5

 その翌日から、僕とさっちゃんとナオちゃんの奇妙な共同生活が始まった。
朝――というかもう昼に近い頃、僕たち3人は大きなリビングテーブルを囲みながら、朝食なのか昼食なのかわからない食事を食べていた。冷蔵庫が空っぽだからと、ナオちゃんがさっきコンビニまで買いに行ってくれたカップ麺。
 びっくりするくらい美味しかった。そういえば、丸一日以上なにも食べてなかったことを思い出す。
 
「ナオちゃんは帰ってもいいよ? とりあえず、もう死のうなんて考えないから」

 ものすごく軽やかな口調で、かなり重いことを口にするさっちゃん。 
 向かいに座っているナオちゃんがむっとした。
 
「とりあえずってなに。わたしもしばらくここにいる。さっちゃんに拒否権はないから」
 
 ナオちゃんは近くのアパートに住んでいるそうだ。にもかかわらず先ほどからずっとこの調子で帰ろうとしない。さっちゃんもさすがに後ろめたさがあるのか、強くは言い返せない。
 ナオちゃんは僕を見た。親のかたきを見るような、きつい眼差しを伴って。
 
「それより、この男をここに置いておくって正気?」
 
 僕を鋭く見据えながら、その言葉はさっちゃんに向かっていた。
 今朝起きたとき、真っ先に浮かんだのが「さあ僕はどこに帰ろう」ってことだった。本気で死ぬつもりだったから、家具や服も処分して、住んでいたアパートも引き払っていた。実家は遠いってほどではないけど、あまり頼りたくない。
 そんな僕に対し、さっちゃんはしばらくここにいてもいいよと言ってくれた。「ほら、いちおう命の恩人だし」だそうだ。
 
「ねえあんた、実家はどこ?」
「埼玉の北のほうだよ。もうほとんど群馬県みたいなところ。パスポートないと入れないんだ」
「ご両親、健在なら心配してるんじゃない? 帰ったほうがいいって」
 
 僕の渾身のギャグは完璧に黙殺された。それよりナオちゃんは、どうしても僕をこの家から追い出したいらしい。
 
「どちらも元気だけどさ、たぶん心配はしてないと思う。もう1年くらい帰ってないし、帰らなくてもそこまで文句言われないから」
「仲悪いの?」
「いや、そういうわけじゃないよ。会えばちゃんと会話するし、冗談だって言い合う。なんていうのかな……お互い無関心ってわけじゃないんだけど、それに近いというか……わかる?」
 
 ナオちゃんは「ふーん」と、あからさまに興味がなさそうだった。
 
「でもさ、付き合ってもない男女が同じ屋根の下ってまずいでしょ」
 
 ナオちゃんの正論に、僕とさっちゃんは顔を見合わせた。彼女とひとつになった感触やら光景がまざまざと思い浮かんできて、内心うろたえる。それを隠すために、急いでカップ焼きそばをすする。
 
「たーくんがよかったら、あたしたち付き合っちゃおうか」
 
 カップ焼きそばを噴いた。
 ナオちゃんが汚物を見るような眼差しを向けてくる。さっちゃんは「はい、麦茶」とコップを差し出してくれた。それを一気に飲み干したあと、僕は深呼吸委してからさっちゃんに向いた。
 
「つまんないこと言ってほんと申し訳ないんだけど、いま、なんて?」
「だから、付き合っちゃおうかって。だってもう、エッチした仲だし」
 
 ナオちゃんが身を乗り出してきた。
 
「中出ししたの!?」
「ナオちゃん、あの状況であたしもたーくんも避妊具なんか持ってるわけないでしょ。あと、それ聞き間違いだから」
 
 僕はうまく返事することができなかった。初体験で中出し、という衝撃的なキーワードが、頭の中でぐるぐるとまわり続ける。
 ナオちゃんはさっちゃんを必死に説得している。そんな簡単に決めたらだめだとか、男なんて掃いて捨てるほどいるからもっとじっくり選別しようだとか、たった1回の過ちなんか蚊に食われたと思ったほうがさっちゃんのためだとか。
 
「そんなこと言ってたら、あたしこれからずっと喪女のままだと思うよ。その、なんていうか、たーくんが悪い人じゃないのはナオちゃんもわかるでしょ」
「まあ、悪人にしては顔が間抜け過ぎるし……でも……それだけで……」
 
 泣きと怒りがない交ぜになった表情を浮かべるナオちゃん。僕はそれだけでいたたまれなくなった。
 
「たーくんはそろそろ返事してくれるよね。ちなみにこれ、あたしの生まれてはじめての告白だから」

 ウインクを飛ばすさっちゃんは心底可愛いと思った。これでOKしない男は男じゃないだろう。
 だから思わず「よろしくお願いします」と答える。しかし声が思いっきり裏返っていて、ナオちゃんには相変わらず睨まれ、さっちゃんは笑いのツボにはまった。


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