12

 夜になっていた。
 僕は夜が好きだ。すべて闇で覆い尽くしてくれるから――なんて気取ったことを以前にぽろっと言ったら笑われた。
 
「死は人間にとって最高の救済だよね」
 
 そんなことを笑いながら軽やかに口にするさっちゃん。彼女の持っていたグラスの氷が、からんと軽快な音を立てた。重苦しい内容を語っているはずなのに、さっちゃんの雰囲気はその音のように軽く楽しげで、同時にどこか冷たい。
 
「ナオちゃんが聞いたらまた怒られる話だね」
 
 夕方頃、Charlotteのマスターからナオちゃんのスマホに電話が入って、ヘルプで来てほしいと頼まれた。にべもなく「嫌です」と言い放つナオちゃんに、マスターは食い下がって――というかマスターのかなり必死な懇願が聞こえてきた。ナオちゃんは強く頼まれたら断れないのか、結局店に向かった。
 
「よく考えてみて、たーくん。過去にやらかした失敗や、バレたら逮捕されるような罪からも、死んだら全部解放されるんだよ。背後霊みたいにつきまとう恥ずかしさや罪悪感が、きれいになくなるの。それが救済じゃなくてなんなの?」
「わかるよ。でも、死んだら幸福も感じなくなるよね」  
「たーくん、いままで生きてきて、心から幸福を感じたこと何回ある?」
 
 とっさに返すことができなかった。さっちゃんの眼差しが冷たい。
 
「幸せだったのって、だいたいが子どもの頃じゃない? なにも知らなかったけどすべてが楽しくて幸福に満ちていた――」
 
 昼間も聞いた気がする。
 
「さっちゃんは、子どもの頃に戻りたい?」
「それはどうかな……だって、戻ってもいずれまた大人になって、こんな毎日が訪れるわけでしょ。2回も経験したくないよ」
「それは同感」
「あ、でも、たーくんにはまた会いたいかも。もちろんナオちゃんとも」
 
 嬉しかった。
 
「あの山奥で?」
「あの山奥で」
「じゃあ、今度はコンドーム用意しておくね」
「じゃああたしは……もうオムツはいていかない」
 
 ふたりして笑った。痛々しい記憶も、こうやって笑い飛ばせるようになるのが人間唯一の長所だと思う。
 そのはずなのに、どうして僕たちは死を選ぼうとしたのだろう。
 ナオちゃんが出かける間際に言っていた。ふたりとも想像力がない、と。
 口を開けばふたりとも死とか自殺とかしか言わない。死の先にはなにも存在しないのに、いきなりそれを選ぼうとするのは馬鹿のすることだと。
 たしかに、僕もさっちゃんも馬鹿なんだと思う。いまでこそ、こうやって幸せそうに暮らしてはいるけど、心の底にこびりついた死という文字はなかなか払拭できない。
 そして自ら死を招いてしまった兄貴は、きっと最高に馬鹿だったんだ。


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