Prologue 10

 事態は迅速に収束していった。
 セレスティアル号に機動隊が突入し、残っていた人質は全員が救出。船内に残っていた犯人たちは、縛り上げられた3人を除外した全員の死亡が確認された。
 ヴォルテックに乗った男は依然逃走しており、警察が全力で捜索している。事件の重大性から、ICIS日本支部も協力していた。
 埠頭に止まっている様々な車の中に、ICIS所有の大型オペレーション・カーがある。大型バスほどの巨体を誇る車体。車内には最新鋭コンピューターを配備し、大型モニターや各種通信機器も備え、出先ですべて間に合うよう設計された特注の車だ。
 車内の椅子を寄せ集めて縦に並べ、ベッド代わりにしているのはセイラだった。セレスティアル号のスイートルームにあったベッドとは、寝心地が雲泥の差なのは仕方ない。ないよりはマシだと無理やり納得し、横になっていた。
 セイラのほか、車内には数人のICIS職員がいる。セイラに椅子を取られて立ったまま仕事しているが、誰も文句は言わない。
 詩桜里はいなかった。彼女は現在、警察の事情聴取を受けるため席を外していた。
 セイラは複雑な立場上、警察の事情聴取は受けてない。そのため時間を持て余し、休んでいたのだった。
 詩桜里が戻ってきたので、セイラは上体を起こした。
 
「あー……お風呂入りたい……」
 
 椅子に座り、そんなことをつぶやきながら脱力する詩桜里。彼女は職員が入れてくれたコーヒーを飲んだ。インスタントで味は微妙だったが、まともに味があるものを口にするのは久々だったので、3割増しくらいに美味しく感じる。
 
「柊捜査官、やはり病院を手配しますか?」
 
 女性職員が気を利かせて言う。監禁されていた人々は疲労と精神的緊張の極限状態にあったため、解放後はほぼ全員が病院に直行した。人によっては入院が必要だろう。セイラと詩桜里は仕事柄タフで比較的元気だったので、簡単な検査だけで病院には行かなかった。
 
「いえ、大丈夫よ。ありがとう」
 
 詩桜里は壁のモニターに視線を移した。大型モニターの一角はテレビの報道特別番組が映し出されている。
 空を飛ぶヴォルテックが映る。埠頭のどこかから、報道クルーが撮影したものだ。遠目だが、機体の上に人影が見えた。
 
「な、なにあいつ……カメラに手を振ってるわよ……!?」
 
 ヴォルテックの機上で、カメラに向かって男が手を振っている。遠すぎて顔は映ってないが、もしかしたら笑顔かもしれない。それを見た男性職員が、「クレイジーだ……」とつぶやく。
 
「ふざけた男だったな。久々に殺意を覚えた」
 
 そんな男だが、想像以上の実力を兼ね備えていたことは、セイラも認めざるを得ない。

「ねえ、その男が星術使ったってほんと?」 
「ああ。物理障壁を作り出す星術だった。かなりの使い手だな」
 
 術者本人だけでなく、ヴォルテックそのものも術の庇護にあった。高い星術行使能力であることの証左だ。
 
「このご時世によくもまあ、あそこまでの使い手が育ったものだ」
「あなたが言わないでよ。〈マテリアライズ〉と〈イセリアライズ〉だったかしら、あんなチート級の術が使えるのに」
 
 物質霊化星術――〈イセリアライズ〉。物質顕現星術〈マテリアライズ〉とは逆で、物質を素粒子レベルにまで分解する星術だ。〈イセリアライズ〉をかけられた星装銃は現在、極小に分解され、セイラの周囲と空気と同化している。ちなみにこのふたつの星術は基本、セットで覚える術となっている。
 星術とは便利な術だ。理論上ではさまざまな物理現象を操ることができる。ただしその反面習得が困難になっている上に、現代においては星術を習得するメリットが限りなく少ない。出先で火を利用したければライターがあるし、セイラがデッキで使った風を操る星術も、そもそも日常生活で風を操る機会や必要性があるのか疑問だ。つまり、苦労して星術を習得しても、代用となる科学技術があるため、無用の長物になる。
 そのため、現代社会で暮らす一般人にとって星術は、存在は知っているが実際に見たことはない、という認識が大半だった。
 
「わたしの予測が正しければ、テロリストたちが自殺したのも星術が絡んでいる」
「どういうこと?」
「自殺の直前、不自然な船内放送が流れただろう?」
「ああ、『七つの子』ね」
「あれが自殺のきっかけだったのではないか? あの音楽を聴いたら、自殺するように暗示をかけられていた」
「自殺するような暗示なんて可能なの?」
 
