Alive02-4

 窓から差し込む夕陽の光が、2年G組の教室を朱く染めていた。
 教室に残っている生徒はもう少なかった。読書や勉強をしているやつや、2、3人でしゃべっている連中がちらほら。
 俺たちは軽音部の見学から戻ってきて、缶ジュース片手に一息ついていた。
 
「……はあ、疲れた」
 
 微炭酸の飲料を飲み干す。
 
「体力を使うようなことではなかったはずだが」
「体力というより、精神力だね。ああいうの久しぶりに見たからさ」
 
 ふむ、と軽く言いながら、優雅な手つきで、セイラは缶コーヒーを口にした。
 
「セイラは平気そうだね……というか、なんか帰り道楽しそうに見えたんだけど」
「正直に言えば、楽しかったぞ」
「あの状況を見て?」 
「もちろん、本人たちからしたら苦難だろうが、わたしとしては、ああいう生の日常生活――けんかやすれ違いなども含めて、直接見ることができて僥倖だった」
「また難しい言葉使うなあ……」
「彼女たちは……そう、一種の壁にぶつかっているような気がする。本人たちが自力で乗り越えないといけないたぐいのな。それが音楽という形で表面化したんだろう」
 
 含蓄と説得力のある言葉。セイラとは同い年のはずなのに、なぜか先生と話しているような気になってしまう。
 
「そういえば惺、俺が感想聞いたとき、なにか言いかけてなかった?」
 
 惺は口にしていたミルクティーの缶を机に置いた。
 
「奈々ちゃんたちのバンドは、演奏する実力だけで見たら、あの中ではいちばんだと思う」
「それは俺も思ったよ。身内びいきを抜きにしてね」

 奈々はベースを練習し始めてまだ2ヶ月も経ってない。演奏に関しては自分がいちばん初心者だと言っていたから、ほぼ毎日時間の許す限り練習している。だから形になっているのが見れてよかったと思う。
 ただ――

「ただ、彼女たちの演奏を聴いて、なにか違和感を覚えなかったか?」

 言いたかったことを惺が引き継いでくれた。

「言葉にならないんだけど……強いて言うなら、惜しい?」
「そう。惜しいんだ。彼女たちの音楽には一体感がない」
「一体感……?」
「あの5人の心の波長が、まったく合ってないんだよ。それぞれの個性とかいい部分での癖を生かし切れてない。あれじゃあただ、楽器を演奏するために演奏しているだけだ」
「なるほど。演奏する実力はあるぶん、浮いてしまうということか」
 
 セイラの言葉に、惺は深く首肯した。
 
「ついでに言うなら、あの5人は必死さが前面に出ていて、楽しくなさそうだったな。むしろその場にいるのが苦痛にさえ思えてくる」
「……たしかに」
 
 実力では劣るほかのバンドたちのほうが、聴いていて安心していたかもしれない。それってつまり、ほかのバンドはあの空間で楽しんでいた、ということか。
 
「真剣なのはいいことだ。けど、観ているほうからしたら、それだけだとちょっと痛々しいな。だから凜の言うとおり、実力はあるだけに惜しい」
「……惺って、意外に辛口だったのね?」
 
 内容が音楽に関することだからか、ついでに饒舌だ。いつだったか、惺はヴァイオリンを嗜んでいると奈々から聞いたことがある。弾いてるところを見たことはないけど。
 
「本人たちがいないからこんなこと言えるんだぞ。奈々ちゃんに伝えるのは構わないけど、そのまま言うなよ」
「ああ。伝えるときはもっとマイルドに言うよ」  
「よろしく頼む」
「……ふふっ」
「セイラ?」
「ああ、すまない」
「なにかおかしかった?」
「いや、おかしいわけではない。ただ、いまのこの環境が幸せだと感じてしまってな」
「幸せだと笑うの?」
「ああ。そう感じてしまった自分がおかしくて笑ってしまったというのもあるが。そもそもわたしは、幸せという感覚を覚えるような生活をしていいのかと――」
「セイラ」
 
 惺の鋭い声に、セイラの言葉がさえぎられた。ふたりは無言で見つめ合っている。その視線が交差する中に、どんな感情や思いがあるのか、俺はうかがい知ることができなかった。
 
「気にするな、凜」
 
 と、惺。
 つくづく、惺とセイラは不思議だなって思う。存在感が明らかにふつうの生徒とは違っている。
  
「さて凜、明日の放課後の予定は?」
「ん……? 特にないけど」
「デートの約束とかないのか?」
「残念ながらありません」
「じゃあ明日も、今日のような感じで頼む」
「やっぱりまだ部活動の見学するの?」
「別に部活動に限らなくてもいいぞ。最初に言っただろ。わたしは学生の日常生活に触れられればそれでいい」
「わかった。惺は?」
「俺も参加しないとだめなのか?」
「惺よ、この期に及んでなにを言っている。おまえは用事があろうとなかろうと、強制参加だぞ」
 
 力なく肩を落とす惺を見て、俺とセイラは笑う。セイラにとって、この日常のひとコマでさえ、幸せに値することなんだろうか――そんな考えが頭をよぎる。
 
「店の手伝いはいいのか?」

 惺に訊かれた。
 
「春休みとゴールデンウィークにこき使われたから、しばらくはないよ。代打でシフト入ってくれってときは、前もって知らせてくれるから大丈夫」
 
 もちろん、直前になって入ってくれってこともたまにあるけど。
 
「店とはなんの話だ?」 
「俺の家、『トラットリアHOSHIMINE』っていう洋食屋なんだ」
「トラットリアということは、イタリア料理か」
「そうだよ。あ、セイラも今度食べにおいでよ。サービスするから。月曜は定休日なんだけど」
「ふむ。考えておこう」
  
 と、そのとき俺のスマホが震える。
 母さんからのLINEだった。帰りに買い物をしてきてほしいとのこと。書いてある材料を見る限り、今日の夕食のメニューに必要なようだ。
 惺とセイラに事情を説明した。
 
「そういうことなら、すぐ帰るといい」
「ふたりはどうするの?」
「わたしたちはまだ話をするつもりだ」
「え? 俺も凜と一緒に帰ろうかと」
 
 鋭い刃物のような有無を言わせない迫力を伴って、セイラが惺を睨みつける。
 
「……わかったよ」
「がんばれよ、惺」
「ああ。がんばる」
「なぜがんばる必要があるんだ? ――凜、今日はいろいろとありがとう。またよろしく頼む」
「任せとけ。じゃあ、また明日」
 
 自分の席に戻り、荷物を持って教室の外へ。
 惺とセイラがこれからどんな話をするのか。気にならないと言えば、もちろん嘘になる。よく知らないけど、積もる話もあるんだろう。でもそれは、俺が知っては――知ろうとしてはいけないことのような気がする。誰にだって、人に言えない過去のひとつやふたつはあるから。
 ぼんやりとそんなことを考えながら、帰り道を急いだ。


この記事が気に入ったら
フォローしてね!