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シンプル美と機能性を両立させた、国内最高峰のWordPressテーマ『SWELL』

Alive02-9

2020 5/11

 赤い煉瓦造りの特徴的な建造物が、学園の北側に存在する。大講堂の隣だ。
 創樹院学園が誇る巨大な図書館。5階建て。建物の中央が校舎のエントランスホールと同じで吹き抜けになっていて、天井はガラスのドームになっている。この図書館の所蔵数は国内でも10本の指に入るらしい。そのため、この施設だけは星蹟市民に限り、一般にも開放されている。
 その建物の3階の一室に、俺たちはいた。部屋の中央には大きなテーブルが置いてあり、俺たちはそれを囲んでパイプ椅子に座っている。
 いつも使っている教室の半分くらいの広さ。いくつかの書棚が壁際にあって、そのほか至るところに積み重なったダンボールの山。中身は本がぎっしりと詰まっているようだ。
 部屋の一角には、簡素なキッチンと小型の冷蔵庫が備わっていた。
 
「ねえ柊さん、ここってなんの部屋?」
 
 真奈海が訊く。
 
「談話室よ。でも見てのとおり、いまは物置のようなものね。だからわたしが使わせてもらってるの」
「ひとりで?」
「ええ。ここの鍵を持ってるの、生徒の中ではわたしだけだから」
「へえ……」
「誰にも文句言われないし、ひとりになれるから快適よ」
「柊さんはひとりが好きなの?」
 
 真奈海は会話運びがうまい。沈黙が訪れないよう、ナチュラルに話題を振っている。
 
「……ええ」
「へー。あたしは苦手だなー。賑やかじゃないと落ち着かないんだ」
「わたしは逆ね。賑やかだと……人の目があると落ち着かないわ」
 
 そのあたりは人それぞれだ。ちなみにここに来る前に、俺と真奈海は自己紹介を済ませていた。
 柊さんが人数分のティーカップに、ティーポットで紅茶を注ぐ。やや黄色に近い紅茶色。それからほどなく、清涼感のあるいい香りが鼻に届いた。
 
「さあ、どうぞ」
 
 慣れた手つきでティーカップをそれぞれに配る。
 
「……リーゼラム……?」
 
 惺が謎の言葉をつぶやくと、柊さんは目をぱちくりさせた。
 
「あら、日本じゃほとんど流通してない紅茶なのに、よく知ってるわね?」
「リーゼラムか。いただこう」
 
 セイラが懐かしいような眼差しでカップを見つめ、やがてカップに口をつける。惺もセイラと同じような、どこか懐かしむ様子で紅茶を飲んだ。俺や真奈海も続く。
 
「……抽出する温度は完璧。茶葉もずいぶん品質がいいな」
「わ、なにこれおいしい! ねえ凜、おいしいよこれ!」
「あ、ああ、そうだな」
 
 はじめて口にする風味。ほどよい苦みで飲みやすい。なにより鼻に抜ける、柑橘系のような爽やかな香りが絶品だ。
  
「紗夜華、この紅茶はどこで手に入れた? この国でほとんど流通してないのなら、入手するのも難しいだろう?」
「母から譲ってもらったの。うちの家、みんな紅茶好きでね。たしかこれは、海外旅行に行ってきた友人から、お土産としてもらったって言ってたわ」
「わたしの記憶が正しければ、きみの母ぎみは、学園長代理の柊緋芽子さんだな?」
「ええ、そうよ」
「え、そうなの?」
「なんだ真奈海、気づかなかったのか」
「そういう凜は気づいてたの?」
「ああ。だって苗字が同じだし、容姿だって似てるぞ」
 
 学園長代理は、たしか四十代後半だったはず。でも、三十代と言っても通用しそうなほど若々しい人だ。ついでにかなり美人。そして柊紗夜華さんは、かなり母親の面影を備えている。
  
「んー……そう言われてみれば」
「あの、豊崎さん、あまりじっと見つめないでもらえるかしら。苦手なのよ」
「あ、ごめん」
「母の話はこれくらいでいいかしら……それで、そろそろ本題に入りたいのだけれど」
「その前に、紗夜華にいくつか質問があるんだが」
 
