Brave05-2

 星蹟島のシンボルとなっている樹がある。
 それは、見上げるほど大きな巨樹だった。その名も「大星樹」。日本でもっとも巨大な樹とされているそれは、星蹟島にほぼ接続している小島の崖の上に悠然と屹立していた。
 この小島は真城家が所有していて、惺の住む豪邸もその中にある。星蹟島とは石造りの頑丈な橋でつながれ、それを渡ると真城邸のほかにプライベートビーチとなる砂浜や丘、こじんまりとした森林――そして、頭ひとつ抜き出た大星樹が見えてくる。
 わたしがここを訪れるのは、実は今日がはじめてだった。
 この場にはじめて来た面々が、豪邸を前にあっけにとられている。豪邸という領域を抜け出して、もはや城のような存在感があるからそれも仕方ないことだ。ちなみにそのメンバーとは、真奈海、椿姫、美緒、光太の4人。ほかに凜と奈々もいるが、このふたりははじめて来たわけではないようで、驚いてはいない。
 
「真城っち、ここにひとりで住んでるの?」
「ああ」
「うちと交換しない?」
 
 真剣な表情の真奈海に対し、軽く笑う惺。その横にいた光太が、「実家が超豪邸で地主で資産家とか、いまどきこんなラノベの主人公がいたらネットで大炎上するぞ!」と、勢いよくまくし立てた。
 
「凜と奈々は、はじめてではないんだな」
「うん。何度か遊びに来たよ」
「わたしもです。子どもの頃、悠ちゃんと家の中で遊んでたら、迷ったことあるんですよ」
 
 奈々が苦笑気味に言った。
 
「真城っち! 今度弟妹たち連れてきていい!? かくれんぼしたら絶対盛りあがる!」
「ああ、もちろん……さ、みんな上がって」
 
 両開きの巨大な玄関を抜けると、ホテルのロビーのような瀟洒な空間が広がっていた。
 
「ほえぇ……柊さんちも広かったけど、上には上があるんだねぇ」
 
 感心しきりの真奈海。
 見た目は明らかに洋式の邸宅だが、さすがに日本の住宅。靴を脱いで上がった。
 惺に案内されて、邸宅の中を進んでいく。やがて地下に降りる階段にたどり着いた。「地下室がある家なんてはじめてだ!」と、真奈海と光太が興奮している。
 
「ここが稽古場だ」
 
 降りた先にあるドアを開けると、だだっ広い部屋が広がっていた。
 
「うわぁ……」
 
 感嘆の声をあげたのは椿姫だった。
 学園の教室と同じくらいの広さで、壁の3面が鏡張り。鏡のない1面にはスピーカーなどの音響設備が置いてあった。天井も思いのほか高い。
 10月の創樹祭が近づいてきて、どこのクラスも部活も準備に忙しくなってきた。そのため、放課後に空き教室を確保するのが難しくなっていた。そんなとき、惺がこの地下室を稽古場に使おうと提案してきたわけだ。
 
「そのドアの向こうは物置だけど、片づけてあるから女子は更衣室として使って」
 
 惺がスピーカー横のドアを指さしながら言った。
 
「悪いけど、川嶋はここで俺と一緒に着替えるしかないな」
「うん。別にいいよ」
「あ、俺はちょっとトイレ」
 
 スポーツバッグを持って、凜は稽古場を出て行った。
 女子もみんな物置に入っていく。
 
「惺。わかってると思うがのぞくなよ」
 
 一度言ってみたかった台詞を言い残し、わたしも物置に入った。
 
「……なあ真城。あれってのぞいてくれっていう振りなんじゃ」
「じゃあのぞいてみれば? 安心していいぞ。骨は拾ってやる」
 
 ドアを閉める間際、そんな会話が聞こえてきた。


 
 リズム感のある音楽に合わせて、惺が踊っている。
 バレエではなく、その要素を取り入れたジャズダンスと呼ばれるものだった。
 体重を感じさせない跳躍。躍動感あふれるステップ。全身を隅々まで駆使した圧巻の表現。
 おそらく想像以上だったのだろう。惺のダンスをはじめて見る面々は、感動を通り越して絶句していた。
 やがて音楽が終わる。 
 みんなの視線に気づいたのか、惺はやや照れた様子で言った。
 
「とりあえず、本番までにここまで踊れるようになるのがみんなの目標」
「いや、絶対無理だからっ!?」
 
 光太が大きくかぶりを振りながら叫ぶ。
 
「ま……真城くんは、プロのダンサーになるつもりなの?」
 
 これは椿姫。
 
「いや。いまのところその予定は。趣味だよ」
「趣味でそこまで踊れたら、プロの人たち、立つ瀬ないよなぁ」
 
 凜が苦笑気味に言う。
 
「真城っち! どうしよう、あたし惚れちゃいそうです!」
 
 真奈海の言葉にぎょっとする奈々。美緒と椿姫も同じような顔して驚いていた。
 
「じゃあみんな、床に座って。重ならないように距離をとって……そう。正面の鏡を向いて。音楽を流すから、とりあえず俺の真似して動いてみて」
 
 そして、ダンスレッスンという名の拷問が始まった。


 
「ああああぁぁぁぁ~~~~っ! いだいいだいっ!?」
 
 光太が涙目で訴えている。足を広げて床に座り前にかがんでいる。その背中を惺が押していた。
 1時間ほどのレッスンが終わり、ほかのみんなはクールダウンの柔軟中だった。
 
