受ける手はずになっていた。だが先方がまだ到着してないため、休んでいたのだった。
 詩桜里が戻ってきたので、セイラは上体を起こした。
「あー……お風呂入りたい……」
 椅子に座り、脱力する詩桜里。彼女は職員が入れてくれたコーヒーを飲んだ。インスタントで味は微妙だったが、まともに味があるものを口にするのは久々だったので、三割増しくらいに美味しく感じる。
「柊捜査官、やはり病院を手配しますか?」
 女性職員が気を利かせて言う。監禁されていた人々は疲労と精神的緊張の極限状態にあったため、解放後はほぼ全員が病院に直行した。人によっては入院が必要だろう。セイラと詩桜里は仕事柄タフで比較的元気だったので、簡単な検査だけで病院には行かなかった。
「いえ、大丈夫よ。ありがとう」
 詩桜里は壁のモニターに視線を移した。大型モニターの一角はテレビの報道特別番組が映し出されている。自分が知る以上の情報はないから、セイラは最初から無視していたが。
 空を飛ぶヴォルテックが映る。埠頭のどこかから、報道クルーが撮影したものだ。遠目だが、機体の上に人影が見えた。
「な、なにあいつ……カメラに手を振ってるわよ……!?」
 ヴォルテックの機上で、カメラに向かって男が手を振っている。遠すぎて顔は映ってないが、もしかしたら笑顔かもしれない。それを見た男性職員が、「クレイジーだ……」とつぶやく。
「ふざけた男だったな。久々に殺意を覚えた」
 そんな男だが、想像以上の実力を兼ね備えていたことは、セイラも認めざるを得ない。さもないと、有能なICIS捜査官である彼女が取り逃がすわけなかった。
「ねえ、その男が星術使ったってほんと?」
 詩桜里には、あらかじめ簡単に説明していた。
「ああ。物理障壁を作り出す星術だった。かなりの使い手だな」
 術者本人だけでなく、ヴォルテックそのものも術の庇護にあった。高い星術行使能力であることの証左だ。
「このご時世によくもまあ、あそこまでの使い手が育ったものだ」
「あなたが言わないでよ。<マテリアライズ>と<イセリアライズ>だったかしら、あんなチート級の術が使えるのに」
 <イセリアライズ>は<マテリアライズ>の逆。物質を素粒子レベルにまで分解する星術だ。<イセリアライズ>をかけられた星装銃は現在、極小に分解され、セイラの周囲と空気と同化している。ちなみに<イセリアライズ>と<マテリアライズ>は基本、セットで覚える術となっている。
 星術とは便利な術だ。理論上ではさまざまな現象を操ることができる。しかし、その反面習得が困難になっていた。たとえるなら、世界各地のあらゆる言語の読み書きをマスターするのと同等か、それ以上とも言われている。
 そして、現代においては星術を習得するメリットが限りなく少ない。出先で火を利用したければライターがあるし、セイラが中央デッキで使った風を操る星術も、そもそも日常生活で風を操る機会や必要性があるのか疑問だ。つまり、苦労して星術を習得しても、代用となる科学技術があるため、無用の長物になる。
 そのため、現代社会で暮らす一般人にとって星術は、存在は知っているが実際に見たことはない、という認識が大半だった。
 現代において星術が活躍する場合は、戦闘や戦争が代表的だった。その身ひとつで重火器に匹敵する火力を持つことができる。それでも、時代を追うごとに使い手は少なくなっていくが。
「わたしの予測が正しければ、テロリストたちが自殺したのも星術が絡んでいる」
「どういうこと?」
「自殺の直前、不自然な船内放送が流れただろう?」
「ああ、『七つの子』ね」
「あれが自殺のきっかけだったのではないか? あの音楽を聴いたら、自殺するように暗示をかけられていた。そう考えるとつじつまが合う」
「自殺するような暗示なんて可能なの?」
 生存本能に完全に逆らうような暗示は、本来なら不可能だ。それほどまでに生物が生きようとする欲求、死に対する恐怖は強い。
「だからこその星術だ。精神へ作用する星術があるのは知っているだろう? 難度が高い術だが、成功すれば可能だ。星装銃が効かないレベルで物理障壁を組み上げたんだ。それくらいはやってのけてもおかしくはない」
 そのとき、車内の電話が鳴った。
 数分ほどで通話を終えた男性職員は、かなり戸惑った様子だった。
