「な、なにこれはっ!?」
足早に部屋へ駆け込んだクリスは、予想外の展開にぎょっとしてしまった。
銀髪の少女――シルバーワンがベッドに横たわっている。そこまではいい。
だが、彼女の体をベッドに縛りつける「光の縄」はなんだろう。それがシルバーワンの手足や胴体に絡みつき、ベッドに縛りつけるようにして身動きを封じている。
「光縛星術〈ソル・バインド〉。この子が目覚めたら発動するよう、あらかじめ細工しておいた」
シルバーワンはクリスと蒼一に鋭い視線を投げていた。とはいえ、感情の発露はそれほど強くない。無表情の上に、ほんの少し怒りの感情を加えただけ。
シルバーワンが暴れようとする。だがベッドを小さく揺らしただけで、光の縄はびくともしなかった。
「落ち着いてくれ。わたしはきみに危害を加えるつもりはない。きみはかなり魔力が高そうだが、それでもその光の縄は破れないよ」
「真城……蒼一」
「やっぱりわたしのことは知っていたか。顔を見た途端、いきなり発砲してきたからな」
蒼一が一歩踏み出すと、シルバーワンが体を硬直させた。
「単刀直入に聞こう。アヌビスはいまどこにいる?」
無言。
「あいつがいま、星櫃を探しているのは本当か?」
無言。
「……ま、おとなしく教えてくれるとは思ってないさ。というわけで初っぱなから最後の手段だ」
蒼一はシルバーワンの額に触れる。触れた瞬間、蒼一の手のひらから微力な魔力を放たれた。シルバーワンはやや驚いたように目を見開いたまま、動くことができない。
数十秒後、蒼一は手を離した。
シルバーワンは凍りついたように動かない。目を開けたまま、なにもない天井を見つめていた。
「なにをしたんですか?」
「〈サイコメトリー〉。対象の思念や記憶を読みとる《スピリチュアル》の一種だよ。もちろんプライバシーの侵害も甚だしいから、現代ではめったに使える術じゃないが」
星術は大きく分けて2種類に分類される。〈マテリアライズ〉や〈イセリアライズ〉、〈マテリア・シールド〉など、現象が目視できる星術は物理系星術《マテリアル》に分類される。逆に目視できない〈サイコメトリー〉などの星術は、精神系星術《スピリチュアル》に分類されている。
「それで、なにかわかったんですか?」
「この子の思考回路は、驚くほど暗殺者として最適化されている」
「……どういうことですか?」
「様々な《スピリチュアル》の多重効果によって、日常的にマインドコントロール状態にあるようだ。ついでに記憶領域に強固なプロテクトが施されている。アヌビスの情報や、そのほかの重要な記憶は外部から読みとれないようになってるな」
「な……コンピューターじゃないんですよっ!」
「こうやって拘束されたときのことを考慮しているんだろうな。自分でこんな高度な術はかけられないだろうから、間違いなくあいつの仕業だ」
クリスはあの不気味な仮面を思い浮かべた。レイリアのことも含めて、どうしてあの死神は人間をここまで愚弄できるのだろう。
「この子の感情の起伏が乏しいのは、マインドコントロールのせいで感情の大部分が育まれてないからだ」
「…………? 失っている、ではなくて?」
「もともと存在してないものは『失う』とは言わないだろう? おそらく、物心つく前から星術の影響下にあったんだろう」
「ちょっと待ってください! じゃあ、この子はずっと……この先も……?」
「なにもしなければね。かわいそうだが……まあ、かわいそうというのは我々の常識を立脚点にした感情だ。この子自身にそんな感情はほとんど存在してない」
クリスはそわそわしながら思考をめぐらせた。
シルバーワンは紛うことなき犯罪者である。これまで彼女がどんな罪を犯してきたのか詳しくは知らないが、簡単に許されることでないのは容易に想像できる。
