目の前に広がる白い砂浜に、波が打ち寄せている。一定の間隔で聞こえてくる潮騒は心地よく、棘のある心を丸めてくれた。
砂浜の手前にある堤防に座り、冷たいレモンティーを飲みながら呆けていた。
放課後。水平線の少し上くらいに夕日が浮かんでいる。ここに来たときはまだ、太陽は見上げるほどの高さにあった。けど、気がついたらいまはかなり下のほうだ。思いのほか長い時間、考え込んでいたらしい。
気温もかなり下がった。昼間に比べたらずいぶんと涼しくなった気がする。
それにしても、俺もひまだなとしみじみ思う。部活には入ってないし、バイトもしていないから、時間があるのは当然だ。ふつう、それなら同じくひまな友達とカラオケなりゲームセンターなり遊びに繰り出すんだろうけど、俺にその選択肢はない。そもそも、俺に友達と呼べるやつはいるのだろうか。
……ああ、そういえばあいつがいたな。いや、でもあいつは一般的な意味での友達と解釈していいのだろうか。どこか違う気がする。
「……ま、いっか」
再び砂浜に目を向けた。離れた場所で幼稚園児くらいの子どもがふたり、母親らしき人に見守られながら遊んでいた。男の子と女の子が仲睦まじく、砂の城を作りながらはしゃいでいる。兄妹だろうか。
そのふたりの姿を見て俺は、過ぎ去りし日の思い出がよみがえってきた。そういえばこの場所は、あの子とふたりきりでよく来てたところだ。
それまでの価値観を変えた、ひとりの少女。俺がピアノを弾き続けたのも、やがてピアノを捨てることになったのも、結局は全部彼女の――
でも、あの子はもういない。
彼女を最後まで守ってやれなかった。俺はあの子を失って、とことんだめになった。自分の居場所を完全に見失った。そしてついにはピアノを弾き続けることができなくなった。
だからピアノを捨てた。
ピアノを「やめた」のではない。「捨てた」のだ。もう弾き続ける理由がなくなったから。
喪失感、絶望感、孤独感――そんな負の感情が、俺の内面からにじみ出そうになる。
同時に、つい涙腺が緩みそうになった。あのとき枯れるほど泣いたのに、俺にはまだ流すほどの涙が残っているのだろうか。
「くそ……なんだってんだ」
そして、人前でピアノを弾きたいという衝動も、俺のどこかでくすぶっているような気がした。
綾瀬由衣。彼女の姿を思い出す。今朝、彼女に出会ってから俺の中のなにかが変わったような、奇妙な衝動があった。俺が苛立っていたのも、もしかしたらその変化が原因かもしれない。
彼女はなんで、俺がピアノを捨てたことを知っていたんだろう。この国でそれを知っているやつは――
「秀一」
あいつの声。俺の真実を知っている数少ないやつ。
声のしたほうに振り返る。そこには、底知れない笑みをたたえた男がいた。
「やっぱりここにいたんだね。きみは」
そう言いながら、俺の隣に腰を下ろした。手にはミルクティーの缶が握られている。こいつは自販機でいつもこれしか買わない。
「首尾は?」
「はは。なんか秘密の会合みたいでかっこいいね。その言い方」
「おまえのことだから、いまの段階で仕入れられる最低限の情報は、うまく聞き出せたんだろ」
「まあ――ね」
どうやら首尾は上々らしい。あいつの態度がそう物語っている。
あいつは缶のプルトップを開け、口をつけた。俺も同じように、残っていたレモンティーを飲み干した。
「さて、報告といきますか」
そして、あいつこと天宮哲郎は、静かに語り出した。