「どうしたの?」
 詩桜里が訊いた。
「本部からです。その……逃走したヴォルテックが消えた、と」
「消えた? 見失ったってこと?」
「それはそうなんですが、本当に消えたと言ってましたが……」
 説明していて自分でも自信がなくなったのか、職員の声が小さくしぼんでいく。
 本部の報告によれば、警察の航空隊と連携して捜索に当たっていたが、突如、目の前でヴォルテックが消失したという。墜落したわけではなく、文字どおりの消滅。付近を捜索したが、まるで手がかりはなかった。
「もう、なんなの……頭痛いんだけどっ」
 詩桜里が頭を抱えた。聡明な頭を持っていても、疲れた体では理解が追いつかなかった。
 やはり一筋縄ではいかないかとセイラが考えたとき、車内後方にある自動ドアが開き、人が入ってきた。
 長身の外国人男性だった。ブロンドの髪をオールバックにまとめている。四十代後半だが雰囲気は若々しい。顔は骨張っているが、ブルーの瞳はどこか優しげな印象を与えている。彼はセイラと詩桜里を認めると、軽く手を上げた。
「久しぶりだね、ふたりとも。帰国早々大変な目に遭って、お見舞い申し上げるよ。こんな殺風景なところで再会したくはなかったが」
 流暢な日本語だった。朗らかで親しみやすさを感じる口調。
 彼の名前はジェームズ・フォスター。ICIS日本支部に所属する特等捜査官。セイラと詩桜里の直属の上司に当たる。前線からは退いた身とはいえ、そのたぐいまれな捜査能力は、世界各地の支部で伝わるレベルだ。
 フォスターは、テーブルを挟んだ詩桜里の正面に座った。
「疲れているところ申しわけないが、悪いニュースがある」
「ヴォルテックが消失した話は聞いているぞ」
「いや、それも悪い話には違いないが、もっと悪いニュースだ」
 セイラと詩桜里は目を見合わせた。
「いやはや、実にとんでもない事態になった」
「今回の事件は、最初から最後まで充分とんでもないと思えるが、それ以上か?」
 誰に対しても口調を変えないセイラ。
「そうだね。犯人たちの自殺や、逃走したヴォルテックと男の消失……そんなものは正直に言って、序章に過ぎなかったようだ。ふたりとも、セレスティアル号の動力源がなにか知っているね」
「小型星核炉だろう。それがセレスティアル号からが盗まれたか?」
 フォスターは目をぱちくりした。
「知っていたのかい?」
「いや、どうも話の流れから、それしかないように思えてな」
「ちょ、ちょっと待って! 小型星核炉が盗まれる……? そ、そもそも取り外しできるものなの?」
「詩桜里くんの気持ちもわかる。わたしもそう思ったさ。だが、どうやら事実らしい。つい先ほど、ゾディアーク・エネルギーの関係者が調査のために船に乗り込み、小型星核炉の消失に気づいた。自然になくなるものではないのは明白だから、盗まれたという結論しかないわけだ」
 フォスターが胸ポケットから一枚の写真を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。
 白地の背景に黒い円筒形の箱が写っている。精密な電子機器のようにも見える。家電量販店の棚に並んでいても違和感はないだろうが、見ただけでは用途は不明だった。しかしそれ以上の情報はほとんどなかった。箱には文字や記号などなにもなく、デザインのようなものもない。中がどんな構造をしているのか、まるで知らしめるつもりのない形。
「高さ五十センチ、幅三十センチ。重さは約二十キロ」
 フォスターの補足説明に、詩桜里が声を荒らげた。
「ま、待ってください! まさかこれが小型星核炉ですか?」
 詩桜里の問いに、フォスターは重くうなずいた。
 詩桜里は、星核炉というからにはもっと大きなものを想像していた。小型とついていても、まさかこんな子どもほどの大きさしかないのは予想外もいいところだ。
 この大きさのものひとつが、セレスティアル号におけるすべての電力エネルギーを発生させている――その事実に、さすがのセイラも驚きを隠せない。
「セイラくん、ホワイトルーム内部でこれを直接見たかい?」
「直接は見てない。だが、あのトランクならすっぽり入るサイズだな」
「うん。男がトランクを持ちながら船内を逃げたのは、防犯カメラに映っていた。セイラくんの話も聞いていたし、その男が小型星核炉を持ち出し逃走したのは明白だ」
