Alive02-8

 放課後になり、いつもの面々がセイラの席のまわりに集まっていた。今日はどこを見てまわろうか、その相談だ。
 いちばん張り切っているのは、たっぷりの睡眠で元気百倍の光太。正直、このテンションについていけない。
 
「ふっ――ついに俺の持つ膨大な情報を駆使する時が来たか!」
「ほう。なんの情報だ?」
 
 セイラが興味ありげに訊く。
 
「学園のおもしろポイント。俺がいる限り、セイラさんを退屈させる真似はしない!」
「光太、かっこつけてるところ悪いけど、おでこに跡ついてるぞ」
 
 机に突っ伏して寝ていた光太のおでこには、腕を枕にした跡がくっきり。朝から授業中のほとんどを寝て過ごした証だ。
 
「あんたさ、よくあれだけ堂々と寝てられるわよね。先生たちあきれてたよ?」
 
 もちろんあたしも、と真奈海。
 
「堂々と寝ていれば、先生たちもそのうちあきらめる。俺の作戦どおりだぜっ」
「……あ、そ」
「ところで光太、わたしのことは呼び捨てでいいと言わなかったか?」
「あ……えっと、そのセイラさんはセイラさんていうか、呼び捨てしにくいというか、同い年には見えないっていうか」
「川嶋さぁ、それ、あたしたちよりセイラが老けているって言ってない?」
 
 にやりとしながら真奈海が言う。
 
「だ、だだだ断じてそんなことはっ!? セイラさんはお若くておきれいです!」
「……ふむ。ありがとう?」
 
 セイラはどう反応していいのか迷ったのか、戸惑った様子。
 
「でも、川嶋の言いたいこともわかるけどね。セイラ大人っぽいもん。スタイルもいいし」
「そういう真奈海も全体的に引き締まっていて、スタイルはいいと思うが。なにか運動でもやっているのか?」
「……あ、えっと」
 
 真奈海は言葉を飲んだ。
 事情を知っている俺と光太、惺の3人は、なんとなく目を見合わせる。「どうしよう?」と光太の視線が問いかけてきた。
 
「なんだこの雰囲気は。なにかまずいこと聞いたか?」
「セイラ――」
「わっ、真城っち待って!」
 
 いままでほとんどしゃべらなかった惺が口を開いたのを、真奈海がさえぎった。
 
「大丈夫だから。……えっとねセイラ。あたし、去年の12月まで陸上部に入ってたんだ」
「陸上部か。道理でバランスのいい筋肉をしているわけだ」
「ありがとう。それで、去年の年末にお母さんが倒れて入院しちゃってさ。それから入退院を繰り返していて……あ、いまは退院して家にいるよ」
「そうか」
 
 それ以上はセイラもなにか察したのか、なにも聞いてこない。
 真奈海は陸上部で、短距離走をやっていた。しかも、去年の秋には全国大会に出場して好成績を収めたエース級の実力の持ち主だった。
 けれど、いまは退部して、少しでも母親の医療費や家計の助けになればとバイトに明け暮れている。そのあたりの事情は、真奈海と親しい人間ならだいたい知っていることだ。
 
「ほらみんな、なんか辛気くさいよ! もっと元気出していこう!」
 
 朗らかな笑顔の真奈海。こいつは負の空気をまったく引っ張らない。
 
「おおっ! じゃあさっそく出発っ!」
「川嶋、あんたは少しうるさいかな」
「おぉいっ!?」
「――盛りあがっているところ悪いが」
 
 教室の外から投げかけられた声に、みんなが反応する。
 
「あれ、織田っちじゃん。どうしたの?」
 
 友達に言うような軽い口調で答える真奈海。相手はこのクラスの担任、織田光一郎先生だった。
 
「織田っち言うな、豊崎」
 
 180センチを超える長身に、センスのいい濃紺のスーツがよく似合っている。整った精悍な顔立ちに、やや長めの黒髪。モデルとか俳優とかでも充分に通用しそうな端正なルックスだ。当然、女子生徒から絶大な人気を誇る。
 
