Alive04-2

 翌日の朝、リビングへ降りると、奈々が難しい顔をしてスマホを見つめていた。視線はどこかもの悲しさをたたえている。
 
「おはよう。どうした?」
「あ、おはよう……美緒ちゃんからの連絡待ち」
「ああ、そう」
 
 キッチンにまわり、悠と一緒に朝食の準備をする。とはいってもほとんど悠がやってくれたから、俺は皿に盛りつけるだけだ。
 悠が耳打ちしてきた。
 
「昨日、綾瀬さん無断欠席したらしくて」
 
 褒め言葉かどうかは別にして、ロックなイメージのある綾瀬さんなら、無断欠席もよく似合う。支配からの解放、みたいな。そんなことを口にすると、話を聞いていた奈々が眉を寄せて否定した。
 
「美緒ちゃん、いままで休んだことなかったよ。遅刻はあったけど」
「話し合いの日は決めてないの?」
「うん。昨日美緒ちゃんとその話しようと思ってたんだけど」
 
 結局、話し合うしか方法はないんだ。
 まわりがどう言おうと、最終的には当事者本人たちの気持ちが鍵になる。人間は幸か不幸か、気持ちを言葉に代えて伝達する手段がある。体育祭を挟み、「The World End」の全員がクールダウンはできたと思う。時期としては頃合いだ。だから体育祭が終わってから、みんなでもう一度話し合うことだけは決まっていた。
 ただ、俺は。
 どんなにうまい言葉を使っても、気持ちを完璧に言葉に乗せることができたとしても、わかり合えるかどうか、というのは別問題だと思っている。以前、悠とこの部分で意見の食い違いがあってからは、口にしてないけど。
 テーブルに朝食を運び、食べ始める。今日は和食だった。
 
「綾瀬さんって、体育祭には出てたよな?」
「うん。がんばってたよ。うちのクラスでは、いちばん多くの種目に出てたかな」
 
 奈々の活躍を惺やセイラ、真奈海と見に行ったとき、ちょうど綾瀬さんが学年別のクラス対抗リレーに出場していた。彼女が走り出したときの順位は4位くらい。けど猛烈な追い上げで、次々とごぼう抜き。最後はダントツの1位でバトンを渡していた。元陸上部のエース真奈海は綾瀬さんの走りに感心し、「あれは逸材だ!」と目を光らせていた。
 創樹院学園のメイングラウンドは3つある。基本的には学年別に分けて競技が行われた。総生徒数2500人が一丸となってスポーツに励む冗談みたいな規模の体育祭は、国際レベルのスポーツ大会に匹敵する熱気だった。
 
「体育祭のとき、なんか話した?」
「ううん。あいさつしたくらいかな。なんか、いつもより話しかけづらい雰囲気で」
 
 印象に残っている綾瀬さんの走り。周囲の熱気とは裏腹に、冷たい負の感情をまとって走っているように見えた。体内からわき出す不安を払拭するように。あるいは、憂鬱や苦しみから逃げるように。どこか俺自身と重なる部分を感じたのは、気のせいではなかったはずだ。
 
「ご両親がまたけんかしたのかな。相談してくれればいいのに」
 
 綾瀬さんのご両親が、離婚まであと一歩くらい不仲なのはもう話していた。
 
「それはさすがに相談できないんじゃないか? 仮に相談されても、どうすることもできないだろ」
「……そうだけど」
「ねえ凜くん、たとえどうすることができなくても、誰かに話すだけで気が楽になることもあるよ」
「それってただの気休めじゃないか? 根本的な解決ではないだろ。綾瀬さんがそんな刹那的な安らぎを求めるとは思えないんだけど」
「凜くん……」
 
 もの憂げな瞳が、俺を射貫くように見つめる。同じ瞳を向けられたことがある。学園の屋上で、綾瀬さんの話を聞いた日の夜。人と人はわかり合えないと言った俺に対する、あのときの眼差しだ。
 どんな眼差しを向けられても、俺は引かない。
 
「俺、なんか変なこと言った?」
「……ううん、なんでもない」
 
 妙な空気に包まれる。奈々は困ったように俺と悠のあいだに視線をさまよわせた。奈々の動きに合わせて、ぴょこぴょこと陽気にはねるツインテールだけが、空気を読んでいなかった。


