Brave03-8

 玄関を開けると、廊下の照明が点いていた。
 ……詩桜里が帰っているのか?
 現在午後6時過ぎ。こんな時間に、詩桜里がわたしより早く帰っていることは、ほぼあり得ない。
 廊下を進み、リビングへのドアを開けると、いい香りが漂ってきた。キッチンに目をやると、ひとりの人間が軽快な鼻歌を口ずさみながら料理をしていた。有名スポーツブランドのジャージの上下に、ピンク色のエプロンを身につけている。
 …………誰だ?

「あらセイラ。おかえり」
「詩桜里っ!?」
「え、ちょっ、どうしたの?」
「いや、待て。詩桜里がわたしより早く帰宅しているだけでもおかしいのに、可愛らしいエプロンをつけて、鼻歌交じりに料理をしているのが詩桜里のわけがない。おまえは誰だ!」
「あんた、どうしてそういう失礼な発想しかできないのよっ!?」
 
 それから彼女は、がみがみねちねちと中身のない小言を言った。
 
「……ふむ。そのおもしろみのない怒り方は詩桜里だな。びっくりさせるな、まったく」
 
 がくっと思いっきりくずおれ、詩桜里は両膝と両手を床につけた。
 
「な、なんなの……わたし、なにか悪いことした……?」
「着替えてくる」
 
 廊下に出て寝室へ。寝室で部屋着に着替えたあと、再びリビングへと戻った。
 詩桜里は不満と怒気をまき散らしながら料理を再開していた。わたしを認めると、きつい眼差しを向けてくる。野菜を刻んでいる包丁の動きが荒々しい。
 とりあえずテーブルの席に着いた。
 
「先入観というのは恐ろしいものだな。わたしの中では、柊詩桜里という人間は、料理をしないという先入観がいつの間にかできあがっていた。わたしもまだまだだ」
「そんなことより、まずは謝りなさいよ! 夕飯抜きよ!」
「おまえはお母さんか? 悪かったよ。謝る。それで、なんで今日はこんなに帰りが早いんだ?」
 
 ふん、と鼻を鳴らした詩桜里は、刻んでいた野菜を鍋に放り込む。
 
「今日予定していた会議が延期になってね。ちょうどほかの仕事もなかったから、リスティに『今日はもうお帰りになられてはどうですか? 雑務はわたしがやっておきますので』って勧められてね。お言葉に甘えちゃった。あの子、気が利いてる。いいお嫁さんになるわー」
「それで久しぶりに早く帰宅できたから、夕飯の準備をしてるというわけか」
「そういうこと。もう少しでできるから、ちょっと待ってて」
「おまえと同居するようになってから久しいが、おまえが料理をしている姿を見るのはこれがはじめてだ」
「そうだったかしら……」
「ちゃんとできるのか?」
「失礼ね。これでも昔は自炊してたんだから。ほら、最近は忙しいからあれだけど……ねえ、そうあからさまに不安そうな表情しないでくれる? 不愉快なんだけどっ。だいたい、このあいだあなたが作った栄養ドリンクのほうが――」
「わかったわかった。期待していいんだな?」
「もちろんよ」
 
 それから15分ほどで詩桜里の料理は完成した。純和風のメニュー。炊きたての白飯と味噌汁。それから脂がのった焼き鮭。菜の花のからし醤油和えが、食卓に彩りを加えている。中でもいちばん凝ったものは、豊かな具材の筑前煮だろうか。かつおの出汁がいい香りを放っている。
 詩桜里もエプロンを外し、向かいの席に座った。
 
「エプロンなんか持っていたんだな」
「そりゃそうよ。しばらく使ってなかったから、探しちゃったけど……さ、どうぞ召しあがれ」
 
 見栄えや香りは完璧。だが、世の中にはセオリーというものがある。まだ油断はできない。
 ひと口ずつ、ゆっくりと味わって食べる。
 素材の下準備や火の通し方など、ほとんど非の打ちどころがない。味付けも、すべてが計算されたように整っていておいしい。ブランクがあったにしても上出来だ。
 
