日本が滅亡に向かっていることを、凜は悠に話した。ネット上に出まわっていた、異種化した人間たちの写真を悠に見せた。
大人も子どもも、みんな。
怪物に成り果て死んでいった。誰が誰なのかまったくわからないから、墓も作れない。そもそも怪物になった人間は埋葬されない。産業廃棄物として「処理」される。人間としての尊厳など存在しない。
悠は泣いた。涙のダムができるんじゃないかと思えるほど、激しく泣いた。
凜は言った。
「世界のために、犠牲になってくれ」
驚く悠。
凜は説明した。淡々と説得した。知り合いがみんな、異種化によって死んでしまう恐れがあること。それを防ぐためには、これ以上犠牲者を出さないためには、悠の肉体が必要だと言うこと。
凜はさらに語った。
「奈々も真奈海も柊さんも小日向さんも綾瀬さんもセイラも、父さんや母さんや姉さん――もちろん惺も。みんな死んじゃうかもしれないよ?」
「――――っ!?」
体を震わせる悠。彼女の涙は、すでに枯れていた。
凜がとどめを刺す。
「――悠。世界のために、死んでくれ」
やがて、悠はそれを受け入れた。
凜は嗤った。
――光を失った瞳で、泣くように嗤った。
◇ ◇ ◇
モニタールームのソファに座っていた斑鳩が、向かいに座っていた霞に非難めいた視線を向けた。
「姐さんはひどいなぁ。せっかく悠ちゃんの心を傷つけないように配慮してたのに、凜の心のほうを壊しちゃうんだもん」
「凜の心など、最初から壊れていただろう」
「……む」
一理ある。というか真理な気がして、斑鳩は反論できなかった。
「で、あれはなんだ?」
壁一面に広がる大型モニターには、細分化された防犯カメラの映像が映し出されている。その一角を目で指して、霞は言った。
悠にあてがわれた部屋の天井にある、隠しカメラの映像。ベッドに座った悠の正面に、凜が立っていた。
凜がスマートフォンを悠に手渡し、なにやら話し込んでいる。音声が聞こえてこないのは仕様だった。
「あれ、悠ちゃんのスマホだよ。汐見沢で一緒に見つかってたの。ここに来るとき、念のため回収しておいたんだ。故障してたけどわざわざ修理してね」
なぜだ? と無言で問いかける霞。
「ふふっ。僕は鬼でも悪魔でもないから」
答えになってない、と霞は目を細める。
「修理したときついでに改造したんだ。メールの送信が1回だけできるように。一度送信したら電源が切れるようになっている。そしたら二度と使えない」
「で?」
「ほら。悠ちゃんも人の子だし、家族に最後の別れぐらい言いたいかなぁって。もちろん、使ったらここの居場所がわかるようなヘマはしてないよ。……ねえねえ、僕って優しいでしょ?」
褒めてほしそうな斑鳩は放って、霞は再び映像に視線を戻した。
悠は怯えている。幽霊を見てもここまでは怯えないだろうと思えるほどに。
対する凜は後頭部が映っているだけで、表情はわからない。
霞は光を失った凜の双眸を思い出す。いままではまるで「使い物」にならなかったが、心が壊れてくれたおかげで、やっと使えるようになってきた感覚を受ける。
将来が楽しみだと、霞は無機質な天井を仰ぐ。数秒後、斑鳩に視線を戻した。
「それで、本当にワクチンは製造できるんだろうな?」
「たぶん僕より早くワクチン作れる人なんて、世界にいないんじゃないかなぁ。……あ、でもちょっと機材が足りないんだよね。材料だけそろえてくれたら自分で作るから、発注してもらえるかな? こんなご時世だから調達も大変だろうし、たぶん数億円はかかりそうだけど」
「…………」
「そんな怖い顔しないでよ。きれいな顔が台無しだよ? 人は足りないけど予算は潤沢だよね? ……あとそうだ。ひとつ懸念事項があってさ。それを解決するために、しばらくここ離れるかも」
「……好きにしろ」
斑鳩が立ち上がる。
「いやぁ、忙しくなりそうだ。ついでに楽しくなってきたね。じゃ、ちょっと準備に行ってくる」
そんなことを笑顔で言いながら、陽気な足取りで部屋から去って行く。
日本史上最大級の危機が訪れているのに脳天気なやつだ――ふと、そんなことを考える霞。しかし次の瞬間、自分も同じようなものだと一笑に付した。
大型モニターに視線を戻す。悠がベッドの縁に座り、両手で顔を覆い、力なく泣いている。凜の姿はもうなかった。
霞は再び嗤った。
――誰も彼も、世界も含めてすべてが壊れ始めている。