セイラたちは、避難所として解放された小学校で一夜を過ごした。
体育館での雑魚寝。支給された毛布は薄く、誰もが寒さを感じながら眠っていた。朝になったら悪夢から醒めますように――そんなことを願いながら。
しかし、朝になっても悪夢は醒めなかった。
午前8時過ぎ。小学校に保管されていた非常食が朝食として振る舞われた。乾パンとペットボトルの水。味気ないが、文句を言っている状況ではない。
食べ終わったあと、セイラがおもむろに口にする。
「創樹院学園に向かおう」
惺も真奈海もうなずいた。
知り合いの安否は不明だった。セイラが地震直前まで電話していた奈々の安否も気にかかるが、スマートフォンは通じず、インターネットも不通のまま。
創樹院学園は島の内地に存在していて、少なくとも津波の被害はないはず。だから知り合いが避難している可能性も高い。この小学校には先ほどから次々と避難者がやってきて、手狭になってきたという理由もある。
「真奈海、大丈夫か? 歩けないなら、ここに残っていても」
「ううん……大丈夫」
返事をする真奈海には、いつもの元気がない。
その後、避難所の管理役だった小学校の教師に移動を伝えてから校門を抜けた。
「あれは……」
惺が誰かを見つけた。彼の視線の先にいたのは、きょろきょろと不安げにあたりを見渡す老女。
「初恵さん!」
惺が声をかけると、老女が驚きながら駆け寄ってきた。光太の祖母・初恵は今年で70歳になるが、年齢の割に背筋が伸びて矍鑠としている。セイラたちとは面識があり、とてもパワフルなおばあさん、という印象を抱いていた。
「初恵さん、無事でしたか」
「あ、あんたたち、光太を知らないかい!」
「いえ……一緒じゃないんですか?」
そのとき、初恵から事情を聞かされる。光太がスーパーに出かけたあと、自分も出かけたこと。そのまま出先の友人の家で地震に遭い、そこで一夜を明かしてからここに避難してきたこと。その友人は島の内地にある親戚の家に向かったという。
セイラたちの表情がこわばっていく。
「スマホも通じないし……あんな様子じゃ、家に戻るわけにも……」
豪快でパワフルなおばあさんは、もうそこにはいなかった。セイラたちには、初恵が一気に老け込んだように見えてならなかった。
「初恵さんはここにいてください。俺たちが周囲を捜してみます」
「さ、捜すって……」
「大丈夫です。もしかしたら、どこか別の避難所にいるのかもしれない」
「……あ……ああ。ありがとう……けどあんたたち、無理はするんじゃないよ」
初恵の後ろ姿は校門に吸い込まれていった。足取りに元気がないことは、誰が見ても明らかだった。
「捜すってどうやって?」
セイラが訊いた。
「とりあえず、人気のないところへ」
惺を先頭に、セイラと真奈海が続く。
3人は小学校の裏山に足を踏み入れ、中腹当たりで立ち止まった。木々はまばらで、眼下に小学校を見下ろすことができる。そのさらに先には、津波でほぼ壊滅した街が望めた。
あらためて現実を認識したのか真奈海が震え、セイラが肩を貸した。
惺は黙って腕をやや広げ、目をつむる。
深呼吸――
そして、精神の集中。
すると、惺から異様な気配が漂ってくる。セイラはそれが魔力の流れだと気づいた。知識のない真奈海は、全身を駆けめぐる未知の感覚に身をゆだねるしかできない。どちらにせよふたりとも全身の毛穴が開くような感覚を抱き、惺から目が離せなくなる。
超感覚的知覚〈ワールド・リアライズ〉
それが惺の能力の正式名称だ。
五感に頼らず、「世界」を認識する特殊能力。第六感――誰もが少なからず持ちうるその能力が、「超能力」と呼んでいいほどの領域まで昇華したもの。星術とは似て非なる特殊能力。
惺は光太の気配を探っていた。
途中でいろいろな感覚を感知する。未曾有の規模の災害に被災した人々の情感――悲哀、後悔、憤怒――ありとあらゆる感情が、惺に流れ込んでくる。
その中に、わずかな。
よく知る命の灯火をとらえた。
しかし、それはまるでいまにも消えそうな光。蝶の羽ばたきにですら消えそうな火。
場所は――
「――っ――!」
惺の体が突然よろけた。
「惺っ!」
「大丈夫だ。それよりも、早くしないと――!」
駆け出した惺を、ふたりが追う。
真奈海にはなにがなんだかわからない。しかし、「惺には絶対超能力がある」と常々言っていた凜の言葉を思い出した。