「川嶋――」
 
 光太を見る。獲物を見つけたような険しさがその視線に含まれていた。
  
「はい! なんでしょうか織田っち先生!」
「……おまえ、元気だな」
 
 軍人のように敬礼する光太に、先生のこめかみが苛立つようにピクッと動いた。
 
「はい! これからみんなで、セイラさんのために学園の案内をしようと思っていますっ!」
「それはいいことだ。――だが川嶋、おまえは不参加だな」
「へ?」
「へ? じゃない。授業中ずっと寝ていたって、いろんな教科の先生方から俺に苦情があったんだ」
 
 先生のこめかみに青筋が浮かんだ。
 
「そ、そそそそれはっ!?」
「というわけでいまから川嶋を生徒指導室まで連行するが、構わないな?」
「うん。遠慮なくしょっぴいちゃってー。ついでにきっついお灸を据えてあげて~」
「豊崎の薄情者っ!?」
「こういうときは……ふむ。年貢の納め時、というやつだな」
「セイラさんまで!?」
「さあ行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 実はばあちゃんが危篤で、昨日は心配で心配で眠れなかったんですぅ!」
 
 小学生でももっとマシな嘘つくと思う。
 
「それは大変だな。じゃあいまからおまえの家に電話をかけてみよう」
「ひっ――!? それだけは勘弁して! ばあちゃんにばれたらNetflixの契約解除されるぅっ!?」
「鬱陶しい! 行くぞ!」
  
 むんず、と先生の手が光太の首根っこをつかむ。そしてそのままずるずると引きずって行った。
 
「ああっ~! そんなぁ~!?」
 
 光太の叫び声がだんだん遠のいていく。教室に残っているほかのクラスメイトたちが、くすくすと笑っている。
 
「なんか、父さんに怒られる下の弟のこと思い出しちゃった。いつもあんな感じなの」
 
 光太の姿が見えなくなってから、真奈海がしみじみと言った。
 
「弟、何歳だっけ?」
「8歳。いたずら大好き」
「はは……8歳児と同程度か、光太のやつ」
「真奈海には弟がいるのか?」
 
 セイラが訊いた。
 
「うん。弟だけじゃなくて妹もいるよ」
「真奈海んちは弟妹多いよな」
 
 妹が3人に弟がふたり。いわゆる大家族ってやつだ。たしか、いちばん下の子は、去年生まれたばかりの女の子だったはず。
 そんな大家族だから、母親が入院したことは一大事だったと思う。真奈海も、俺が想像できないような苦労をしているはずだ。
 真奈海が簡単に弟妹の構成を紹介する。
 
「あたしが長女ね」
「それは知らなかった」
「あれ? セイラのことだから知ってると思ってた」
 
 真奈海の意見に同意。全生徒と教職員の名前と顔が一致してるくらいの記憶力なら、家族構成まで知っていてもおかしくない気がする。事実、小日向さんのご両親のことは知っていたわけだし。
 
「わたしが知っているのは生徒や職員の顔と名前だけだ。個人情報やプライバシーとの兼ね合いもあって、家族構成までは知悉してないな。小日向椿姫に関しては、親が著名人だったからたまたま知っていただけのことだ」
「……ねえ凜、ちしつ、ってなに?」
 
 小声で真奈海が言ってきた。
 
「たしか、細かい点まで知っていることっていう意味だったかな」
 
 日常会話でほとんど使わないたぐいの言葉だ。俺はなんとか知ってたけど、ふつうは辞書引かないとわからないレベル。国語の成績がアレな真奈海が知っているはずもなく。
 
「なんだふたりとも、ひそひそと内緒話か?」
「いやぁ、セイラってほんとに外国人なのかなって。日本人でも使わないような日本語使うし」
 
 わかるわかる、と真奈海が大いにうなずく。
 
「ところで真奈海、そのうち家に遊びに行ってもいいか? 子どもというものに触れる機会があまりなくてな」
「お、いいよー。凜と真城っちも一緒に遊びにおいでよ」
「ああ、そのうちな」
 
