さて、図書室を飛び出したところまではよかった。
けど、肝心の天宮くんの居場所がわからない。行方についてなんの手がかりもない。仕方なくわたしは、自分の教室へと向かった。
教室では、数人のクラスメイトたちが談笑に花を咲かせていた。男女問わず、みんな仲良く楽しそうだ。
輪の中に坂井くんの姿を見つけ、少しほっとする。この中でちゃんと会話したことがあるのは坂井くんだけだったから。
せっかくの会話の腰を折らないように気を遣いながら、坂井くんに話しかける。
「坂井くん、ちょっといいかな」
「ん」
素っ気のない返事。けれど、こう見えても面倒見はいいんだと、天宮くんは昨日のお食事会で豪語していた。
「天宮くん、どこにいるか知らない?」
「天宮?」
坂井くんは驚いたような様子を見せた。
「……どうしたの?」
「いや、天宮もさっき綾瀬さんのこと探してたぞ」
「え?」
「……どうして?」
「理由は知らんけど、綾瀬さんを見かけたら教えてくれってさ……あー、その様子じゃまだ会ってないんだな……ちょっと待ってろ」
そう言って携帯を取り出し、電話をかけ始めた。
「あ、もしもし――おまえの尋ね人が見つかったぞ――てゆーか、その尋ね人もおまえを捜してるみたいだぞ――ああ。俺らの教室にいる」
坂井くんはわたしに携帯を差し出してきた。
「代わってくれって」
わたしはうなずき、携帯を受け取る。
「もしもし」
『綾瀬さん? ごめん、ちょっと話したいことがあるんだけど、いまから少しだけ時間くれるかな?』
「うん。大丈夫だよ」
『じゃあ、屋上に来てくれるかい?』
「わかった」
『それじゃあね』
携帯を耳から離す。すると、そこにすかさず坂井くんが言った。
「なあ、綾瀬さんと天宮ってさ……」
しみじみとつぶやくような声だった。
「もしかして、もう『できちゃって』たりするのか?」
この台詞に、まわりのクラスメイトたちが、まるで水を打ったように静かになる。
できちゃったって、なにが――と思ったのは一瞬で、わたしは坂井くんがなにを言わんとしているのか、それがピンときた。
「ち、違います! 全然そんなんじゃないからっ!」
全力で否定してしまった。顔が熱い。ああ、また熟れたトマトのように真っ赤になっているんだろうなあと、恥ずかしさにさらなる拍車がかかる。今日はわたしの羞恥心が、かなり忙しい日だ。
『そんな全力で否定しなくても……』
哀しさをはらんだ悲痛な声が、手もとのあたりから聞こえてきた。そしてわたしの血の気が一気に引いた。たぶん、真っ赤だった顔が一気に青ざめたと思う。
あああっ、わたしってやつはっ!
「あ、天宮くんっ!? 嘘っ、わたし、通話まだ切ってなかった!?」
『僕ってそんなに魅力ないかな? 見込みゼロ? くすん』
「あ、え、えっと、そんなんじゃないから! 誤解だからね天宮くんっ。だから泣かないで!」
『うん? ……ということは見込みありだね――よし決めた』
「え?」
『綾瀬さん、はじめて会ったときから好きでした』
一瞬の間。
『マジです』
「ええっ!?」
『というわけで、僕と結婚してください。いますぐに』
けっこん……結婚っ!?
『あ、どうせならいまから屋上で式を挙げようか。……お? どうせならそこにいるみんなにも祝ってもらおうか。うん、これはナイスアイディアだね』
「あ、じゃあ俺、神父の役やるわ」
坂井くんも天宮くんの声が聞こえているのか、話に乗ってくる。楽しそうな表情だった。
『あ、悪いね。よろしく頼むよ』
「ああ。任せろ」
「ちょ、ちょっとふたりともっ」
……な、なんなのよ、もう!
わたしはぺたんと、近くにあった椅子に座り込んだ。その勢いで携帯を取り落としそうになるのを、坂井くんがナイスタイミングでキャッチする。
「……おい天宮。おまえからかいすぎだぞ。綾瀬さんって純情みたいだけど、さすがにかわいそうになってきた」
携帯から笑い声が漏れてきた。天宮くんの爽やかな――それでいて憎たらしい笑顔が浮かんでくる。
「ちゃんと謝っておけよ――ああ、伝えておく。じゃあな」
教室に沈黙が訪れた。やがて、みんながどっと沸いた。みんな、それこそおなかを抱えるようにして大声で笑い出す。
「綾瀬さんてさ……」
クラスメイトのひとりがつぶやく。
「最初はすごく真面目な子だと思ってたけど、意外にお茶目だね」
「あ、わたしもそれ思った」
「あ、俺も」
「うん、そうだね」
「なんかギャップがあってかわいいよね」
クラスにいたみんなが、わたしのことを見て思い思いのことを口にする。
「だ、だって、いまのは天宮くんが」
頬がさらに熱くなる。
「あー、でも綾瀬さんの驚きようは傑作だったね」
「うんうん。写真に撮っておきたかったよ」
「あははは」
それらの言葉に、わたしに対する本気の蔑みや嘲りは微塵も感じられない。居心地の悪さなど皆無で、むしろ、なんか心地のいいものがわたしを包んでくれる。
「もう。みんなったら……」
わたしも自然に笑みがこぼれた。
恥ずかしかったけど、こういうの嫌いじゃない。
すごく楽しい気持ち。そして温かい。
「綾瀬さん」
坂井くんが言う。
「天宮が屋上で待ってるってさ。あと、からかってごめん、だって」
「うん。許さない」
わたしは笑顔で答えた。
「はは。あいつは簡単には死なないから、屋上から突き落とすぐらいの報復でも構わないぜ」
坂井くんは、笑うと少し幼く見える。それが妙にかわいい。
「うん。覚えておくね。ありがとう、坂井くん」
このクラスは、わたしが思っていた以上にずっと温かい。みんなとの距離も、昨日と比べれば大きく縮まった気がする。
転校してきてからまだ間もないのに、わたしはもう何年もこのぬくもりに触れていたような、そんな錯覚が生まれた。
もう少しだけここにいたいけど、天宮くんを待たせるのも悪い。からかわれてたとはいえ、約束したんだし。
ぬくもりから離れる名残惜しさを感じながら、わたしは教室をあとにした。