「……口に合わない?」
「なぜ?」
「だって、なんか表情が硬いわよ」
「いや、素直に美味しいと認めるぞ。ただし、別の意味でつまらん」
「はあ?」
「詩桜里のようなキャラクターが料理をした場合、盛大に失敗するか、モザイク料理と呼ばれる得体の知れない物体ができあがるのがセオリーじゃないか?」
「な、なんのセオリー?」
「漫画やアニメ、それからラノベ。そう、日本が誇るサブカルチャーの話だ。今回の場合だと、見た目は問題ないが、味は最悪だったってパターンが鉄板だ」
「漫画にアニメ……ラ、ラノベ? なんでそんなものの引き合いに出されないといけないのよ」
「前にクラスメイトから借りた漫画に、高飛車で高慢ちきな女が料理して、キッチンが大爆発するシーンがあった。アニメ化された映像媒体も観たが、こちらはモザイクのかかった謎の物体ができあがっていたな。一般的な食材でどうしてあんな極彩色の料理ができるのか、実に興味深かったが」
「ちょっと! 誰が高飛車で高慢ちきな女ですって!」
「もののたとえだ。気にするな」
「っとにもう……素直に美味しいだけ言ってくれればいいのに……ぶつぶつ」
「ぶつぶつ言うな。女子力の高さが証明されたんだ。喜んでいいんじゃないか?」
「え、そう? わたし女子力高い? いやあ、ちょっと照れるわね」
 
 不満そうな表情が一転、晴れやかになった。
 
「しかし、なんでそれを男の前で発揮しないのか不思議だ」
 
 がくっと、肩から力が抜ける。
 
「な、なんでそれ言っちゃうの? 気にしてるのにぃ」
「どうせ仕事が忙しいとか言い出して、細かいところで女らしさをアピールできてないんだろう。最初はそれでも理解してくれるかもしれないが、男はどんどん不満がたまってくる。それが臨界点を超えたとき、振られるんだ」
「うぐっ……な、なんで見てきたように言えるのよぉ」
 
 図星だったのか、詩桜里は泣きそうになる。ついでに肩が震えていた。
 
「いいか詩桜里。女はな、ベッドの上で可愛らしく喘いでいればいいってものじゃないぞ」
「いつからあなたはわたしのカウンセラーになったのっ!? しかも夕餉の席でよくそんなこと堂々と言えるわね……だいたい、あなたまだ処女でしょ」
「それがなんだ? 膜を破ってもらう相手はもう決めているぞ」
「だから表現が……それ、惺くんのこと? 彼もかわいそうに。肉食動物に狙われた草食動物の気持ちが、少しわかったわ」
「不愉快だ」
「わたしの台詞!」
 
 そんな軽口を叩きながら、箸を進める。
 まったりとした夕餉の時間が流れていた。いつもの詩桜里との食事は、忙しい日常の合間にある作業のような感覚があった。たまにはこういうのもいい。話している内容はひどいものだったが、それは気にしないことにしよう。
 夕食後、後片づけはわたしが担当し、詩桜里は風呂に入る。彼女が出てからわたしが入浴を済ませたとき、詩桜里はリビングのソファで日本酒をあおっていた。ワインやブランデーなど洋酒が似合う容姿をしているのに、詩桜里の大好物は純米の日本酒。それも度数がめっぽう高く、辛口のやつを好んで飲んでいる。
 詩桜里に酔いがまわらないうちに、大事な用件を切り出すことにした。詩桜里の斜め前にあるひとりがけのソファに座り、彼女を見つめた。
 
「学園では、いつも図書館で勉強していたらしいな」
 
 詩桜里は目をぱちくりとさせた。
 
「…………ん? 誰から聞いたの?」
「塩屋という、図書館で司書をやっている人だ」
「あら、懐かしい名前が出てきたわね……そっか、あの人まだ学園で働いているのね」
「親しかったようだな」
「ええ。ほら、あの人、朗らかで気さくでしょ? 聞き上手でいろいろと相談乗ってくれたの」
「そうか」
「あなたが図書館に行くなんてめずらしいわね? それに塩屋さんからわたしのことを聞いたきっかけはなにかしら」
「用事があってな。紗夜華とまたお茶会をやった」 
「あら、そうなの。姉としては、妹と仲よくしてくれてありがとう、と言っておくわ」
「それよりもだ。警視庁捜査一課の立花警部と沢木警部補が、同級生でクラスメイトだったことをなぜ黙っていた」
 
 詩桜里の動きが止まり、目が細められる。
 
「調べたの?」
「ああ。卒業アルバムにばっちりと写っていたぞ」
「……そう。図書館に用事ってそれのことね。まあ、隠すわけじゃなかったのだけど。あなたも必要以上に聞いてこなかったから、話してなかっただけよ。卒業アルバムを見たってことは当然、織田くんとはるかのことも気づいたわね?」
「もちろんだ」
「ふふ。世間は狭いって、本当だったでしょう?」
 