 惺も黙ってうなずく。
 散策を開始することにした。今日も明確な行き先は決めず、とりあえずぶらぶら学園内を歩きまわることになった。行き先を決めたがっていた光太が連行されてしまったから仕方ない。
 教室を出る。
 
「――ちょっといいかしら」
 
 廊下に出たところで、不意に女子生徒が話しかけてきた。
 燃えるような緋色の髪。腰くらいまで長く伸びていて、右の側頭部の髪を水色のシュシュでまとめている。いわゆるサイドポニーテール。
 そして俺たちを見つめる瞳は、髪と同系色をしている。セイラの瞳が鮮血のような紅なら、彼女の瞳はさながら濃い赤ワインのよう。
 この女子生徒、どこかで見たことがあるような……?
 
「ん、あたしたちに用?」
「あなたたち、このG組の生徒で間違いないかしら」
「そうだけど、あなたは? ……えーと、同じ2年生だよね」
 
 顔の広い真奈海でも知らないようだ。
 
「あら、ごめんなさい。わたしは2年E組の柊紗夜華よ」
「およ……柊紗夜華さん?」
 
 なにか思い出したような仕草の真奈海。
 ――柊という苗字。それから髪と瞳の色。目つきとか、容姿も似ている。間違いなく、彼女は――
 
「わたしのことご存じかしら」
「成績学年2位の柊紗夜華さんだよね? テストの順位表でいつも悠の下に名前が載ってる」
「あら、真城悠さんのことも知ってるのね……彼女にはいつも敵わないのよね。どういう勉強方法しているのかしら」
「いやー、それはあたしも知りたいよ。全テスト満点なんて化け物かっての」
「ふふっ、そうね。……ところで、自己紹介も済んだから、本題に入っていいかしら」
「どうぞー」
「海外からの転校生が、男子生徒にいきなりキスしたって本当かしら」
「うん、ほんとだよ」
 
 あっけらかんとした真奈海。その表情は清々しいまでの笑顔。
 
「こら、真奈海っ」
「ん、なに?」
「そんな爽やかな笑顔で、初対面の人に大事なこと言うな」
「え、だってもう有名じゃん」
「そうだけど、もっとこう……」
 
 当事者がいる前で堂々と断言しないほうが。セイラはなにかおもしろいことでも見つけたように微笑んでいる。惺なんかいつの間にか一歩身を引いていて、いまにも逃げそうだ。
 
「柊紗夜華と言ったな。わたしがその転校生だ。名前はセイラ・ファム・アルテイシア」
「へえ……そう」
「で、彼がキスをされた男子生徒だ」
 
 セイラが惺の腕を引っぱって、柊さんの前に突き出す。
 
「おい、セイラっ!」
 
 さすがの惺も、声を荒らげた。……似たような光景、昨日も見たような気がする。
 
「で、わたしたちになんの用だ?」
「ふふっ、まさか当事者が勢揃いしているとは僥倖ね。――実は、あなたたちにインタビューしたいの」
「インタビュー? きみは新聞部かなにかか?」
「いいえ。わたしは部活動には入ってないわ。強いて言うのなら、元文芸部だけど」
「ほう。元文芸部がインタビューとは、どんな所以だ?」
「所以……難しい言葉を知ってるのね。ここじゃあれだから、みんな、わたしの根城にご招待するわ」
「根城とはおもしろい。乗った」
「あたしもー!」
 
 セイラと真奈海は乗り気。とっても楽しそうだ。
 
「……惺、大丈夫か」
「嫌な予感しかしないんだが。なんでいつもこうなる」
「気持ちはわかるけど、あきらめたほうがいいと思う」
「帰りたい」
「なにを言う惺。楽しそうじゃないか。なあ、真奈海よ」
「うん!」
「楽しいのはふたりだけだ……はぁ」
 
 ため息の似合う男に磨きがかかる。
 
「ところで、いきなりですまないが紗夜華と呼び捨てにして構わないか?」
「ええ。お好きに呼んで」
「では紗夜華。きみの根城とはどこにある?」
「ついてきて。ここからちょっと歩くけど」
 
 振り返って歩き出す柊さんの後ろ姿は、毅然としている。
 その後ろ姿に、あの人の面影が重なった。


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