悪夢を見て目が覚めるのは何度目だろう。
「――――」
どんな悪夢かは忘れていた。でも、とてつもなく悪い気分になっていることだけは覚えている。
眠気もどこかに吹っ飛んでいた。
ベッドから下りる。壁にかかった上着を持って、部屋の外に出た。
当たり前だけど、廊下は静まりかえっている。時計は見てないけど、家族はみんな寝静まっている時間だろう。
1階へ降り、靴を履いてゆっくりと玄関を開けた。
11月の冷えた空気が全身を包んだ。まあ、心も冷えているからちょうどいいかと、あまり意味のないことを考える。
道路は無人。車やバイクの往来もない。近所の住宅も沈黙を保っている。聞こえてくるのは、海と風が織りなす無感情な音だけ。
いま、この世界で俺ひとりだけだ――やっぱり意味のないことを考える。
街灯のほのかな光が照らす歩道を歩いて行く。
目的はない。
そもそも、俺はなんでこんな時間に出歩いているんだろう。
気分転換?
……あー、そういえば前にも似たようなことがあったような。
あれは春と夏の中間くらいの季節。たしかセイラが転校してくる前日……って、この日はいろいろと印象深い日だ。あの日も悪夢で目が覚めて、そのあと悠と話して、それからいまみたいに散歩した。
公園の前を通りかかる。
そう、あのときはここで惺と会った。ひとりバレエを踊る惺は、この世のものとは思えないほど美しかった。
その場所に行く。
誰もいなかった。
「…………」
期待してたわけじゃない――はずだ。むしろ、あのときみたいに惺がいたとして、どう会話すればいんだろう。
たぶん惺だけじゃない。
セイラや悠、真奈海や奈々たちも、俺の様子に気づいている。気を遣われているような実感がある。俺に対してみんなが、なにか言いたげな雰囲気しているのをよく感じていた。
もうどうしようもなかった。隠せなくなっていた。いままで隠せてたとしたら、それができなくなってる。つまり、そこまで追い詰められているってことだ。そして自分でそこまでわかっていても、やっぱりどうすることもできない。
俺は「あの場所」でなにをしたいんだろう。
悲しいとも切ないとも違う。
ただ心が渇いていた。
――そのとき、なにかの気配を感じた。
細長い影が、俺の足もとまで伸びていた。
視線を移していくと、小さな塊。
1匹の猫だった。
「こんばんは。星峰凜くん」
猫から声が聞こえた。
「――――っ!?」
「まあまあ、そんなに驚かないで――」
どこか気の抜けた声。知らない男の声。
「きみの居場所は見つかったかい?」
いろんな意味で驚愕した。
なんで猫が。
どうしてそんなことを。
「だ――――だ――れ?」
「きみのことをよく知ってる人――いや、いまは通りすがりのただの猫だにゃ。星峰凜くん――いや、煌武凜くん」
「――っ!?」
「だからそんなに驚かないでにゃ」
猫が近づいてくる。
やがて――ぴょんっ、とジャンプ。俺の体に飛びかかった。逃れることなんかできず、そのまま倒れてしまう。
猫は俺の胸の上で、興味深そうに睥睨してきた。
「そんなに怯えないでいいよ。別にとって食おうなんて思ってないから。それよりも、さっきの質問――」
思考とのどが凍りついている。満足に息ができない。
「新しい家族と愉快なお友達と素敵な学園は、きみにとっての居場所になりえたかな?」
ぺらぺらとしゃべっているのに、猫の口は動いてない。というより、この声は脳に直接語りかけられているような――?
「な――なんで――そんな――っ!?」
「気になるからだよ……まあ、答えは聞かなくてもわかるかな。イエスだったら、そんなに苦しそうな表情にならないからね」
「お――おまえはっ――!?」
猫を弾き飛ばす。
しなやかな動作で少し離れたところに着地した。
「やれやれ。動物虐待だにゃ。僕泣いちゃうにゃ」
「だ、黙れっ!?」
「僕が黙っても、きみは苦悩から解放されない。まあでも、解放される方法はある。僕は知っている」
「な――に?」
「けれど、いまはまだそのときじゃない。いずれ機会は訪れる。そのときはきっと、『僕』ときみが再会するときだにゃ」
猫が足音も立てずに歩き出す。
「ま――待ってっ――!」
猫は振り返りもせず、そのまま夜の闇に消えていく。
それが現実だったのか夢だったのか、とうとう最後まで判断がつかなかった。