Brave03-6

 地下の演習場から地上の本部へ移動し、ミーティングルームの一室を借りた。
 照明を落とした薄暗い室内。大きな会議用テーブルを挟んだ向かいに、レイジが座っていた。両足をテーブルの上に投げ出すという行儀の悪さには、目をつむることにする。
 それより問題なのが、壁のモニターに映し出された赤鬼……もとい、我が上司だ。
 
『――説明してくれるかしら、セイラ』
 
 詩桜里のこめかみに青筋が浮かんでいる。解像度の高いモニターだから、しわのひとつひとつまでくっきりと見て取れる。
 
「まず主語を言ってくれ」
『そこでふんぞり返っている男はなにっ!?』
「やっほー、詩桜里ちゃん。元気?」
 
 へらへらと笑っているレイジが、詩桜里の神経を逆なでする。
 
「わたしの記憶がたしかなら、ふたりは面識があるはずだな」
「おう。詩桜里ちゃんが新人だった頃、よぉ~くお世話してやったぜ。……くっく、いろんな意味でな」
「ほう。詳しく聞きたいところだ」
『だぁ~~もうっ! 黙らっしゃい! なんで雨龍捜査官がそこにいるのよ!?』
「ま、いいじゃないか。俺のことは気にせずに」
『セイラ、その男を太陽系――いえ銀河系から即刻追い出して。手段は問わないから』
「……だそうだが、おまえは詩桜里に宇宙的規模で嫌われるようなことをしたのか? 過去になにがあった」
「俺がそんなへまするわけないだろ。しかし詩桜里ちゃん、昔より怒りっぽくなったか? 俺の知っている詩桜里ちゃんは、もうちょっとおとなしかったと思うんだが」
「そうだな、わたしの計算では、詩桜里とはじめて会ったときから現在まで、だいたい30パーセントほど沸点が下がったかな。やれやれ」
『やれやれじゃないわよ!? だいたい沸点が下がったのは誰のせいよ!』
「…………さあ?」
『むかっ。もういいわよ! とにかく、その男がいると報告もなにもできないでしょ。そいつは部外者なの! しっし!』
 
 レイジは楽しそうにのほほんとしている。
 
「詩桜里ちゃん、俺はおまえさんと同じ上級捜査官だ。上級捜査官は権限として、関わってない事件でも概要を知ることは許されている。そうだろ?」
『っ……そうだけど、あなたは「渡り鳥」……おいそれと話すわけには……あと、軽々しくちゃん付けは――』
「おやおや、詩桜里ちゃんもついに渡り鳥を差別する、つまんねえ制服組になっちまったか。ま、そういう連中に囲まれて仕事してたら仕方ねえが。けど、おじさんは悲しいぜ」
 
 同じICIS捜査官だが、わたしとレイジでは決定的な違いがある。
 レイジはどこの支部にも所属していない、いわば孤高の存在だ。世界各地を転々とし、その国のICIS、または捜査機関からの依頼を受けて仕事をする。報酬も一般的な捜査官よりも割高。ICIS捜査官という国際的なライセンスを持っている、一種のフリーランス。仕事内容によっては傭兵のようなこともする。
 彼らのことを、業界用語で「渡り鳥」と呼んでいた。
 そしてレイジは、渡り鳥と呼ばれる捜査官の中でもトップクラスの実力と信頼を勝ち得ている人間だ。彼の実力は、渡り鳥はあまり出世しないと言われているにもかかわらず、ノンキャリアでありながら上級捜査官にまでのぼり詰めた結果が証明しているだろう。
 
「詩桜里、この男はきっと意地でも動かないぞ。あきらめて連絡事項を話せ。時間の無駄だ」
「そうだそうだ。重要なんだろ?」
『………………。リスティ、お願い』
 
 腕を組んで、眉根を寄せながら詩桜里は横を向く。それからやけのように紅茶を飲んだ。
 モニター上の、詩桜里の横に小さく表示されていたリスティ。表示の大きさが詩桜里と入れ替わる。
 
