Alive05-3

 台風直撃の昨日とは打って変わって、静かな夜だった。
 自室のノートパソコンと向かい合うこと30分。ブラウザには「神経 病気 疾患」という検索ワードの結果がずらりと並んでいる。
 とりあえず表示順にいくつかのページを閲覧してたけど。
 
「……わからん」
 
 悠は本当に病気なのか、だとしたら病名はなんなのか。情報が少なくて、さすがにわからなかった。調べるにも限度がある。悠には直接訊きにくいし、診察に同席したであろう母さんに訊くのも、もちろん気が引ける。
 ……気にしすぎかな。
 重要なことならさすがに言ってくるだろうし、黙ってるってことは、心配するようなことはなにもない。
 とりあえず、そう納得することにする。
 となると、遅くなる前にさっさともうひとつの用事を済ませたほうがいいか。
 スマホを手に取り、コール。
 
『…………はぁーい……』
 
 ものすごく眠そうな女性の声。
 
「あれ、姉さん、もしかしてもう寝てた?」
『……んー……違うの。いま起きたの。おはよう、りんりん』
「おはようって、いま午後9時過ぎですが」
『今日は久しぶりのお休みだったのぉ……ん? りんりん、いま午後9時って言った?』
「うん」
『うわあ! わたし、18時間も寝てた!』
「そ、それは寝過ぎだよ……」
 
 電話の相手は星峰小夜子。24歳。星峰家の長女だ。大手広告会社に勤めていて、現在は都内でひとり暮らしをしている。仕事が忙しいみたいで、なかなかこっちに帰ってこない。
  
『りんりんから電話してくるなんてめずらしいね』
「ちょっと用があって……あのさ、前にも言ったけどりんりんって呼ぶのやめてくれる?動物園のパンダじゃないんだから」
『パンダ可愛いじゃない。で、なんの用?』
「実はさ……あー、順を追って話すとね、まず、奈々が学園でバンド組んでて」
『それは知ってる。ガールズバンドでしょ。入学早々、奈々がベースやり始めたのはびっくりしたよ……あれ、最近解散したって聞いたような?』
「解散してないよ。まあかなりきわどい解散危機はあったけど、無事に乗り越えられたんだよ」
『あ、そうなの。それで?』
「俺がそのバンドのマネージャーやることになったんだ」
 
 今日の放課後、奈々たちのもとへ行くと頼まれたのがこの話。さすがに予想してなかった。
 
『りんりんがマネージャー? ……まあ、似合うんだけど……ああ、それでわたしに電話したのね』
「そう。姉さんは悠のマネージャーやってたじゃん。こういうのはやっぱり、プロの方にご指導ご鞭撻をお願いいたしたく」
 
 悠がピアニストとして海外活動していた後半、後ろでサポートしていたのが、なにを隠そう姉さんだった。短大を卒業してから去年まで、姉さんは悠と一緒に海外にいた。広告会社に就職したのはそれからだ。
 悠いわく、姉さんがついてからびっくりするほど楽になった、と常々言っている。
 
『なるほどね。で、マネージャーになってなにやってほしいって?』
「スケジュールの管理とか、もろもろのアドバイス……あと、勉強も見てほしいって」
 
 今回のテストでは、幸い誰も赤点を取らなかったらしい。でも秀才の佐久間さん以外はわりとぎりぎりだったらしくて、それぞれ先生からもう少しがんばりなさい、と言われたそうだ。
 
『音楽についてのアドバイスも?』
「いや、それはどうだろ。俺、楽器はなにも弾けないし、楽譜だってちゃんとは読めないから、そこは断ったんだけど」
 
 それでも気づいたことがあれば言ってほしいと、あの綾瀬さんから直々に言われたから、無碍にはできない。音楽に関することじゃなくても、たとえばみんなと接する態度とか、気になることは遠慮なく言ってくれと頼まれた。
 綾瀬さんって、この短期間で本当に変わったと思う。
 