裏山を駆け下り、あらゆる瓦礫が散乱した中を駆け抜ける。
途中、泣き叫ぶ人々と何度も遭遇した。救助が遅れているらしい。家族の誰かが津波で流されたか、瓦礫の下に埋まっているのか――しかしいまの惺たちに、それらに関わっている余裕などなかった。
その後、惺たちは1時間近く走り続けた。惺は迷うことなく進み、セイラと真奈海がそれを追う。足場の悪い中を、必死で駆け抜けた。
やがて惺の足が止まる。
惺とセイラの体力は規格外だが、真奈海は元陸上部とはいえ一般人。完全に体力を使い果たし、肩で息をしながらその場にうずくまった。
惺とセイラが「それ」を見上げる。
「……まさか、こんなところまで流されてきたのか?」
光太の家が目の前にあった。年季の入った木造の住宅。セイラたちは過去に何度か光太の家に訪れており、見覚えがある。しかし1階部分は完全に崩落し、2階部分はかろうじて原形をとどめているような状態。
光太の家があるはずもない場所。方角はまるで違うし、距離も離れている。さすがのセイラも、これには驚愕を禁じ得なかった。いままで散々危険な目に遭ってきた彼女でも、この状況は予想外だ。
「川嶋っ!」
惺が叫ぶ。
返事はない。
「ま、まさか光太が中に!?」
「まだ生きてる! 早く助け出さないと!」
惺が手で瓦礫をどけようとするが、人の力でどうにかできるほど軽くはない。
「くそっ……セイラ!」
「わかっている!」
惺のやろうとしていることを、セイラはただちに理解する。人の手ではどうにもできない。助けを呼んで待つような時間もない。
それなら、方法はひとつ。
惺とセイラが手をかざした。
「惺! わたしの言うとおりに瓦礫をどかせ!」
セイラの脳内が驚くべき速度で計算を開始する。崩れかかった瓦礫の山。どの部分をどの順番でどかせばいいのか――精密かつ正確に、頭の中に三次元を描いた。
「――――っ!?」
真奈海の表情が驚愕に染まる。
外壁の一部が中に浮いた。誰も触ってないのにどうしてそんな現象が起こるのか、一般人の真奈海にはまるでわからない。
星術による観念動力。人前で表立って星術を控えているセイラたちも、さすがにいまはそんなことを気にしていられない。
次々と瓦礫がどかされていく。最後のほうは手作業で細かい瓦礫を取り除いていく。
やがて、人の頭が見えた。
「光太っ!?」
セイラがすかさず手を伸ばし、細かい瓦礫を押しのけていく。惺も必死に手伝った。
すぐに光太の全身が現れる。顔は真っ青になっていて、体温は限りなく冷たい。
「――――っ!?」
セイラが言葉を失い、惺は震えながら目を伏せた。
光太の右腕と右足は、あるはずの場所になかった。
――ごぼっ、と。
光太が血の塊を吐き出した。わずかではあるが、息をしている。この状況下で「まだ」息があること自体、奇跡だ。
「光太っ、光太!」
「――はっ――ぁ――っ」
目を開ける光太。瞳の光はほとんど失われ、焦点は合ってない。
「――――ば――――ば、ばあちゃん――は?」
「無事だ!」
そのとき光太が微笑んだ――少なくともふたりにはそう見えた。
「――――よかった――」
それが川嶋光太の最後の言葉だった。光太の瞳の光が、ついに失われる。
「光太っ!? 光太! 目を覚ませ! ………………光……太……?」
必死に呼びかけているセイラを、惺の手が止めた。
「セイラ……もう……っ」
惺が首を振った。
奇跡はそこで終わっていた。
そして――
セイラは激しく慟哭した。
――その日の夜。
光太の見つかった区画からやや離れた場所にある公民館。かろうじて無事だったその建物には、次々と犠牲者が運び込まれていた。
1分1秒を追うごとにその数は増え、内部は死臭と哀しみに満ちている。犠牲者の傍らには家族や友人、恋人――誰かが寄り添い、その全員がむせび泣いていた。
いまにもこの世から消えそうな不確かな足取りで、ひとりの老女が入ってくる。
初恵の表情には生気が消え去り、いつもあった溌剌としていた雰囲気は、どこかに置き忘れたように見えた。
やがてセイラたちの足もとで眠る愛しい孫を見つけ、がくんとひざまずく。
「あ――――ぁ――光太――光太ぁ――!?」
永遠に目覚めることのない孫を抱いて、初恵は人目もはばかることなく嗚咽した。
「あ、あたしより……祖母より先に死ぬ馬鹿がいるかいっ! 目を覚ますんだっ! 光太ぁっ!?」
初恵の慟哭は、いつまでもセイラたちの耳に残っていた。