「最初から気になっていたが、その可愛い子ちゃんは誰だ?」
 
 リスティが自己紹介すると、レイジがひゅう、と口笛を吹いた。
 
「おう、めずらしいファミリーネームだな。リスティちゃんでいいか。んでどうよ、今度一緒にホテルでも行かねぇか?」
 
 小動物のように可愛らしく慌てふためいたリスティとは対照的に、殺意のみなぎった恐ろしい視線を向ける詩桜里。
 
「レイジ、詩桜里が『わたしじゃなくてリスティを真っ先に誘うなんてどういう了見よ!』とやきもちを焼いているが」
『違う! そんなわけないでしょ!? ふつう初対面でホテルに誘う!?』
「んー? これがけっこう成功するんだよな。性交する場所だけに。くわっかっかっ」
 
 一同が押し黙った。
 こんなに寒いと感じたのは久しぶりかもしれない。
 
「……あ、なんだ? 避妊はするから安心してくれ。そういや、海外の知り合いが日本のコンドームは質がいいって褒めてたな。ところで、リスティちゃんは処女か?」
 
 詩桜里が頭を抱えた。小声で「もう嫌ぁ」とつぶやいている。リスティは顔を真っ赤にして口をパクパクさせていた。
  
「リスティ、こいつのセクハラは受け流して、報告を聞こう」
 
 いったいどれほど話が脱線すれば気がすむのか。リスティもそう考えたのか、ぶんぶんと頭を振り、咳払いをして真剣な表情を作る。
 
『えっと……例の動物惨殺事件に関連すると思われる案件です』
「新しい被害でも出たのか?」
『はい。ただし、今度の被害者は人間です」
「ほう」
「今朝方、ふたりの人間が遺体で発見されました』
 
 モニターにその現場らしき写真が数枚表示される。警察から提出された捜査資料だそうだ。被害者の個人データも表示された。
 四十代の会社員の男性と、水商売をやっている二十代の女性。そのふたりが、東京都多摩市と埼玉県飯能市の路上でそれぞれ見つかった。男性は今日の午前5時頃、女性は午前6時頃に発見された。被害者の身元におかしな部分はない。完全な一般人のようだ。
 写真を見る。案の定というか、遺体は肉食動物に食い散らされたかのように凄惨な様子を醸している。ただし、堀江美代子の遺体よりは多少はマシだろう。ふたりの遺体はバラバラだが、まだ体のどの部位なのか、写真からでも判別できるレベルだ。それをマシ、と表現していいのか微妙なところだが。
 
『捜査が始まって間もないので暫定的ですが、被害者ふたりのあいだに接点はないようです。犯人の遺留品と考えられるものも見つかっていません。なので、警察もどのような切り口で捜査したらいいのか手をこまねいているようで――』
 
 そのほか、事件の細かな説明を受ける。
 報告を聞いているあいだ、レイジは自分のタブレット端末をいじってなにやら熱心に調べものをしていた。そういえば、わたしのタブレットは例の倉庫に置きっ放しだったことを思い出す。
 
「レイジはなにをしている?」
「ここや警察のデータベースにアクセスして、ちょいとな」
「なにか見つけたのか?」
「まあな。とりあえず、同じような地域で最近似たような事件『堀江美代子の不審死』っつうのが気になるな。データ上におまえの名前があるし」
「さすが目聡いな。――リスティ、説明を頼む」
 
 リスティが事件の概要を明瞭簡潔に説明する。相変わらず素晴らしい要約力だった。
 
「――おい、いま〈神の遺伝子〉って言ったか?」
 
 レイジがテーブルの上から足を下ろした。
 堀江美代子のことを語るなら、〈神の遺伝子〉について話さないわけにもいかない。きっかけは、わたしが彼女の勤務する研究所へ潜入したことから始まるからだ。
 
「もしや〈神の遺伝子〉についてなにか知ってるのか?」
 
 数秒ほど黙るレイジ。やがて口を開いたときの眼光は鋭く、ふだんの人を喰った態度はなりをひそめている。
 
「こいつは上から箝口令が出てるんだがな。まあ、おまえたちになら話してもいいだろう」
 
 レイジにしてはめずらしく真剣な声のトーンに、横を向いていた詩桜里もさすがにこちらを向き直って聞き耳を立てる。
 
「俺も〈神の遺伝子〉回収の潜入捜査に関わったことがある。ありゃ去年か。場所はドイツだったな」
「となると、〈神の遺伝子〉とは、ひとつだけではないんだな」
「らしいな。数年前から、ICISは〈神の遺伝子〉の行方を追っているらしい。なんでも、世界各地に分散しているんだとか。おまえが回収したのもそのひとつだろう」
「それで、〈神の遺伝子〉とはいったい……?」
「それの正体はさすがの俺でも知らねえ。ただな、これが出所らしいって噂が流れてな。聞いて驚くなよ。――Z・Eだ」
 