『凜は耳がいいでしょ。前に悠がそんなこと言ってたよ。細かい音の違いとか拾えるって』
「……そうなの?」
 
 意識したことないけど、プロのピアニストからそう言われたら、さすがに照れる。
 
『あとは、そうね……そのバンド、なにか大きな目標とかある?』
「喫緊のものだと、サマフェス出場かな」
『サマフェス。懐かしい響き』
 
 姉さんも創樹院学園のOGだ。
 サマフェス開催日は8月の終盤。もう2ヶ月を切っている。
 
『スケジュールに関して重要なのは、とにかく明確に逆算すること。演奏のクオリティをどこまで追求するか。この段階まで目標に届かなければ、思い切って目標を下げる。あとみんな学生で、日々の勉強とか夏休みの宿題もあるでしょ? そういうところとの兼ね合いかな。メンバーのモチベーションにも気を配らないと』
「なるほど」
『まあ、凜は小ずるい計算とか平気な顔でやるだろうし、たとえきついこと言ったとしても、あとでそつなくフォローするだろうからあまり心配はいらないかな』
「褒められてると思うんだけど、表現がかなり歪曲してるよね?」
 
 それからいくつか注意すべき点を聞いた。言うことがすべて経験に基づいた説得力のある話。姉さんを少し見直した。
 
『あー……もう、完全に仕事モードになっちゃったじゃない。これからのんきに映画でも観ようと思ったのに』
「観ればいいじゃん」
『仕事モードだとね、その映画の売り出し方とかCMの内容とか、観ながらごちゃごちゃ考えちゃって、内容が入ってこないのよぉ』
「そ、そう」
 
 職業病ってやつだろうか。
 
『ま、いいか。たっぷり寝たから貫徹して、いくつか雑務でもこなそう』
「変則的な生活はほどほどにね? 姉さんもそろそろ、そんなに若くなくなって――」
『ごめん、空耳?』

 声に殺気が含まれてた。

「空耳です、はい」
 
 それからどちらともなく、世間話に突入した。最後に直接会ったのは、姉さんが帰省してきた春休みだった。それ以降はLINEでもそんなにやりとりしていない。俺も姉さんも、用がないと連絡をとらないタイプだ。
 
「そういえばさ、悠ってどこか悪いの?」
 
 はっ、と息をのむ気配。しばらく待っても返事がない。
 
『なにかあったの?』
 
 声に険しさが含まれている。
 
「昨日、悠が倒れて――」
『凜っ!』
 
 その大声に、思わずスマホを耳から離した。
 
「うわっ、なに急に」
『その話、詳しく』
 
 姉さんの声は、さっきまでとは打って変わって真剣そのものだった。
 簡単に状況を説明する。説明が終わると、電話の向こうで再び黙る姉さん。
 ……やっぱり、なにか知ってるのか?
 なんとなく思いついたから訊いてみただけで、深い意味はなかった。でも姉さんの反応を見る限り、なにか知ってるとしか思えない。
 
「悠がピアニストを休業したことと関係ある?」
 
 悠は日本での活動はなかったけど、特にヨーロッパ界隈では、世界トップクラスのピアニストとして有名らしい。各地の名だたる交響楽団から、三顧の礼をもって迎えられるレベルだとか。
 けど悠は去年、フォンエルディアでのリサイタルを最後に、ピアニストとしての活動を無期限の休業とした。
 そういえば、セレスティアル号の事件に巻き込まれたのはその帰りだった。あのとき、テロリストに脅されながらも圧倒的なレベルの演奏をした姿が全世界に動画配信されて、当時日本人なら誰でも見たはず。それで「ピアノを弾いた少女」として一躍有名になった。
 
『……凜の察しのよさ、こういうときには欠点ね』
 
 肯定、と受けとった。
 
「これ以上聞かないほうがいい?」
『そうね。必要なら本人が話すでしょ。わたしから言うことはない』
「……わかった。いまの話は、心の奥にしまっておく」
 
 変な空気になったので、それ以降はなんとなく会話が続かない。こういうとき、似たもの同士だとなおさら。
 血のつながりはないのに、似たもの同士の変な姉弟だ。


この記事が気に入ったら
フォローしてね!