 
 昼休み。トイレから教室へ戻る途中、鮮やかな橙色の髪が目に入ってきた。廊下の窓から吹き込む湿り気を帯びた風が、さらさらとその豊かな髪を揺らしていた。
 小日向さんが惺と話している。
 
「やあ、小日向さん。こんにちは」
「あ……こんにちは」
「どうしたの?」
「あの、その……今日から復帰するの。演劇部に」
「あ、そうなんだ」
 
 その報告に来たらしい。流れで相談に乗ることになったとはいえ、律儀なことだと思う。
 2週間前、演劇部に戻らないかと部長や副部長から誘われていた小日向さん。いろいろと思うところはあるだろうけど、やはり演劇をやりたいという気持ちに嘘はつけなかったようだ。
 先週は体育祭のせいで部活動は休みだった。あとは7月の期末試験まで大きな行事はない。復帰するにはちょうどいいタイミングだ。
 
「あの……星峰くんも、ありがとう。相談に乗ってくれて」
 
 ぺこりと頭を下げる。
 
「や、俺はほとんどなんもしてないよ。活躍したのは惺だな」
 
 口下手な小日向さんから悩みを聞き、的確なアドバイスができたのは惺の超能力のようなコミュニケーション力の賜物だ、と俺は思う。
 
「それは買いかぶりすぎだな」
「だから、心の声に反応するのやめようなっ!?」
「椿姫、これからも悩みは尽きないだろうが、わたしたちであればいつでも協力する。なにかあったらすぐに相談してくれ」
「……う……うん」
「セイラも突然やってきて、あたかもずっと会話に参加していたような台詞はやめようなっ!? 小日向さん、びっくりして言葉を失っているぞ」
「椿姫の件ではわたしはほとんど役に立たなかったからな。もしも今度なにかあれば、全力で支援しよう」

 聞いてないし。

「あの、アルテイシアさん」
「わたしのことはセイラでいいと……む。椿姫には言ってなかったか。呼び捨てで構わないぞ」
「えっと……セ、セイラ……ちゃん?」
「ほう。ちゃん付けとは新鮮だ。気に入った」
「えっとね、わたしがここまで決断できたのは、セイラちゃんがわたしに話しかけてくれたのがきっかけ……だっと思う」
 
 惺や悠と一緒に学園散策でまわっていたとき、池のほとりで妖精となっていた小日向さんと出会った。あのときセイラが無遠慮に話しかけてなかったら、この出会いはなかったかもしれない。
 
「あれは話しかけたというか、回避不能な台風や竜巻と一緒だな」
 
 と、皮肉る惺。セイラはそれを「ふっ」と得意げな表情で流した。小日向さんが笑う。
 
「ふむ。椿姫は笑っている顔がよく似合う」
 
 普段だったら歯の浮くような台詞も、セイラが言うとなぜかさまになっている。小日向さんが頬を染めて照れている姿も可愛らしかった。
 
「わたし……がんばるね」
 
 ――このときはまだ、小日向さんの全身に希望がみなぎっていた。


 
「りーん。なに読んでるの?」
 
 放課後の教室。タブレット端末を使って読書しているところに、光太がやってきた。
 
「小説。だから邪魔すんな」
「およ? 凜が電子書籍なんてめずらしいね。おもしろい? なんて作家? おもしろかったら俺にも読ませて」
「人の話聞けよ。これな、友達が書いたやつなんだ。簡単には見せられないな」
「……凜に小説を書くような友達なんかいたっけ?」
「ふふん。聞いて驚け。作者は柊紗夜華さんだ。『以前書いた小説があるのだけど、よかったら読んで感想聞かせてくれないかしら』と頼まれてな……お、おい、なんでぷるぷる震えてんだ。脳梗塞か?」
「お、お、おおおお――」
「…………?」
「俺にも読ませてぇっ~~!?」
 
 光太の叫び声が教室中にこだまする。何事かと、残っていたクラスメイトに俺まで白い目を向けられた。
 
「耳もとで叫ぶな、この馬鹿! だから、簡単には読ませてあげられないと――」
「俺も『紅色の小悪魔』さんとお友達になりたい!」
「そんな下心見え見えのやつを紹介できるか。まずはあれだ。柊さんの教室に行って『お、お、おおおお友達から始めてください!』と告白してみろ。んで氷点下の視線を向けられたら考えてやる」
「それ、前提条件がおかしいじゃないかぁ! ねえいいでしょ? 柊さんに頼んでくれよぉ。りーん、俺とおまえの仲だろぉ~」
 