 生存本能に完全に逆らうような暗示は、本来なら不可能だ。それほどまでに生物が生きようとする欲求、死に対する恐怖は強い。
 
「だからこその星術だ。精神へ作用する星術があるのは知っているだろう? 難度が高い術だが、不可能ではない。星装銃が効かないレベルで物理障壁を組み上げたんだ。それくらいはやってのけてもおかしくはない」
 
 そのとき、車内の電話が鳴った。
 すぐに通話を終えた男性職員は、かなり戸惑った様子だった。
 
「どうしたの?」
 
 詩桜里が訊いた。
 
「本部からです。その……逃走したヴォルテックが消えた、と」
「消えた? 見失ったってこと?」
「それはそうなんですが、本当に消えたと言ってましたが……」
 
 説明していて自分でも自信がなくなったのか、職員の声が小さくしぼんでいく。
 本部の報告によれば、警察の航空隊と連携して捜索に当たっていたが、突如、目の前でヴォルテックが消失したという。墜落したわけではなく、文字どおりの消失。付近を捜索したが、まるで手がかりはなかった。
 
「もう、なんなの……頭痛いんだけどっ」
 
 詩桜里が頭を抱えた。聡明な頭を持っていても、疲れた体では理解が追いつかなかった。
 やはり一筋縄ではいかないかとセイラが考えたとき、車内後方にある自動ドアが開き、人が入ってきた。
 長身の外国人男性。ブロンドの髪をオールバックにまとめている。四十代後半に見えるが雰囲気は若々しい。顔は骨張っているが、ブルーの瞳はどこか優しげな印象を与えている。彼はセイラと詩桜里を認めると、軽く手を上げた。
 
「久しぶりだね、ふたりとも。帰国早々大変な目に遭遇して、お見舞い申しあげるよ。こんな殺風景なところで再会したくはなかったが」
 
 流暢な日本語だった。朗らかで親しみやすさを感じる口調。
 彼の名前はジェームズ・フォスター。ICIS日本支部に所属する特等捜査官。セイラと詩桜里の直属の上司に当たる。前線からは退いた身とはいえ、そのたぐいまれな捜査能力は、世界各地の支部で伝わるレベルだ。
 フォスターは、テーブルを挟んだ詩桜里の正面に座った。
 
「疲れているところ申しわけないが、悪いニュースがある」
「ヴォルテックが消失した話は聞いているぞ」
「いや、それも悪い話には違いないが、もっと悪いニュースだ」
 
 セイラと詩桜里は目を見合わせた。
 
「いやはや、実にとんでもない事態になった」
「今回の事件は、最初から最後まで充分とんでもないと思えるが、それ以上か?」
「そうだね。犯人たちの自殺や、逃走したヴォルテックと男の消失……そんなものは正直に言って、序章に過ぎなかったようだ。ふたりとも、セレスティアル号の動力源がなにか知っているね」
「小型星核炉だろう。それがセレスティアル号からが盗まれたか?」
 
 フォスターは目をぱちくりした。
 
「知っていたのかい?」
「いや、どうも話の流れから、それしかないように思えてな」
「ちょ、ちょっと待って! 小型星核炉が盗まれる……? そ、そもそも取り外しできるものなの?」
「詩桜里くんの気持ちもわかる。わたしもそう思ったさ。だが、どうやら事実らしい。つい先ほど、ゾディアーク・エネルギーの関係者が調査のために船に乗り込み、小型星核炉の消失に気づいた。自然になくなるものではないのは明白だから、盗まれたという結論しかないわけだ」
 
 フォスターが胸ポケットから一枚の写真を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。
 白地の背景に黒い円筒形の箱が写っている。精密な電子機器のようにも見える。家電量販店の棚に並んでいても違和感はないだろうが、見ただけでは用途は不明だった。しかしそれ以上の情報はほとんどなかった。箱には文字や記号などなにもなく、デザインのようなものもない。中がどんな構造をしているのか、まるで知らしめるつもりのない形。
 
「高さ50センチ、幅30センチ。重さは約20キロ」
 
 フォスターの補足説明に、詩桜里が声を荒らげた。
 
「ま、待ってください! まさかこれが小型星核炉ですか?」
 
 詩桜里の問いに、フォスターは重くうなずいた。
 詩桜里は、星核炉というからにはもっと大きなものを想像していた。小型とついていても、まさかこんな子どもほどの大きさしかないのは予想外もいいところだ。
 この大きさのものひとつが、セレスティアル号におけるすべての電力エネルギーを発生させている――その事実に、さすがのセイラも驚きを隠せない。
 
「セイラくん、ホワイトルーム内部でこれを直接見たかい?」
「直接は見てない。だが、あのトランクならすっぽり入るサイズだな」
「うん。男がトランクを持ちながら船内を逃げたのは、防犯カメラに映っていた。セイラくんの報告も簡単には聞いていたし、その男が小型星核炉を持ち出し逃走したのは明白だ」

