Extrication 22

 海堂霞は物心ついた頃から、絵を描くのが好きだった。彼女は自らが特殊な生い立ちであると自覚しており、学校にもあまり通わず、友達もいなかった。
 自分は寂しさを紛らわすために絵を描き始めたのではないかと、大人になってから自己分析している。
 幼い頃のある日、絵を見せた父から言われた言葉。
 
「うまいな。将来は画家か?」
 
 めったに人を褒めない父が、生まれてはじめて褒めてくれた。不器用な仕草で頭をなでながら。そのときの記憶は、いまでも霞の脳裏に鮮やかに刻まれている。
 もしも霞が黒月夜と関わりのない人生を送っていたのだとしたら、そのような未来もあったかもしれない。
 霞の父もまた、黒月夜の構成員だった。海堂家に代々伝わる古流剣術を究め、「生まれる時代を間違えた侍」と称されるほど厳格で真面目な性格をしていた。
 だが霞が9歳のとき、父は死んだ。とある任務に失敗し、返り討ちになったと彼女は聞かされた。
 それ以降、霞は修行と訓練に明け暮れた。もともと父から剣術の教えを受けており、さらに生来の頭抜けた才能もあって、15になる頃にはもう、彼女は黒月夜にとってなくてはならない存在になっていた。 
 そして、いつしか絵は描かなくなっていた。 
 やがて霞は夢を抱くようになる。
 黒月夜を世界最高の暗殺集団にすること。彼女の哲学や美学はすべて、暗殺へと収斂していた。 
 しかし、霞の夢が叶えられる可能性は低くなった。彼女が成人する頃にはもう、黒月夜の組織は大きくなり過ぎていたのだ。人員が増えれば、それだけ金がかかる。そして現代のいま、暗殺家業だけではそれをまかなえなくなっていた。
 黒月夜は暗殺以外の犯罪に手を染め始めた。裏社会のコネを通じて、人身売買や売春の斡旋、覚醒剤や麻薬の密売を手広く始めた。もっともこれらは、霞の父が存命だった頃から少しずつ芽吹いていたことだ。
 霞が嫌悪する下劣な犯罪。そんなものは、世の中に蔓延っている卑賤な犯罪集団がやればいいと、彼女は常々思っていた。霞は組織の上層部に何度もそう進言した。だが受け入れられることはなかった。黒月夜はやがて、金儲けのためだけに犯罪を犯すようになってしまった。
 そしてある日、霞は知った。父は任務の失敗で死んだのではなく、霞のようなことを強く進言し、煙たがられた上の命令で抹殺されたのだと。
 江戸時代から続く黒月夜には、設立当初から絶対に破ってはいけない鉄の掟がある。
 身勝手な理由で仲間を殺めないこと。この禁を破った者は、想像を絶する生き地獄の果てに殺されることが決まっている。
 黒月夜の上層部がそれをなんの躊躇なく破った事実に、霞は嘆いた。
 同時に決意した。
 黒月夜は、一度生まれ変わる必要がある、と。
 燃えあがる炎に自ら飛び込んで死を迎え、再び鮮やかによみがえる不死鳥のように熾烈に。
 それからしばらく経った頃、霞は以前から交流を持っていた煌武家の屋敷で、不死鳥の雛を見つけた。
 光を失い、暗黒をたたえた黒曜石の瞳。それには、激しく燃えあがる圧倒的な厭忌が、静かに濃縮されて宿っていた。
 ひと目見て、霞は直感した。
 この子は、生まれ変わった黒月夜のシンボルとなる――自分を超える後継者になり得る、と。

 ――その子の名は、煌武凜といった。


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