 カップを置いたセイラが言った。
 
「なにかしら?」
「少し込み入った話になりそうだが、構わないか?」
「ええ、もちろん。わたしだって同じようなことしようとしているわけだし」
「それでは。きみは先ほど、元文芸部と言っていたが、文芸部を辞めた理由は?」
「ふふ。ずいぶんと直球ね」
「気に障ったか?」
「いいえ。――そうね、文芸部を辞めた理由は、仲よしこよしの集まりに嫌気が差したからね」
 
 つい最近、同じフレーズを聞いた。
 
「わたしね、プロの作家志望なの」
「ほう」
「だからこの学園に入学してすぐ文芸部に入ったんだけど、部の活動内容がわたしの想像とはだいぶ違ってね……見学もせずに入部届を出したわたしも悪かったんだけど……小説が好きな人たちが集まって談笑する、ただの同好会っていうか。だから去年のいま頃にはもう辞めていたわ」
 
 詳しいことはわからない。けど、文芸部の色に、柊さんの色は合わなかったようだ。それは、プロの作家を目指しているという、彼女の意識の高さとかが関係しているのかもしれない。
 
「……了解した。それからもうひとつ」
 
 柊さんはうなずいて、先をうながした。
 
「わたしたちにわざわざ話を聞こうと思った理由は?」
「それは簡単な話よ。わたし、昔から気になることがあると放っておけないたちでね。それからおもしろそうなこと、興味があることは気のすむまで調査するようにしてるの。なにが小説の種になるかわからないから」
「なるほど。つまり、いつもアンテナを張りめぐらせていて、たまたま引っかかったのがわたしと惺の件、ということか」
「そういうこと」
「――しかし、それだけではないな?」
 
 自信のみなぎるセイラの言葉と視線に、柊さんの表情が少しだけこわばる。
 
「どうしてそう思ったのかしら?」
「紗夜華はひとりが好きだと、ついさっき言っただろう? ついでに騒がしいのは苦手だと、ここまで話していてなんとなくわかる。そんなきみが、このような大人数で、しかも初対面の人間を招いてお茶会を開いて話を聞こうとするのには、好奇心だけでは理由が足りない気がしてな」
「……へえ。鋭いのね。漂ってくる雰囲気から、ただ者ではないと思ってたけど。想像以上かも」
「たいしたことじゃないさ。……で?」
 
 詳しい理由を話してくれと、セイラの視線が訴えかける。
 
「……ふう。まあ、そこまで見抜かれているなら話すしかなさそうね」
 
 言葉を区切り、柊さんは一度深呼吸してから続けた。
 
「あなたは、壁にぶち当たったことってある?」
「壁?」
「そう、壁。物理的のではなくて、精神的な壁。越えたいけど越えられない、自分自身の内面に存在する壁」
「なるほど。――もちろん、当然ある」
 
 なんの迷いもなく、セイラは答えた。
 一見すると大人びたセイラに壁なんてなさそうだけど、彼女だって人間で、しかもまだ学生の身だ。壁や悩みがないほうがおかしい。
 
「ほかのみんなもそうかしら?」
 
 柊さんが俺を見る。
 
「まあ、そりゃねえ。まだまだ未熟者だし」
「あたしも……えっと、うまく説明できないけど……たしかにあるよ」
 
 真奈海にしてはめずらしいくらいに真剣な表情で、声のトーンも低く落ち着いている。
 惺も神妙な表情でうなずいた。
  
「それで、その壁とやらがどうつながるのだ? 察するに、いま、きみはまさに壁にぶち当たっていると?」
「ええ。そのとおりよ」
 
 大人びた……やや達観したような微笑をたたえて、柊さんは答える。
 
「差し支えなければ、聞かせてもらえるか?」
「おい、セイラ……」
「まあ待て、惺。やっとおもしろくなってきたじゃないか」
「おもしろいおもしろくないの基準で判断するな。柊さんに失礼だろ」
「あら、わたしは別に構わないわ。そもそも話の発端はわたしなのだから、気にしなくていいのよ、真城くん」
 
