Alive05-5

 夏休みも終わりが見えてきた8月の中旬過ぎ。夏真っ盛りの午後。窓から差し込む強い陽射しが容赦なく照りつけている。それでも教室の中が涼しいのは、エアコンをガンガンかけているからだ。
 教室に響きわたるのは、夏らしい爽やかなポップスだった。
 復活した「The World End」は、いままでの停滞を吹き飛ばすかのごとく、どんどん勢いを増している。
 夏休みに入ってから全体の技術力が飛躍的に向上した。バンドに費やせる時間が増えたためだと思う。5人の一体感もますます高まり、本番のサマフェスが楽しみだ。
 やがて、疾走感のある演奏が終わった。
 
「はい、お疲れさん」
 
 俺が声をかけると、バンドのみんなはいっせいに息を吐いた。
 
「美緒ちゃん! わたしできたよ!」
 
 と、奈々が肩で息をしながら表情をほころばせる。ベースを始めてまだ数ヶ月の奈々にとっては、難しいフレーズが何度かあった。けど今回、はじめてミスすることなく演奏できていた。
 
「そうね。よくがんばったと思う」
  
 あまり表情には出てないけど、綾瀬さんも喜んでいるようだ。ほかのメンバーも、はじめて最後までミスなく演奏できたことに感無量な感じが伝わってくる。
 
「お兄さん、どうだった?」
「うん。俺からは特に言うことはないかな。惺はどう?」
 
 俺の隣に座っていた惺は、演奏中ずっと目をつむっていて、いまやっとまぶたを上げた。もちろん寝ていたわけじゃないのは知っている。
 みんなが息をのんだ。
 
「――いい演奏だったよ。合格だ」
 
 にこっと笑いながら言う。
 バンドのみんなのあいだに、歓声が沸き起こった。
 
「よし、じゃあ休憩!」


  
 トイレから戻ると、廊下の自販機の前に惺がいた。
 
「ほい」
 
 と言って渡されたのは、冷たいレモンティーだった。
 
「サンキュ。あ、お金」
「いや、いい。実は、当たったんだ」
「マジ? へえ……」
 
 自販機の「当たりが出たらもう1本」に当たってる人、はじめて見た。
 その場で口をつける。
 ここはD校舎。文化系の部室がある校舎。この階の空き教室は基本的に、軽音部が練習に使っている。ほかのバンドも、サマフェスに向けて練習しているようだ。
 近くにある教室から少し音が漏れていた。別のバンドが練習しているんだろう。下手ではない。でも音に違和感を覚えた。
 
「なんか……リズムがぶれているような?」
 
 すると惺が感心したようにうなずいた。
 
「よく気づいたな。そのとおりだよ。凜は耳がよくなったな」
「耳?」
「しばらくみんなの練習に付き合って鍛えられたんだよ。もともとよかったと思うけど、さらに些細な音の違いを聞き分けられるようになったんだな」
 