 ふつう、こんなたったふたつのアルファベットの組み合わせに、これほどの恐怖を抱くこともないだろう。その証拠に、モニターの向こうの詩桜里もリスティも、呼吸を止めていた。
 正式名称「ゾディアーク・エネルギー」。星核炉によって世界のエネルギー産業をほぼ牛耳る大企業だ。世界最大規模の企業でありながらあまりにも秘密が多く、その大部分はかなり分厚いベールに包まれている。
 
『ちょ、ちょっと待って。〈神の遺伝子〉っていう単語と、ゾディアーク・エネルギーが結びつかないんだけど』
「あくまで噂だよ、詩桜里ちゃん。本当なのかどうなのか、誰も知らねえさ」
『出所がZ・Eだと仮定して、なんでICISが動いているの? Z・Eにはたしか、いわく付きの実行部隊がいるじゃない』
「SFGのことか? たしかにそうだが……リスティちゃん。なんでSFGが直接動かないんだと思う?」
 
 問われたリスティは、数秒ほど思考をめぐらせる。
 
『……〈神の遺伝子〉捜索にSFGが直接動くとなると、それはゾディアークが関係しているものだと認めていることになります』
 
 ICISは、情報収集については世界トップクラスの能力を誇る。どんなに秘密裏にやろうとしても、SFGが動けばさすがに気づくだろう。
 
『ICISが動いているのは、いわば目くらまし。かの会社ならICISを動かすことは可能でしょう。――つまり〈神の遺伝子〉とは、ゾディアーク・エネルギーにとって自らが関わっていることを知られたくないほどの代物なのでは? そこまで慎重な動きを見せていることから、存在そのものを外部に知られたくない、という考え方もできます』
「ん。合格だ」
 
 と、レイジ。彼はこういうところで、初対面の相手の実力やら知性を測る癖がある。
 
「そうそう、動いているのはICISだけじゃないみたいだぜ」
『え?』
「世界政府やシディアスも水面下で動いているって話だ」
 
 世界政府――文字どおり、世界を統一する最高機関の総称だ。各国の情勢、情報、社会などの統一性を強固にするために結成された国際機関。日本も加盟国に名を連ねているほか、先進国と呼ばれる国はだいたい加盟している。
 そしてシディアスとは、世界政府が擁する軍事組織だ。通称〈騎士団〉とも呼ばれ、高度な戦闘能力を有する「シディアスの騎士」で構成されている。影響力は世界全土に渡り、事実上、世界最高峰の軍事力を有しているとされている。
 
『はぁ。いちばん「上」まで関係してるの? やんなっちゃうわね』
 
 ついでに言うならICISは、シディアスと同じく世界政府の下部組織に当たる。詩桜里の言うとおり、世界政府はこの世界のいちばん上に位置する最高権力だ。
 
「どうだ、きな臭いだろ?」
『もうなにがなんだか……ねえ、それで話を戻すけど、この話と一連の惨殺事件にはどういうつながりがあるの? 〈神の遺伝子〉が関係していることはもういい加減わかるけど、もっとこう……具体的に』
「それは、堀江美代子のパソコンからわたしが発見したデータが解析されれば、なにかわかるんじゃないか?」
『あれはまだ解析中じゃなかったかしら。ねえ、リスティ?』
『はい。解析が終了したという報告は入ってきてません』
「時間がかかりすぎだ。待ちくたびれたぞ」

 リスティが困ったような顔をした。
 
『データの暗号化が思いのほか強固らしくて。手こずっているようです』
『ねえ、セイラが手を貸したら早く終わるんじゃない? コンピューター関係の仕事、あなたより優秀な人材見たことないわよ』
「そうかもしれないが、ここまでくると解析班のメンツを潰しかねないからな。先方から要請があるまでは控えておこう」
 
 正直に白状するなら、データ解析という地味な作業が面倒なだけだ。最近気づいたことだが、わたしは体を動かしているほうが性に合っている。
 が、そうは言っていられない時期に来たのかもしれない。
 
「リスティ、解析班に進捗状況を確認してくれ。もし7割も完了していないのなら、わたしが直接出る」
『了解しました。――あ、それと、警察からの情報提供がもうひとつあります』
 