 わかったよと、惺は肩をすくめた。
 
「では紗夜華、話の続きを」
「そうね。どこから話したものかしら……」
 
 あごに手を添えて、柊さんは考える。仕草のひとつひとつが優雅だ。
 
「わたしが最初に小説を書いたのは、たしか小学4年生のときだったかしら。それからいまに至るまで、短編長編問わず、けっこうな量を書いてきたわ。題材もいろいろ。だいたいは、そのとき興味を持ったことだったり、ふと思いついたアイデアだったり……ほんとにいろいろね」
 
 みんな黙って、柊さんの話に耳を傾けている。
 
「でも最近疑問に思うの。わたしはおもしろい小説が書きたい。でも、おもしろいってなに? 感動できるとか泣けるとか楽しめるとか笑えるって、結局どういうことなのって。参考にするために、小説以外にも漫画とかドラマとか映画とか見ても、その答えは見つからなかった」
「それが紗夜華の思う自分の壁か?」
 
 ものすごく哲学的な話だ。真奈海なんて、ぽかんとしている。
 柊さんは首肯した。
 
「ええ。疑問に思ったとたん、小説が書けなくなっちゃってね。誰のために書いているのか、なんのために書いているのか、わからなくなって」
「読んでくれた人を楽しませたい、感動させたい、ではだめなのか?」
 
 柊さんは首を横に振った。
 
「もちろん、それも考えたわ。でも、わたしの中には、小説を読んでほしいと思う『誰か』が欠落していることに気づいたのよ」
 
 読んでくれる人がいるから、作家は小説を書く。
 でも、それがいない……?
 それが、柊さんの考えた自分の壁。そして、それがこのお茶会とどうつながっていくんだろう……?
 
「あら星峰くん。いま、あなたの考えていること、当ててあげようかしら」
「えっ」
「わたしの感じている壁と、このお茶会のつながり」
「うわぁ……恐れ入りました」
 
 なんか、俺のまわりには勘の鋭い人が多すぎるような。
 
「端的に説明するのなら、自分を変えたい、って思ったのよ」
「自分を……変えたい」
「そう。わたしって、物心ついたときからひとりが好きだったみたいでね。友達と仲よく遊んだ思い出があまりないの。……そういえば、そんなわたしを母や姉は心配していたようね」
 
 柊さんは紅茶を口にしたあと、言葉を続けた。
 
「スマートフォンは持ってるけど、家族とか最低限の連絡先しか知らない。よく、『ねえねえ、LINEのID教えてー』って、お互い特に深い付き合いするつもりはないのに、なぜか社交辞令のように聞いてくる子、世の中に多いでしょ? わたし、あれ嫌いなの」
 
 真奈海がちょっとだけばつの悪そうな顔をした。
 
「あたし、柊さんの嫌いなタイプかも。けっこうそれ言ってる気がする。進級して、クラス変わったときとか」
「いや、真奈海はちゃんとわきまえてるよ。誰にでも言ってるってわけではないと思う」
「おー。フォローさんきゅ、凜」
 
 どことなく照れつつ、真奈海が言った。
 
「それで……要するに、わたしは自分の世界が狭いって思ったのよ」
 
 自分の世界が狭い――俺らの年代でその事実に気づけるって、実はすごいことだと思う。真奈海なんて、さっきから「ほえ~」と感心している。 セイラはかすかな笑みを浮かべ、惺は柊さんの言葉を真剣に受け止めているようだった。
 
「それを打破したくて、今回のお茶会を思いついたの。わたしにとって、初対面の人を招いて、こんなお話しするの、はじめてなのよ」
「あれぇ、そうだったの? 柊さん、落ち着いているから、こういうのよくやってるのかなって」
「あら豊崎さん、わたし、落ち着いているように見える?」
「うん。すごく」
「実際はかなり緊張してるわよ。白鳥と一緒ね。表面上では落ち着いているけど、水面下では――って話」
「なるほどねぇ……」
「紗夜華。つまりこのお茶会は、自分を変えるための第一歩、といったところか?」
「そのとおりよ。ごめんなさいね。自分のためで」
「いや、構わない。わたしもかなり貴重な意見を聞かせてもらった」
「そう言ってもらえるとありがたいわ。それで、あなたの疑問は氷解したかしら?」
「ああ」
「じゃあ、そろそろ本題に入りたいのだけれど」
「うむ、いいだろう。ディープキスの件だったな」
「セイラっ!」
 