 フォスターは写真をつまみ上げ、念じる。
 指先から火がつき、写真はすぐ灰になった。
 簡単な星術だった。フォスターは格好よくタバコに火をつけたかったために、若い頃に苦労してこの星術を覚えた。しかし術取得直後に結婚。妻が大のタバコ嫌いだったため、使い道がなくなってしまう。まさに無用の長物だ。
 
「必要な人物だけに見せたら完全に処分しろって言われていて。わかっていると思うけど、他言無用だからね。特にセイラくんは、ホワイトルームで見たことは絶対に口外しないように。ゾディアーク・エネルギーがきみを直接聴取したいから身柄を引き渡せとか偉そうに要求してきたが、きみはいろいろと立場が複雑だからね。全身全霊をかけて断らせてもらったよ。いやはや、あれには骨が折れた」

 本当に骨が折れたような表情でフォスターが語る。
 
「ゾディアーク・エネルギーの秘匿主義は相変わらずだな。ちなみにいまの写真をネット上に拡散させたらどうなる?」
「恐ろしい仮定だね。ここにいる人間は完全に首が飛ぶだろうね。比喩ではなく、物理的に。ネット上で写真を見た者も特定されて、どうなるかわかったものじゃない」
 
 ゾディアーク・エネルギーは、設立当初から星核炉の情報を完全に統制・秘匿していた。その秘匿性を守るために、人死にも辞さないという恐ろしい風潮がある。もちろん現代社会の法規を逸脱するが、星核炉の影響力はもはや文明の存亡に関わるレベルに迫っていることから、大国ですら口出しできないでいた。
 
「フォスター、盗まれた小型星核炉は誰が追うんだ? 日本の警察では手に負えないだろう」
「ゾディアーク・エネルギーの実行部隊が秘密裏に捜索するんじゃないかな」
「実行部隊……SFGか」
「そうだね。悪名高いSFG。こちらとしては手伝ってもいいと言ったんだけど、必要ないそうだ。けんもほろろに断られちゃって」
 
 しばらく、沈黙が落ちた。
 やがて「ああそうだ」と、フォスターは思い出すように口を開いた。
 
「この際だから、きみの今後の予定について話しておこう」
「具体的な任務はもう決まっているのか?」
「うん。セイラくんにはしばらく、〈神の遺伝子〉捜索をやってもらうつもりだ」
「なんだそれは?」
「わたしも詳しくは知らない……ははは。ごめんね」
「話にならん。詳細がわからないものをどうやって探せと? だいたい、それはどういう犯罪に関わっているんだ?」
 
 フォスターは苦笑いしながら首を横に振った。ICISが人以外のものを捜索する場合、それがなんらかの犯罪に関わってないとおかしい。フォスターはそれも含めて不明と述べた。
 不満げな顔をするセイラ。詩桜里も腑に落ちないといった表情を浮かべていた。
 
「ふたりの気持ちもわかるんだけどね。どうもこの件、上の口が堅くって。それにいつも以上にきな臭い」
「まあでも、セイラ向きの仕事よね。情報が少ない中でもフットワークの軽さでカバーできるのがあなたのすごいところよ」
「わたしは便利屋ではないのだが……まあいい」
 
 セイラは立ち上がり、コンソールパネルまで移動する。パネルを操作すると、モニター一面に外部の映像が映し出された。オペレーション・カーの天井に備えつけられている、カメラのリアルタイム映像だ。
 
「〈神の遺伝子〉とやらは、もちろん全力で捜索しよう。しかし、きな臭いということは、ドンパチやる可能性が高いということだな?」
「うん。否定はしないよ」
 
 フォスターは静かにうなずいた。
空はいつの間にか紫色に染まり、遠い西の空は夜の色が顔を出していた。
 
「今回の事件は忸怩たる思いがある。死人がたくさん出た」
「でもそれは、あなたの責任じゃ――」
 
 と、詩桜里。
 セイラは首を横に振った。
 
「わたしは人を殺めることができないが、だからと言って、自分で直接手を下さなければ死人が出てもいいというわけではない」
 
 詩桜里もフォスターも黙って聞いている。
 
「たとえ犯罪者であっても、それが事故であっても、捜査の過程で死人は出さない。こればっかりは絶対にとは言い切れないが、それでもわたしの矜恃の中に深く刻み込まれている。ふたりも覚えておいてくれ」
 
 セイラの声音は研ぎ澄まされた真剣のような鋭さがあり、同時に重みもあった。車内の空気が緊張感を帯びてくる。
 
「それが元暗殺者のわたしが背負った咎だ――人間未満のわたしを、手助けしてくれると嬉しい」


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