第六章 01

 なんで俺はこんなところにいるんだ。
 放課後。市街地の大通りにある喫茶店のテラス。しかも男のこいつとふたりっきり。これはデートか。いわゆるデートなのか?
 寒気を覚えた。
 
「いやあ、ここのミルクティーは相変わらず格別だね」
 
 そう言いながらアイスミルティーを美味しそうに飲むのは哲郎だ。こいつはテーブルを挟んだ向かいの席に座っている。
  
「どうでもいいけど、砂糖入れすぎだからな、おまえ」
「そうかな。ふつうじゃない?」
 
 哲郎は、その甘いマスクを舌でも体現したような甘党だ。こいつは紅茶でもコーヒーでも、かなりの量の砂糖を入れる。見ているだけの俺の口の中まで甘くなりそうだった。
 本人いわく、「砂糖を入れないと飲めないんだ」だそうだ。それにしても、物事には限度というものがある。哲郎はその限度を軽く超越していた。
 ……どうでもいい情報だ。
 
「話ってなんだ?」
 
 哲郎の動作が止まり、俺を見据えた。
 嫌な予感がした。
 
「――きみを愛してる。結婚してくれ」
 
 真剣な眼差しだった。もし俺が女だったら、その心を一撃で射止められていた――わけないか。こんな意味不明な男は嫌だ。
 
「そうか。短い付き合いだったな」
 
 立ち上がり、出入り口に足を向ける。
 もう二度と、こいつと会うこともないだろう。残念だ。ちなみに俺が頼んだアイスレモンティーの代金は支払っといてくれ。
 
「ちょっと待ってってば。軽い冗談じゃないかっ」
「おまえの冗談は笑えない」
「秀一には言われたくないんだけど……ていうか、短い付き合いってなにさ。もうきみと知り合ってから十年近く経つじゃないか」
 
 俺は席に戻った。
 
「そうだったか? もう忘れた」
「ひどいなもう……秀一のいけず」
「で、本題はなんだ? ちなみに今度冗談を抜かしやがったら、本当に帰るからな」
  
 俺が喫茶店とか人混みが苦手なことは、哲郎もよく知っているだろうに。それにもかかわらずわざわざ来てやったんだから、さっさと本題へ入りやがれ――俺は視線でそう投げかけた。
 
「……綾瀬さんのことだよ」
 
 今度こそ真面目らしい。声のトーンがそれを証明している。
 
「なんか聞き出せたのか?」
「彼女自身の話ってわけでもないんだけどさ……」
「なんだ?」
「彼女のお父さん――綾瀬孝明氏についてちょっと気になることがあって調べてもらったんだ」
 
 ピューリッツァー賞を受賞したジャーナリスト、綾瀬孝明氏。その受賞のきっかけとなった写真を、俺は昨夜になってはじめてちゃんと見た。そう考えると、やけにタイムリーな話題だ。
 
「いま、調べてもらった、って言ったか?」
「うん。僕の上の兄貴がジャーナリストなのは知ってるよね」
「京介さん、だったか」
 
 天宮京介というのが、その名前だ。容姿も哲郎と似ていて、かなり女性に人気のありそうな甘いマスクをしている。もっとも、甘党かどうかは知らないが。
 
「うん。京介兄さんはジャーナリストとして綾瀬孝明氏を尊敬してたからね。僕が綾瀬孝明って名前を知っていたのもそのせいなんだけど」
「で、気になることって?」
「最近、綾瀬孝明氏がどこでどんな活動をしているのか、いまいち伝わってこないんだよね。彼についてはなにも報道されてないみたいだし」
「……そうだったか?」
 
 あまり興味のある分野じゃないから、詳しく知らない。俺が孝明氏のことを知っていたのは、単に一度だけ会ったことがあるからだ。
 
「うん。ネットとか駆使してできる限り自分で調べてみたんだけど、少しおかしいんだよね。ある時期を境に、孝明氏の取材活動がぷっつりと途絶えているんだ」
「ある時期?」
「そう。三年前を境に、彼は一度も公の場に姿を現してない。レポートやルポタージュのたぐいも、全然発表されてないんだ」
「三年前……孝明氏がピューリッツァー賞を受賞した年か?」
「そう。ピューリッツァー賞の受賞者を祝賀した会食パーティー……つまり、きみが孝明氏と会ったそのときが、彼が公の場に姿を現した最後だったみたいなんだ」
 
 戚然とした様子の孝明氏の姿が脳裏をよぎる。あれが最後の姿……?
 
「そんなこともあって、昨日の夜、京介兄さんと連絡を取って訊いてみたんだ。最近の綾瀬孝明氏の動向を知っているかって」
「で?」
「『俺も気にはなってるけどよくは知らない。それは報道の世界全体が不思議に思っていることだ。あんな才能ある人がどこに消えたのか』と、こんな感じのことを言ってた」
 
 哲郎は続けた。
 
「ただね、兄さんはこうも言ってた。『消息について以前に一度だけ噂が流れたことがある。綾瀬孝明氏は長いあいだ体調を崩していて、ヨーロッパのどこかで静養中らしい』ってね。でも、情報源が曖昧だから事実かどうかはわからないってさ」
「どういうことだ? それと綾瀬由衣本人にどんなつながりが?」
「さあ。そこまでは僕もわからない」
 
 綾瀬由衣最大の謎。それは俺の秘密をなぜ初対面の彼女が知っていたかってことだ。厳密にいえば初対面ではないらしいが、細かいことはこの際、気にしないでおこう。
 それにしても、謎がどんどん深まる。なんかこう、答えからより遠ざかっているような気がしないでもない。情報という点だけが次々と増えて、いつまで経っても点と点を結ぶ線が見えない。しかも空白部分もまだ多い。
 もし、本当に点と点がすべてつながっているんだとしたら。
 綾瀬由衣が俺の秘密を知っていたこと。彼女が身につけていた、時刻の合わない腕時計。そして、綾瀬孝明氏の消息。
 それらはいったい、パズルのピースとしてどこの空白にはまるのか。そして、どのような線でつながっているのか。
 俺は氷が溶けて味の薄くなったレモンティーを、一気に飲み干した。氷は時間が経つと溶けるが、目の前の謎はそう簡単には解けてくれないらしい。





光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~

この記事が気に入ったら
フォローしてね!