 すかさず口を開いた惺に、セイラは訝しげな視線を向ける。
 
「なんだ惺。いままで黙っていたかと思えば、急に大声出して」
「だから、ディープキスと強調するのはやめてくれ!」
「またその話か……やれやれ」
「やれやれ、は俺の台詞だ!」
「ねえ、まさかディープキスだったの? 朝のホームルームの最中に、みんなの目の前で?」
「そのとおりだ」
 
 誇らしげにセイラはうなずく。
 
「星峰くんと豊崎さんは、たしかかなり近くで目撃したのよね?」
「そうだよ! ぶちゅーって! もうびっくり!」
「……真奈海の表現はともかく、たしかに濃厚なキスだったかな」
「なるほどね」
 
 柊さんはどこからか手帳サイズのノートとペンを取り出し、なにかを書き込んだ。筆記具は、最近では見るのもめずらしい万年筆だった。
 
「柊さん」
「はい? なにかしら、ディープキスされた張本人さん」
「……ディープキスかどうかは重要じゃない」
「いや、重要だ!」
「セイラは黙って。……柊さん、それが本題なのか?」
「ええ」
「なんでまた」
 
 柊さんはまた、大人びた表情で微笑んだ。
 
「海外からの転校生が、大勢の目の前で、いきなり在校生に濃厚なキスをするなんてことが、日常で起こりうるかしら」
 
 ……そう言われると、たしかに。
 
「わたしはね、純粋に興味があるの。どうしてそんなことが起こったのか。結果には必ず原因あるでしょう。ふたりの関係とか、過去になにがあったのか。それをわたしは知りたいのよ」
 
 それは、他人が踏み込んでいい領域なのだろうか。惺とセイラの過去に、なにがあったのか――少なくとも俺は踏み込んじゃいけないと判断したから、詳しくは聞いてない。もちろん気になるところではあるけど、好奇心とプライバシーは別物だ。
 
「もちろん、話したくなければ無理には聞かないわ。……ただそうなると、ここでこれ以上、あなたたちと話す必要がなくなってしまうわね。淹れた紅茶がもったいないわ。どうしましょう」
「ははっ。紗夜華は思いのほかやり手だな。みんな紅茶に口をつけてしまった上に、紗夜華は自分のことをかなり深くまで話した。だから、わたしたちからこれにてお開きとは言いにくい」
「あら、別に構わないわよ」
 
 柊さんはからかうように笑う。
 
「よくない。紗夜華も言ったとおり、せっかくの紅茶がもったいない」
「それじゃあ、話してもらえるのかしら?」
「いいだろう、紗夜華。話そう」
「おい、セイラ――?」
「そんな戸惑った顔をするな、惺。紗夜華は初対面のわたしたちに、内面のかなり深いところまで話してくれたんだ。そんな彼女に対して、なんの義理も見せないのは不公平だろう?」
 
 もしかして柊さんは、こうなることを予測して、自分のことをあんなに詳しく話したのだろうか? 柊さんの表情は、頭の切れる人特有の巧妙な仮面に覆われていて、いまいち読み切れない。
 
「……わかった。好きにしてくれ」
「ただし紗夜華、最初に断っておくが、いろんな事情で話せない部分があることを了承してほしい」
「もちろん」
「では、なにから聞きたい?」
「質問形式でいいのかしら。わかったわ……そうね、まずは、あなたたちの出会いはいつかしら」
「ふむ……だいたい6年前だな」
「あら、もっと幼い頃だと思ってたわ」
「そうか? まあ、当時はわたしも惺もいろいろと幼かったが」
 
 セイラの口調は当時からこんなだったのか? という疑問が生まれたけど、当然押し黙った。
 
「出会いのきっかけは?」

 セイラが黙る。頭の中で言葉を選んでいるようだ。
 
「……惺の父親に助け出された、といったところだ。当時のわたしは、かなりのっぴきならない状況にいてな。それがきっかけで惺と出会った」
「それは日本での話?」
「いや、最初に会ったのは……あれはレザフォリア地方だったか?」
 
