Alive05-2

 テスト明け最初の登校になった、火曜日の放課後。
 今日授業があった教科は答案が返ってきて、クラスのいろんなところで歓喜やら悲鳴があがっていた。
 隣の席の真奈海はご機嫌だった。
 
「んふっ。赤点がひとつもないのは幸せだよね!」
「まだ半分も返ってきてないぞ」
「とりあえずね、数学と化学と英語で赤点がなければ大丈夫なの!」
「よかったな」
「うん! 凜やセイラのおかげだね。ありがとう!」
「真奈海みたいなお馬鹿ちゃんでも、ちゃんと勉強すればなんとかなるんだな……へえ」
「……ねえ、いまの空耳?」
 
 真奈海はこわばった笑顔を浮かべている。
 
「空耳空耳。そんなことより、あれ見て」
 
 俺が指さした方角には、自分の席で微動だにしない光太の姿。
 無表情だった。悲しむでも喜ぶでもなく、顔に浮かんでいる感情の値が完全にゼロ。日常生活ではありえないレベルで感情が欠落している。
 
「なに、あいつどうしたの? 電池切れ?」
「テストの点数、やばかったんじゃないの」
 
 1限目から答案が返されるたびに、どんどん青ざめていった光太。放課後のいま、もう表に出す感情は売り尽くしたらしい。結果は聞かなくてもわかる。今日の授業は、光太にとっても苦手な教科が多かったから。
 
「一緒に勉強会までやったのに、そんな結果なの? 恥ずかしくないの? あたしだったら登校拒否になるレベルだよ」
 
 赤点がないからいい気になっている真奈海。大きな声で聞こえるように言ってるけど、光太の反応はない。
 
「やっぱり付け焼き刃じゃだめなんだよ。常日頃の積み重ねがないと。それは真奈海も一緒だからな」
「うぐっ。わかってるよぉ」
「しかし、どうやっても馬鹿は馬鹿なんだな」
「んふっ。でもさぁ、自分より馬鹿なやつがいるって、幸せだよね!」
 
 俺も人のことは言えないけど、真奈海も最後まで容赦がなかった。
 
「ま、あいつは放っておこう。もう俺たちにはどうすることもできない」
 
 そうやって、しばらく教室で過ごしていた。真奈海は今日、バイトが休みらしい。だからほかの女子生徒たちと楽しそうにしゃべったりしていた。
 ちなみに光太は誰と話すでもなく、なにもすることなく、抜け殻のように存在しているだけだった。用がないなら早く帰ればいいのに。
 途中、どこかに出ていた惺が戻ってきたので、悠のことを訊いてみた。
 
「悠が――?」
 
 紅茶色のレンズの向こうで、わずかに目を見開いたのがわかる。
 
「そのせいで今日はお休み。惺はなんか知らないかな、と思って」
「……たしか、神経に軽い疾患があるって、昔父さんから聞いたことがある」
「し、神経?」
「でも、子どものときだけで心配することはないって聞いた」
「最近でも病院通いはしてるみたいだけど……」
「それは知ってる。いまは休業中だけどプロのピアニストだぞ。それなりに気を遣ってるんじゃないか」
 
 それっきり、惺は黙った。席について、深く考え込んでいるようだった。
 それから数分後、そろそろ帰ると言いながら立ち上がる。
 
「凜はまだ帰らないのか?」
「うん。奈々からの連絡待ち」
「ああ……バンドの件か」
「そう。うまくいくよう祈ってくれ」
「そうする。――じゃあ」
 
 惺が立ち去ると同時に、真奈海が来た。
 
「ねえ、いま悠の話してなかった?」
「……去年さ、おまえ悠と同じクラスだったよな。なんか変わったことなかった? こう、授業の途中で倒れたりとか」
「え? な、ないよそんなの。どうしたの?」
「あんまり驚くなよ。悠、昨日倒れてさ」
 
 真奈海には隠しても仕方ないと思い、正直に話した。しかし、「はあっ!?」と大声で叫んで固まった。クラスメイトたち(光太を除く)の視線が一瞬、俺たちに集まった。
 
「驚くなと言っただろうに!」
「ご、ごめん。でも、どうして?」
 
 俺は首を横に振った。
 昨日、母さんたちが病院に連れて行き、昼頃には帰ってきた。母さんの話では、簡単な検査と点滴を打ってきたらしい。医師からしばらく安静にということで、今日は欠席した。明確に病気と診断されたのかはわからない。
 
「気持ちはわかるけど、あまり大げさにするなよ」
「んもー。わかってるよぉ」
「誰かさんと違って、悠は繊細なんだから」
「ねえ、誰かさんって誰のこと?」
「真奈海にだけは言えない」
「なんで凜はいつもひと言多いのさ!」
 
 突き出された拳をブロック。そんなくだらない応酬をしばらく続けたあと、真奈海が言い出した。
 
「そうだ。凜にお願いがあるんだけど」
「ん?」
「今度さ、両親の結婚記念日があるんだ。それで――」
 
 と、そのときスマホが着信を知らせた。
 
「あ、奈々だ。ちょっといい?」
 
 うなずいた真奈海を横目に電話に出ると、とたんに奈々の嬉しそうな雰囲気が伝わってくる。
 
『お兄ちゃん! やったよ! バンド復活!』
 
 奈々たちのバンド「The World End」は、ここ2週間ほど、またやり直せないかという話し合いをしていた。今日もまた、奈々たちは空き教室に集まって話し合っていた。どういう話し合いをしたのかはわからない。けど、いい方向に結果が実ったようだ。
 
「よかったな。おめでとう」
『ありがとう! お兄ちゃんたちのおかげだよ!』
 
 奈々の声には、若干の涙が混じっている。よほど嬉しいんだろう。
 
『それでね、みんなからお兄ちゃんにお話しがあるの。いまからこっち来られる?』
「ん、みんな一緒に…………愛の告白?」
『……お兄ちゃん、みんなから告白されたいの?』
「おう。ハーレムルートは嫌いじゃない」
 
 黙られた。眉を寄せてる奈々の表情が思い浮かんだ。
 
「冗談だ。どこ行けばいい?」
 
 奈々から場所を聞いて通話終了。スマホをしまう。
 
「あ、真奈海、話の途中だったっけ。結婚記念日がどうとか……」
「いや、あたしの話は明日でいいよ。早く奈々のところ行ってあげて」
「そう? 悪いな」
 
 真奈海に別れを告げて教室を出た。
 ちなみに光太は最後まで仏像のように固まっていた。徹頭徹尾、誰も話しかけないあたり、こいつの人望を思い知らされる。


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