第六章 02

 喫茶店を出て哲郎と別れたあと、俺は大通りをぶらぶらしていた。
 この天野宮市は都心から離れているとはいえ、ベッドタウンに位置する地方都市だからそれなりに賑わっている。
 俺が用もないのに大通りを歩いているなんて、なんともめずらしい。人混みが苦手だから、このあたりにはどうしたって寄りつこうとしない。
 ……ま、たまにはいいか。
 駅とは逆方向へ進む。しばらく歩くと、大きな交差点に差しかかった。いちおう、ここは天野宮市の中心地だ。渋谷のスクランブル交差点を彷彿とさせるほどの人混みは、相変わらず騒々しい。
 
「――っ」
 
 ごった返す交差点の向こう側で、見覚えのある姿が視界に入った気がした。
 
「……おいおい」
 
 見間違いでも気のせいでもなかった。
 制服姿の綾瀬由衣が横断歩道を歩いている。俺とは反対の方角へ向かっているようだ。幸い、人ごみに紛れて俺の存在には気づいてないらしい。
 踵を返し、綾瀬由衣を追う。やや早歩きで、人ごみをかき分けながら進んでいく。しばらく歩くと、やがて哲郎とさっきまで一緒にいた喫茶店を通り過ぎる。
 綾瀬由衣は、途中の道を左へと折れた。この先の沿道には飲食店やファッション、ブティックなどが立ち並ぶ繁華街だ。
 しばらく歩んでいた彼女は、なにかの建物に入っていった。
 うかつに近づくと気づかれる恐れがあるから、そのまま大きな看板の物陰に隠れる。
 ――待つこと、およそ十分。
 さすがに居心地が悪くなってきた頃。建物の中から出てきた綾瀬由衣は、なにかを大事そうに抱えていた。
 高級感が漂う黒塗りの楽器ケース。あの大きさなら間違いなくヴァイオリン――そう結論づけた矢先、彼女は俺に気づかないまますれ違い、やがて大通りのほうへと足早に消えていった。
 俺はその場に立ち尽くす。
 ……なんで彼女がヴァイオリンなんか。
 不思議に思いつつも、彼女が出てきた建物へと足を向けた。木の板をヴァイオリンの形にかたどったわかりやすい看板あって、「鈴井ヴァイオリン工房」と、洒落た書体で書かれている。
 丸太を組み合わせたログハウスのような外見の一軒家だった。山奥にある別荘、と表現すればわかりやすいだろうか。こんな瀟洒な店が、繁華街の中にあるなんて知らなかった。
 
「……ちょっと待てよ」
  
 ――綾瀬由衣。
 ――彼女がかつて暮らしていた国――イタリア。
 ――ヴァイオリン。 
 あの人は、たしかイタリアの出身だった。なによりも彼は――
 そういえば、弟子を取らないと有名だったあの人にまつわる妙な噂も――
 意識下であらゆる情報が統合されようとしている。パズルの空白部分が埋まり、点と点が結ばれていくような感覚。
 
「まさか――な」
 
 俺の直感が、とある予想を導き出した。とても信じられないが、いちおう筋は通っている。もし、これが問題の「解」なら、確かめないといけない。
 綾瀬由衣の真実を。





光紡ぐ神の旋律 ~ Melodies of Memories ~

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