ヴァイオリンケースを片手に、わたしは天野宮自然公園の遊歩道をがむしゃらに走っていた。
……月城くんはどこ? ……なんでどこにもいないのっ!?
焦燥を表すメーターが、限界を越えそうだった。
息が切れ、つい立ち止まる。展望台から一心不乱に走ってきたから、運動不足のわたしにはこたえた。
月城くんだけじゃなく、自分までも見失いそうになった。
「だめ……考えて……考えるのよ、綾瀬由衣」
思考を止めちゃだめ。考えて。
冷静に。そう……冷静に。
周囲を見わたした。遊歩道の周囲は、青い芝生が敷き詰められた広場がある。楽しそうにボール遊びに夢中になっている子どもたちや、それを見守る親のやさしげな視線。そんな喧騒が、その広場いっぱいに賑わっていた。
……この場所で、月城くんは自ら命を絶つのかな。
月城くんは、本当は誰よりもやさしいんじゃないかと思う。なんとなくの漠然としたイメージでしかないけど、それは間違いないとわたしは確信している。
大勢の人たちが憩いの場としているこの公園。そんな場所で自殺者が出たら、ここに集う人たちはどう思うだろう。やさしい月城くんが、このぬくもりの満ちたしあわせな空間に水を差すことをするだろうか。
月城くんは、もうここにはいない。彼が命を絶つなら、別の場所――わたしの勘がそう結論づけた。
それなら、どこ?
「……わかんない……わかんないよ……」
最後の希望を込めて、わたしは携帯電話を取り出し、すぐにコールした。呼び出し音が、いつもよりやたらと長く感じる。
通話の相手――天宮くんが声を発した瞬間に、わたしは叫んだ。
「天宮くん! 助けて!」
『あ、綾瀬さん……どうしたの? そんなに慌てて』
「あ、あのね、月城くんが」
『秀一? 秀一がどうかした? そういえば、例の計画はうまくいった?』
「そ、それは大丈夫だったの。でもっ、そのせいで月城くんは死ぬって!」
『え……死ぬ?』
「うん……月城くんが――」
『あ――ちょっと待って!』
「え?」
答えは返ってこない。痛いまでの沈黙だけが返ってきて、かなり不安になった。
『……いま、秀一とすれ違った』
天宮くんの声に、真剣な響きが加わった。
「えっ!? どこでっ!?」
「僕はいま、海岸沿いの道を歩いているんだけど……タクシーに乗った秀一と目が合った……あいつ……泣いて……いた……?」
泣いていた。
あの、月城くんが?
『綾瀬さん、いったいなにがあったんだ?』
「それは――」
事情を話した。わたしの演奏を聴いた月城くんが、死を決意したこと。
『あの馬鹿……そんなことをっ!?』
天宮くんの声には、隠しようがないほどの苛立ちが含まれていた。
『とりあえず僕は秀一を追うよ。だから綾瀬さんもタクシーを捕まえて、急いでこっちに向かってくれ!』
天宮くんが走り出したような、そんな気配が伝わってきた。
「う、うん……でも、どこへ?」
その場所を聞いた。
「その場所は……?」
『ヨーロッパへ渡る前、秀一と桃子ちゃんがよくいた場所だよ。いまでも秀一はよくそこにいる……タクシーが向かっていた方角もそうだけど、あいつが他人にそれほど大きな迷惑をかけずに死にそうな場所は、そこぐらいしか思いつかない』
天宮くんの声に含まれた苛立ちの響きが、哀しそうな響きに変わった。
『とにかく、急いでくれるかな。焦らなくてもいいから』
通話を切り、携帯電話をポケットにしまった。
そして、すぐに走り出す。
走りながら決意する。
月城くん――絶対に、あなたを死なせないから!