 どこか試すような笑みを浮かべている。
 
「しかし、いくらなんでも偶然が過ぎやしないか? 周囲にいる大人たち数人が、いまわたしが通っている学園の卒業生で、クラスメイトだったとは。なにか作為的なものを感じる」
「作為……誰の?」
「それがわかれば苦労はしない」
「考えすぎよ」
「それはまあいい。もっと重要なことを聞くぞ。いまのいままで、おまえの口から真城蒼一という名前が出てきたことはない。わたしと彼の関係は知っているだろう? どうして彼が担任だったことを黙っていたんだ?」
 
 わたしの経歴は、上司である詩桜里は当然ながら知悉している。
 蒼一が教師として教壇に立っていたことも驚きだが、ここ数年、わたしの保護者としてもっとも身近にいる詩桜里が、彼の教え子だったことは驚きを通り越して唖然とした。
 詩桜里は陶器の杯を持った手をゆっくりとまわしながら、遠い目をしている。10秒ほどの沈黙のあと、やっと口を開いた。
 
「真城先生はね……教師としても人間としても、誰よりも尊敬できた人。それに、あんないい男ほかに見たことないわ。もうほんとかっこよかったんだから。あの当時の全学年の女子、誰でも一度は抱かれたいと思ってたはずよ」
「ほう。抱かれた感想は?」
「抱かれてないわよ!? 健全な教師と生徒の関係だったわよ!」
「なんだ、つまらん」
「もうっ……たしかに、はじめて会う少し前に、あなたの経歴は知らされた。その中に真城先生の名前があったのにはびっくりしたわ。しかもあなたの経歴の中で、かなり重要な存在となっている事実にもね」
「それで?」
「先生は、わたしたちが卒業した次の年に学園を辞めたの。別の学校に異動じゃなくて、教師そのものを辞めたみたいね。もちろんうちの母をはじめとして、ほとんどすべての教員が辞職しないよう懇願したそうよ。教員からも厚い信頼を得ていたのね……でも、母から聞いた話だと『ほかにやるべきことができた』と固い意志を示されて、誰も止めることができなかったって」

 ほかにやるべきことができた――それを蒼一が言ったのだとしたら、想像以上に意味深だ。
 
「ねえ、先生はほんとに亡くなったの?」
 
 詩桜里が杯を置き、真正面から見据えてきた。
 既視感を覚える。悠とトラットリアHOSHIMINEで食事をしたときの、彼女の眼差しと感情の色が似ている。
 
「ああ。蒼一は間違いなく死んだ。わたしや惺の目の前で。あの状況で生きていられるわけがない」
「そう。あなたがそこまで言うならそうなのでしょうね。でも、まだ信じられないわ」
「そういえば、蒼一の死はこの国でどう扱われているんだ?」
 
 事故や病気で死んだのとはわけが違う。しかも海外での出来事で、目撃者は事実上わたしと惺のふたりだけ。
 
「戸籍上はもう鬼籍に入っているはずよ。あとで知ったことだけど、真城先生って日本政府のお偉方とも面識があったみたい。その経由で処理されたのではないかしら」
 
 顔の広い蒼一のことだから、それは不思議ではない。
 
「でもね、遺体もないしお葬式もやらなかったから、まだ現実感がなくて。死んだっていう情報だけじゃ、とても納得できないでしょう?」
 
 悠のことを思い出す。彼女は蒼一が死んだことは知っているが、死んだ状況や理由を知らない。教え子である詩桜里ですらここまで言っているのに、実の娘である悠が納得するとは到底できないと、あらためて感じた。やはり惺には、彼女に説明責任を果たす必要がある。
 もちろんわたしにも。
 
「立花くんや織田くん、法子やはるかも真城先生がそう簡単に死ぬはずがないって、どこかで思っているはずよ……あ、彼らやほかの同級生に先生の死を知らせたのはわたしなの。立場上、もっとも早く知ることができたから……母にも伝えたら、泣かれちゃった」
「それは大変だったな」
「ええ、もう大混乱よ。法子とはるかも号泣しちゃうし、立花くんや織田くんもめずらしく取り乱していたわね」
「その4人も、蒼一とは親しかったのか?」
「真城先生から教えを受けた生徒たちはみな、彼のことを誰よりも尊敬してたわよ」
 
