10月はあっという間に過ぎ去った。
中間テストは無事に終了し(光太を除く)、創樹祭も行われた。
学園祭というものにわたしが参加したのは、もちろんはじめてだった。学園の敷地内の至るところで開かれる催し物に、わたしは自分の立場を忘れ、心の底から楽しんだ。
そして創樹祭でのライブに、「The World End」が出場した。
いままでの葛藤や苦悩をすべて吹き飛ばすような清々しい演奏に、わたしたちが感動したのは言うまでもない。
ライブ終了後、舞台裏で美緒たちは肩を寄せ合って、みんなで泣いていた。
しかし、その姿を少し離れているところから見つめていた凜は、どこか愁いのある表情をしていた。その後、美緒たちからの打ち上げの誘いを断り、凜は熱気冷めやらない学園からひとりで去っていった。
凜が「The World End」のマネージャーをやっていたのはもちろん知っている。美緒たちの話では、凜がいなかったらここまで成功することは絶対になかったと語っていた。
人を殺したと告白を聞いてから約1ヶ月。
それから凜とみんなの距離がゆっくりと、しかし確実に遠ざかっていることに気づいたのは、わたしだけではなかった。
――11月も半分が過ぎ去ろうとしていた。
今月は大きな行事もテストもなく、ミュージカルの稽古や準備を一気に進める絶好の機会だった。
放課後、わたしは惺、真奈海、奈々と一緒に街へ買い出しに出ていた。それぞれの手には、大量の買い物袋が掲げられている。中身は衣装で使う布や装飾品だ。
星蹟駅前にある、真奈海がよく利用とするという手芸用品店の帰り。学園へ戻るため、バス停に向かっていたときだった。
「あのぉ! 実はセイラと真城っちにお話しが」
神妙な表情をする真奈海。真面目な話だという雰囲気が伝わってくる。奈々も似たような顔をしていた。
道を外れて近くの公園へ足を運ぶ。頭上では夕方の朱い陽光が、晴れわたる空を幻想的に染めあげていた。砂場で子どもたちが遊び、そばのベンチでは母親らしき数人が井戸端会議に興じている。
惺が自販機で買ってきた飲み物に口をつけ、ひと息ついた。
「真奈海の話とは、凜のことか?」
「う……うん。セイラも気づいているよね?」
「そうだな。というより、みんなどこかしら感じるところがあるんじゃないか」
凜の様子がおかしい――それが話の内容だった。
目に見えるおかしさとはちょっと違う。学園ではふつうにしゃべっているし、光太をからかってげらげら笑うところもよく見る。ミュージカルに関しても、凜には全体の統括やスケジュール管理をお願いし、見事な采配を見せてくれていた。
しかし、みんなと楽しくやっているときでも、どこかに哀愁が漂っている。影、と表現していいのかもしれない。いままでの凜にはなかった要素だ。
「奈々、家ではどうなんだ?」
「家でもふつうです。冗談だって言うし、おもしろいことがあれば笑うし……ただ」
奈々はごくりとつばを飲み込んだ。
「ふとしたときにお兄ちゃんを見ると、なんかすごくつらそうな表情をしていて。『どうしたの?』って訊いても、『なんでもないよ』って。……その、昔に戻ったみたいなときがあって」
「昔とは?」
「その……」
「ああ、凜が星峰家の養子だってことは、少なくともここにいる全員が知っているぞ」
一瞬驚いた奈々だったが、すぐに覚悟を決めて語り始めた。
「お兄ちゃんがうちに来て、すぐくらいのときです。新しい家族に慣れないのか、口数も少なくて、わたしや悠ちゃんや、当時まだ家にいたお姉ちゃんもあまり積極的には話しかけなかったんですけど……なんか、人に言えないようなこと抱えているんじゃないかって思えるほど、思い詰めた表情してたんです。そのときのお兄ちゃんによく似ていて……」
そんな状態からどうやって打ち解けていったのか気になるが、そこはいま訊くべきではないだろう。
「悠には相談したのか?」
「はい。でも『しばらくそっとしてあげて』って」
悠にしてはあっさりしている。奈々もそう感じているのか、いまにも泣き出しそうだ。
「惺はどう思う?」
「凜は……そうだな、強いて言うなら、迷子になった子どもみたいに無防備な感情を剥き出すことが多くなった気がする」
こういうときほど、惺の特殊能力は正確性を発揮する。もっとも真奈海と奈々は惺の能力については知らないだろうから、言葉は選んでいるようだ。
「真奈海に訊きたいことがある。秋田での凜はどうだった?」
真奈海は戸惑う素振りを見せた。
「あ、あれ? セイラってそのことも知ってたんだ」
「まあな」
その話はどこかで聞いたことがあったのか、奈々はそれほど驚くような素振りは見せない。惺も真奈海の言葉を静かに待っていた。