「……必要な情報を聞き出したら、この子はどうなりますか?」
「さすがに捜査当局に引き渡すしかないだろうな。いくら未成年で精神状態が異常だったとしても、無罪放免となるような罪ではない……いや実際、この子の中ではすべてが『正常』なんだよ。我々からはそう見えないだけで」
ぎりっ、とクリスは唇を噛んだ。
「――っ――なんとかならないんですか? マインドコントロールを解除して、この子を正常に戻す方法は!」
「『正常に戻す』という言葉も、この場合では間違いだ」
「蒼一!」
「まあ落ち着け。あるにはあるよ。ただし一朝一夕で効果があるような代物じゃないんだ」
「…………?」
「マインドコントロールはわたしなら解除できる。一度では無理だろうから、時間をかけて徐々にな。だがそれをやった瞬間から、この子の精神は立脚点を失ってしまうはずだ」
蒼一は考えるような間を置き、説明を続けた。
「きみはレイリアが殺される瞬間を目撃した」
「――っ!?」
「思い出させて申し訳ない。だがその感覚が必要なんだ。――幼い頃からの夢だったシディアスの騎士になったのに、レリイアの死を目の当たりにすることで、きみは辞めてしまった。正騎士に昇進して、まだ1年も経ってなかった」
蒼一が責める意味合いで言ってないことはさすがにわかる。だが容赦なく突き刺さってくる痛みで、悲鳴をあげそうになった。
「レイリアが死んだ瞬間、きみの心はどうなった?」
涙があふれてきた。
「世界が……がらがらと音を立てて……崩れていくような……っ」
そこまで言って、クリスは蒼一がなにを言いたいのか悟る。
「つ――つまり、この子にも同じような衝撃があると?」
「おそらく……クリス、すまなかった」
蒼一にそっと抱きしめられ、心の平穏を取り戻す。
「……わたしのエゴかもしれません。この子の意志とは無関係なところで、勝手に決めるような真似をして。でも、このままでいいとは思えない。この子が自ら望んで暗殺者になったとは思えない!」
「……そうだな」
「やってください、蒼一。責任はわたしが取ります」
「いいや。きみだけじゃないよ。――シルバーワン」
蒼一が膝を折り、シルバーワンの顔をのぞき込んだ。彼女はぼんやりとした眼差しで見つめ返す。
「きみの暗殺者としての人生は、今日で終了だ――」
再びシルバーワンの額に手を置き、蒼一が念じる。
「うぁっ……あぁっ……」
「苦しいのは最初だけだ。我慢してくれ」
さらに念じた。蒼一の手のひらに、まばゆい光の粒子が収束していく。青白い鮮烈な光が、シルバーワンの苦悶に満ちた表情を照らし出す。
やがて光が弾けた。
「ああぁ――うあああぁぁぁぁっっっっ!?」
絶叫とともにシルバーワンの体に痙攣が走る。次の瞬間、彼女の全身から力が抜けた。
弾けた光が空気に霧散していくのと同時に、室内に静寂が訪れる。彼女の肉体に絡みついていた光の縄も、静かに消え去った。
そのとき、部屋の入り口に人の気配。隣の部屋でアルマと一緒に寝ているはずの少年がぽつんと立っていた。
「惺……? ごめんね、起こしちゃったかな」
惺はシルバーワンが横たわっているベッドにゆっくりと近づいていく。
シルバーワンは光を失った双眸で、ぼんやりと天井を見つめている。惺はそんな彼女をしばらく見下ろしたあと膝を折り、その手を優しく握った。
蒼一が惺の頭をなでる。
「この子のことが気になるか。まあ、おまえと境遇が似ているからな」
すると惺は、なにか訴えかけるような眼差しを返した。
「ああ、この子の名前? たしかに、いつまでもシルバーワンなんてコードネームで呼ぶのは不憫か。……セイラ、という名前はどうだい?」
惺は小さくうなずいた。