 問われた惺は無言で首肯した。
 レザフォリア地方はたしか、フォンエルディア国内にある地方のひとつだったはず。なんか有名な観光名所のひとつだったような気がするけど、それ以上のことは知らなかった。
 
「その場所で惺と、それから――」
 
 セイラが言葉を飲んだ。
 
「――まあともかく、レザフォリアで惺と出会い、それからしばらく一緒に活動していた」
「活動……? 一緒に暮らしていた、とかではなくて?」
「いや。一緒に暮らしていたと言うと、ひとところにずっといたというニュアンスになるだろう。拠点となる場所はあったが、しばらくフォンエルディア中を転々としていたな」
「その事情は、聞かないほうがよさそうね……?」
「そうしてもらえると助かる。……それから、とある事情で袂を分かつことになってな。惺は日本に帰国し、わたしはとある施設に収容された――」
 
 収容。
 その言葉に、俺だけではなく真奈海や柊さんまで眉をひそめた。惺だけなにも変わらない――まるですべてを知っているかのように。
 
「――そしてこのたび、再会する運びになったわけだ」
「袂を分かってから、まったく会わなかったの? LINEは――海外では使われてなかったかしら。電話やメールは?」
「それもまた事情があってな。やりたくてもできなかった」
「じゃあずっと、ふたりは音信不通だったのね」
「そういうことだ」
「その期間に、あなたの真城くんに対する思いが募っていった……?」
「うむ」
「真城くん、あなたはどうなの? アルテイシアさんに対する思いは」
「思いと言っても……もちろん、セイラを忘れることはなかったけど」
「じゃあふたりは、離れていても通じ合っていたのね」
「…………む?」
「惺、その不思議な反応はなんだ」
「いや、別に。他意はない」
「あのな。わたしだって、惺のことを忘れた日などなかった。むしろ……そうだ、自慰行為をしてはじめて絶頂に達したのは、惺を想像しながらだったぞ」
 
 ――その言葉に。
 全員が凍りついた。
 いや、正確には凍りついたのは3人だった。
 凍りついてないひとり――柊さんはさらに興味を示すような光を、そのワインレッドの瞳に宿す。口もとは笑いをこらえきれない様子だった。
 
「あ、あのぉ!? セイラ、そういうことはっ!?」
「なにをそんなに慌てている、真奈海? 顔が真っ赤だぞ」
「だって、その、じ、じじ、自慰行為とか……あぅ」
「わたしたちくらいの年代……思春期なら女も男もするだろう? なんだ、自慰行為という言葉がいけなかったのか? ならオナニーと言い換えよう」
「そ、そそそそうじゃなくって!?」
「む……もしや真奈海、自慰行為をしたことないのか?」
「そ、そそそそそういうわけじゃないけどぉっ! ――って、あたしなに言ってるの!? いやあぁ! 凜――じゃなくて、真城っち助けてぇ!」
「落ち着いて、豊崎。それからセイラはもうしゃべるな。絶対に」
「なにを怒っている?」
 
 セイラが俺のほうをちらっと見た。
 
「おっと凜、また表情が怖いぞ。……ふむ。みんな悪かった。凜、謝罪するからその顔はやめてくれ」
「――――」
「凜?」
「……ん……ああ、大丈夫」
 
 心なしか気を遣われた気がする。柊さんはどこか俺の様子をうかがうような表情だった。
 あまり心地のいい状況じゃない。深呼吸して、意識を切り替える。
 
「……いいかしら、セイラ」
 
 俺の雰囲気がもとに戻ったのを感じたのか、柊さんが口を開いた。
 
「なんだ?」
「あなたが話した内容はすべて事実なのよね。……えっと、自慰行為については遠くに置いておくとして」
「相違ない」
「真城くんは? 訂正はある?」
「特にない。おおむねセイラの言うとおりだ」
「ねえ真城っち。海外にいたことはともかく、そのあいだ、セイラと一緒だったのって悠は知ってるの?」
「……それは」
 
