死を覚悟した凜が、目を閉じた。
しかし走馬燈は脳裏に現れなかった。きっと、いまわの際であっても思い出したくないほど、自分の記憶にある情景は残酷なんだろう、と。
そしてこんな結果になったのは自分のせいだと、強く思い知る。助けを呼ぶ叫びなど出てこない。悠に死を命じた自分に、そんな権利はない。
だが――
どれだけ待っても、その時は訪れなかった。
ゆっくりと目を開けた凜にしたたり落ちてきたのは、生温かい鮮血だった。
凜にとどめを刺そうとしていたSFGの隊員。その胸から、鋭い日本刀の切っ先が飛び出していた。
絶句する凜を見下ろしていたのは霞だった。突き刺した刀を引き抜くと、すでに絶命していたSFGが倒れる。
凜の頭上ですみれ色の長髪が揺れる。おびただしい量の返り血が、髪だけでなく全身を染めあげていた。
「生きているようだな。しばらくそこで寝ていろ」
霞が刀を構え直した直後、敵と認識したSFGの4人が臨戦態勢をとる。
霞が先に動いた。
目にもとまらぬ速さでひとりのSFG隊員に接近。移動の勢いを乗せた刀を奔らせる。
一合目、相手によけられる。しかしそんなことは予想の範囲内。すぐに切っ先を切り返し、二合目を放つ。
通常の戦闘だったら、この段階でけりがつく。霞の抜刀術についていける人間など、ほとんど存在しない。
だが相手は、ついていけるほうの人間だった。
常人離れした柔軟さで、大きく仰け反りながらも刃を回避。霞の追撃を許す暇を与えず、SFG隊員はすぐに体勢を整え直して背後に跳躍。さらに空中で一回転。
その間隙を縫って、別の隊員ふたりが左右から霞に迫ってくる。ひとりは短剣二刀流を、もうひとりはひと組のトンファーを扱っている。さらに遠距離では、残ったひとりがシュテル・ブラスターを構えていた。
「バラエティ豊かだな――っ!」
短剣とトンファーの合わせて四重にもなる攻撃を刀で器用にいなしつつ、シュテル・ブラスターの連続攻撃もよける。すかさずバックステップの繰り返しで距離を取り、霞は隙のない構えを見せた。
小さく舌打ちする霞。ひとりふたりならまだしも、この人数を霞ひとりで相手するにはさすがに荷が重い。
凜を守りつつ、自分も死ぬことなくこの場を切り抜ける。
これがゲームだったら最高難易度だろう。
「ふふ……あはははは……っ」
不敵に笑う霞を無言で警戒するSFGの隊員たち。彼らもまた、霞を強敵と認識していた。
「おもしろいぞSFG! これだよ。わたしはこれを求めていた!」
戦闘への興奮。
勝利への渇望。
そして、殺しの狂喜。
霞の全身をめぐる血液が、一気に沸騰した。
――だがそのとき、霞の背後から銃声。自分を狙ったものではないと、霞は瞬時に気づいた。
星装銃のエネルギー弾とデザートイーグルの実弾が、短剣とトンファーの隊員にヒット。急所を外しながらも、完全に無力化させた。
霞が背後の存在――セイラとレイジに気づいた。
さらに、空に浮かぶ月を覆う影。
クォータースタッフを構えた惺が、シュテル・ブラスターの隊員と、徒手空拳だった隊員のあいだに降り立つ。
〈マーシャル・フォース〉を維持したまま、惺はクォータースタッフを振るう。棒でありながら神速に達する苛烈な連続攻撃に、ふたりは瞬く間にのされた。
一瞬の静寂。
「悠っ!」
静寂を破ったのは惺の声。彼の視線は、遠くにある漆黒のアルゲンタヴィスに吸い込まれていた。
アルゲンタヴィスが飛び立っていく。
惺がそれを追いながら手を伸ばした。アルゲンタヴィスの機影が、上空の月と重なる。
月に連れて行かれるかぐや姫を彷彿とさせるように――
惺の手は届かなかった。
「くそっ! ここまで来たのに、こんな近くまで来たのに……届かなかった!」
クォータースタッフを地面に打ちつける惺。
そのとき、霞の笑い声が響いた。
「まさかおまえたちに援護されるとはな」
「海堂霞。別にあんたを助けたわけじゃねえぜ」
レイジは銃を霞に向けている。
「雨龍・バルフォア・レイジ……ICISの犬だったか。こうやって会うのは2度目だったな」
「聞かないと思うが、念のために言っておくぞ。武器を捨てて投降しろ」
霞は態度でそれを拒否した。
「凜! 凜、しっかりしろ!」
セイラがいつの間にか、倒れている凜に駆け寄っていた。惺は横目に霞の「気配」に意識を向けつつ、凜のもとへ向かった。
「気を失っているだけ?」
「ああ。外傷はないようだが……」
「――凜は渡してもらう」
霞が一歩踏み出し、その足もとめがけてレイジが発砲した。
「動くなって言ってるだろう!」
「そんなことはじめて聞いたが」
やれやれと肩をすくめた霞に、セイラが向く。
「凜をどうするつもりだ。おまえたち黒月夜がなぜ凜を? 目的はなんだ!」
「質問はひとつに絞れ。だいたい、そんな険しい目で『先生』を見るな」
にやけながら、霞が言った。
惺が前に出た。
「あ、あなたはやっぱり……東雲先生? 東雲友梨子先生!?」
「な、なに?」
セイラが目を見開いた。
「真城惺……そうか、おまえは理屈は知らんがなぜか『わかる』のだったな。――久しぶりだな、可愛い教え子たち」
「馬鹿な! 海堂霞が東雲友梨子だと!?」
「間違いない。彼女の気配は東雲先生と同一のものだ!」
「くそっ、なぜ気づかなかった……っ!」
霞の手配写真はどこにも出まわってない。つまり海堂霞としての顔をセイラは知らなかったため、気づかないのも無理はない話だ。しかし霞と交戦したレイジから、顔や容姿の特徴は聞いていた。
忌々しげに星装銃を向けるセイラ。
「アルテイシアさん。その物騒な銃をしまいなさい」
霞の声と雰囲気が、東雲友梨子だったときのものに激変する。やわらかな物腰と、返り血のこびりついた霞の姿のギャップが凄まじい。
「おい! なんの話かいまいちわからねえが、さっさと逃げるぞ」
レイジがめずらしく、冷や汗を流していた。
惺もはっと息をのんだ。
「まずい。囲まれようとしている!」
「SFGか。撤退したわけではないのだな」
セイラが叫ぶ。
惺はクォータースタッフを霊化させ、倒れたままの凜を背負った。それから霞に向く。
「東雲……いや、海堂霞さん。いまは休戦を。お互い、こんな寂しいところで死にたくはないでしょう」
霞は三たび笑った。