 モニターに男性の写真が表示される。
 一度でも会った人間の顔は絶対に忘れない自信があるが、この男の記憶はなかった。写真のほかに、人物の詳細データや経歴が表示された。
 名前は田中剛。顔に特徴はない。美形でもなければ、不細工でもない中庸な顔立ち。
 レイジは男にはまったく興味がないようで、のんきにあくびをしている。
 誰だ? というわたしの視線に、リスティが答える。
 
『堀江美代子さんの元同僚です。セイラ捜査官が潜入する2ヶ月ほど前に、研究所を辞めています』
『この情報ね、法子……もとい、沢木警部補と立花警部から連名であなた当てにね』
「わたしに?」
『捜査一課が堀江美代子の周辺を洗ったらしいの。で、どうにも怪しい人物がひとり見つかったらしくてね。それがこの男』
「どう怪しいんだ?」
『過去の経歴に不審な点がある、だそうよ』
 
 高校卒業までは高知県で暮らしていたが、渡米し理系で有名な大学へ進学。卒業したあとは各国各種の研究機関をいくつか渡り歩いたのち、例の研究所に入所。そして今年の3月いっぱいで退所している。経歴をざっくりと見ただけでは不審な点は見られない。
 
「どこがどう不審なのか、警察では調べられなかったのか」
『ええ。日本での経歴はともかく、海外での活動が長かったから、警察の能力ではそれ以上突っ込んで調べられなかったみたい。さらにとどめなのが、現在行方不明ってこと。研究所を辞めた直後からの足取りが完全にわからなくなっているそうよ。国内にいるのかも不明』
「たしかに怪しいな。警視庁のふたりは、わたしにこの人物について調べてくれと頼んできたのか?」
 
 警察では手に余るレベルの事件や情報を扱うのも、ICISの仕事の一環だ。特に国家間を股にかけた細かい情報収集では、ICISの右に出る組織はない。
 
『彼女のメールには、そこまでは言及してたわけではなかったようだけど……まあ結局、そういうことになるかしらね』
「わたしのほうは異論はないが、詩桜里としても構わないのだな?」
 
 詩桜里はうなずいた。
 
「よしわかった。さっそく取りかかろう。それでレイジ。おまえはどうするんだ?」
 
 ここまで詳しく話を聞いた以上、レイジがおとなしく引き下がるとは思えなかった。
 
『ちょ、ちょっとセイラ、待ちな――』
 
 慌てた詩桜里の言葉を、レイジが強引にさえぎる。
 
「――決まっているだろ。俺も喜んで協力するぜ。ちょうど暇してたところだからな」
 
 こんなおもしろそうなヤマは久しぶりだ、と付け加えた。
 
「だそうだが」
 
 詩桜里にボールを投げた。
 
『余計なこと言ってもう……そんな男のことなんか放っておけばいいのにっ』
「くっくっく。照れ隠しか? 可愛いなぁ、詩桜里ちゃんは」
『うるさい! ほんとにもう、うちにはただでさえ扱いが面倒なじゃじゃ馬がいるのに、その上、しつけのなってない野良犬まで飼えっていうの?』
 
 勘弁してよね、と詩桜里が肩を落とす。いろいろと言いたいことがあるが、黙っておくことにした。
 
『雨龍捜査官、軽はずみな行動は慎んでちょうだいね。絶対の絶対に』
「おう。任せておけ」
 
 余裕の態度でレイジは笑った。頼もしいのか、単に頭のネジが緩んで緊張感がないのか、判断に迷うところだ。
 ミーティングルームを出てエレベーターホールに差しかかったところで、廊下の前方から、こちらに向かって歩いてくる人物に気づく。
 苦虫を噛みつぶしたような表情の栗田だった。
 
「どうした、栗田? 機嫌が悪そうだな」
「アルテイシア捜査官にプレゼントです。はい、どうぞ」
 
 手渡されたのは、先の戦闘で倉庫に置きっ放しだったわたしのタブレット端末だった。幸い、傷ひとつない。
 
「無事だったのか。さすがにあきらめていたんだが」
「ええ。まるでそれを守るように瓦礫の山に埋もれていたそうで。ふんっ」
「そうか。ところでバイザーと電子銃はどうだった?」
 
 栗田の口もとが引きつる。それがすべてを物語っていた。
 くっくっく、とレイジが嘲笑すると、栗田の表情がさらにこの上なく歪んだ。


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