 惺の態度が、その問いの答えになっている。
 
「そこんとこ、悠にうまく説明したほうがいいんじゃないかなー。だからなおのこと感情的になっちゃうんだよ、きっと」
「たしかに。ほかにも事情があるんだろうけど、せめてセイラのことだけは話したほうがいいんじゃないか? じゃないと悠のやつ、いつまでもあのままだぞ」
 
 惺に対してだけ憎悪を向ける悠。俺が星峰の家に来たときにはもう、ふたりの関係はそんな感じだった。
 
「それはそうだけどな……いろいろとタイミングが」
「惺、この際だから、悠にはすべてを話してもいいのではないか? 彼女は完全に無関係ではないだろう。それにわたしは彼女ともっと仲よくやっていきたい」
「…………」
「また、いいかしら?」
「すまない、紗夜華。質問の途中だったな」
「わたしの知らない事情が出てきたわね。真城くんと真城悠さんは、話を聞く限り……その、険悪な関係なの? たしかふたりは双子の兄妹よね」
「まあ……良好ではないな」
 
 苦笑いしながら惺が答える。
 
「まわりから見ても同意見かしら」
 
 柊さんの問いかけに、俺と真奈海は首肯した。
 
「そう。で、あなたたちの会話から察するに、真城兄妹の仲は以前から険悪だった。しかもそこに謎の転校生が現れて、しかも熱いキスまで交わして、険悪さに拍車がかかってしまった?」
「うむ。素晴らしい洞察力だな。さすが作家志望」
 
 ぶつぶつとなにかつぶやきながら、ノートにメモする柊さん。
 ――どこか、彼女のまとう空気が変わった。
 
「双子の兄に対する禁断の思い――それが成就できないことから、いつからか妹は兄に対して愛情の裏返し――憎悪を向けるようになる。そこに現れたのが、兄を慕う美しい転校生。彼女は登場した瞬間に、兄に対してキスを――その事実を知る妹の心情は――」
「ひ、柊さん?」
 
 恐る恐る投げた俺の問いに、柊さんは鬼気迫る表情で応えた。
 
「いける……いけるかも……っ!」
 
 ものすごい勢いでノートが埋まっていく。万年筆を走らせるのとページをめくる速度が尋常じゃない。
 
「双子の兄妹と、転校生の三角関係――その先にあるのは、破滅か消滅か!?」
 
 それ、ほとんど同じじゃ……?
 
「あのー、ハッピーエンドはないのかな?」
「あ、あたしもハッピーエンドがいいなあ」

 恐る恐る手を挙げた俺と真奈海。

「ハッピーエンド? あなたたち、創作なめてるの!?」
「――っ!?」
「――ひっ!?」
 
 鬼気迫るを通り越して、鬼そのものになった柊さんに睨まれて、俺と真奈海は言葉を失った。
 
「こんな状況で、誰もが幸せになるようなハッピーエンドなんて存在しないわ! 無理にハッピーエンドなんかにしたら、それこそとってつけたような予定調和よ! ふざけんじゃないわっ!」
 
 いままで落ち着いていた柊さんは、どこかに行ってしまったらしい。まるで別人のようだ。
 俺と真奈海は目を見合わせ、すかさず白旗をあげた。
 
「惺、残念なことにハッピーエンドはないらしいが」
 
 と、セイラ。
 
「また他人事みたいに言ってるけど、破滅か消滅するのに、おそらくセイラも入っているからな」
「そうか? まあ、それはそれでおもしろそうだが」
「おもしろくないだろ……」
 
 惺の言葉にもはや力はない。
 
「それで紗夜華、インタビューは成功か?」
「ええ……そうね。想像以上に。どうもありがとう」
「けっこう。では、そろそろ我々はおいとまするか。見たところ、紗夜華もやることができたようだしな」
 
 俺と真奈海は力強くうなずいた。
 
「あら、お構いなく――」
「――紗夜華」
「はい?」
「連絡先、教えてくれないか?」
 
 柊さんは、不思議な視線をセイラに投げかけた。
 
「嫌か?」
「いえ……えっと、どうして?」
「お茶会、また誘ってくれるとうれしい」
 
 柊さんは大きく目を見開いたあと、
 
「……喜んで」
 
一瞬だけ照れて、はにかんだように言った。


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