話は夏休みまでさかのぼる。
サマーフェスティバルを1週間後に控えた頃。例の地震はまだ起こっていなかった時期。朝から気温が30度近くあった、真夏のある日だった。
A校舎1階の廊下を、ふたりの人間が歩いている。
ひとりは織田光一郎。
もうひとりは眼鏡をかけた女性だった。後頭部で長髪をべっ甲色の髪留めでまとめている。ガンメタルの分厚いフレームをした眼鏡の存在感は大きいが、不思議とそのシャープな顔立ちに似合っていた。身を包むすみれ色のパンツスーツは、おろしたてのようにパリッとしている。
東雲友梨子。臨時で学園にやって来た教師だった。
廊下を歩いていく。行き先は学園長室。
しかし不意に東雲の足が止まり、視線は壁に向かう。彼女の呼吸は自然に止まっていた。
先を歩いていた織田が振り返る。そして、東雲が足を止めた理由をすぐ察した。
「ああ、やはり目にとまりますか。さすが美術教師」
「この絵は……?」
壁にかけられた巨大な絵画が1枚。
奇跡の1枚がそこにあった。
中央に巨大な樹が描かれた見事な絵だ。みずみずしい葉の茂る樹は崖の上にあり、周囲は海と青空に囲まれている。
空には雲が漂い、太陽が神々しく輝き、鳥が飛んでいる。海の向こうには陸地があり、建物や森などが描かれているが、その構成や構造は決して写実的なものではない。それでもバランス感覚は抜群で、まるで違和感がない。
ひと目見たら惹かれてやまず、目を離すことができない。
これを描いた人物は紛れもない天才だと、東雲は確信する。いままで様々な絵画を見てきたが、ここまで圧倒的なものとは出会ったことがない。歴史上の名だたる巨匠たちの絵すらも、見ようによっては超越している。
絵画の横にプレートがあった。
『はじめて識る世界は、なによりも美しかった――』
プレートにはほかに、去年開催された国内有数の絵画コンクールで、最優秀賞を受賞したことが記されてあった。
描き手の名前は――
「……真城惺?」
東雲がつぶやくように口にする。
「その生徒はいま2年で、わたしのクラスに在籍しています。そういえばうちのクラス、2学期から美術の授業は東雲先生の担当ですね」
「この生徒は、プロの絵描きを目指しているのですか?」
「いえ、そんな話は聞いていませんが……それで、美術の先生としてどうです、この絵は」
「わたし、学生時代は画家を目指していたんですよ。でも、早々にあきらめてよかった」
「はい?」
「こんな天才には、凡人が一生絵の修行をして、どれだけ神に祈ったとしても、絶対に敵いません……この生徒は、世界をどういうふうに見ているのでしょうか」
あらためて絵画を見つめる。
空の青と海の碧が混ざり合っている。中央の巨大な樹――大星樹の緑はあまりにも瑞々しく、本物のように輝いている。草も土も岩もすべてが生きているように感じられ、光は鮮やかで影すら生々しい。
その光と影の描き方がもっとも独特だった。世界の美しさを光、残酷さを影とするのなら、この絵はあまねく世界の「すべて」をたった1枚で表現しているようだ。
人間が持ちうる感情をすべて余すところなくかき立ててくる。優しい愛情、怒り狂う激情、切ない慕情。もどかしさや悔しさ。震えるほどの楽しさや嬉しさ――老若男女、地域や人種、文化を問わず持ち合わせている普遍性が、絵の隅々まで宿っている――東雲はそう感じた。
――どれくらいその「奇跡」を見つめていただろう。
「……あ、ごめんなさい。つい夢中になってしまって」
歩みを再開しながら思う。
この世界を究極的に、考え得る極限まで美しく感じることのできる感性。
真城惺という人物は、誰もが無意識に求めていながら絶対に手に入れることのできない「それ」を持っている。
会うのが楽しみだった。