「川嶋は体が硬いな……」
「ふん! 生粋の引きこもりオタクをなめるな! ――ああううおうっ!? だめぇっ! おまた裂けちゃうっ!? いだいいだいいだいっ!?」
「痛いのは生きてる証拠」
 
 存外に深いことを言っている。レッスン中も、誰かが悲鳴をあげるたびに同じ台詞を言っていた。
 
「それじゃあしばらく休憩。みんな、ちゃんと水分補給するように」
 
 惺の言葉に、みんながいっせいに床に転がった。ぜいぜい息を切らしているが、心地よい汗をかいた実感はみんなにあるようだ。
 ふと、凜が部屋から退出するのを見る。表情に陰りがあるのが気になって、なんとなくあとを追った。
 階段を上がり、廊下を抜けて玄関に出る。外に出てすぐのところに座り、スポーツドリンクを飲んでいた。凜の視線の先は砂浜と海が広がっている。やがてわたしに気づき、振り返った。
 
「どうしたの?」
「いや、特に用はないんだが……なんとなく」
「ふーん。セイラにしては歯切れが悪いね」
「そうかもしれないな。隣、いいか?」
「うん」
 
 凜の隣に座る。
 
「……惺ってすごいよな。ああいうレッスン、ほぼ毎日ひとりでやってたって?」
「そうらしいな」
 
 今日みんなでやったレッスンは、惺が知識と経験をもとに1から構築したプログラムだった。バレエのメソッドを取り入れた本格的なもの。
 
「ほとんど毎日走ってし、よっぽど踊るのが好きらしいね。ふつう、そこまで努力できないよ」
「いや――」
 
 惺が踊るのは単に「好き」っていうだけではない。彼の場合、踊ること――というより絵を描いたり、音楽を奏でたり「表現」することが自体が、生きることにつながっている。しかしそこまで考えてから、果たしてわたしがそれ語っていいものかと疑問に思った。
 
「ん、どうしたの? やっぱり今日のセイラは歯切れが悪いような」
「ああ、すまないな。気にしないでくれ」
「……なんかさ、俺に話がある?」
 
 漆黒の瞳で見つめられる。こういうときの凜は、下手に誤魔化さないほうがいいと直感した。
 
「前から気になっていたことがある。気を悪くしないでくれると助かるんだが」
「別にいいよ。言ってみて」
「凜はこういう……『みんなで一緒になってなにかを作り上げる青春』のようなこと、実は嫌いではないのか?」
 
 すう、と息を吸ったまま、凜は黙った。
 やがて笑い出した。
 
「はは……ばれてる」
「怒らないのか?」
「なんで? 事実だし。よく気づいたね……いや、セイラなら仕方ないか。たぶん、惺や悠にもばれてるだろうし」
「実に不思議なんだ。心の底では嫌っているはずなのに、本心から楽しんでいるようにも見える」
「どっちも正解じゃないかな。参考までに、俺のこと、いままでどう見えてたの?」
「……みんなと同じ日だまりの中にいて、一緒に温かさや優しさや充足を感じているはずなのに、心はどこか別の遠く冷たいところにいて、そこから日だまりを冷めた視線で眺めているような……きっと、凜の本質は後者なのではないかと」
 
 かなり失礼なことを言っているにもかかわらず、朗らかな笑顔が張り付いている。
 
「的確すぎてぐうの音も出ないんだけど、おおむね正解だと思う。……いわゆる青春ってものに直接触れて、楽しい、充実しているって気持ちはある。けど同時に、『なんで俺、こんなことやってるんだろ』って疑問に思う自分がいてさ。厄介だよねぇ」
「それはストレスではないか?」
「一生続くなら、それは拷問だと思うよ。でも、そうじゃない。青春はいつか終わる」
「……それがわかっているから、いまをがんばれる」
 
 大きくうなずく凜。迷いのない表情をしている。
 
「ははは。前向きに見えて、実はかなり後ろ向きなんだよね。ひねくれていてごめん」
「謝る必要はない。それも生き方のひとつだ」
 
 沈黙が降りた。
 波が正面の砂浜に打ち寄せる音だけが、定期的に響いている。
 30秒以上経過した頃――
 
「――みんな輝きたいのかな?」
「ん?」
「いや、みんなやけに素直にセイラの提案受け入れたじゃん。ミュージカルやろうって突拍子もない話。たとえば、柊さんって人前に出て目立つの、そんなに好きじゃないタイプでしょ? なのに脚本執筆だけじゃなくて、自ら演者として出るのにも承諾した。綾瀬さんもそうかな。音楽以外は興味ありませんって感じだったのに」
「美緒は夏前と比べて変わったよ。それは凜もよくわかるだろう?」
 