 肩に手をまわしてきたので、光太のあごを下から殴ってやった。「ほぐぅ!?」と情けない悲鳴をあげてすぐに離れる。それでも瞳は「頼むよぉ~」と訴えかけている。
 面倒くさい。
 
「ああもう、わかったよ」
「ほんと!? ありがとう、凜!」
 
 抱きついてきたので、今度は容赦なく肘鉄を喰らわせた。隙だらけのみぞおちに命中し、「へぐちっ!?」と謎の悲鳴をあげる。
 
「連絡するからちょっと待ってろ。……えーと、『ストーカー気質のやつが柊さんと友達になりたがっているんだけど、どうしようか。通報する?』――よし、送信」
「凜っ!?」
「冗談だよ。……ちゃんと送ったから、返事あるまで待機な」
「ねえ、余計なこと書いて送ってないよね? 俺の第一印象が最悪になるような」
「安心しろ。俺ほど友達に優しい人間もいない……なんだその目は?」
「ううん、なんでもない。ねえ凜、途中までは読んだんだよね。どんな感じなの?」
「青春群像劇。俺たちと同世代の男女の悲喜こもごも……そういや、おまえが読むようなタイプの小説じゃないかもな。どちらかといえば重厚だし、けっこう難しい漢字や熟語も出てくる。さすがにふりがなは振ってないぞ――っと」
 
 柊さんから返事があった。思ったよりも早い。
 
「ちっ」
「え? なんで舌打ちしたの?」
「ぜひどうぞ、だとよ。よかったな」
 
 よっしゃぁ! と歓喜に踊る光太。その姿をやかましそうに見つめるクラスメイト。なんでこいつはいつも反応が大げさなんだ。
 しかし作者本人から許可が出たのなら仕方ない。光太のIDに原稿データを送った。それを伝えると、光太はスキップしながら自分の席に戻り、机の中からタブレットを取り出す。学園から支給されている、ほとんどの教科の教科書が入っているものだ。電子書籍リーダーとしても利用できる。
 
「むほぉ! これは楽しみだ」
「んじゃ、俺はもう帰るから」
「あ、ちょっと待った! 読んだら感想言えばいいの?」
「ああ。俺が伝えておく」
「やだ。自分で伝える」
「……いや、おまえ、読書感想文とか苦手だろ? 直接言うなんて、わざわざ自分から赤っ恥の海に飛び込むことないだろうに」
「が、がんばるもん!」
「……まあ、そこまで言うのなら」
「ちゃんと取り次いでね」
「ちなみに明日の放課後、お茶会が開かれるんだ。そんときにみんなで感想を言い合う予定」
「みんなって?」
「あー、言ってなかったか。惺とセイラにも原稿を送ったらしい」
「なるほど。じゃあ、俺もそのお茶会に参加する口実ができたわけだ!」
「いや、なに図々しいこと言ってるんだよ。直接誘われてないのに顔出す気か? 厚かましい。友達として恥ずかしい」
「もうさっきから凜の言葉が心に突き刺さって痛いんですけどっ!?」
「だいたい、明日までに読み切れるのか? けっこうページ数あるぞ」
「ぐっ……そ、それもなんとかがんばる」
「ちょっと待ってろ」
 
 スマホを取り出し、柊さんに連絡する。
 
「……よし」
「な、なにがよしなの? なんか嫌な予感するんですけど」
「明日になってからの秘密。ふふ。楽しみだ」
 
 鞄を持ち、教室を出ようとする。
 
「あーっ、凜、ちょっと待ってよ! 俺も帰る!」
 
 光太と一緒にエントランスへ出ると、ちょうど真奈海と出くわした。
 
「ふたりとも、もう帰り?」
「まあな。そういや、真奈海はどこ行ってたんだ?」
 
 ホームルームが終わったあと、すぐに教室を飛び出していった。
 
「生徒指導室。織田っちに相談してたの。ねえね聞いて。あたし、来週からバイト減らすことにしたんだ!」
「ほお。……でも、家のほうは大丈夫なの?」
「まあね。ほら、昨日早退したじゃない。お母さんに泣かれちゃって。そこまでがんばらなくてもいいってさ。凜の言ったとおりだね」
 