 フォスターは写真をつまみ上げ、念じる。
 指先から火がつき、写真はすぐ灰になった。
 簡単な星術だった。フォスターは格好よくタバコに火をつけたかったために、若い頃に苦労してこの星術を覚えた。しかし術取得直後に結婚。妻が大のタバコ嫌いだったため、使い道がなくなってしまう。まさに無用の長物だ。
「悪いね。必要な人物だけに見せたら完全に処分しろって言われていて。わかっていると思うけど、他言無用だからね」
「ゾディアーク・エネルギーの秘匿性は相変わらずだな。ちなみにいまの写真をネット上に拡散させたらどうなる?」
「恐ろしい仮定だな……ここにいる人間は完全に首が飛ぶだろうね。比喩ではなく。ネット上で写真を見た者も特定されて、どうなるかわかったものじゃない」
 ゾディアーク・エネルギーは、設立当初から星核炉の情報を完全に統制・秘匿していた。その秘匿性を守るために、人死にも辞さないという恐ろしい風潮がある。もちろん現代社会の法規を逸脱するが、星核炉の影響力はもはや文明の存亡に関わるレベルに迫っていることから、大国ですら口出しできないでいた。
「フォスター、それでこの情報をわたしたちに伝えたということは、小型星核炉の行方を追え、という命令か?」
「いや、そうじゃない」
「なに?」
「ただの事実確認だけさ。小型星核炉は、ゾディアーク・エネルギーの実行部隊が全力で捜索するんじゃないかな」
「実行部隊……SFGか」
「そうだね。こちらとしては手伝ってもいいと言ったんだけど、必要ないって、けんもほろろに断られちゃって」
 しばらく、沈黙が落ちた。
 やがて「ああそうだ」と、フォスターは思い出すように口を開いた。
「この際だから、きみの今後の予定について話しておこう」
「具体的な任務はもう決まっているのか?」
「うん。セイラくんにはしばらく、『神の遺伝子』捜索をやってもらうつもりだ」
「なんだそれは」
 はじめて聞く単語。
「わたしも詳しくは知らない……ははは。ごめんね」
「話にならん。詳細がわからないものをどうやって探せと? だいたい、それはどういう犯罪に関わっているんだ?」
 フォスターは苦笑いしながら首を横に振った。ICISが人以外のものを捜索する場合、それがなんらかの犯罪に関わってないとおかしい。フォスターはそれも含めて不明と述べた。
 不満げな顔をするセイラ。詩桜里も腑に落ちないといった表情を浮かべていた。
「ふたりの気持ちもわかるんだけどね。どうもこの件、上の口が堅くって。それにいつも以上にきな臭い」
「まあでも、セイラ向きの仕事よね。情報が少ない中でもフットワークの軽さでカバーできるのがあなたのすごいところよ」
「わたしは便利屋ではないのだが……まあいい」
 セイラは立ち上がり、コンソールパネルまで移動する。パネルを操作すると、モニター一面に外部の映像が映し出された。オペレーション・カーの天井に備えつけられている、カメラのリアルタイム映像だ。
「神の遺伝子とやらは、もちろん全力で捜索しよう。しかし、きな臭いということは、ドンパチやる可能性が高いということだな?」
「うん。否定はしないよ」
 フォスターは静かにうなずいた。
空はいつの間にか茜色に染まり、遠い西の空は夜色が顔を出していた。
「今回の事件は忸怩たる思いがある。死人がたくさん出た」
「でもそれは、あなたの責任じゃ――」
 と、詩桜里。
 セイラは首を横に振った。
「わたしは人を殺めることができないが、だからと言って、自分で直接手を下さなければ死人が出てもいいというわけではない」
 フォスターも詩桜里も黙って聞いている。
「たとえ犯罪者であっても、それが事故であっても、捜査の過程で死人は出さない。こればっかりは絶対にとは言い切れないが、それでもわたしの矜恃の中に深く刻み込まれている。ふたりも覚えておいてくれ」
 セイラの声音は研ぎ澄まされた真剣のような鋭さがあり、同時に重みもあった。車内の空気が緊張感を帯びてくる。
「元暗殺者のわたしが背負った咎――人間未満のわたしを、手助けしてくれると嬉しい」


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