 死してなお、キーパーソンになっている真城蒼一。彼はいったい何者だ――と、いまさらながら、とても気になりだしている。
 
「ま、辛気くさい話はやめにしましょ。先生も望んでないだろうから」
 
 詩桜里がテーブルの上に置いた杯を手に取る。
 
「詩桜里、わたしにも酒をくれ」
「だめよ」
「独り占めする気か?」
「違うわよ。あなたいま学生でしょ」
「なぜだ? わたしは――」
「だめなものはだーめ。仮の姿とはいえ、いちおう学生の身分なんだから、飲酒なんて許されるわけないでしょ」
 
 詩桜里の様子から、こればっかりは譲れないという信念を感じる。変なところで律儀な女だ。
 
「……わかったよ」
「あら、思ったより早く引き下がったわね?」
「素直に引き下がった代わりに、星峰凜がおまえのことを知っていたのは、どう言った理由なのか教えてくれるか?」
 
 しばらくのあいだ、詩桜里からの返答はなかった。きょとんとしたかと思うと、すぐに険しい表情でわたしの言葉を咀嚼するような仕草を見せた。
 
「セイラ、それはいったいどういう状況で知り得たの?」
 
 峻厳な響きがその問いに含まれている。杯は再びテーブルの上に置かれた。
 そのときの状況を話した。
 例の卒業アルバム、蒼一のクラスのページ。詩桜里の若い頃の写真を見つめて、「……詩桜里……さん?」と小さくつぶやいた凜。そのとき紗夜華が「あら、姉のこと知ってるの?」と問いかけたのは無理もない。
 ところが凜は、かたくなに閉口して話そうとはしなかった。凜の表情は、哀しみや怒り、諦念や後悔などが混ざった複雑な色をしていた。奈々はそんな凜の様子を見て、少し怯えていたように見えた。
 話を聞いたあと、詩桜里は「……そう」とだけ小声で言った。それからしばしの沈黙が訪れる。
 詩桜里が語り出すまで待っていた。
 
「これは非常にデリケートな問題なんだけど」
「凜が星峰家の養子なのはもう知っている。星峰の家に居候中の真城悠の証言から、裏付けは取れている」
 
 詩桜里はあきれたのか感心したのか、判断しかねる大きなため息を吐いた。
 
「転校してからの短期間で、よくそこまで知り得たわね……でも、こればっかりは――」
「わたしなら、調べようと思えばいくらでも調べられることを忘れるなよ。とりあえずICISのアーカイブにアクセスしてみよう。必要とあらばハッキングしてだ。もしもばれた場合、上司である詩桜里の責任問題は免れないだろうが」
 
 また、大きなため息。わたしの脅しが本物なのは、詩桜里も熟知している。
 
「始末書ですまないかもしれないし、胃に穴があくだろうから絶対にやめてよね……セイラになら話してもいいか。ほんとはだめだけど。――まずね、事の発端は凜くんの実家にあるの」
「秋田県だったか」
「それも知ってるの? ……凜くんの実家は、秋田県どころか東北地方でも有数の資産家でね。元華族で、その前の世代は藩主だったそうよ」
 
 華族は、明治から昭和にかけて存在した日本の貴族制度だ。藩主は江戸時代に存在していた藩を治める領主のこと。大名と同義。
 
「苗字はコウブ。煌めくに武士の武で煌武よ」
「待て。煌武と言ったら、夜刀崎藩を納めていたあの煌武家のことか?」
 
 東北有数の領土を誇っていた藩だったと記憶している。
 
「え……ええ、たしかそう。あなたほんとに外国人? まあとにかく、凜くんの本名は煌武凜なの――結論を言うとね、煌武家は、凜くんだけを残して壊滅した」
「壊滅?」
「文字どおりの意味よ。煌武家の人間は凜くん以外皆殺し。広大な屋敷も全焼したわ」
「理由は?」
「暴力団同士の抗争に巻き込まれた、というのが建前」
 
 建前。詩桜里が関わっているということは、必然的にICISが関わっていることになる。もしも本当に暴力団同士の抗争が原因だったとしたら、それは警察の管轄であって、ICISは関与しないはず。
 
「ICISが関与したところを見ると、なにか国際的な事情がないとおかしいな」
「そのとおりよ。煌武家を壊滅させたのは、『黒月夜』という見方が圧倒的なの」
「黒月夜……か」
「それに関してはあなたのほうが詳しいんじゃないかしら」
「そうかもしれないな」
 