 惺にまで言われたら、さすがに照れる。
 
「ありがとう……ところで最後の演奏、本当にいいと思った?」
「ああ。細かいところを気にすればきりがないけど、充分合格点だった」
 
 惺にそこまで言ってもらえるのなら、「The World End」も誇りに思ってもいい。
 実際に聴いたことはないけど、惺はヴァイオリンの名手らしい。前に奈々がそう言っていた。
 バンドのマネージャーになって約2ヶ月。みんなのスケジュールを管理したり、夏休みの宿題を見たりするのは、俺ひとりでもなんとかなった。
 けど音楽に関することだけは、どうしても俺だけではまかなえなかった。たまにYouTubeなんかで音楽を聴くのと授業以外、ほとんど音楽に触れてこなかったから。
 そう思ったから惺に助っ人を頼んだ。悠でもよかったんだけど、彼女は生徒会役員としてサマフェスの運営に携わっていて、忙しい。
「まあ、暇だから」と言って快く引き受けてくれた惺には、俺だけでなく綾瀬さんたちも深く感謝していた。
 バンドのみんなは惺に、厳しめに評価してほしいと頼んでいた。「人からお金を取れるレベル」が判断基準。
 最初はいろんな意味で厳しかったけど、お盆休みが終わってサマフェスが近づいてきた頃から、みんなの集中力が上がってきたのがわかる。惺のダメ出しも、だんだん少なくなっていった。
 そして今日、めでたく合格点が出された。いや、もし不合格だったらサマフェスで演奏しないのか? そんなことはない。気持ちの問題。
 でも、本当によかった。
 本番まであと1週間を切っている。これだけあれば、詰めの練習時間も充分にある。
 惺と一緒に教室に戻ると、メンバーが楽しそうに話している。話の輪の中にはもちろん綾瀬さんもいて、かつて見た軋轢はもうほとんど感じさせない。
 ――惺が急に立ち止まった。
 
「どうした?」
「……揺れてる?」
「え?」
 
 ――と口にした矢先。
 教室どころか校舎全体が、大きな振動に包まれた。
 誰かが「地震!?」と叫ぶ。
 揺れはどんどん大きくなる。床や壁や天上から――あらゆるところからみしみしという異音が響く。すぐに立っていられなくなって、床にひれ伏した。
 
「みんな、机の下へ!」
 
 俺がそう叫んだのとほぼ同時に、前にいた惺の姿が、急に消えたように見えた。
 ちらりと見えたのは、窓際の席にいた綾瀬さんをかばうように、惺が身を挺したところ。
 窓ガラスが割れた。まるで銃撃を受けたかのように激しく。奈々たちの悲鳴と、ガラスの破砕音が混じる。
 たぶん1分は揺れていた。
 やがて揺れが収まった頃、机の下から這い出し、恐る恐る立ち上がる。
 教室の中が一変していた。窓ガラスは半分以上が割れていて、机と椅子が大部分がひっくり返っている。
 
「奈々! 大丈夫?」
 
 とりあえず近くにいた奈々に駆け寄る。しゃがみ込んで、震えながら泣いていた。 
 奈々の肩に手を置きながら周囲を見渡すと、佐久間さんや木崎さん、遠坂さんも同じようにしゃがみ込んで怯えていた。ざっと見た感じ、みんな怪我はなさそうだ。
 
「惺先輩!」
 
 綾瀬さんの声。
 みんなが声のほうへ振り向くと、さらなる衝撃が襲った。
 惺の右肩から鮮血がしたたり落ちていた。ガラスの破片が刺さったらしい。
 
「大丈夫。命に関わる怪我じゃない……けど、さすがに痛いな。綾瀬さん、怪我は?」
 
 惺は落ち着いている。
 綾瀬さんの返事はなかった。呆然と、惺の怪我を見つめている。
 
「綾瀬さん?」
「わ……わたしの……せいで……」
「なに言ってるんだ。きみのせいじゃない……とにかく、綾瀬さんに怪我がなくてよかったよ」
 
 爽やかに笑う惺が、どこか痛々しい。
 
「そんなことより、惺! し、止血!」
 
 俺は叫びながら、持っていたハンカチを惺に渡した。ほかの子たちも同じようにする。当然、練習を再開している場合ではなかった。
 ――その後のニュースで、地震はマグニチュード6クラスのものだと発表された。星蹟島の沖合十数キロが震源地で、島全域で震度5強を記録。惺のような負傷者は星蹟島だけで数十人は出たけど、不幸中の幸いか死者はいなかった。
 津波や人的被害はたいしたことなかったけど、建物の損傷は星蹟島全体に広がったそうだ。もちろん、サマフェスの会場となる大講堂も例外ではない。


 そして残念なことに、来週に迫っていた創樹院サマーフェスティバルは、中止に追い込まれてしまった。


この記事が気に入ったら
フォローしてね!