山中にある孤児院。
生い茂る緑や流れ出る清浄な湧き水。そんな大自然の恵みに囲まれた実り豊かな場所に、ひとりの少女がいた。
五歳ほどの、あまりにも幼くて可憐な少女だった。
ただし、少女に表情と呼べるものはうかがえない。仮面を張りつけたような無表情がそこにあった。
笑うでもなく。
怒るでもなく。
泣くでもなく。
哀しむでもなく。
喜怒哀楽をはるか彼方に置き忘れた色のない表情で、少女は木陰で膝を抱えて座っていた。虚ろな視線は空に向かっている。
どうして自分がこんなところにいるのか、少女に自分の境遇を愁う様子はない。
少女には、なにかが決定的に欠けていた。
孤児院の子どもたちが、広い庭を駆けずりまわっている。
鬼ごっこをしている子や、サッカーやキャッチボールで汗を流す子など、その姿はさまざまだった。
おままごとをしていた女の子がひとり、少女に近づいてきた。
「ねえねえ、一緒にあそぼーよ」
少女は、胡乱な瞳を女の子へ向けた。ただし視線を向けるだけで、返事をする様子はない。
「……ねえ、聞いてる?」
女の子は笑顔を向け、少女に話しかける。
いつまで経っても、返事はなかった。
やがて少女は、抱えた膝に顔を埋め、その無表情を隠してしまった。
少女と女の子の奇妙な様子に気づいた、もうひとりの女の子がやってくる。
「さっちゃん、その子はいいよ。だって、いつもお話ししてくれないんだもん」
「え、でも……」
「先生も『あの子はかわってるの』って言ってたよ。いいから行こうよー」
ふたりの女の子は、やがて少女の前から離れ、子どもたちの輪の中に戻っていった。
しばらくして、少女は顔を上げ、笑い声が絶えない子どもたちの輪の中へ視線を向けた。
あれはなんだろう――?
笑い合い、触れ合い、なにかを共有する感情の交差――目の前の現実が、少女にとっては異次元の出来事のように思えた。
少女には理解のできない現象だった。自分を取り囲むありとあらゆる環境の「意味」が、少女には理解不能の未知のものだった。
なにが――
どうして――
「……ぁ……ぅ」
自分の想いを心の中でもうまく表現することができず、少女は震えた。背筋が凍えるような寒気が襲う。
その桃色のかわいげな頬に涙が流れても、誰にも気づいてもらえなかった。
少女の名は、桃子といった。