 バイト先にも事情を説明し、すでに了承を得ているとのこと。コンビニもスーパーも、理解のある職場ではあるようだ。
 
「それでね、将来進学したいのなら、奨学金とかそーゆー制度もあるから必要以上に心配するなって織田っちが」
「なるほど。ただし時間ができる代わりに、もっと勉強したほうがいいとか言われたか?」
「げ。なんで知ってるの!」
「誰でも予想できるって。まあ、がんばれ。応援してる」
「……ねえ、凜。頼みがあるんだけど」
「ん?」
「勉強見てほしいんだ。塾行く余裕はさすがにないのよ。だったら友達に見てもらうのも手だって、織田っちが言ってた」
「俺でいいの? 悠のほうが成績いいぞ」
「や、悠はいつも忙しそうだし」
「俺は暇そうだと」
「そ、そこまでは言わないけど」
 
 悠は生徒会やら病院やらで、基本的に放課後は空いてないことが多い。帰宅部の俺とは雲泥の差。
 
「まあいいよ。そういや、光太はどうする?」
「へ、俺?」
「おまえもついでに勉強見てやろうか? ほら、おまえ真奈海以上に馬鹿だし」
 
 真奈海と光太ふたりのこめかみがピクッと反応した。
 
「ちょっと凜! こんな馬鹿と比べないでよ! さすがのあたしでも泣くよ!?」
「ええい、豊崎も凜も、人を馬鹿呼ばわりするな! 馬鹿って言うほうが馬鹿なんだぞ!だいたい、俺だってやるときはやるんだい!」
「常にやるって意識を持ちなさい。ちなみにこれは真奈海にも言えることだぞ」
 
 ふたりしてばつの悪そうな表情をする。
 
「凜が先生みたいなこと言ってるー」
「ねえ豊崎、ほんとに凜に教えてもらうの? なんかスパルタそうだぞ」
「……うーん」
「いまさら悩むな。大丈夫だ。友達に勉強を教えることに関して、実に優しく丁寧だとちまたで噂の星峰凜くんだぞ」
「そんな噂聞いたことない」
「あたしも」
「で、来週のいつから勉強始めるんだ?」
「んー……とりあえず、シフト調整するまで待ってもらっていい? 今週末にはわかると思う」
「わかった。光太、おまえは今日から勉強するか? どうせ家に帰ってもアニメかゲームかマンガかラノベのどれかだろ」
「いや、忘れたのかよ凜! 今日は帰って柊さんの小説を読むんだい!」
「あ、そう」
「ねえ、柊さんの小説ってなんのこと?」
 
 最初のお茶会のとき、真奈海は普段はバイトで忙しいと柊さんに話していた。それを気遣ったのか、小説は真奈海に送ってないと言っていた。
 真奈海に事情を説明する。
 
「あたしも読みたい!」
「待て。おまえは読書する習慣ほとんどないだろ。やめとけ」
「だって気になるじゃん。……よし、決めた! あたし、これを機会に読書始める!」
「わかった。ちょっと待って」
 
 スマホで再び柊さんに連絡。
 
「……あ、あれ? 凜、俺のときはあんなにいじわるだったのに、なんで豊崎にはこうも簡単に!?」
「真奈海、明日はバイトだろ? お茶会は出られないか」
「んーと、明日は夕方5時からだから、それまでだったら大丈夫」
「わかった。まあでも、さすがに今日明日で全部読むのは難しいか。真奈海は読めたところまででいんじゃね」
「ねえ凜、だから、なんで豊崎には優しいの? 差別なの!?」
「ごたごたうるさいなー。だいたい、おまえはいつも台詞に感嘆符が多いんだよ、鬱陶しい!」
「なんだとぅ!」
「やるか?」
「こらぁっ! うちの弟たちじゃないんだから。みっともないから落ち着きなさい!」
 
 その直後、柊さんから返信があった。相変わらず返事が早い。わかりきっていたことだけど快諾してくれた。光太は放っておいて、真奈海にその旨伝える。
 
「難しい漢字があっても読み飛ばしちゃだめだぞ」
「わかってるよ。……およ?」
 
 真奈海が誰かを見つけた。


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