 紗夜華の場合も、現状を打破するにはなにか新しい刺激が必要だと、いままでやったことのない経験が必要だと、本能で悟っている節がある。悠にしても、惺がいるのに最後は了承していた。
 
「実はさ、ちょっと期待してたことがあるんだよ。変わりゆく人のそばにいれば、自分も変われるんじゃないかって」
「だから一時期、美緒を自分の家に招き入れたのか?」
 
 あれを言い出したのは凜だったと、後日聞かされて少々驚いた記憶がある。
 
「まあ、それが理由のすべてではないんだけどね。綾瀬さんって、いろんなことにがんじがらめだったけど、変われる素養は充分にあると思ったから。言い方はいつも極端だけど、それって素直ってことだし」
 
 そこまで深い付き合いではなかったはずなのに、凜はそこまで見抜いていた。やはり頭の回転は速く、洞察力も優れている。将来、ICISにスカウトしてもいいレベルだ。
 
「それで、凜は変われたのか?」
「ぜんぜん。笑えるほどに変わってない」
「――――」
「やっぱり、人間に根付いた本質ってそうそう変わらないみたいだね。けっこう暗い幼少時代を過ごしたせいで……あ、セイラのことだから、俺が星峰家の養子だって、もう気づいてるよね?」
 
 凜からこの話題を投げかけてくるとは思わなかった。
 わたしは小さくうなずいた。
 
「――恥の多い生涯を送って来ました」
「太宰治?」
 
 太宰治の『人間失格』。有名な一文だ。
 
「よく知ってたね。ほんと、セイラが海外からの留学生だったなんて、信じがたいよ」
 
 留学生という身分。それはまあ、嘘の部類に入るのだが。しかし、そういう意味ではわたしも実に恥の多い人生を送っている。
 
「で、『人間失格』がどうした?」
「これ、うちの姉さんから聞いた話なんだ。『人間失格』の主人公を、まるで自分のようだと共感していた人でも、いつからかあまり共感できなくなるんだって。大人になって本当の意味で成長してから読むと、『なんだこいつ』ってなるらしいよ」
 
 著名人にもそう語っている人が少なくない、とのこと。
 
「それは興味深いな」
 
 わたしも以前に『人間失格』は読んだ。まるで自分のようだとは思わないまでも、かなり共感できる部分があったのは覚えている。読んだのは去年、日本に来てすぐの頃だった。いま読めば、感じ方に変化はあるのだろうか?
 
「小学生時代から何度か読んでるけど、俺の場合は逆なの。どんどん共感できる部分が増えてきて、実はこれ自分で書いたんじゃないかって錯覚しそうなレベル……ええと、なにが言いたいかって、俺は本質から人間失格だったってことじゃないかと」
「それは飛躍のしすぎでは……?」
「ふふ。そうであってほしいな」
 
 乾いた笑みを浮かべる凜。
 ICISの資料には、凜の実家、煌武家の情報が少なからず記載されていた。
 閉鎖的で退廃的。江戸時代には藩主という伝統ある家柄でも、近代以降は正直、褒められた環境ではなかったようだ。家人の誰かが法を犯しても、どういう手を使ったのかは不明だが、徹底して闇の中に葬っていたらしい。  
 凜がその中でどういう生活をしていたのか、具体的なことはわからない。さすがにそこまでに記載はなかった。煌武家壊滅後、一時行方不明になっていた凜が保護されてからも、詳細は語らなかったらしい。
 
「お兄ちゃーん! セイラせんぱーい! もうすぐ次のレッスン始めるって」
 
 奈々がやってきて告げてきた。次のレッスンとは、椿姫を先生にした発声レッスンだ。
 
「ふたりでなに話してたの?」
「んーと……綾瀬さんの話」
 
 まあ、間違いではないが。
 
「美緒ちゃん?」
「綾瀬さんさ、なんか惺のこと見つめてなかった?」
「ああ、それはわたしも気になったな」
 
 ダンスレッスンはみんなが惺の真似をしながらやっていたが、美緒の視線は、それ以外のなにかが含まれていた。惺の右肩の怪我はもうほとんど完治しているらしいから、それが理由ではないだろう。
 きょとんとする奈々。
 
「そういえば、前にみんなでうちの店に集まったときも、綾瀬さんは惺のこと見てたんだよなぁ」
「え……?」
「最初はさ、惺の怪我を気にかけていたのかと思ってたけど、なんか視線に宿る感情の色がね……こう、熱っぽいというか」
「ど、どういうこと?」
 
 奈々は目を大きく見開いている。
 
「たしか惺は、先の地震のとき、美緒をかばって負傷したんだったな」
「そうだね……つまり、一種の吊り橋効果かな?」
「そう考えるとつじつまは合う」
 
 わたしと凜は軽く笑いながら、深くうなずいた。
 
「ちょ、ちょっと! ふたりともなんの話を――」
「いや、たいした話じゃないと思うよ。奈々に新たな恋のライバル出現? ってだけで」
「たいした話だよぉっ!?」


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