 黒月夜――日本で誕生し、主にアジア界隈で暗躍していた犯罪集団だ。活動内容は要人暗殺や麻薬の密売、人身売買の斡旋等。犯罪の総合商社のようなものだ。
 
「しかし、黒月夜は消滅したと聞いたが」
 
 約4年前、ICISの黒月夜に対する一斉捜査と掃討作戦で、主要な構成メンバーのほとんどが逮捕、または死亡したと聞いている。その時期を境にして、黒月夜に関する噂はほとんど聞かなくなった。
 
「煌武家の壊滅は6年前なのよ」
「しかし、凜が星峰の家に来たのは3年前だと聞いたぞ? 3年間の空白がある」
「そこが重要なのよ。煌武家が壊滅した6年前から4年前までの2年間、凜くんは行方不明だったの」
「行方不明?」
「そう。当初は屋敷の火災に巻き込まれて、運悪く遺体ごと跡形もなく焼失したと考えられていたの。凜くんの家族の遺体、どれも損傷が激しくてね。そう考えられても仕方がなかった。でもね、4年前のある日、突然警察に保護されて存命だったとわかった」
「行方不明のあいだ、凜はどこでなにをしていたんだ?」
「それがわからないのよ。そのあたり、ちょっと複雑でね……残りの1年は、病院で療養していた期間よ」
 
 6年前に実家が壊滅し、それから2年間行方不明に。発見されてから1年間は療養していた。計3年。これで計算は合う。
 
「それで3年前、星峰家に引き取られたのか」
「そういうこと。で、凜くんが発見されてから、星峰家に引き取られるまでの後見人がわたしだったの」
 
 惺といい凜といい、詩桜里はわけありな子とよほど縁があるらしい。以前詩桜里は、学園散策を一緒に行っているメンバーに顔見知りがいると言っていた。それは惺のことだと認めたが、実は凜も該当していたのだ。
 
「星峰家が里親として選ばれた理由は?」
「遠縁に当たるから。星峰家の先祖って、源流をたどると煌武家に行き着くのよ。明治時代まで遡らないといけないけどね。ほかにもいくつか遠縁の家系はあったけど、煌武の名を出したとたんに嫌な顔されたり、知らなかったりできっぱりと断られちゃったの。親戚筋にはかなり毛嫌いされていたようね。その点、星峰家は気にしないっていうスタンスだったから。養子縁組を承諾してくれた星峰遼太郎さん、智美さん夫妻も人格者でなんの問題もなさそうだったから、凜くんを任せたわけ」
「いろいろわかった。だがな詩桜里。そんな大事なこと、もっと早く言え」
「だから、デリケートな問題って言ったでしょ? かなりきわどい個人情報に踏み込んでいるわ」
 
 立花警部や沢木警部補、織田先生と鳴海先生、そして詩桜里の関係。さらには蒼一まで加わった人間関係はこれでだいたいは判明した。
 凜についても、本人と一部の関係者しか知り得ないような情報をつかんだ。もっとも、凜に関しては情報を知ったからといって、どうこうするつもりはない。
 
「もう話はいい? 久しぶりにゆっくりと晩酌できるんだから、もう余計なこと聞かないでよね」
「ふむ。酔いがまわったらもっと詳しく聞けそうだな。酒癖が悪いのが玉にきずの詩桜里だが、酔っ払うと口が軽くなるという長所もある」
「うるさいわよっ」
「ほら、さっさと酔え。酒を注ごうか?」
「いい。放っておいて」
 
 自分で酒を杯になみなみと注ぎ、一気に飲み干した。
 
「……ねえ、そういえばあなた、わたしの学生時代の写真見たのよね?」
「それがなんだ?」
「いやぁ、ちょっと恥ずかしいなーって」
「別に恥ずかしがることはないだろう。いまと違ってずいぶん可愛かった。あれならもてただろうな」
「ちょっ、あなたから可愛いだなんて言われるとなんか照れるわ。……そっか、あなたから見ても可愛かったか。うふふ。まあ、自分で言うのもあれだけど、たしかにもててたわよ。ほぼ毎日、ラブレターが机の中に入っていたりね。懐かしい話だわー」
 
 上機嫌になり、杯を口に運ぶペースが上がる。
 ところが不意に、詩桜里の動きがぴたっと止まった。
 
「……ねえ、『いまと違って』ってどういう意味?」


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