「向こうであたしと凜は、小学校が一緒だったの。って言っても、全校児童合わせて20人くらいの小さな学校で、クラスはひとつしかなかった」
当時に思いを馳せるような眼差しで、真奈海は続けた。
「けっこう休みがちだったの、凜って。3日登校したら2日休むみたいな。体が弱いわけでもないみたいだし、みんなはなんでだろうって感じてた。あのときは口数も少なかったかな」
「真奈海は凜の家に遊びに行ったことあったか?」
真奈海はぶんぶんと首を振った。
「一度もないんだ……凜の家って、いろいろ噂されていて、周囲の大人が『あの家に近づいてはいけません』ってよく言ってた……なんていうの? そういう古い慣習……因習? っていうのが強くて。まあ、うちの両親はそういうことあまり気にしてなかったけど」
煌武家が近隣の住民からさけられていたのは、例の事件の捜査資料に記載されていた。
真奈海の視線が、砂場で遊んでいる子どもたちに吸い込まれる。
「一緒に遊んだ記憶もあんまりないんだよね。凜って授業終わったらすぐ帰ってたし。たまに遊ぶ機会があっても……その、うまくみんなの輪の中に入れないみたいで、ぽつん、って孤立していることが多かった……ああ、そういえばいまの凜、あのときの凜と重なるかも」
「凜の家族と会ったことは?」
凜の兄姉は、それぞれ高校を卒業してからは、ほとんど屋敷の外に出なかった形跡がある。もともと有数の資産家で、特に働く必要がなかったわけだ。
「授業参観とかは誰も来てなかったし……あ、そういえば、ひとりだけあるかも。凜のお兄さんのひとり……たしか、3番目の兄貴だったかな。この人は優しくて、わたしたちともよく遊んでくれた。凜も、聖陽兄さんだけは優しい、って言ってたことがある」
ほかの兄姉や両親は見かけたことがないらしい。ちなみに聖陽というのは、煌武家三男の名前だ。煌武家のきょうだいの中では唯一大学へ進学――アメリカの著名な大学へ留学していたが、帰省した際に例の事件に巻き込まれて死亡、と記録されている。
「それでその……5年生のときに凜の家で大事件が起こって……」
「真奈海、それ以上はいい。ありがとう」
これから先、凜とどう向き合っていけばいいのだろう――?
凜に直接問いただしてなにもかも聞きたいところだが、あいにく素直に語ってくれるような性格はしてない。そもそも凜にとって、絶対に語りたくないことが背景にある気がする。
なら様子見しかないが、みんながこれだけ心配している以上、なにも手を打たないのは問題だろう。
ふと見ると、砂場の子どもたちはもういなかった。
帰りの道すがら。
前を真奈海と奈々が歩いている。
隣の惺が、重みのある口調で話しかけてきた。
「さっきの話の続きだ。豊崎と奈々ちゃんの前だから、言葉を選んだんだが……凜の様子について」
「聞こう」
「凜の心が、強い絶望と孤独感で満たされようとしている」
「絶望と……孤独感?」
日常生活の中では、ほとんど聞かない強い言葉だった。真奈海と奈々に伏せていた気持ちもわかる。
「そうとしか言いようがない感覚なんだ……特に、みんなと和気あいあいと話しているようなとき、その気持ちが顕著になるようだ」
「集団の中にいるときにそれを感じるのか? いまのわたしとは逆だな。……なぜ?」
「そこまではわからない。俺の能力は、そこまで全能じゃないぞ」
「このまま続けていいのか?」
惺はわたしの言いたいことをすぐ理解してくれた。
「ミュージカルの話か? ……凜がやめたい、と言ってきたのなら話は変わるけど、見てる限りそういうわけじゃなさそうだ」
「まさかこちらからやめさせるわけにもいかないか。実質的に凜はよく働いてくれる」
むしろ、凜がいないほうが困るだろう。実務的なところでは、凜は本当に有能だった。みんなもそれを理解していて、問題があったり発生しそうならまず凜に相談して、的確なアドバイスをもらっていた。東雲先生も凜の統率能力については褒めていた。
そして、問題は凜だけではない。
「凜もそうだが、俺としては悠も心配なんだ」
「……あの子もなにか隠しているな」
「気づいたか?」
「ああ。昔のわたしでは気づかなかったような細かいところだ。隠しているというより、悩んでいる?」
凜ほど表には出てない。それでも、悠の心の深奥に眠る「なにか」を感じることがある。 得体の知れない「なにか」。心配しようにも、悠にまるで隙がなくてとりつく島がない。脆さ、と言い換えてもいいかもしれない。
「凜と似たような感覚があるんだ……絶望と孤独感……いや、凜と似ているけど、まるで別物のような」
「惺でもわからないならお手上げだな」
「悠は本当に心のコントロールがうまい。たぶん、俺やセイラなんかよりはるかに強靱な精神を持っているよ」